おーい、応為のレビュー・感想・評価
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天才クリエイター応為の活躍がみたかったのですが。
葛飾北斎の三女で彼を陰で支え、彼女自身も天才浮世絵師であったお栄さん(雅号 応為)の半生を綴ったストーリーです。
予備知識として葛飾応為の有名な作品「吉原格子先之図」は存じ上げておりました。この浮世絵は、闇の中にグラデーションをつけて浮かび上がる光、明暗で描きわけられた人物(花魁や通行人)などがとても印象的で、同時期に描かれた浮世絵とは一線を画すオリジナリティ溢れる傑作といえるでしょう。浮世絵というよりこの明暗のコントラストの際立ち方は西洋絵画の油絵をみるようです。
私は、葛飾北斎の影に隠れた天才応為がこの作品をいかにして作ったのか、それが当時、世間ではどの様な評価を受けたのか・・・それが詳細に作中で語られるのではないか、と強い興味を持っていたのです。無論フィクションでも良いのでしっかりとストーリーに組み込まれることを期待しました。
しかし、結論から申し上げますとちょっと肩透かしをくらって残念な内容となっておりました。
応為の人物像に関しては史実に沿ってポイントを押さえつつ設定していて無難な仕上がりです。しかも男勝りな性格の人物の演技では定評がある(笑)、長澤まさみさんが演じられるということ。彼女ではちょっと史実に反し美人すぎるかも知れませんが、それもまた良しです。
天才クリエイター応為の活躍の土台は、人物像の設定と的確なキャスティングでしっかりと固まり、ほぼ成功が約束されてるよね・・・など確信しつつストーリー追っていきましたが何やら不穏な気配が!
もしかしたら史実に忠実なのかもしれませんが、序盤、彼女は絵を描こうとせず、なんだったら親の北斎を支えさえせず、なんだかフワフワとそこらを徘徊し、汚い部屋で寝っ転がってるだけ。北斎譲り癖の強さだけは健在なのですけど彼女からクリエイター魂はほとんど感じられません。
無論、彼女の作品の創作に必要なポイントは脚本上押さえてはいるんです。ただそれらは掘り下げ方が非常に甘くてだだ北斎の隣で浮世絵描きましたってだけでインパクトが弱く、父親である北斎の癖の強い創作ストーリーで上書きされちゃうんですよね。
これではどっちが主役なんだか分かりませんよ。
近年の葛飾北斎とその子供応為についての研究で、北斎の晩年の傑作があまりに繊細な筆致なのでかなりの部分、応為の手が入ってるんじゃないかという仮説が論じられ、フィクションではありますが小説にもなっているそうです。
応為を主人公にするなら、北斎を支える娘の側面ばかりではなく、もう少し彼女の作り出した数少ない傑作にフォーカスするのはもちろんのこと、時に大胆な設定で脚本を作るべきと思いました。
では。
“支える才能”が時代を超えて美しくなる瞬間
葛飾北斎の娘であり、弟子であり、時に家政の担い手でもあった葛飾応為。一見すると偉大な父の陰に埋もれた女性絵師を再評価する伝記映画のように思える。だが実際のところ本作は、史実をなぞるよりもずっと静かで、ずっと生活の温度に近い――いわば「日常系時代劇」と呼ぶべき繊細な作品である。筆の音と湯気、猫背の背中と犬の体温。ここでは、芸術とは日常の延長線上にあるものとして、淡々と描かれていく。
長澤まさみ演じる応為は、いわゆる“女性の覚醒”を声高に語らない。むしろ、彼女の生き方は「支えることを選んだ才能」だ。北斎という圧倒的存在のそばで、弟子として、娘として、生活の手を止めずに絵を描く。その姿は、自己表現の抑圧ではなく、尊敬と愛の最終形である。彼女にとって「描くこと」と「支えること」は二項対立ではない。むしろ、父を支えることそのものが、芸術的行為であり、彼女自身の創作だったのだ。
この構造は、映画が選んだタイトル「おーい、応為」に象徴される。呼ぶ者と呼ばれる者、師と弟子、父と娘。呼び声が響くたび、二人の距離が揺れる。その“間”に存在するのが、愛犬・さくらである。史実には登場しないこのフィクションの犬は、北斎と応為の間に流れる感情の媒介者であり、観客の目線を代弁する存在だ。言葉の届かないところに寄り添うさくらの姿が、この映画に温度と呼吸を与えている。大森監督が意図的に低いカメラ位置を多用し、犬の視点から二人を見上げさせる演出は、実に見事だ。まるで観客自身が“第三者としての愛”を感じるように設計されている。
