「「見事な脚本と見る者の想像力を掻き立てる秀逸な演出」」愚か者の身分 かなさんの映画レビュー(感想・評価)
「見事な脚本と見る者の想像力を掻き立てる秀逸な演出」
闇社会で暗いノワール的映画を予想していて正直あまり期待していませんでした。
しかし見終わった時には見事の予想を覆してくれました。
主要登場人物をそれぞれのパートで進む向井康介の脚本は
見進めるうちに三人の関係がにじみでてくる素晴らしいストーリー
展開でした。
また永田琴監督の不要で余分な説明を排除した演出は
見る者の想像力を掻き立てるものでした。
まだ上映中ですから多くの人に見てもらいたい映画です。
以下、私の映画評です。読んでください。
【映画評】
向井康介の脚本がいい。マモル、タクヤ、梶谷それぞれのパートに分けて撮ることによって三人の結びつきの強さがにじみでてくる見事なストーリー展開だ。
マモルのパートではタクヤとの仕事のやり取りが細かく撮られており、マモルがタクヤを兄のように慕っている。しかし組織の上の人間が「明日タクヤに会うな、電話も取るな」と言われてマモルはぽかんとする。歌舞伎町でマモルがタクヤを飲みに誘い笑いあいじゃれあいながら歩くシーンは、闇社会で働く一瞬の夢のような感覚を想像させる。そしてマモルはタクヤにこれ以上闇社会にはまるなと忠告される。
タクヤのパートでは、タクヤが危険なことに手を出す。しかし撮られるのはマモルとの出会いやマモルに食事を作って食べるマモルのおいしそうな表情だ。タクヤが何気なく手を挙げたときマモルが手で頭を覆う。マモルが今までどのような状況で生きてきたか想像させる。そんなマモルを弟のように可愛がる。しかし組織はタクヤに残酷な報復に出る。
梶谷のパートでは、タクヤが梶谷を兄貴のように慕う。タクヤは弟が病気の時、梶谷からお金を借りたが弟が亡くなり、すべてを捨て闇社会に入ってきた。梶谷は組織からタクヤについて命令を受けるが、組織を裏切る決断をしてタクヤと一緒に逃げる。逃げるため恋人の由衣夏にいろいろ手配を頼む。この由衣夏のおっとりとした、しかしきちんとしているところに梶谷は惚れている。由衣夏とまともな暮らしをしたという、梶谷の思いが想像できる。しかし組織の手は伸びてくる。タクヤはメッセージとある物をマモルに残していた。
今の世の中、簡単に闇社会に入ってしまえる。闇バイトがそのいい例だ。何か社会として効力あるネット規制等ができないかと考えさせられてしまう。見る者に何かを感じさせる、考えさせる。そのため不要で余分な説明をなくし、見る者の想像力を掻き立てる永田琴監督の演出は見事だ。ラストシーンに余韻というよりは余白がある。永田琴監督が望んでいることは、余白は見る者が埋めることではないか。
