見はらし世代のレビュー・感想・評価
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オーソドックスな映画っぽいゆったりとした語り口と巧みな作劇が心地よい「東京映画」
始まって数分で「あ、この映画、自分と波長が合うな」と感じました。ゆったりとした語り口で間(ま)の取り方が絶妙です。最近の映画を観ているとなんだかTVドラマのようなせわしない語り口にがっかりすることがあります。我々は入場料を払って一定時間暗い場所に閉じこもって椅子にゆったりと腰かけて映画を観ようとしているわけです。面白くなければリモコン片手にザッピングして別口に移動なんてこともしないし、スマホを弄りながら、部屋の掃除をしながら、お茶碗を洗いながら観ているわけでもありません。映画館で一定以上の集中力を保ちながら鑑賞するに足るだけの映画が観たいだけです。その点、この作品は合格です。話の中身を「説明」するのではなく「描写」して見せてくれています。
物語は夫婦と子供2人(姉、弟)の車を使っての家族旅行のシーンから始まります。サービスエリアで食事をした後、家族はレストランから駐車スペースに停めてある車に戻るのですが、母親(演: 井川遥)だけが少し遅れて歩いていて、他の3人は車のところまで到着しているのに、彼女は横断歩道を渡ろうとするとまずは大型トラックが目の前を通り、次に普通の乗用車が2台ほど通りといった具合で、道の手前で少し待った後、ようやく、道の向こう側の3人に合流することになります。これ、なんてことのないシーンのようなのですが、その後の母親を暗示しているようで…… また、家族が海辺のコテッジに到着した後の駐車場と庭を入れたロングショットでは、車の側にいる父親(演: 遠藤憲一)が息子に用を頼もうと声をかけるのですが、息子はひとりでサッカーボールのリフティングを黙々とやっており、父親の呼びかけに反応しません。ロングショットで父子の間に広い空間があることもあって、この親子関係、大丈夫かと心配になります。
そして、話は10年後へとジャンプして、仕事中心で家族を顧みなかった父親は建築家として成功していますが、母親は既に亡くなっています(死因は明らかにされませんが、自殺ではないかと思われます)。姉(演: 木竜麻生)は恋人と同棲生活を送る予定があるような感じで結婚を考えてるみたいです。弟の蓮(演: 黒崎煌代)がこの物語の主人公っぽい感じなのですが、何か大人になりきれず、漂流してる感じ。彼は生花店の配達の仕事をしています。まあ家族としてはもうバラバラです。そんななかで、海外から戻ってきた父と蓮の再会を始めとする細かなエピソードが丁寧に描かれます。
建築家である父親は渋谷の宮下公園の再開発で中心的な役割を担ったようで、進行する物語のそこかしこに渋谷の風景が挿入されます。何か汚いものを隠して作った綺麗で清潔な街として描かれているのではないかという印象を持ちました(最近の言葉で言うと「ジェントリフィケーション」という含みがあるのかな)。全般的に美しい画が多く、音楽の使い方は抑制的で時折り、おやっといった感じの劇伴が入ります。作劇がとても丁寧です。物語が途中からファンタジー展開をするのですが、そこに入る前の父子3人で食事をするシーン(冒頭に出たサービスエリアのレストランに10年ぶりに集まるんですね)の間の取り方が絶妙で、ストーリーにタメみたいなものを作ってるなと感じました。そして、レストランの天井の照明器具の電球が落下してきて床でガッシャーン。そこからファンタジーに突入です。
団塚唯我監督は1998年生まれの27歳と非常に若く、若さゆえの生硬さが時折り気になるところはあるものの、この作品自体はなかなかの出来栄えで好感を持ちました。たぶん、彼はかなりの映画オタクではないでしょうか。本当に楽しみな若手が出てきたと感じましたので、さっそくチェックを入れておきました。ネット検索してわかったことですが、彼のお父上はランドスケープデザイナーで宮下公園の再開発に携わったとのこと。息子としては何か思うところがあったのでしょうか。
