おーい、応為のレビュー・感想・評価
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応為の胸のうち
長澤まさみさんだからか、だらしなく雑な感じを演じても透明感が出ていて良かった。
冒頭のシーンで怒鳴って怒りをぶつける場面だから画面が揺れているように感じた。
あの時代に出戻りで自分のやりたい道を進む強さの中に、不安な気持ちや焦りも現れていて、いつの時代も独身女性の平凡でいわゆる普通の結婚を選んで、夢を諦めるか苦悩するのは同じなんだと思った。
応為のセリフのない表情から読みとる心のうちが、観る人によって解釈は異なると思うけど、北斎という天才絵師を父に持っていることの誇り、尊敬、自分の才能の焦り、娘として老親への労いや心配。
じんわり温かく感じた。
何もかも勝ってた
絵描きとしての応為を観たかったI Wanted to See Oei as an Artist
この映画の企画を知って
予告編を見た時、
杉浦日向子さんの「百日紅」を真っ先に思い出した。
2015年にアニメ化したものを劇場で観た後
本屋に行き、文庫版の「百日紅」を購入し
どハマりした。
もちろん主人公は応為。
浮世絵が動いている様な絵作りが
大好きだった。
アニメ版では杏さんが応為の声をやっていて
それが個人的にはしっくりきていた。
その応為が主人公で実写化ということで
そのつもりで観に行った。
後半以外、思いの外、絵を描かない応為だった。
博士ちゃんで北斎特集の時に
長澤まさみさんがゲスト出演していたけど、
意外と初めて聞いたリアクションがあったなあ
と思っていた。
並行して放映されている大河ドラマがまさに
ほぼ同時代を描いているのは流石に分が悪いか。
登場人物とのやりとりが
その裏にあるはずの背景の重みが
今ひとつ軽く感じて、
例えば
絵を頼みにきて、すれ違いから
刀を出してくる場面や
冒頭、絵に関して言い争う場面とか。
「百日紅」で印象残った、
北斎の描いてある絵に
うっかりキセルのタバコを落とすところは、
シーンを作る大変さからか、
映画では
ただ単に北斎が出て行くだけになっていたり。
最後まで観て、
北斎を描きたかったのか
応為を描きたかったのか
いまいちよく分からなかった。
大森監督の映画は以前
「湖の女たち」を観たが
印象は今回も同じかもしれないな
と思った。
When I first heard about this film and watched the trailer,
Sugiura Hinako’s Sarusuberi (Miss Hokusai) immediately came to mind.
After seeing the 2015 animated adaptation in theaters,
I went straight to a bookstore, bought the paperback, and became completely hooked.
Of course, the protagonist there is Oei.
I loved the way the animation made it look as if Ukiyo-e prints were coming to life.
In the anime version, Oei was voiced by Anne,
and personally, that felt exactly right.
So when I learned that Oei would be the protagonist in a live-action adaptation,
I went in fully expecting that Oei.
But aside from the latter half, Oei barely paints in this film—far less than I expected.
When Masami Nagasawa appeared as a guest on Hakase-chan during a Hokusai special,
I remember being surprised by a few of her reactions—
things I hadn’t heard from her before.
And with the current Taiga drama airing in parallel, depicting nearly the same era,
it’s honestly a tough comparison for this film.
The interactions between characters, too—
the weight that should lie beneath each exchange
felt strangely light.
For example:
the scene where a man comes to request a painting and ends up drawing his sword after a misunderstanding,
or the argument about a painting at the very beginning.
One moment I found unforgettable in Sarusuberi—
when Oei accidentally drops ash from her kiseru onto one of Hokusai’s works—
is gone here.
Perhaps because recreating such a scene is difficult in live action,
the film reduces it to Hokusai simply walking out of the room.
By the end, I was left unsure:
Did the director want to portray Hokusai?
Or Oei?
I’ve seen one of Ōmori’s films before—The Women in the Lakes—
and I found myself thinking that my impression this time might be much the same.
