ストレンジ・ダーリンのレビュー・感想・評価
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巧妙な時間軸操作が驚きと味わいをもたらす
この映画は我々になかなか核心を掴ませない。それこそ序盤の思わせぶりな映像やスリラー然とした語り口に警戒心は高まる一方で、さらに追い討ちをかけるようなタランティーノ的な時間軸のずらし。これをやって成功する例などごく一握りであることを我々は経験則で知っている。が、中盤になって何かがバチンと弾けると、全ての辻褄が噛み合って本作にのめり込むように、本当にあっけなく白旗を上げて心酔してしまう自分がいた。「ネタバレ厳禁」な映画なのでこれ以上踏み込めないが、本作を織りなす6章が時間軸を解体されてもなお「追って/追われ」「支配し/支配され」のサバイバル構造を維持し続けているのは本能的に堪能できるポイント。加えて「悪魔を見る」という不可思議な視覚ビジョンも痛烈で、ラストで誰が誰の中に悪魔を見るのかという部分は、当事者の心理を解明する上で重要な部分と言える。独特の風味ゆえ好き嫌いはあるだろうが、見て損はない。
血みどろの物語、カラフルな画面
一夜限りの関係を持った男女がシリアルキラーvs被害者の立場になって血みどろの攻防戦に突入していく。でも、このプロットには罠があって、6章に分かれた物語が順不同にシャッフルされているところがミソだ。しかも、意図的に。
以上がネタバレぎりぎりで、観客を見事にミスリードしていく監督&脚本のJ.T.モルナーの手腕に唸ってしまった。美しいのにどこか不気味で、赤を基調にカラフルなカラーパレットを見せてくれる撮影監督のジョバンニ・リビシ(製作も兼任)のセンスも、また然り。本作は、過去のシリアルキラー映画を一旦裏返して、観客の先入観をも裏切る痛快な1作。単なる犯罪映画やスプラッタムービーの枠を超えて、今現在、常識とされていることの胡散臭さにも言及していることろが奥深いと感じた。ハリウッド映画は時々こういう作品を送り出してきて、アイディアの枯渇を免れているのだと、つくづく思う。
ヒロインのレディを演じるウィラ・フィッツジェラルドの振れ幅が広い熱演も凄いが、対するデイモン役のカイル・ガルナーの"受けの演技"がこれまた絶妙で、2人のバランスが変化していくプロセスにも、この映画の愉しみがある。平日の午後、東京、有楽町の劇場には噂を聞きつけてやってきたと思しきシネフィルが数名、息を殺してシートに身を沈めていた。
静と動
赤と青が抜群に効いてる色使い。
静と動に当て嵌めてるようにひしめき合う。
映像はドキドキ、ハラハラの連続。
まさかの第3章からの始まり。
5,1,4,2,6順でバラバラはとはね。
視聴者側が物語を繋ぎ合わせて
再構築していくスリル。
愛、暴力、親和。
想定が追いつかない程の狂いっぷりに
唖然とするが面白い。
私にはダークすぎる展開
悪魔が見える→魂の解放と救済を求めて殺しまくる。
愛を確かめるように男を殺し、
愛に酔うように殺しを楽しむ。
冒頭、女は一夜限りの男に尋ねる
「あなたはシリアルキラー?」
アトランダムに並べられる6章の物語と、エピローグ。
登場人物は男(実は郡の保安官)
冒頭では男はショットガンを撃ちながら女を追いかける
・・・このミスリードで男が悪者、女は被害者・・・
と、観客に植え付けに成功。
しかしバラバラに章をめくっていくと、
女が只者でないことが分かってくる。
助けを求めて入りこ込んだ農家の老夫婦。
衣類からアスピリンから食べ物まで貰って、
老夫が「警察に連絡する」と電話をしようとすると、
切れて老人を刺し殺してしまう。
ヒッピーで「イージーライダー」で終末論者の夫婦。
農家は素晴らしく可愛い家具や道具に溢れている。