さて、ファンタジー展開した物語は終盤で時空を超えたようです。私はこの映画を Bunkamura ル•シネマ渋谷宮下で観たのですが、終盤の姉と弟の立っている場所が分からず、ヒューマントラストシネマ渋谷あたりまで歩いて行って位置関係を確認しました。そして、あることに気づきました。なるほどね。これはやっぱり「東京映画」です。
家族のやりなおし、を願うのはやっぱり父親
日本人だからなのか、家族を振り返らず仕事や酒・ギャンブルに没頭して、反省をするという父親像は、これまでもずいぶん描かれてきた 本編でもあったが、誰しも結婚をするときは理想の家族・家庭像を描いているはずなのに、子どもの成長期にその理想が損なわれてしまい、あとになって取り返しのつかない現実に反省する父親 しかし放置された子どもの方は本作でもそうだったが、そんな父親を侮蔑・軽蔑しているだけで、取り返せない時間を反省している父親の姿は滑稽だったりもする 成功しようが、失敗しようが家族を捨てた父親であるはずなのに、その再生を願う気持ちが息子・漣に残っているのが観る者にとって儚い希望を感じる 父親役の遠藤憲一さんは私と同世代で、37年前「メロドラマ」という作品(にっかつがポルノをやめて、一般映画ロッポニカを立ち上げた第一作)に、チョイ役で出ていた あの強面を生かしたチンピラ役だったが、本作のように強面にもかかわらず弱さを持つ父親役などに最近よく起用されている この遠藤さんをはじめ、活躍をしている中高年の男性には、他人事ではない気持ちを抱かさせる作品なのではないだろうか
成功や繁栄の裏には、多くの犠牲があり、それが家族だけではなくその街で暮らしていた住民やホームレス、人々の優しさも壊してきた渋谷という誰でもが知っていて、ついこの間完成した新しいその街を描きながら、そこに家族の問題が昔からずっと横たわっているのが、悲しくも人間らしいと思った
(10月23日 なんばパークスシネマにて鑑賞)
子どもたちに見えていたものは、案外本物の人格なのかもしれません
2025.10.23 アップリンク京都
2025年の日本映画(115分、G)
幼少期に壊れた家庭に向き合う子どもたちの感情を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本は団塚唯我
物語は、栃木にあるコテージにて、ある家族が休暇を過ごす様子が描かれて始まる
父・高野初(遠藤憲一)は駆け出し中の建築デザイナーで、あるコンペの結果を待っていた
妻・由美子(井川遥)は元デザイナーだったが、娘・恵美(高校時代:石田莉子、成人期:木竜麻生)と息子・蓮(荒生凛太郎、成人期:黒崎煌代)を育てるために家庭に入っていた
その日は久しぶりの家族揃っての遠出だったが、そこに初のコンペの結果が届いてしまう
初は妻にコンペが通ったことを報告すると、彼女は「この3日だけは子どもたちのために」と不機嫌になってしまう
だが、コンペを通すことで家計が潤うと考えている初は、休暇を切り上げて東京に帰ろうと考えていた
初は翌朝には東京に向かおうと考えていて、その日だけは子どもたちと過ごすことに決めた
恵美と蓮を海に連れて行った初だったが、由美子はそのままコテージに残ることになる
それから10年と半年が過ぎ、家族はバラバラになっていた
初は仕事を選び、今では著名な建築家として名を馳せていた
宮下公園の再開発事業で功績を上げた彼は、その展示物のギャラリーを催すために日本に帰ってきていた
蓮は花屋の配送員として働き、恵美は近々恋人・明(中村蒼)と同棲し、ゆくゆくは結婚しようと考えていた
蓮は結婚のことを父に言わないのかと言うものの、彼女の中で父親はすでに過去のものとなっていて、義務も興味もないと言い切ってしまう
物語は、子どもから見た両親の離婚を描いていて、家庭よりも仕事を取った父と、それに愛想を尽かした母との関係に悩む様子を描いていく
悩むと言っても、それはその関係破綻に対して「自分たちの責任があったのでは」と感じている部分があって、母親の気持ちに寄り添えなかったり、あの時こうしていればと言う後悔が残っていたことが描かれていく
