見はらし世代のレビュー・感想・評価
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登場人物も都市の一要素として
渋谷をこういう静かな街として撮る人は珍しいかもしれない。本作は渋谷のMIYASHITA PARKの建設に関わった父親と、その息子の確執をめぐる物語が縦軸に、都市の変容の中で生きる人々を映し出すということを横軸に展開していく。
都市と人の関係が、登場人物と背景という感じじゃなくて、登場人物もまた都市の一部として描かれているような雰囲気があっていい。これは東京に行ったことある人なら感じたことあるのではないかという気がする。あまりにもたくさん人がいて、人がみな風景に見える的な感覚。この感覚が全編にみなぎっている。
そういう感覚を作るために、ロングショットとミドルショットが多用される。一目ではどれが主要登場人物かわからないように撮ってるようなショットもあって、人が街に溶け込んでいる感覚。そこから、人間が人間じゃなくなるような瞬間が感じられる時があって、だから、非人間的な幽霊要素が入り込んでも違和感がない。都市空間と霊性は意外と相性がいいということを喝破したのは見事だと思う。
現代の社会、空気、感覚をそのまま映画に昇華させたかのような
人の心、あるいは誰かと誰かが関わり合う様は、時に一つの建築物のようだ。家族が休日を過ごそうとする海辺の家に始まり、渋谷の複合商業施設、はたまたホームレスを追い出して着手されゆく無慈悲な建設に至るまで、本作ではあらゆる建築が有機的に絡まり、物語を奏でる。そういった構造をあくまで透明感に溢れた自然な語り口の中で実践しているのが本作の秀逸なところ。こんなタイプの映画と出会ったのは初めてかもしれず、まさに現代の社会、空気、感覚から産声をあげた作品と言える。メインの家族を、決して互いに相入れない独立した部屋が並ぶかのように拮抗させ、対峙させる未来。とりわけ少年が青年へと成長し、演じる黒崎がひとこと言葉を発する時の、あのなんとも他者を寄せ付けず、と同時に、何かを求めているようでもある掠れた低音の声のトーンに心底痺れた。そして遠藤憲一の画竜点睛と言うべき存在感が、この異色作にある種の格をもたらしている。
感性にドンピシャすぎた
私は、新人類と呼ばれた世代です。
私は、新人類と呼ばれた世代です。
ゆとり世代とかさとり世代とかZ世代とか、いろいろ言われますが、
この見はらし世代とはどういう意味でしょうか?
ちなみに、新人類と呼ばれたのは、本作品の父親である初の世代のことです。
有名人には、坂本龍一、松任谷由実、桑田佳祐等が、そう呼ばれました。
今では巨匠と呼ばれています。
世間的には、りっぱと評価される父親でも、家族からみれば、この映画のような扱いになるということでしょうか?
自分のこと優先、仕事、あそび、などなどで、家族は二番目ということが、もてはやされ当然とされた世代だから、子供たちは、それを冷めた目で、見はらしている世代という意味だろうか?
私の感想は、よく分からないなぁというもの。
ただ、ゆとりの代表者、大谷翔平さんの隙のない品行方正さを思うと…。反省すべきかな?
でも大谷さんは、特別すぎるでしょうとも思ってしまうのですよ。
過去と未来
バラバラになった家族が10年ぶりに再会するというドラマだが、変に美談に溺れず、過去をやり直すことの難しさを追求した所に見応えを感じた。
長男・蓮は家族を捨てた父・初にコンタクトを取るが、長女・恵美は結婚を間近に控え、苦い過去など振り返りたくないといった様子で初のことなどまったく眼中にない。一方の初も仕事は順調で新しい恋人もいて順風満帆。家族を捨てたという負い目はあるが、今さら蓮たちと和解しようなどと思っていない。できれば会いたくなかった…というのが本音であろう。結局、この物語は蓮の一人相撲の話…という見方が出来る。
では、蓮はどうして初に積極的に関わろうとしたのだろうか?彼は寡黙で中々本音を口にするタイプではないので、そこは想像するしかない。これは推測だが、彼の中では過去を簡単に捨てることが出来なかったのではないかと思う。それは再び父子の関係に戻りたいというわけではない。むしろ初との決別を自分の中ではっきりさせたかった。そして、初に自分たちを捨てた”ケジメ”を付けさせたかったからなのではないか…と推察する。
終盤で蓮は泣き崩れる初を見て苦笑する。あの場面で彼は何か心のつかえが取れたような、そんな吹っ切れた表情に見えた。もっと言えば、家族を蔑ろにした初に復讐を果たしたような、そんなスッキリとした表情に見えた。
本作は再開発が進む渋谷の街が舞台である。初がデザインしたMIYASITA PARKが象徴的に引用されるが、ここはかつては不良やホームレスのたまり場で治安の悪い場所だった。それが今ではすっかり綺麗に様変わりし、若者たちの憩いの場となっている。過去と未来。それを象徴しているのが再開発が進む渋谷の街でありMIYASITA PARKである。
