「期待度○鑑賞後の満足度○ いっそ夏目雅子で観たかった葛飾北斎の娘の話。ミスキャストで佳作になり損ねた一編。」おーい、応為 モーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
期待度○鑑賞後の満足度○ いっそ夏目雅子で観たかった葛飾北斎の娘の話。ミスキャストで佳作になり損ねた一編。
①冒頭から長澤まさみに感じた違和感。結局最後までそれは消えなかった。スタイルが良いから着物が似合わない以上に、映画の中の江戸時代とはいえ、江戸時代の風景・世界に全く溶け込めていなくて浮きまくっている。では他に誰が適役だろうかと映画が始まって暫くはスクリーンを観ながらそればっかり考えていた。
しかし、思い付かない。現在活躍している女優さん達を一人一人思い浮かべても本人と役とがピタッと収まる或いは重なる人が思い当たらない。
決して今旬の女優さん達が悪いというのではないが、やはり皆さん小綺麗でこじんまりとしてしまっていて、主演女優のオーラを放ちながらも同時に江戸時代の長屋の貧乏暮らしをしている女性をそれらしく演じきれるとは思えない。
そうこうしているうちに、お栄が若侍に啖呵を吐くシーンがやってきて、その時に夏目雅子が演じている画が脳裏をよぎって、“そうだ。夏目雅子なら良かったのに。”と思った次第。
その後、お母さん役で寺島しのぶが出てきたときにも、若い頃の寺島しのぶなら合っていたかも、とも思えた。
②対して永瀬正敏はまことに上手い。存在感もたっぷりなので、此れは葛飾応為という女性の一代記ではなくて、娘から見た葛飾北斎の映画という気がしてくる(脚本も兼ねた)大森立嗣監督の意図もその辺りに合ったのかもしれないけれど)。
とにかく永瀬正敏の演技力と存在感の前では長澤まさみの力量不足が目立ってしまう。
特にある意味クライマックスといえる後半半ばの富士山麓の小屋の中で、北斎から「お前も俺の世話はもういいから自分の人生を生きろ」と言われた時に、(劇中ではじめて)自分の秘めた思いを吐露して激昂するシーンでは、まるで駆け出しの女優のような演技。お栄が秘めてきた思い、抱えてきた思いが全く伝わらない。口ではそう言っているが全身からそういう思いが伝わってこないのだ。
永瀬正敏演じる北斎からは北斎という人間の生き様がよく伝わってくる。台詞だけでなく表情・振る舞い・佇まいで北斎という人間を見事に造形している(それが演技というものだろう)。
長澤まさみからは残念ながらお栄という女性の生き様というか人間造形というか、恋に落ちた時の風情・苦悩・絵(を描くこと)への複雑な思い/情熱・決意・悲しみ・父親への複雑な想いといったものが匂ってこない。
③というわけで不満が少なからずある作品ではあるが、永瀬正敏の名演と浮世絵を色々見られたので点数は甘くしてあります。
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