そして、そう言った根幹にあるモヤモヤが今の自分たちの生活に影響を及ぼしていて、蓮はやり直したいとは思わないけどはっきりさせたいと考えていて、恵美は過去のものとして封印したいと思っていた
後半では、「あんなことになった母」がPAに登場するのだが、あれは家族だけが見る幻想のようなものなのだろう
母が失踪したのか、自殺をしたのかは定かではないものの、感覚的には後者であると思う
再会の母は10年経っているのに若々しく、それは家族そうであってほしいと思う母親のイメージなのだろう
彼女と再会することで、恵美は自分の感覚が正しかったことを再確認するのだが、これは両親の離婚問題は結局「子どもを言い訳にした男女関係のほつれ」であると悟っている部分があった
それに対して、蓮は男女関係には疎い部分があって、泣き崩れるちちを見て「こんなくだらないことにこだわっていたのか」と笑ってしまう
そうした過去は単に過去であり、そういったものが可視化されることで「見はらし」を得ることに繋がっていくのだろう
自分の中にあるモヤモヤにどう向き合うかは世代によって違うが、映画内で描かれる若者というのは、このような感覚を持っているということを示唆していたのかな、と感じた
いずれにせよ、子どもの頃に両親の不和があって、その原因が自分ではないかと考えたことがある人には刺さる内容で、父親が偉大だったからこそ巻き起こる感情というものがあるのだと思う
どうしようもない父親とか、仕事を選んだ割には結果も出ずにアルコールに埋もれていたとかなら起きない可能性もあるのだろう
それぞれが過去のある瞬間を後悔しているものの、それをどのように埋め合わせるかは難しいところがあって、両親の離婚問題の余波というのはこういうところにあるのだと思う
結局のところ、離婚するしないは男女問題であり、どんなに言い繕っても子どもの存在は都合の良い悪いを含める言い訳でしかない
そう言った意味において、なんとなく過去を思い出すなあ、という映画だったように思えた
見はらしはどう
再開発/再構築で得られるものと失われるもの
高校時代に最低でも週に6〜7日は過ごしていた渋谷も今ではすっかり様相が変化して迷子になりそうだし、自分が知っている宮下公園の姿は既に跡形もない。
街の風景も家族の在り方も、その年代によって異なる姿を見せ、どこで・誰の立場で見るかによってまったく違って見えてくる。
再開発によって得るものもあれば失うものもある。再開発によって恩恵を受ける人々も多数いるが、それによって被害を被るのは常に弱者であり、マイノリティーたちだ。親の不和で家族が解体されたときに犠牲になるのも常に子どもたちであるように。
仕事が軌道に乗り始めのめり込みがちな父親と、仕事より家族との時間を優先して欲しい母親の間の亀裂。せっかく別荘で休暇を過ごしに出かけてきたが、仕事の電話が入ってとんぼ返りする父親。そのしばらく後に母親が亡くなり(原因への言及はないが、精神的にかなり参っていた様子なので自死の可能性も高い)父親は自分のキャリアのためにシンガポールへ子ども達を置いて出ていく。親に捨てられたという思いと共に成長し、10年後には、無理して斜に構えながら社会を見て「家族」という概念に距離を置くことで寂しさを忘れようとする姉と、子どもがすねたまま成長した寂しさがゆえに直接的に怒りを露わにする弟となって父親と再会する。
そうでなくとも世知辛い世の中。黙々と文句を言わずに働く社員もいれば、理不尽さに我慢できずにとっとと仕事を辞める社員もいる。
そんな社会で過去を忘れて前向きに生きるのは薄情なのか?
でも、薄情にもとっとと仕事を辞めた社員は時折り沖縄旅行を楽しみながら颯爽と渋谷の街を電動キックボードのLUUPで駆け巡っている。
かつてのしがらみに拘泥せず、達観したかのように世の中を「見はらし」ながら生きていくのが、ひょっとすると、現代の若者の生き方なのかも知れない。
まだ20代の監督による新しい感覚の作品。東京(渋谷)の街を切りとる額縁構図なども多用した絵作りも(冗長だという意見もあるようだが)個人的には嫌いじゃない。
刺さる刺さる オサレな感想言えればどんなに良かったかw 無理を飲み...