日曜日のブランチは手の込んだご馳走パンケーキ🥞。
羨ましいような素敵に老夫婦の生活。
老妻はバーバラ・ハーシーらしい。
(今も綺麗だ)
女に《警察‼️》は、タブー中のタブー。
禁句だった。
その理由は彼女がエレクトリック・レディ、だから。
シリアル・キラーはか弱き美女、彼女だったのだ。
この逆転のストーリーは章をバラバラにすることで成立している。
息をするように躊躇いなく殺し、
自らも傷付き息絶え絶えで、
ラストに見せる恍惚と救済の表情・・・
スレンジ・ダーリンの主役、
レディ役のウィラ・フィッツジェラルド。
デーモン役のカイル・ガルナー。
2人とも当たり役だった。
箱庭的世界観、
参りました・・・
とは思ったけれど特に感動も共感も起こらなかった。
シンプルなスリラーを斬新な構成で再構築
全6章の物語を第3章からシャッフルして構成するパズルのような斬新な構成のシリアルキラースリラー。
連続殺人事件が全米を震撼させる中、とあるモーテルの前で止まる車の中で出会ったばかりと思われる男(カイル・ガルナー)と女(ウィラ・フィッツジェラルド)は一夜を共に過ごすのか駆け引きをしている。女はあなたはシリアルキラーなのかと尋ねる・・というのが第1章の始まりだが、章の上映順はシャッフルされているので第1章がどこで出てくるかはお楽しみ。全編通してこの男女の追走劇なのだが、ストーリーについてはこれ以上は書けない。
第3章で始まる映画はなぜか全身赤い服を着て耳から血を流す女が男に終始追われている。シリアルキラーに執拗に追い込まれる展開はシンプルかつ定番のスリラー映画だ。
この映画の面白さはシンプルな追走劇の順序をシャッフルした斬新な構成にある。登場人物は少ないが各章の人物は魅力的。
第3章の謎は徐々に明かされていくのだが、キーになるのは「思い込みの危険さ」か。男だから、女だから、そうしたジェンダーによる思い込みに警笛を鳴らしているところもこの映画の深さになっている。
35ミリフィルムによる往年のスリラー映画のルックスといいJT・モルナー監督は巧妙に映画をコントロールしている。またアメリカからスリラー映画の巧者が登場した。次回作も楽しみだ。
なかなか面白い
ムード先行で、非線形の語り口もイマイチ
「実録もの」を謳った作品。「オレゴン州で終幕を迎えた連続殺人事件を、警官や目撃者の証言をもとに映画化」という触れ込みだ。なるほどシリアルキラーの温床みたいなオレゴンの片田舎が舞台か、と偏見まるだしの妄想を膨らませる。
映画は冒頭、赤い医療用スクラブを着た白人女性が野原を走ってくるさまをスローモーションで捉える。彼女の左耳はちぎれ、歪んだ口元は大きく腫れあがっている。医療従事者? 誰から逃げてる? そんな映像にかぶせて「Love Hurts」「Strange Darling」といったナンバーが聞こえてくる。Z・バーグのけだるい歌声はどこか『ツイン・ピークス』を思わせ、ヤバい雰囲気がムンムン立ちこめる——
…と、ここまでのつかみは上々だったが、この先はいささか期待外れだった。
のっけから映画は、『パルプ・フィクション』のように非線形の語り口でいくとタイトル・カードで示す。本作は全6章からなり、只今からご覧いただくシークエンスは「第〇章」ですよとご丁寧に明かしてみせるのだ(※ちなみにタランティーノつながりで言うと、ナイフで犠牲者の胸に「EL」と刻みつけるのは、額に鉤十字を彫り刻む『イングロリアス・バスターズ』を思い出させる)。
その章立ての第3章からいきなり始まるという時点で、はやくも観客は何かワケがあるぞと勘ぐらずにはいられない。
なんでも本作の編集を巡っては、監督と制作会社のミラマックスの間で相当揉めたらしい。このため、観客にわかり易く「第〇章」と明示することで両者は手を打ったのか、などと憶測したり…。