描くことに魂を燃やした2人の絵師
応為と北斎の親子が熱い
映画館へ急げ! 終わる前に見よう…
かつて、「HOKUSAI」という映画があった。
詳しくは、私が書いた過去のレビューをご覧いただきたい。
私は墨田区に住むが、この地から生まれた世界的芸術家・北斎とその娘をテーマにした映画である本作「おーい、応為」は、★ひとつだけのHOKUSAIに対し、ぜひ見てほしい、と思わされた作品だ。
なんといっても、長澤まさみがいい。
着物からすーっと伸びた彼女の手足。当たり前だが、その下には現代の下着などは着ていない。なんともそそられる。それはビジュアル面での、この映画の魅力である。
スクリーンから妄想が膨らむ。
それはともかく…。
昔も今も、男も女も、人というのは生きにくい。生きている間はずっと生きづらいものである。
北斎という大絵師の娘であり、同じ世界で生きようとした彼女も、相当生きづらさを抱えていたと思う。
それをうまく、脚本・監督の大森立嗣は作品化した、と思う。
彼女の心の世界に入ってゆける映画になっている。
長澤、そして北斎を演じた永瀬正敏の芝居も、押しつけがましさがなく、ちょっと力が抜けた感があってよかった。
地味な題材で、封切りから1カ月近くもたっているから、誰も見に来ていないだろう、と思ったのだが、上映回数が少ないこともあってか平日昼間の都心のシネコンに案外客が入っていて驚いた。
未見の人は今からでも遅くない、見てほしい。
長澤まさみを主演にした価値が無い
長澤まさみ演じる応為が魅力的!
長澤さんが、応為が本当にそこに生きていたことを思わせる素晴らしい演技をされていて、スクリーンの中に引き込まれた。
昨今、葛飾北斎がまた注目を浴びてきていた印象があったが、作品や功績といった表面的な部分しか知らなかったので、映画を通してより深く世界観を感じられて良かった。
北斎の最期の瞬間が美しく思えた。
天才絵師の日常
【拾い物】良い映画でした 芸術家とは藝術とは 湿っぽく無くサラッと
おーい応為を観てきたよ
まず映画館の上映時間がかなりニッチで自分の都合と合わせにくかった。
なんとか打ち切り前に観た。
応為の映画と言うより北斎を描いた映画だったと言う印象が強く残った。
応為の内面を描きたかったんだろうと監督の思いは理解出来たが、違うアプローチをしたら応為も
長澤まさみも活きたように感じた。
北斎と応為があ・うんの呼吸でやり合う様が見事な、奇人父娘のホームドラマ
画狂人=葛飾北斎(鉄蔵)と、その才能を引き継いだ三女の葛飾応為(お栄)の奇妙な親子の生活を描いている。
応為は、一説では北斎の肉筆画を代筆したとされるほどの才能の持ち主だった。
この映画にも登場する「吉原格子先之図」は肉筆画だが、木版画の浮世絵が主流の時代にあって、レンブラントの油彩画のような暗い中に浮かび上がる灯りの表現は、異彩を放っていただろうと思う。
だから、天才人気絵師の娘が、画期的な描法を編み出す創作過程を描くのかと思ったら、いわゆる定説とされるエピソードを織り込みながら構成された、奇人親子のホーム・ドラマだった。
お栄が鉄蔵のことを「お~い」と呼ぶから応為という画号を北斎がつけたとも、逆に鉄蔵がお栄を「お~い」と呼びつけていたからだとも言われている。
映画の冒頭で亭主の絵を下手くそだとお栄がなじり、離縁される場面がある。お栄の絵の眼力は秀でていて、亭主だった南沢等明の絵をバカにして離縁されたと言うのは定説だ。出戻って以来は生涯北斎と暮らしたとされている。
北斎が枕絵を描いているのを見て、足の指の反り方が逆だとお栄が指摘する場面があるが、殊に美人画・春画においては応為のほうが優れていると北斎自身が認めていた…とか。
さて、開巻たちまち、お栄(長澤まさみ)が亭主に「出ていってやらァ」と大声を上げる。
全編を通して、親父や他の者に対して怒鳴り散らす場面が再三ある。ときにイラつき、ときに怒り、ときに苦しみ、ときに嘆いて怒鳴るのだ。