令和の小津映画は分かるが、脚本・構成が今イチ
話題の団塚監督の見晴らし世代を観た。
テーマは令和版家族再生の物語で一部映画専門家からは小津安二郎東京物語の令和版だとの声もある。
なるほど、渋谷の都市再開発と家族再生をテーマにした作品だなと言うのは分かる。団塚監督は若手監督だが、よくチャレンジしたなと感じた。また、遠藤憲一、井川遥の演技はさすがだし、福田村事件以来久々観る木竜麻生は演技が素晴らしかった。木竜麻生は今後も楽しみ。
ただ、黒崎煌代の演技は主役だしもう少し感情表現を見せてほしかったし、脚本・構成も分かるけど今イチだしラストあのシーンはいらない。ツッコミどころが多すぎる。今の時代の家族はこの作品のとおりかなと思ったが、現実は複雑。また、祖父母世代は介護が必要な人もいる。今の令和の家族はこうですよと強調しすぎ。
ラストはいらない。シーンは何か観客に訴えかけるシーンが欲しかった。注目作品だっただけにがっかり。
矛盾とすり替え
ファーストシーンから、映画のリズムに引き込まれました。
あらすじや主演もノーチェックで見たので、
ある違和感から、ものすごくゆっくりとじわじわズームしていき、家族の物語であることがわかる。
その後も要所要所に印象深い構図をしっかり残していき、後半へと再び繋がる流れが見事で唸りました!
スタイリッシュな建物や空間を意識させる構図が多いのは、建築家の物語だからかと思っていましたが、鑑賞後のトークで街を取り巻く群像劇でもあると知り、ラストにも納得がいきました。
この映画は世の中に溢れる矛盾とすり替えを突いてくる。
お祝い専用の花屋は殺伐としているし、
誰もが集える公園を作る為に人を排除する。
自分の仕事を正当化する為に、目的と手段のすり替えが必要なように
姉が一生許せないのは、父親ではなく自分自身なのだろう。
でも、、突き詰めた結果、母親のような極端な手段を選択してしまう危うさもあるから
すり替えられない時は、根本的な問題解決に向かう前に戦線離脱するのもアリ。
良くも悪くも物事から距離を置き、解像度を低く保つことに慣れてしまっている。
タイトルにはいろんな意味が込められていると思いますが、私はそんな風に捉えました。
街ってそれぞれ個性があって面白い。
人が街を形作っているようでいて、実は街が持つ個性に人が吸い寄せられている。
巨大な生命体のような気もします。
それで言うと都市計画は明らかに集まってほしいターゲット層ありきでデザインされている。
私が上京してきた頃は、飲んだ帰りに1人で宮下公園を歩くのは怖い感じだったので、MIYASHITA PARKの芝生がスタバ片手の若者で埋め尽くされている光景には驚きました。
金網で囲われたスゲボ場や運動施設を使うのには申し込みが必要だし、23時には閉まっちゃうし…きちんと管理が行き届いた施設ですね。
コンセプトの狙い通りの場所になるのか?
今後どんな風に成長していくのか楽しみです。
カンヌ監督週間出品とのことで、そもそも公開が楽しみな作品でしたが
PFF2020/2023入選の寺西涼監督が音楽を担当されているとのことで期待値UP!
話し声が聞こえるようなオープニングから面白くて興奮しましたが、中盤の展開で「だから寺西監督なのか!」と、ものすごく納得しました。
チャネルが合う瞬間と言いますか、寺西監督のテーマとリンクしている。
PFF2021入選の蘇鈺淳(スー・ユチュン)監督も少し出演されているとのことでしたが、ガッツリ印象深い役で驚きました。
違和感を口にすることで、誰の為に何をしているのか?目的と手段のすり替えを指摘する、とても重要な役どころでした。
素晴らしい才能が結集した『見はらし世代』
今後この世代が作る映画が楽しみです!