そして、この二つは決して切り離して考えることは出来ないように思う。過去を清算しなければ確かな未来は切り開けない。逆に言うと、未来に進むためには過去を知らなければならない。どちらか一方ではダメなのである。そして、そのことを体現しているのが蓮というキャラクターで、彼は前に進むためには、どうしても過去のわだかまりに一つの区切りを付けるしなかったのだと思う。
蓮は配送業の仕事をしながら小さなアパートで暮らしている孤独の身だ。朴念仁な性格ゆえ、交友関係も見当たらず、果たしてここに至るまでにどのような青春時代を送ったのか分からない。ただ、きっと初に対する恨みにも似た複雑な感情をずっと抱いていたことは間違いないだろう。それが今回の一件で払拭されたのではないか。そして、ようやく未来に向かって踏み出せるのではないか。そんな風に思えた。
監督、脚本はこれが初長編となる団塚唯我という新鋭である。じっくりと地に足の着いた演出に新人らしからぬ貫禄が感じられる。
まず、冒頭のサービスエリアのシーンからして面白い。点滅する天井の照明は、崩壊寸前にある家族のシグナルか。その照明は後の”ある展開”の伏線になっている。
以降は長回しによる折り目正しい演出が横溢し、キャストの表情をしっかりと拾い上げながら冷え切った夫婦関係、ぎこちない親子関係が描かれる。基本的にセリフを極力排したミニマルな演出が貫かれている。
一方で、終盤で突然シュールな展開に入り少し戸惑ってしまった。しかし、これも現実から目を背ける家族の幻覚…と捉えるならば面白い演出に思えた。
逆に、興を削ぐ演出も幾つかあった。
例えば、蓮が車中で号泣するシーンは、それまでの抑制されたトーンから逸脱しているように思った。途中でMIYASHITA PARKの成り立ちがドキュメンタリー風に挿入されるのにも違和感を持った。ドラマへの集中を欠く演出である。
脚本も幾つか気になった点があった。
例えば、蓮が配送会社を辞めるシーンで、同僚の女性も突然一緒に辞めるのだが、これには何か意味があったのだろうか?ドタバタ喜劇のようで何だか違和感を持った。
また、車載テレビから流れる情報番組は伏線だとしても、2回も流れるのは少しくどい。
終盤も引っ張り過ぎという気がした。個人的には、蓮と恵美の別れからそのままエンディングに向かっても良かったように思う。更に言えば、そのエンディングも自分は余り乗れなかった。
脚本協力として宇治田隆史の名前がクレジットされている。熊切和嘉監督の作品などで知られる脚本家だが、どうやら映画美学校の講師を務めていたことで団塚監督と縁があったらしい。正直、脚本はもう少しコンパクトにまとめても良かったような気がする。
キャストでは、蓮を演じた黒崎煌代の内省的な演技に見応えを感じた。童顔な風貌に野太い声というギャップが面白い。今後が気になる若手俳優である。
〜再びとそれからの物語〜
渋谷の宮下パークの設計者の父親を持つ子供たち。
母親は父親と不仲なのか、死別。
やがて息子と娘は自立して、それぞれの人生を歩んでいる。
海外で働いていた父親が帰国。設計デザイナーの父は展示会場で花屋で新たな人生を歩んでいた息子と再会する。
娘は結婚を控え、幸せなものの
マリッジブルー的な不安を抱えていた。
家族の「それから」の人生を渋谷を舞台に、再び交差する瞬間をファンタジー的に描いている。
栄えた街。
いつか役目を終え、再び再生される。
幸せな家族。
事情を抱えの離別。
家族に対しての、変わってしまった認識と、郷愁の念。
街の再生と家族の「それから」を対比させた作品である。
伏線回収としてヨガ教室に通う娘と、長年会ってない父親の恋人が同じヨガ教室に通っていて、連絡先も交換している。
そして物語の終盤に再会する。
ファンタジーといえど、これはあまりないと感じる。しかしながらの解釈として意図的に焦点をずらしてたのかもしれない。
亡くなった母親が突然現れる事、唐突感と違和感ない姿に観客は困惑する。
亡き者から、いまを生きる人達へのメッセージだったのかもしれない。
主演に黒崎煌代、母親役に井川遥
父親役は遠藤憲一が務めた。
息子役の黒崎煌代のナイーブな表層が光った。
「再生」はボヤけた焦点を合わせる作業。
鑑賞後、古くて狭過ぎる快適性のない映画館を後にして、渋谷の街を歩くと、ボヤけた私の頭と身体が「再生」を始めた。
人は不完全の中を歩み、街も同様に不完全を繰り返す。
「再び」と「それから」の物語。
渋谷の街を歩きながら作品の残像がフラッシュバックしてきた。
こんな余韻もあっていい。
そんな時間だった。
映画みはらし世代の鑑賞レビューです
若い感性が生み出した新しい東京物語
私もバリバリ仕事をしていた頃は家族旅行中でもパソコンを開いたし電話にも出ていた。明らかに家族の行事より仕事を優先していた。今となっては全く馬鹿らしいが当時はそれが正しいと思っていた。幸い家族に見捨てられることもなく今を生きれているので良かったが、もう少し私が横暴だったら遠藤憲一のようになっていただろう。