ともあれ、逃げる女は、道中拾った酒瓶を気付け薬代わりにラッパ飲みした後、患部を荒々しくアルコール消毒。次いでタバコを深々と吸って気を落ち着かせる。紫煙で居場所が知れることも恐れない、肝の据わった振舞いから、カンが鋭い人ならすべてが読み取れてしまうのではないか。
そもそも本作のストーリーは、第1章から順になぞっていくと想像の範疇を超えるようなものではなく、登場キャラの掘り下げも足りないように思える。イカレた人間たちが織りなす複数の物語を解体/再構成してみせた『パルプ・フィクション』のような、ストーリーテリングの妙はここにはない。
シリアルキラーが「悪魔が見える」とつぶやいたり、ゲイリー・ギルモア(実在した連続殺人犯)への共感を口にしたりと、“それっぽいムード”の醸成を図ろうとはするのだが、観客は「どのタイミングで相手に襲いかかるか」と身構えているので、話の中身がサッパリ頭に入ってこない。なんなら、間延びしたセリフだなと思いながらスクリーンを注視することになる。
それでも、隠し持った銃を抜こうとしてできないラストショットなどには、1970年代の“遅れてきた西部劇”のような余情が漂い、なかなか悪くなかった。
そのほか本作で印象に残ったのは、いかにも健康に悪そうな食事を作っている終末論者夫婦の妻を演じていたバーバラ・ハーシー。『ライトスタッフ』『ハンナとその姉妹』『ある貴婦人の肖像』ほかで一世を風靡した彼女の健在をはからずも確認できて、何はさておきウレシイ。
また観終わった後に、『プライベート・ライアン』や『パブリック・エネミーズ』などの名脇役ジョバンニ・リビシが本作で撮影監督デビューを果たしたと知り、少々びっくり。しかし35ミリフィルム撮影のありがたみはさほど感じられなかった。
アメリカあるある、の恐怖
A24作品みたいな映画。違うけど。
なんの予備知識も入れずに見るのが正解。
アメリカ「あるある」と、その中で繰り広げられる、6章からなるサイコキラーによる惨劇の話。スプラッタホラーに近いかも。
オープニングでシリアルキラーの話を振って、続く6章を順不同で見せ、時系列を交錯させてミスリードを誘うアイデアが良く、観客の先入観と思い込みを弄びどんでん返しを食らわす捻った脚本が上手い。
最初は第3章、70年代風なBGMとたたずまいの中、ちぎれた耳から出血、あざだらけの顔で必死で走るナース服の華奢な金髪女性。どうみても犯罪被害者で、銃を持って追い回す男は、やはりどう見てもシリアルキラー。
ところが、第1章で匂わせる通り、キラーは女の方で、男は保安官。男の名前がDevilで、女の名前がLadyなのも、そもそもひっかけだ。
でも、保安官はシリアルキラーを疑って女に近づいたのではなく、単なる一夜のお楽しみだったもよう。キラーの女は、自分を被害者に見せて同情を得るのが巧みで、思う通りに事態を操り、騙された登場人物が次々餌食になっていく。
チャプターごとにミスリードネタが用意されて、ひとつの場面の解釈が、チャプターが変わると180度変わる。最後まで油断できず、ラストは、ええ、こんな結末!?となるが、さらに「その後」があってようやくオチにたどり着いても、ホントにこれで終わりか?と疑ってしまう。
オープニングで語られたシリアルキラーは、Ladyとは別の人だったりして!? とまで考えてしまった。
アメリカの田舎は、「サイコ」のころからあまり変わっていないよう。
人もモノも、嘘みたいに前時代的なものがまんま温存されていたりする。
広大な土地の、森や山では、何が起きても誰にもわからない。救助も捜査も、もどかしいほど遅いか来ない。叫びはどこにも届かない、事実上の無法地帯が広がっている、それがアメリカの実態のようだ。