天才監督現る! 既存の物語に収束しない独自さが素晴らしい。
初(父:ハジメ)が蓮と偶然に再開して(最初互いに顔を見ただけ、翌日の再開)、蓮は父に「わかってないな」と毒づく。
しかし父はいったいあの状況で何が言えたのだろう。
そして、蓮は、父がどのような態度をとれば納得できたのだろう。
蓮はその後、車の中で泣きじゃくる。タクヤはそばで泣き顔を見てしまうが、何が起こっているかわからず、そっと知らないふりをする。
ポイントは蓮自身、自分の感情を説明できないだろう点だ。
(このタクヤが全編よい味を出している。)
対して、恵美(娘)は
「蓮はなんとなくお父さんが反省して、できればもう一度家族三人でとか、そういうことを期待しているのかもしれない。でもね、もうそういう、現状を無理に変えようとか、いわゆる向き合うとか、そういうの私には必要ないの」
「私もう昔のこといいの」
このあたりのセリフはいかにも既存の物語にありそうな内容だ。
このいかにもの達観が「見はらし世代」と感じた。
さらに、
「私だけが前向いてて何か悪いみたいじゃん」
とくる。
姉の恵美のセリフはまるで安手のカウンセラーのセリフを自分で構築して、なんとか自分を保っているように見える。
弟の蓮は「ていうか、こっちが前だよ」と答える。
この蓮のセリフ一つでこの映画は稀代の名画となった。
息子と父の心のありようは、私たちが持っている物語のどこにも収束しない。
一言で要約できない。
この微妙で複雑なこころのありようは、ハリウッドの対極にある。
父は、死んだ母の幻影(父も、姉も、弟もはっきりと認識しているが、母には夫(父)しか見えていない)を送った後、「すまない」と一言のあと、泣き崩れる。
息子が泣いたように。
蓮が黄色のポーチを注意してもやめない。
33000円の胡蝶蘭の花を一輪切り捨て880円がこれだという。
自動販売機で缶コーヒーを買うシーンが繰り返される。
この空気感の演出はずば抜けている。
初(遠藤憲一)は自分の理想の為に家族を捨てるわけだが、そこに葛藤がある。
蓮も簡単に父を恨むことができない。
世に、ひどい父親像はいくらでもある。
それに比べて初は現代的なポリコレの中にいる。
渋谷というどんどん汚いものをきれいなもので覆い隠す舞台背景が秀逸である。
最後にLUUPに乗った4人の若者が登場し蕎麦の話などする。
これは唐突であった。
Offical Bookを参照しないではわからなかったのが残念。
最後の女性は「奈月」。蓮が解雇されたとき、こんなところで働けませんといきなりやめた女性だ。
蓮の何かをこれから補完する象徴なのだろうが、さすがにこれは分からない。(これで星半個減点)
時間の前後する物語はついていくのが大変だが、車載テレビの、何度付け替えても落ちてくる照明の話で、場面の時間を切り替える手法は面白い。(大成功とはいいがたいが…)
団塚唯我 1998年生まれ。27歳
脚本と監督。
天才現る!! ブラボー!
見逃さないでよかった。
ひとりよがりな映画
再開発された宮下公園、ミヤシタパークか主な舞台になって、ある家族の物語が展開されるのだけど、もうご都合主義が満載で、私には無理でした。
何が言いたいんかい?!
再生できなかった家族の再出発物語?再開発反対?
都市というコミュニティと家族というコミュニティを並走して描いていくのだが、人間描写が浅く、刺さってこない。
ドキュメンタリー風を狙ったのか、どのカットも不必要に長く、テンポが悪い。
訳のわからない電球話から母親の再登場。
最後はループに乗った、知らないカップルが蕎麦の話をして終わる。思わせ振りでさえない、観客置き去り。これが若い世代に受けるんですか。ええかげんにせいよ!
オモロイやんw
はじめ本作の存在を知ったのは
吉岡里帆ナビゲートのURのラジオ番組だった。
団塚。の名称を聞いて僕が思ったことは
え〜やだなぁ。あのオッサンの親族?
独りよがりなカッコつけた映画じゃないの!?