それにしてもこの若い監督、団塚唯我は何とも言えない深い感受性を持ってるなぁ、。と感心させられる。20代後半、大学中退で映画美学校を出たとはいえ、社会経験はまだほんの少しだろうし、自分自身の家族もまだできてないだろうに人生50年位生きてきて初めて気づくような家族の成り立ちと崩壊、再生がおぼつかない葛藤をものの見事に映像で表現した。
車内のテレビで放映されてた取り替えても何度も落ちてくる電球の不思議ニュースが後半ぴったりとハマり奇跡が起きる。10年も時空を彷徨ってたからなのか井川遥はひたすら夫に優しい。「またね」と言われ去っていく妻の後ろ姿を見た後、号泣する遠藤憲一。失ったものは戻ってはこないことを突きつけられるシーンだった。
MIYASHITA PARKは監督の父がトータルデザインを手がけたとの事。堂々と物語の中心の場所に据えた理由も分かったが、感性は遺伝するものだと思った。昨年、同じように若手の監督として称賛た「HAPPYEND」の空音央は坂本龍一の息子。親が偉大なのは大変だろうが、少しだけ羨ましい。
子育てが終わったせいか振り返りに刺さりました。
画集みたいなラストクレジット
個性的で楽しみな監督
クチコミが賛否両論なので観るか迷ったけど観て良かった。
独特な間、余白というか、個性的な映画でした。
私は好きです。映像や音楽もこだわりが強そう。
今後も楽しみな監督さんですね。個性的で良いです。
こういう、この監督の映画と思える個性的な映画は好きです。
長回しというか、余分に思えるような間があります。もう少しキュッとすれば30分は短くなりそう。はじめは辛いと思ったけど。癖になる。
道路を渡るとか何か意味のあるようなシーンもあり、奥が深そう。
黒崎煌代と遠藤憲一と木竜麻生の演技も素晴らしい。
ちょっと予想外の展開でしたが、親子4人それぞれ思うところがあって、淡々とした演技、というか自然なキャラですが、その心情がよく伝わりちょっと泣けた。
ありそうな、なさそうな?
建築家の父とその息子の物語. 父が仕事に没頭しすぎて独り海外へ, ...
建築家の父とその息子の物語.
父が仕事に没頭しすぎて独り海外へ, 母は早くに他界, 残されたのは姉と弟.
時を経て, 弟が都内で配達の仕事中, 帰国した父と偶然会ってしまい.
父は景観デザイナーとして成功の最中.
父がいた旨を, 姉に話しても相手にされず.
葛藤する弟の様子.
男同士で感じる, 口下手でも背中を見てる様子, 強い納得感がありました.
主な舞台は, 渋谷の宮下公園.
開けた屋上公園, 下には商業施設, 以前はホームレスだらけで近寄り難かった場所.
この公園だけでなく, 高層ビル群や首都高など, 立体的な景観の見せ方が
本映画では一貫してすごく綺麗.
都内にいると慣れた眺めですが(おらの様なおのぼりさんでも),
きっと, 西洋の方がこの映像を観たら,さらに喜びそうな気がします.
考えがだから子供なんだよ
不思議な心地よさもあり、観る者の人生や経験によって感じ方が変わる秀作
2025年第78回カンヌ国際映画祭の監督週間に⽇本⼈史上最年少、26歳で選出された団塚唯我監督の長編デビュー作品ということで、楽しみにしていた映画。
ランドスケープデザイナーとして家族を顧みず、仕事に没頭するハジメとその家族を描く。そして妻・由美子が亡くなり、ハジメは海外での仕事を選び日本を離れる。
残された娘・恵美と息子・蓮は、そんな父・ハジメとは疎遠になり、それぞれの生活を送っている。ある日成功を背負い帰国した父と図らずも再会した蓮。
それをきっかけに再会する家族。それぞれの胸中の複雑な思いや家族の関係性は、観る者の人生経験や家族との関係により、その感じ方が千差万別となるあたりの脚本な映画の造りに素晴らしさを感じる。
主人公・蓮を黒崎煌代、父・ハジメを遠藤憲一、亡き母・由美子を井川遥、姉・恵美を木竜麻生が演じているが、その役者たちの巧みな台詞回しや演技により、家族それぞれの心の機微が細やかに描かれる。
全体としては、家族揃って過ごす過去の1日と現在の数日間だけを描いており、途中時間軸がブレることもあり、結末らしきものもない。
結局そこに描かれていることが現実なのか、それぞれの思いなのか朧げなまま展開していく点でも、不思議で繊細な感覚を覚える映画。
過去の渋谷、頻繁に情景として出てくる再開発が進む渋谷、現在のMIYASHITA PARKを舞台に描かれた作品。
街中をLUUPが走る光景を含め、センス溢れる情景の写し方も素晴らしく、新進気鋭の若手監督が作った今を表す映画になっていることを、エンディングに向かって一層強く感じる映画。
万人向けの商業映画とは全く別物の映画だが、インディペンデント映画が好きで、かつ自身の人生経験から、感じるものがあれば深く沁みる作品。
木竜麻生さんが
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