「過去と未来」見はらし世代 ありのさんの映画レビュー(感想・評価)
過去と未来
バラバラになった家族が10年ぶりに再会するというドラマだが、変に美談に溺れず、過去をやり直すことの難しさを追求した所に見応えを感じた。
長男・蓮は家族を捨てた父・初にコンタクトを取るが、長女・恵美は結婚を間近に控え、苦い過去など振り返りたくないといった様子で初のことなどまったく眼中にない。一方の初も仕事は順調で新しい恋人もいて順風満帆。家族を捨てたという負い目はあるが、今さら蓮たちと和解しようなどと思っていない。できれば会いたくなかった…というのが本音であろう。結局、この物語は蓮の一人相撲の話…という見方が出来る。
では、蓮はどうして初に積極的に関わろうとしたのだろうか?彼は寡黙で中々本音を口にするタイプではないので、そこは想像するしかない。これは推測だが、彼の中では過去を簡単に捨てることが出来なかったのではないかと思う。それは再び父子の関係に戻りたいというわけではない。むしろ初との決別を自分の中ではっきりさせたかった。そして、初に自分たちを捨てた”ケジメ”を付けさせたかったからなのではないか…と推察する。
終盤で蓮は泣き崩れる初を見て苦笑する。あの場面で彼は何か心のつかえが取れたような、そんな吹っ切れた表情に見えた。もっと言えば、家族を蔑ろにした初に復讐を果たしたような、そんなスッキリとした表情に見えた。
本作は再開発が進む渋谷の街が舞台である。初がデザインしたMIYASITA PARKが象徴的に引用されるが、ここはかつては不良やホームレスのたまり場で治安の悪い場所だった。それが今ではすっかり綺麗に様変わりし、若者たちの憩いの場となっている。過去と未来。それを象徴しているのが再開発が進む渋谷の街でありMIYASITA PARKである。
そして、この二つは決して切り離して考えることは出来ないように思う。過去を清算しなければ確かな未来は切り開けない。逆に言うと、未来に進むためには過去を知らなければならない。どちらか一方ではダメなのである。そして、そのことを体現しているのが蓮というキャラクターで、彼は前に進むためには、どうしても過去のわだかまりに一つの区切りを付けるしなかったのだと思う。
蓮は配送業の仕事をしながら小さなアパートで暮らしている孤独の身だ。朴念仁な性格ゆえ、交友関係も見当たらず、果たしてここに至るまでにどのような青春時代を送ったのか分からない。ただ、きっと初に対する恨みにも似た複雑な感情をずっと抱いていたことは間違いないだろう。それが今回の一件で払拭されたのではないか。そして、ようやく未来に向かって踏み出せるのではないか。そんな風に思えた。
監督、脚本はこれが初長編となる団塚唯我という新鋭である。じっくりと地に足の着いた演出に新人らしからぬ貫禄が感じられる。
まず、冒頭のサービスエリアのシーンからして面白い。点滅する天井の照明は、崩壊寸前にある家族のシグナルか。その照明は後の”ある展開”の伏線になっている。
以降は長回しによる折り目正しい演出が横溢し、キャストの表情をしっかりと拾い上げながら冷え切った夫婦関係、ぎこちない親子関係が描かれる。基本的にセリフを極力排したミニマルな演出が貫かれている。
一方で、終盤で突然シュールな展開に入り少し戸惑ってしまった。しかし、これも現実から目を背ける家族の幻覚…と捉えるならば面白い演出に思えた。
逆に、興を削ぐ演出も幾つかあった。
例えば、蓮が車中で号泣するシーンは、それまでの抑制されたトーンから逸脱しているように思った。途中でMIYASHITA PARKの成り立ちがドキュメンタリー風に挿入されるのにも違和感を持った。ドラマへの集中を欠く演出である。
脚本も幾つか気になった点があった。
例えば、蓮が配送会社を辞めるシーンで、同僚の女性も突然一緒に辞めるのだが、これには何か意味があったのだろうか?ドタバタ喜劇のようで何だか違和感を持った。
また、車載テレビから流れる情報番組は伏線だとしても、2回も流れるのは少しくどい。
終盤も引っ張り過ぎという気がした。個人的には、蓮と恵美の別れからそのままエンディングに向かっても良かったように思う。更に言えば、そのエンディングも自分は余り乗れなかった。
脚本協力として宇治田隆史の名前がクレジットされている。熊切和嘉監督の作品などで知られる脚本家だが、どうやら映画美学校の講師を務めていたことで団塚監督と縁があったらしい。正直、脚本はもう少しコンパクトにまとめても良かったような気がする。
キャストでは、蓮を演じた黒崎煌代の内省的な演技に見応えを感じた。童顔な風貌に野太い声というギャップが面白い。今後が気になる若手俳優である。