だ。
が、観ないでごちゃごちゃ言うのは違うよね。
と観に映画館へ
ぶっちゃけ観てて痛快。観に来て良かったである◎
カンヌでの評価も好評で受賞した。のも
わからんけど
きっとこの世代からハッキリと引導を渡すような
作品が出てきた!と言うことに対する賞賛
だと思うのだw
もっと広く見はらして社会への働きかけを
結果として残してこなかった世代の一部だけが
楽しく幸せを感じる世界の在り方に対して
可笑しいよ!ってね!
まぁ知らんけど僕はそう言うメッセージとして本作を
観ました。痛快痛快オモロかったわ〜
物や場所を雄弁に語らせる事は難しい、?
物や場所が、時に人よりも雄弁に語る時がある。
そういう映画は少なくない。
じゃあこの映画は?
もっと「宮下パーク」の持つ歴史や時間を描ければよかったのか、
はたまた描きたい人物たちと場所との関係性か、描く量のバランスか、
何か色んなことが足りてない気がしました。
物や場所が、時に人よりも雄弁に語る時がありますが、
この映画はそれに頼りすぎてはいませんか?
映画理論や編集、観客に頼りすぎて、人を描くことから逃げてませんか?
ループのりながらそばの話するラストは怒り心頭でした。どれだけ観客のこと馬鹿にするんだろうと。変な怒りですよね。勿論、馬鹿にしてるわけではないはずだけど、なんだろう、お金払って2時間みてるのに面白さのかけらも貰えなかったからそう思ったような、物語をまとめるつもりの無いスタンスに「そうは言ってもさ」と悲しくなったからか、
とりあへずカンヌという称号がその怒りの原因の一部をつくってることは確かです。(まじカンヌって何なん)
面白くなかった。
今日みた感想はその一言に尽きます。
怒りが収まらず、余計な事追記させて下さい、↓
想像してしまっただけなので、当てはまらなければ私を鼻で笑ってどうか見逃して下さい
もし、もし同世代の監督たちと、この映画の面白さを語り合ったり、俺たちを理解できないあいつらの事なんか忘れて作りたいものをつくろうぜ、
なんて話しているのであれば、本当に救いようが無いと思います、
何でしょうか、ここ数年の、海外で賞を取る日本人若手監督作品の品のなさと思いやりのなさは
スパハピもナミビアもねおそらも奥山由之もみんな全部つまんない!!!!!!クソ国がっ
賞なんてどうでもいいから面白い映画作ってくれよ頼むよ映画ってエンタメだろ?エンタメに生かされてきたんだろ、エンタメ作ってくれよ頼むよ
再開発と再構築
レビュー評価が両極端なので、正直どうなんだろうと、観るかどうか迷ったけれど、自分は嫌いじゃなかった。
別荘での導入部が、どちらにもイマイチ共感できないまま、いきなり10年半後に戸惑ってしまった。
ワンカットがちょっと長めかなぁと思うところはあるものの、ストーリーも、インディペンデント系の邦画によくあるポヤーンポヤーンと何の楽器で演奏してるか分からない劇伴曲も、けっこう好みだったりする。
わりと吹っ切れちゃってる姉と、反発しながらも父親を諦めきれずにいる弟の対比が良い。
レストランのシーンで、は?とはなったけど、奥さんの想いが伝わって、家族、夫婦、親子のかたちが再認識できたのは良かったかなと思う。
ラストシーンは全くもって意味が分からない、なんで蕎麦?
