「子どもたちに見えていたものは、案外本物の人格なのかもしれません」見はらし世代 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
子どもたちに見えていたものは、案外本物の人格なのかもしれません
2025.10.23 アップリンク京都
2025年の日本映画(115分、G)
幼少期に壊れた家庭に向き合う子どもたちの感情を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本は団塚唯我
物語は、栃木にあるコテージにて、ある家族が休暇を過ごす様子が描かれて始まる
父・高野初(遠藤憲一)は駆け出し中の建築デザイナーで、あるコンペの結果を待っていた
妻・由美子(井川遥)は元デザイナーだったが、娘・恵美(高校時代:石田莉子、成人期:木竜麻生)と息子・蓮(荒生凛太郎、成人期:黒崎煌代)を育てるために家庭に入っていた
その日は久しぶりの家族揃っての遠出だったが、そこに初のコンペの結果が届いてしまう
初は妻にコンペが通ったことを報告すると、彼女は「この3日だけは子どもたちのために」と不機嫌になってしまう
だが、コンペを通すことで家計が潤うと考えている初は、休暇を切り上げて東京に帰ろうと考えていた
初は翌朝には東京に向かおうと考えていて、その日だけは子どもたちと過ごすことに決めた
恵美と蓮を海に連れて行った初だったが、由美子はそのままコテージに残ることになる
それから10年と半年が過ぎ、家族はバラバラになっていた
初は仕事を選び、今では著名な建築家として名を馳せていた
宮下公園の再開発事業で功績を上げた彼は、その展示物のギャラリーを催すために日本に帰ってきていた
蓮は花屋の配送員として働き、恵美は近々恋人・明(中村蒼)と同棲し、ゆくゆくは結婚しようと考えていた
蓮は結婚のことを父に言わないのかと言うものの、彼女の中で父親はすでに過去のものとなっていて、義務も興味もないと言い切ってしまう
物語は、子どもから見た両親の離婚を描いていて、家庭よりも仕事を取った父と、それに愛想を尽かした母との関係に悩む様子を描いていく
悩むと言っても、それはその関係破綻に対して「自分たちの責任があったのでは」と感じている部分があって、母親の気持ちに寄り添えなかったり、あの時こうしていればと言う後悔が残っていたことが描かれていく
そして、そう言った根幹にあるモヤモヤが今の自分たちの生活に影響を及ぼしていて、蓮はやり直したいとは思わないけどはっきりさせたいと考えていて、恵美は過去のものとして封印したいと思っていた
後半では、「あんなことになった母」がPAに登場するのだが、あれは家族だけが見る幻想のようなものなのだろう
母が失踪したのか、自殺をしたのかは定かではないものの、感覚的には後者であると思う
再会の母は10年経っているのに若々しく、それは家族そうであってほしいと思う母親のイメージなのだろう
彼女と再会することで、恵美は自分の感覚が正しかったことを再確認するのだが、これは両親の離婚問題は結局「子どもを言い訳にした男女関係のほつれ」であると悟っている部分があった
それに対して、蓮は男女関係には疎い部分があって、泣き崩れるちちを見て「こんなくだらないことにこだわっていたのか」と笑ってしまう
そうした過去は単に過去であり、そういったものが可視化されることで「見はらし」を得ることに繋がっていくのだろう
自分の中にあるモヤモヤにどう向き合うかは世代によって違うが、映画内で描かれる若者というのは、このような感覚を持っているということを示唆していたのかな、と感じた
いずれにせよ、子どもの頃に両親の不和があって、その原因が自分ではないかと考えたことがある人には刺さる内容で、父親が偉大だったからこそ巻き起こる感情というものがあるのだと思う
どうしようもない父親とか、仕事を選んだ割には結果も出ずにアルコールに埋もれていたとかなら起きない可能性もあるのだろう
それぞれが過去のある瞬間を後悔しているものの、それをどのように埋め合わせるかは難しいところがあって、両親の離婚問題の余波というのはこういうところにあるのだと思う
結局のところ、離婚するしないは男女問題であり、どんなに言い繕っても子どもの存在は都合の良い悪いを含める言い訳でしかない
そう言った意味において、なんとなく過去を思い出すなあ、という映画だったように思えた

 
  
 
 