長屋の住人の前で津軽藩士に啖呵を切る場面は見せ場だと思う。
そして、終盤に老北斎(永瀬正敏)から自由に生きろと言われて涙交じりに怒鳴る長澤まさみが出色なのだ。
言わずもがなだが、長澤まさみはスタイルが良い。だから、男勝りの着流し姿が格好いい。
実際の応為は不美人だったようだが、映画なので見栄えの良さは必要。
『北斎漫画』(’81)では田中裕子が、NHKのドラマ「眩〜北斎の娘〜」(’17)では宮崎あおいが、お栄を演じている。岡田茉莉子も演じたことがあり、美人が演じる方がむしろ定番だ。
この時代の絵師には著作権も印税もない。
原画を版元に売ってしまえば版木の権利は版元にあるから、何部刷ろうが版元の自由で、何部売れようが売上は版元に留まる。版木を他の版元に売り渡しても絵師には何も利益は還元されないのた。
加えて北斎は偏屈者だったらしく、この映画でも報酬が良い依頼を平気で断るような男に描かれているほどで、人気の絵師であっても暮らしは貧乏だった。
この映画で描かれるお栄は、男勝りといえども女として描かれている(当たり前だが)。
お栄は誰にも知られず恋をしていた。そして、誰にも知られずその恋に敗れていた。
女の応為が寡作ながらがも絵を世に残せたのは北斎の娘だったからで、女流絵師が評価される時代ではなかった。
そんなお栄の女としての寂しさと女流絵師としての悔しさを、長澤まさみは不機嫌な表情で滲ませる。
そして、幼い弟を亡くした無念に子供のように泣きじゃくるのだ。
あの時代で90歳近くまで生きた葛飾北斎の死の直前までを演じた永瀬正敏も評価に値するが、やはり長澤まさみだろう。
横柄な態度、感情的な言動で派手に演じているようで、実は深層心理を体の奥底で押さえ込んだような含んだ演技が見事だ。
絵師・葛飾応為の面をもっと見せる脚本であって欲しかったと、個人的には感じたが、全体のビジュアル構成も素晴らしく、見る価値のある映画だった。
長澤まさみさんの艶っぽさ
なんとか上映終了前に駆け込み鑑賞。
と思ったら、テアトル新宿は今日から夜の回で上映開始されるよう。
15日は大森監督、永瀬正敏さん、浮世絵指導の松原亜実さんが登壇するトークイベントがあるんですってよ、お客さん!(行きたいけど土曜の夜は無理なのよ)
下手な絵を描く旦那に三くだり半を突きつけて、ほぼ手ぶらで江戸の街を歩いて実家に出戻る長澤まさみさんの歩く姿に色気を感じる。始まりから好き。その後も着流しといった体の着物姿の全身を映すショットが多く、きっぷの良さと艶が同居するその様子を観ているだけで目の保養に。
狭い長屋の部屋で頑固じじいと出戻り娘が角突き合わせて2人っきり長い年月過ごすっていうのはどんな感じなんだろう。いくら親娘でも、お互いが絵の才能を認め合っていたからこそ成立した暮らしってことですかね。
脚本家がいいのか監督がいいのか、いずれにしても大森さんなのでどっちでもいいんだけど、長い年月の話をうまくまとめていて、津軽藩との話、妻と病の妹の話、さくらの話、絵師・応為誕生の話と、かわるがわるエピソードが進んでいって畳まれて、そこに弟子も絡んで飽きることがなかった(髙橋海人さんのお芝居はたぶん初めて観たけどいい味出していて物語の味付けになってた)。
永瀬さんの北斎、特に年老いてからがメイクも含めてよかったなー。旅帰りでさくらが駆け寄ってこないことにすぐ気づく演技が心に残った。
映画.comの平均点が低くて後回しにしていたところもあったんだけど、間に合ってよかったっす。
陰翳を誤解した映像美と、失われた物語の深み
封切り当初はアクセスランキング7位に食い込んだ本作も、公開から一か月弱でトップテン圏外へと沈んだ。その理由は、作品を観終えた後の率直な失望感にあるだろう。葛飾北斎の娘・応為の生涯を描くという題材は、歴史と美術の両面で豊かな可能性を秘めていた。しかし、その可能性は脚本と映像演出の稚拙さによって、ことごとく裏切られてしまった。