急に出てきて「主演です」みたいな振る舞いの女の子は、大手芸能プロダクションからねじ込まれたのか、はたまたLUUPのプロモーションなのかと邪推してしまうほど、謎のシーン。
ミヤシタパークって、ヒューマントラストシネマの向かい側だから、よく見るけど入った事はない。東京に住んでた頃はなかったし、おっさんには不似合いすぎる。
今の渋谷が嫌いなわけではないけど、人が多すぎて移動がしんどい。
東急文化会館やシネマライズ、シネセゾン渋谷、シネアミューズとかあった頃の渋谷の方が好き。
新時代のマルクス啓蒙映画です
誰も気がついていないだろうけど、プロデューサーと制作配給に入っているシグロ(会社)と言う会社はコレまで三里塚や辺野古に沖縄関連、そして反原発に再開発反対運動を背景にした映画を制作してきた。
本作も意味不明に感じている人はいるかもだけど、明らかに渋谷の再開発による不条理(資本主義的な社会に対する反対意思)を描いており、主人公家族の崩壊をそのメタファーとして配置している。
しかしこの時代にまだアップデートして活動家たちが左翼活動に勤しみ啓蒙活動をする映画屋に心底辟易とさせられる。
誰も語らないだろう事実として、シグロという会社を詳しく調べてみてらよくわかる
見なおし世帯
帰宅なのか引っ越しなのか旅行なのか分かりづらい導入から、だらだらプロローグ。
ここ丸々なくても成り立つ気がする。
しばらく蓮の仕事の様子を見せてから、父との再会。
粗筋では「偶然」ってなってるけど、明らかに分かってて配達買って出ましたよね。
再配達から改めて顔を合わせるが、接し方を間違える父とガキっぽい反応する息子。
父親の会社なのに、そのままクレーム行くんだ…
合間に姉の引越しだの結婚だのお相手との微妙な空気だの見せるけど、意味あったかな。
初の、仕事だの社員だの会社だのの話も、何も知らないこちらには何のことやら。
蓮の「部屋はムリ」も謎だし、最初の配達の横断歩道での微妙なスローも無駄。
あんな対応しといて父に会いに行った蓮の心情が分からんし、展示場は戸締まりしないの?
そこからムリヤリ家族会議…と思ったら喋らんのかい。笑
何がしたかったのか、理解不能。
電球落下には周りノーリアクションだし、いきなり母が現れるし、謎展開すぎる。
マキさんSAに置き去りだし。
蓮と恵美がそれぞれ後悔を語ったり、初が妻と話したりしたけど、あれで解決?
車返してないから後輩くんもクビですよね。
都市を撮りたいだけにしか見えないカット多数で、他もやたらと冗長。
言いたいことも分からないし話もオチてない。
吉岡睦雄はいつも通りの立ち位置だったけど、服部樹咲は一体なんだったんだ…
瑞々しい感性と新しいスタイル…それだけで良いハズがない。
設定があり、仕掛けがある。
その中の登場人物を丁寧に描写し、映画的技法で切り取っていく。
そんな映画があっていいし、数々ある。
だが本作はあまりに表面的で雑な造りをしていて、とても丁寧な描写と言えない。
遠藤憲一と井川遥が演じる両親のありきたりな設定と描き方。
木竜麻生が演じる姉の結婚相手である中村蒼が話すセリフの、何とも考え込まれてない表面的な薄ら寒いさ。
父親の新しいパートナーと姉の真面目に考えて設定しているのかと疑問しかない関係性。
極めつけは、取ってつけたような電球話からの母親の再登場。
その仕掛けを受け入れたとしても、その描き方で良いのかと言う疑問しか残らない雑さしか感じられない。
巻き込み事故みたいで申し訳ないのだが、私は今の黒沢清監督が好きではない。
ただ自主映画、商業デビューから流れてきての現在には納得するものはある。
団塚唯我監督が長編デビュー作から、この様な作品を撮るのは疑問と危惧しか感じないのだが、ただ黒沢清監督と逆の流れをたどっていくのであればと思える才気は感じ取れた。
見晴らしの良い景色の影に存在するもの
様々なものが無駄なく美しく融合され、洗練された
みはらしの良い景色の裏には、必ず影がある。
そんな街の風景と家族の有り様を対比させて描いている。
音楽やセリフ自体も少なく、ときに(挑戦的な)長い間を挟みながら、
カメラ固定で引きの構図を多く使って、
広い視点から空間、映像で空虚感や関係の歪みを表現しているかのよう。
無口な主人公の黒崎さんの役柄は、それをさらに強調していて、
とくに父親に対面したときの内面に静かに怒りを貯める表情、
ラスト近くの2元的にも意味のとれる黒崎さんの笑顔は象徴的。
影を無理に明るく照らして、詳らかにして
議論して、何かを解決しようとしなくてもいい、
時々でも影(亡き者、失われたモノ)の存在に想いを馳せるだけでいいんだ、
そんなことを語りかけているように感じた。
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