また、この作品の特徴は「筆をとる」行為の映像化にある。多くの芸術家映画が「才能の爆発」を描くのに対し、本作は墨を摺る音や紙を押さえる手の湿り気にフォーカスする。つまり、芸術のロマンではなく、芸術の生活臭を描いているのだ。ここにこそ、『おーい、応為』が2020年代の日本映画として意義を持つ理由がある。SNSやAIが“創作”を軽やかに再生産する時代にあって、この映画は「創るとは、暮らすことだ」と静かに言い切っている。
応為の生き方は、現代社会における“支える人間”の肖像にも重なる。企業でも家庭でも、誰かの成果を陰で支える人々がいる。彼らの名は往々にして表に出ないが、その支えがなければ何も成り立たない。応為の筆跡が北斎の線の下地にあるように、支える者の手はいつも未来を形づくっている。本作はその“裏方の尊厳”を、時代劇という形式で可視化した希有な映画だ。
映画としての語り口は決して派手ではない。むしろ淡々としており、劇的な山場を期待する観客には物足りないかもしれない。だが、この“淡さ”こそが大森立嗣の計算された筆致だ。筆を走らせるようにカットが流れ、セリフを削ることで余白に感情を滲ませる。まるで屏風絵のように、時間が静かに広がっていく。そこで私たちは気づくのだ――応為の人生は、誰かを照らすために自分の光を絞り出すような、控えめで、しかし極めて美しい生き方だったのだと。
「支える才能」は、しばしば過小評価される。だが『おーい、応為』は、その才能こそが芸術の背骨を成していることを教えてくれる。筆を取る手、犬を撫でる手、父を見送る手。そのすべてが創作であり、愛であり、生きることだった。静かな日常の中に芸術の根がある――そう教えてくれるこの映画は、現代を生きる私たちへの、やさしいエールのように響く。
応為の選択
あくまでも、応為の話し。 応為が刺し身で、この映画では葛飾北斎はつ...
期待度○鑑賞後の満足度○ いっそ夏目雅子で観たかった葛飾北斎の娘の話。ミスキャストで佳作になり損ねた一編。
①冒頭から長澤まさみに感じた違和感。結局最後までそれは消えなかった。スタイルが良いから着物が似合わない以上に、映画の中の江戸時代とはいえ、江戸時代の風景・世界に全く溶け込めていなくて浮きまくっている。では他に誰が適役だろうかと映画が始まって暫くはスクリーンを観ながらそればっかり考えていた。
しかし、思い付かない。現在活躍している女優さん達を一人一人思い浮かべても本人と役とがピタッと収まる或いは重なる人が思い当たらない。
決して今旬の女優さん達が悪いというのではないが、やはり皆さん小綺麗でこじんまりとしてしまっていて、主演女優のオーラを放ちながらも同時に江戸時代の長屋の貧乏暮らしをしている女性をそれらしく演じきれるとは思えない。
そうこうしているうちに、お栄が若侍に啖呵を吐くシーンがやってきて、その時に夏目雅子が演じている画が脳裏をよぎって、“そうだ。夏目雅子なら良かったのに。”と思った次第。
その後、お母さん役で寺島しのぶが出てきたときにも、若い頃の寺島しのぶなら合っていたかも、とも思えた。
②対して永瀬正敏はまことに上手い。存在感もたっぷりなので、此れは葛飾応為という女性の一代記ではなくて、娘から見た葛飾北斎の映画という気がしてくる(脚本も兼ねた)大森立嗣監督の意図もその辺りに合ったのかもしれないけれど)。
とにかく永瀬正敏の演技力と存在感の前では長澤まさみの力量不足が目立ってしまう。
特にある意味クライマックスといえる後半半ばの富士山麓の小屋の中で、北斎から「お前も俺の世話はもういいから自分の人生を生きろ」と言われた時に、(劇中ではじめて)自分の秘めた思いを吐露して激昂するシーンでは、まるで駆け出しの女優のような演技。お栄が秘めてきた思い、抱えてきた思いが全く伝わらない。口ではそう言っているが全身からそういう思いが伝わってこないのだ。
永瀬正敏演じる北斎からは北斎という人間の生き様がよく伝わってくる。台詞だけでなく表情・振る舞い・佇まいで北斎という人間を見事に造形している(それが演技というものだろう)。
