「北斎と応為があ・うんの呼吸でやり合う様が見事な、奇人父娘のホームドラマ」おーい、応為 kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
北斎と応為があ・うんの呼吸でやり合う様が見事な、奇人父娘のホームドラマ
画狂人=葛飾北斎(鉄蔵)と、その才能を引き継いだ三女の葛飾応為(お栄)の奇妙な親子の生活を描いている。
応為は、一説では北斎の肉筆画を代筆したとされるほどの才能の持ち主だった。
この映画にも登場する「吉原格子先之図」は肉筆画だが、木版画の浮世絵が主流の時代にあって、レンブラントの油彩画のような暗い中に浮かび上がる灯りの表現は、異彩を放っていただろうと思う。
だから、天才人気絵師の娘が、画期的な描法を編み出す創作過程を描くのかと思ったら、いわゆる定説とされるエピソードを織り込みながら構成された、奇人親子のホーム・ドラマだった。
お栄が鉄蔵のことを「お~い」と呼ぶから応為という画号を北斎がつけたとも、逆に鉄蔵がお栄を「お~い」と呼びつけていたからだとも言われている。
映画の冒頭で亭主の絵を下手くそだとお栄がなじり、離縁される場面がある。お栄の絵の眼力は秀でていて、亭主だった南沢等明の絵をバカにして離縁されたと言うのは定説だ。出戻って以来は生涯北斎と暮らしたとされている。
北斎が枕絵を描いているのを見て、足の指の反り方が逆だとお栄が指摘する場面があるが、殊に美人画・春画においては応為のほうが優れていると北斎自身が認めていた…とか。
さて、開巻たちまち、お栄(長澤まさみ)が亭主に「出ていってやらァ」と大声を上げる。
全編を通して、親父や他の者に対して怒鳴り散らす場面が再三ある。ときにイラつき、ときに怒り、ときに苦しみ、ときに嘆いて怒鳴るのだ。
長屋の住人の前で津軽藩士に啖呵を切る場面は見せ場だと思う。
そして、終盤に老北斎(永瀬正敏)から自由に生きろと言われて涙交じりに怒鳴る長澤まさみが出色なのだ。
言わずもがなだが、長澤まさみはスタイルが良い。だから、男勝りの着流し姿が格好いい。
実際の応為は不美人だったようだが、映画なので見栄えの良さは必要。
『北斎漫画』(’81)では田中裕子が、NHKのドラマ「眩〜北斎の娘〜」(’17)では宮崎あおいが、お栄を演じている。岡田茉莉子も演じたことがあり、美人が演じる方がむしろ定番だ。
この時代の絵師には著作権も印税もない。
原画を版元に売ってしまえば版木の権利は版元にあるから、何部刷ろうが版元の自由で、何部売れようが売上は版元に留まる。版木を他の版元に売り渡しても絵師には何も利益は還元されないのた。
加えて北斎は偏屈者だったらしく、この映画でも報酬が良い依頼を平気で断るような男に描かれているほどだで、人気の絵師であっても暮らしは貧乏だった。
この映画で描かれるお栄は、男勝りといえども女として描かれている(当たり前だが)。
お栄は誰にも知られず恋をしていた。そして、誰にも知られずその恋に敗れていた。
女の応為が寡作ながらがも絵を世に残せたのは北斎の娘だったからで、女流絵師が評価される時代ではなかった。
そんなお栄の女としての寂しさと女流絵師としての悔しさを、長澤まさみは不機嫌な表情で滲ませる。
そして、幼い弟を亡くした無念に子供のように泣きじゃくるのだ。
あの時代で90歳近くまで生きた葛飾北斎の死の直前までを演じた永瀬正敏も評価に値するが、やはり長澤まさみだろう。
横柄な態度、感情的な言動で派手に演じているようで、実は深層心理を体の奥底で押さえ込んだような含んだ演技が見事だ。
絵師・葛飾応為の面をもっと見せる脚本であって欲しかったと、個人的には感じたが、全体のビジュアル構成も素晴らしく、見る価値のある映画だった。
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