「オーソドックスな映画っぽいゆったりとした語り口と巧みな作劇が心地よい「東京映画」」見はらし世代 Freddie3vさんの映画レビュー(感想・評価)
オーソドックスな映画っぽいゆったりとした語り口と巧みな作劇が心地よい「東京映画」
始まって数分で「あ、この映画、自分と波長が合うな」と感じました。ゆったりとした語り口で間(ま)の取り方が絶妙です。最近の映画を観ているとなんだかTVドラマのようなせわしない語り口にがっかりすることがあります。我々は入場料を払って一定時間暗い場所に閉じこもって椅子にゆったりと腰かけて映画を観ようとしているわけです。面白くなければリモコン片手にザッピングして別口に移動なんてこともしないし、スマホを弄りながら、部屋の掃除をしながら、お茶碗を洗いながら観ているわけでもありません。映画館で一定以上の集中力を保ちながら鑑賞するに足るだけの映画が観たいだけです。その点、この作品は合格です。話の中身を「説明」するのではなく「描写」して見せてくれています。
物語は夫婦と子供2人(姉、弟)の車を使っての家族旅行のシーンから始まります。サービスエリアで食事をした後、家族はレストランから駐車スペースに停めてある車に戻るのですが、母親(演: 井川遥)だけが少し遅れて歩いていて、他の3人は車のところまで到着しているのに、彼女は横断歩道を渡ろうとするとまずは大型トラックが目の前を通り、次に普通の乗用車が2台ほど通りといった具合で、道の手前で少し待った後、ようやく、道の向こう側の3人に合流することになります。これ、なんてことのないシーンのようなのですが、その後の母親を暗示しているようで…… また、家族が海辺のコテッジに到着した後の駐車場と庭を入れたロングショットでは、車の側にいる父親(演: 遠藤憲一)が息子に用を頼もうと声をかけるのですが、息子はひとりでサッカーボールのリフティングを黙々とやっており、父親の呼びかけに反応しません。ロングショットで父子の間に広い空間があることもあって、この親子関係、大丈夫かと心配になります。
そして、話は10年後へとジャンプして、仕事中心で家族を顧みなかった父親は建築家として成功していますが、母親は既に亡くなっています(死因は明らかにされませんが、自殺ではないかと思われます)。姉(演: 木竜麻生)は恋人と同棲生活を送る予定があるような感じで結婚を考えてるみたいです。弟の蓮(演: 黒崎煌代)がこの物語の主人公っぽい感じなのですが、何か大人になりきれず、漂流してる感じ。彼は生花店の配達の仕事をしています。まあ家族としてはもうバラバラです。そんななかで、海外から戻ってきた父と蓮の再会を始めとする細かなエピソードが丁寧に描かれます。
建築家である父親は渋谷の宮下公園の再開発で中心的な役割を担ったようで、進行する物語のそこかしこに渋谷の風景が挿入されます。何か汚いものを隠して作った綺麗で清潔な街として描かれているのではないかという印象を持ちました(最近の言葉で言うと「ジェントリフィケーション」という含みがあるのかな)。全般的に美しい画が多く、音楽の使い方は抑制的で時折り、おやっといった感じの劇伴が入ります。作劇がとても丁寧です。物語が途中からファンタジー展開をするのですが、そこに入る前の父子3人で食事をするシーン(冒頭に出たサービスエリアのレストランに10年ぶりに集まるんですね)の間の取り方が絶妙で、ストーリーにタメみたいなものを作ってるなと感じました。そして、レストランの天井の照明器具の電球が落下してきて床でガッシャーン。そこからファンタジーに突入です。
団塚唯我監督は1998年生まれの27歳と非常に若く、若さゆえの生硬さが時折り気になるところはあるものの、この作品自体はなかなかの出来栄えで好感を持ちました。たぶん、彼はかなりの映画オタクではないでしょうか。本当に楽しみな若手が出てきたと感じましたので、さっそくチェックを入れておきました。ネット検索してわかったことですが、彼のお父上はランドスケープデザイナーで宮下公園の再開発に携わったとのこと。息子としては何か思うところがあったのでしょうか。
さて、ファンタジー展開した物語は終盤で時空を超えたようです。私はこの映画を Bunkamura ル•シネマ渋谷宮下で観たのですが、終盤の姉と弟の立っている場所が分からず、ヒューマントラストシネマ渋谷あたりまで歩いて行って位置関係を確認しました。そして、あることに気づきました。なるほどね。これはやっぱり「東京映画」です。