長澤まさみからは残念ながらお栄という女性の生き様というか人間造形というか、恋に落ちた時の風情・苦悩・絵(を描くこと)への複雑な思い/情熱・決意・悲しみ・父親への複雑な想いといったものが匂ってこない。
③というわけで不満が少なからずある作品ではあるが、永瀬正敏の名演と浮世絵を色々見られたので点数は甘くしてあります。
『鉄蔵』の呪い
異才と奇才が一つ屋根の下で暮らしたらどうなるか。
『ゴーギャン』と共同生活をおくった『ゴッホ』の
「耳切り事件」のようなコトが起きるだろう。
もっとも、本作の二人の場合はそうならない。
血の繋がりもあり、お互いを思いやる愛情もある。
父『葛飾北斎(永瀬正敏)』は
圧倒的画力と奇想で当代の傑物。
エキセントリックな人柄でも、世に知られている。
娘の『応為/お栄(長澤まさみ)』の性格は父譲り。
男勝りで、きっぷ良し。
絵を描いていれば幸せだ。
才能が無ければ、多少器量が悪くても
幸せな結婚生活を送れたかもしれないのに
なまじ審美眼もあり腕も立つので絵師として独り立ちする。
婚家を飛び出した経緯が象徴的。
やはり絵師であった夫の絵を悪しざまに言う。
その時の彼女の科白が「悪かったな!北斎の娘で!!」
結果、『北斎』晩年の二十年を共に住む。
二人とも家事はからっきしで、
当然料理もできない。
絵を描くことのみに集中したため、
借家が住むに耐えなくなるほど汚れる度に
引っ越しを繰り返したという。
本作は『応為』の物語りを期待して観に行った。
が、実際は父娘の関係性に収斂する。
老いた父を気に掛け労わる孝行な娘。
世間的には評価の対象も、こと彼女に限っては、
そうした姿を見るのもフラストレーションが溜まる。
彼女の絵は、斯界でも至極普通に受け入れられる。
それほどの画力と構成力だったのだろう。
なので、レジスタンスのストーリーにもなっていない。
父の弟子『魚屋北渓/初五郎(大谷亮平)』への淡い思慕の情にも、
深く立ち入ることはない。
二人の日常が淡々と語られ、
『北斎』の死を以って、突然に終わってしまうのだ。
その『北斎』の描写も如何なものか。
度毎に年代が表示されるので照らし合わせるのだが、
1945年(85歳)に小布施に赴き
天井絵〔龍図〕〔鳳凰図〕をものしている。
ここでのよぼよぼな老人に、
あの迫真的な絵が描けるのか。
場所が場所だけに他作のように『応為』の代筆も無理だろう。
原作の一つとしてクレジットされている
『杉浦日向子』の〔百日紅(1983年)〕のアニメ化
〔百日紅 ~Miss HOKUSAI~(2015年)〕の方が
よほど『応為』が躍動していた。
最初の方こそ破天荒だったものの、
その後はあまりにも普通過ぎる彼女の日常描写が
どうにも不満だ。
芸術ホームドラマ!
映像暗めが…とても良い◎
淡々とした映画だった。
親子というより、師弟愛だと思った。
「自分の好きなように生きろ」と言う北斎に、「自分が北斎の絵と北斎を選んでいるんだ」というシーンは泣けた…
長澤まさみさんはもちろん素晴らしかった。
永瀬正敏さんは映画を観る前は、北斎?って思っていたが、映画を観たらもう北斎にしか見えなかった。
最期、筆を持ちながら死ぬシーンは胸に迫るものがあった。
こんな風に、何か一つの事に没頭出来る生涯はとても幸せな事だと思う。
映像暗めなのが、二人の絵だけに没頭する生活を表現していて雰囲気があって良かった。
全ての画が浮世絵のように美しい、今年最高の映画
映画は画の連続だから、全ての画が美しい必要がある。
全ての画が美しければ、奇抜な脚本は必要無い。
全ての画が美しくなるためには、美しい俳優、美しい美術、美しい演出、画に映るあらゆるものが完璧でなきゃならない。
この映画は、画に映るあらゆるものが美しく、歴代最高レベルに完璧な映画に私には観えた。
しかも、日本的なわびさびの美しさだった。
よく映画にありがちな作り物の美しさじゃなく、凄まじくリアリティーのある美しさ。
江戸時代の町並み、日常生活、風景、全てが丁寧に用意されていて、その時代に生きていなかったのに懐かしさを感じて、まるでそこにいたような錯覚を感じた。
淡々とした演出は、まるで風景や日常を描き続けた絵師の画のようだった。台詞には無くても美術や演技で情報は充分だった。毎日、淡々と画を描き続けた絵師の情熱をその場にいて体感するようだった。