主演・長澤まさみの演技力には期待が寄せられていたが、彼女の力量を引き出すどころか、役者を三流に見せてしまうほどの演出の迷走が目立つ。心理描写を深めるどころか、ドラマ性を削ぎ落とした構成は、応為という人物の複雑な内面を単なる「市井の偉人伝」に矮小化してしまった。
映像面ではさらに失望が大きい。監督・大森立嗣と撮影・辻智彦が意識したであろう谷崎潤一郎『陰翳礼讃』の美学は、結果として誤解されたままスクリーンに定着した。陰翳の美とは、暗がりの中に差し込む光が緑や木肌を際立たせる静謐な構図にある。しかし本作では、逆光を多用した結果、被写体の輪郭すら失われ、視点中央には障子越しのスノーライトがただ眩しく広がるのみ。陰翳の奥行きではなく、単なる「見えない不快感」が終始観客を苛んだ。
さらに致命的なのは、北斎の絵画がほとんど登場しないことだ。観客が期待するのは、北斎漫画や浮世絵の筆致を映像にどう昇華するか、その美意識をどう応為の視点と対比させるかという挑戦である。しかし本作は、その核心に触れないまま終わり、父への畏怖や超克といった心理的葛藤も浅薄に描かれるのみ。学芸員レベルの分析を映像に織り込む工夫が皆無であったことは、企画意図や北斎への畏怖と敬意そのものを疑わせる。
結果として、「お~い、応為」というタイトルが示すはずの挑発的な響きは空虚に響き、むしろ「北斎娘の生涯」という凡庸な題名がふさわしい内容に終わった。長澤まさみの演技力でさえ、この構成と映像の失策を補うことはできなかったのである。
残念至極――それが本作を観終えた後に残る唯一の言葉だ。
艶っぽい雰囲気のある作品
応為の何を描こうとしたの?
テレビ時代劇にあるような、綺麗に作り込まれた江戸ではなく、全編を通して、実際の一般庶民の江戸風俗を描こうとしているような絵面が良かったです
しかし、物語の方は...というと。多分、応為という人の記録や情報が絶対的に少ないんでしょうね。だから、掘り下げようがない、が実態か
「おーい、応為」というダジャレが先にあって、つまり、北斎の娘で、この世紀の天才芸術家の比較的近くにいた人物を軸に作れないかな〜、が制作動機か
だとしても、「おーい、」の時点で主語が北斎になっている矛盾。だったら、応為というフィルターを通した北斎の生き様とか凄みを掘り下げてもいいようなものですが、そういう感じもさほどなかった
しょっちゅう引っ越ししてたとか、相当な変りモンだったらしい、とかよく語られている北斎の印象の上っ面をなぞったシーンの連続、って感じで最後まで...。
永瀬正敏さん演じる葛飾北斎の存在感が凄いんで、やっぱり主役は北斎だったな、の印象が残りました。後半は老いの演技、というより特殊メイクスゴ!!て印象もあります
情報がないならないで(勝手に決めつけてスイマセン)、映画なんだから応為のキャラを勝手に創造してエンタメに徹したらいいんじゃない?って思いましたけど
ぶっきらぼうで言動が男勝り、とか、何だか火事の炎に惹かれる、とか、(描くことが天才的だったか定かでないが)絵を見る目だけ(?)は父親譲り、とか、キャラ設定らしいものがあるんですが、それ以上の"定かでない"部分を定かでないままにされているので、結局、何を描いているのか分からない、ということになってしまったように思います
視聴者に考える余白を残す、というのも映画の作り方としてアリだと思いますが、作り手側の描きたいものがしっかり描かれた上で、「あとは勝手に感じてください」ならさておき、主人公の人物像が定まっていない、絵師として残した作品の凄さが描かれていない、ではちょっと困るなぁ
もうひと声
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