道路で派手なカーチェイスの末にショットガン撃ちまくりの大事件は、誰も通りかからないので野放し、Ladyが助けを求めながら、旅行案内所(?)の責任者を殺害、さらに強盗に窃盗の大事件も、通報されていないか対応が遅いかで警察は知らない模様。
Ladyのような殺人鬼が誰にも知られず平然と暮らしていることは普通にありそう。
また、Ladyを冷凍庫に繋いだ後、Devil保安官が同僚に「ちょっとトラブったから来て」と言葉を濁して電話するのは、女とプレイして甚振られた末に違法薬物をやっているため、なにがしかの同僚の「好意」を期待してそうで、保安官事務所内部では、無法までは行かないだろうが、監督機関の目が行き届かないがゆえに、かなり好きなようにやっている臭いがする。(Devilに呼ばれた同僚の保安官は職務に忠実でとても有能だったのに、Ladyに取り込まれた女性保安官に邪魔され、結果やられてしまって悔しい。)
6章全部終わったところで、Ladyがカモにしようとしたピックアップトラックのネイティブアメリカンのお人よしっぽい女性が、冷静で身を守る術を身に着けておりまたもやどんでん返し。よくやったと思ったが、田舎で現実的日常を送る普通の主婦には、これくらい備えるのが嗜みなのか通報も手慣れたもので、電話でスピーディーに無駄なく状況を説明していて、こんなことが日常茶飯事らしいのにぞっとした。
アメリカ、怖い。
森の奥のぽつんと一軒家で二人だけの楽園生活を送る老夫婦は、終末論者にしてサスカッチを避けて生きており今時銃を持っていない元ヒッピー。アメリカあるある、いかにもいそうな人種だと思った。
そして、老夫婦の日曜日の朝ご飯が超アメリカン。
大きいソーセージを8本くらい焼く(美味しそう!)、別のフライパンにバターの塊を投げ込んで、じゃぶじゃぶなバターの海に卵を投入、両面焼きの目玉焼きにして取り出したらパンケーキを焼き、皿に盛り付けさらなる追いバターに茶碗1杯くらいのブルーベリージャムを盛って、仕上げは山盛りのホイップクリーム、とどめで滝のようなメープルシロップ。。。カロリーどんだけ!? でも、ちょっと食べてみたい。背徳感で痺れそう。
章の構成以外に魅力がない
70年代風ルック、Z Bergの音楽
シリアルキラーを扱ったスリラー映画。時系列が交錯する全6章から成ることも説明されるが、予告でも見た銃撃を交えた逃走劇の第3章から映画が始まるのだけれど、次第にその理由が判明していくので、鑑賞前のネタバレには要注意な作品です。
主人公の女性を演じるウィラ・フィッツジェラルドは、アマプラのドラマ「ジャック・リーチャーS1」で女性警官を演じ、個人的に気になっていた女優さんだったことも鑑賞理由のひとつ。だけれど、本作では結構印象が異なるので、事前に情報を得ていなかったら気付かなかったかも…
最初に「35mmフィルムで撮影」したことが説明されるが、色彩がきれいで、スマホや主人公と敵対する男のトラックなどがなければ、なんか70年代風のルック、特に”知らない悪魔より、知っている悪魔の方がましだ”と唄う「Better the Devil」が気に入ったZ Bergの音楽、主人公の演技がよかった。
トラックを降りて射撃していたら、かなり離されるんじゃないとか、終盤のアレとか??な箇所もあるが、なんか癖になる映画でした。
まんまと
予告編を見たり紹介文を読んだりしたら、ほぼすべての人はあの男
(“デーモン”)がシリアルキラーだと思うはず。そんなミスリードを
巧みに取り入れた宣伝戦略と映画の構成が面白さを増幅させた。
全6章構成、そしてその各章を順不同にして見せる展開も見事。
自分もまんまとその戦略に弄ばれた。途中で「あれ?この女
(“レディ”)、意外と癖ありだな」から「悪意がありそう」となり
最後は「こいつがシリアルキラーかよ!?」となった。
出だしはシリアルキラーの男に追われるか弱い女に見えるから