ずっとこんな、静かで、日本的な美しい映画が観たかった。今年最高の映画でした。
北斎を知りたいならwikiへ
永瀬正敏の変わりように驚く
自分と性格が似た子供というのは、自分の欠点を否が応でも気付かされて気が滅入ることがあると思う。だが、北斎親子のように才気に溢れ、周りのことなんか気にならない独善的な性格同士だとケンカしても後に引くことがないのだろう。
津軽侍演じる奥野瑛太と長澤まさみの生命をかけた応酬は、見応えがあった。武士が「覚悟」を口にしたからには、ただ事では済まされない。お栄の向こうみずな啖呵は気持ちがよく、武士の「覚悟」を吹き飛ばす威力があった。
説明セリフやナレーションもなく北斎親子のことを知らない人は、置いてけぼりになってしまう。
北斎のことが好きで、北斎のことを知っている自分にとっては、今までに見た事がない北斎で面白かった。べらんめえ調で、出戻り娘や弟子に毒づきまくる。そうかと思えば、犬コロ呼ばわりしていたサクラと一緒に眠る可愛い面も見せる。
北斎が老けていく様子に驚きでございます。
長澤まさみさん演じるお栄の男勝りな性格と色気がとてもよかった。 そ...
長澤まさみさん演じるお栄の男勝りな性格と色気がとてもよかった。
そして、永瀬さんの北斎の老いが、見た目はもちろん声質や話し方までも老いを感じさすがだなとおもいました。
そして、髙橋さんの善次郎が出てくることによって重く単調になりそうな所がぱっと明るく軽やかになってよかったです。
あと、なんといっても時代を感じる音楽(トランペット)とろうそくや火事の火の光がとても雰囲気がありよかったです。
この画像のタッチ、結構好きかも・・
長澤まさみが観たかったからOK
長澤まさみ観たさに観たので、長澤まさみを観ることができたから、その時点でもう半分はOK。
さて、あとは内容ということだが、北斎の演出が、芸術家にしては怒りっぽい感じなので、自分の先入観とすれば、絵に集中して才能ある人は、とにかく静かな変わった人のイメージ(ただし内面は常軌を逸した集中力と激情)なので、あんまし怒りっぽくうるさい感じは違和感あった。
お栄が勝気でおてんば(長澤まさみのイメージに合う)というセッティングなのだから、父の北斎は物静かな感じの方が、バランス取れて面白みがあって、もっと深みのある感じになったのではと勝手に想像してしまった。
なので、内面の深さの描き方というところ、脚本の妙というところではもう少しリアリティが欲しいところだったかなと。但し、江戸時代の風物的な演出は本気さが感じられていたので、入り込むことはできた。それでも長澤まさみがきれいなルックスなので浮きまくるのはご愛嬌で、ある意味、これ観たさに来ているので文句ナシ。
この意味では、もし長澤まさみをキャスティングに入れずに、地味な感じのキャスティングをして、こうした映画を作る場合は、もっと脚本にリアリティ(静かな間、静かなやりとり)が必要ということになるとは思う。
絵画のような映画
江戸時代の生活感の描写は素晴らしい。
登場人物同士の関係性や内面の描写も乏しく、何を考えて行動しているのか想像するしかない。
劇中、「お前の絵は上手いけど動きがなくてつまらない」というような台詞が出てくるが、そのままこの映画の自己紹介になっている。
晩年まで連れ添った芸術家父娘の関係性は尊いが、この映画では描写しきれてないと思う。
雰囲気満点
作中のちょっとした音だったり、昔の生活感が溢れる雰囲気がよく描けていて、とても美しい映像作品だなあと感じて、観ていました。夕空に富士山がうつる、山並みもとても綺麗です。あとはわんちゃんがどうしようもなく、本当にかわいい。。。
ちょっと残念だなと思ったのが、言葉がよく聞き取れなかったこと、人物の関係性が少し理解しづらかった事です。薄暗い雰囲気も相まって、人物の顔がややわかりにくいです。また、ストーリーはどこに焦点を当てているのかが分かりづらく、物足りないと感じるところもありました。
それでも、最後に監督の話を聞く機会があり、ひとつひとつのシーンに込められた意味を理解し、なるほどなあと、点数が上がった作品です。
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