「なんとか逃げ切れるといいな」と思うのだが途中で見え方が
逆転する。
女の正体が分かってからは「早く逮捕しないと被害が拡大する。
どうやって逮捕に至るのか?」という関心になる。(冒頭の字幕で
シリアルキラーの終焉を予告していたから何らかの形で連続殺人に
終止符が打たれるのは分かる)
“レディ”は躊躇なく人が殺せる上に狡猾さもあって手強い。逮捕され
るかも知れない状況から脱出する様は「羊たちの沈黙」(The Silence
of the Lambs)(1991年製作)のハンニバル・レクターを彷彿させる。
脚本が巧い。登場人物は少ないがそれぞれが適材適所。そして
殺される人間は単なる間抜けではなくてちゃんと思慮分別がある。
特に“デーモン”からの連絡で駆け付ける同僚の警察官。長年の経験
から感じる勘を働かせ、とりあえず現場をその状態にして応援を
待とうと判断する。それが正解だったにもかかわらず・・・
そこからの展開もわざとらしさがなくて良い。
二転三転の後、最後は誰が女を止めたのか。警察官ではない一般市民
だったが隙のない女性で良かった。彼女も勘が働いたのだろう。
自分が撃たれる前に正当防衛の一発を放った。
そこから長回しになるラストシーンも印象的。
“レディ”役のウィラ・フィッツジェラルドの変幻自在の演技が見もの。
ミア・ゴスの強力なライバルが現れた感じ。
全編フィルム撮影されたという映像にも独自性を感じた。何となく
70年代に製作された映画のように感じるカメラワークや演出があった。
物語は関係ないがカーチェイスや暴力の場面に「マッドマックス」
(Mad Max)(1979年製作)の雰囲気を感じたりもした(個人の感想)
監督の小粋さを感じる秀作
パンフォーカス
庭には二羽以上鶏がいる
本国では昨年の夏に公開された作品で、その評判を基に各媒体の紹介文や宣伝文が書かれているのだが、映画紹介サイトのイントロダクション含め、読まずに観た方が良いタイプの作品だと感じた。
ネタバレを踏まなくとも、『シリアルキラー』『男女の出会いが予測不能な展開へ』『6章構成の時系列シャッフル』とまで言われれば、何パターンかは展開の予想がついてしまう。
本編の冒頭でも丁寧に『シリアルキラー』『6章構成』と説明されるのだが、個人的にはそれすら不要だと思った。驚きを作っているのは時系列シャッフルだけであり、ミステリー要素は殆どないので、シャッフルを説明されずにあれこれと観察と考察をしながら観た方が楽しめたように思う。
本国のスタジオではシャッフルすら不評だったらしく、時系列順に編集し直されそうになったらしい。配信時代のスリラーにトリッキーな要素は不要ということなのだろうか。
ストーリー以外では、くどいくらいに赤を使う色彩や、アメリカあるあるがシュールなほどたっぷり詰め込まれたキャラクター造形も面白い。アメリカンニューシネマや懐かしのスリラー作品を感じさせる作風は、刺さる人には深く刺さりそうである。
自分にとっては宣伝文句がスポイラーになってしまい、残念だった。あまりに隠すと宣伝にならないので難しいところだが。面白そうな作品を探して観に行くというよりも、ザッピングしてたまたま観始めるくらいの緩ーい出会いが一番楽しめそうな作品だった。
実話ベース
チャプターが6まであるが時系列ではない形で進行
見せ方は工夫しているが、冒頭シーンで、おや、これはもしかして?と思った展開のまま終了
面白い話か、と言われれば嫌なミステリー系で好きな人は好きなのかも
主演の女優の変幻自在な演技は印象に残る。特にラストシーンの車内の表情を見ながらジーパン刑事の最後を思い出したのは私だけではない??
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