「搾取と逃走、そして共依存の終わり」愚か者の身分 M.Nさんの映画レビュー(感想・評価)
搾取と逃走、そして共依存の終わり
まず、作品全体がエンタメ作品らしい見やすさで作られているため、多くの方に見てもらえるように出来ていると思いました。正直、最初は闇バイトや反社のエグい部分をたくさん見なくてはいけないのかな、と思い、そこまで耐性のない人間としては興味があったものの、抵抗感があり、見るまで時間が掛かってしまいました。しかし、蓋を開けてみれば、色々な意味で程良い人物描写によって物語が進んでいると感じ、そこまで目を背けたくなるシーンもなかったです。また、エンタメ作品らしいというのか、主人公側の3人の掛け合いがほのぼのとしていたり、どこか疑似家族のような作りにもなっていたため、緊張感ばかりではなかったのも程良いポイントのように思いました。
個人的にこの作品は、題名にも書いたとおり搾取する者とされる者、逃走する者と追う者が重層的になっていることが分かりやすく描かれています。
例えば、主人公たち闇バイト側は、被害者を選定して懐柔し、言葉巧みに騙し、戸籍を盗んで金を得るということをしているのですが、その主人公たちも反社の中枢である大人たちによって利用され、暴力を受けているという構造が明確になっています。そしてその反社の大人たちの中でも裏切りが起こっていて、つまりは搾取のし合いが起こっていることも物語では描かれています。主人公であるタクヤ(北村さん)やマモル(林さん)、そしてタクヤを闇の世界へ誘った張本人である梶田(綾野さん)は、そこに巻き込まれて闇の世界からの逃走を図るのですが、そこでも反社の大人たちによる追手が容赦なく彼らを傷つけてきます。個人的には、タクヤが目を物理的にくりぬかれて自室に放置されていたのはなかなかインパクトのあるシーンだったと記憶しています。一方、恐らくですが反社の大人たちもまた、警察の手を逃れるために末端の者たちをトカゲの尻尾切りの如く捨てていくことで生き抜いているのだろうな、ということも想像でき、しかし結果的に警察に摘発されるというのは「ざまぁ」という気分になれました。何より、逃走中にタクヤと梶田がラブホでジョージらと格闘する場面などは「いいぞ」と思いましたし、ジョージにタクヤがハサミを突き刺して梶田が蹴り上げたところなどは、「その金歯もへし折れば良い」くらいに爽快でした。この辺が程良いエンタメ性を如実に表しているとも思います。
もっと言えば、一方的に搾取されていると思われる被害者や戸籍を貰って「生き直し」を図っている人たちも、実は現実からの逃避を図っているという点です。妻に子供を殺された江川(矢本さん)や、最初に出てきた性犯罪者の中学生教師などの描写からもそれは明白で、要するに登場人物すべてが「現実」という得体の知れないものから逃げるために相互に奪い合いをしているのが、この物語の作劇なのだろうなと思いました。
とにかく、個人的には上記のような搾取と逃走の重層的な構造こそが、この物語の肝のように思っています。
また、主人公二人の結末もとても恣意的だと思いました。タクヤは闇バイトに関わった原因とも言える亡き弟の面影を、マモルに重ねており、彼のために闇の世界で自由と金を手に入れさせようと誘っておきながら、一緒に闇の世界から抜けさせそうと画策もします。同じくマモルも本当に欲しかったであろう家族からの愛情のようなものを実兄たち以上に自分に手を掛けてくれるタクヤに求めて闇バイトに手を染めていきます。冒頭でタクヤがマモルに初めて仕事を任せるところで見せる、マモルのキラキラした目は、家族に一人でおつかいを頼まれた子供のようにも見えました。そのような二人ですが、上記のようにその繋がりは犯罪であり、マモルが任された仕事は人を騙して利益を得るものです。二人ともそれを理解しながらもどこか青春の1ページのようにそれで得たお金を使って歌舞伎町を練り歩いている訳ですから、見る人が見ればとても許容できるものではないはずです。そのような関係は最早、共依存だと思いました。つまり病的なものだということだと思いました。なので、そんな二人が最後は互いの行き先すら知らずに別れていったのは、エンタメ的には切ないものの、現実的に考えれば因果応報なのだとも思いました。悪いことでしか繋がれない関係性の切なさは理解できる一方で、その残酷な終焉を淡々と流れで描いているところはとても好感が持てました。
因果応報という意味では、最後に反社の大人たちが一斉検挙されたことももちろんのこと、逃げ延びたと思っていたタクヤと梶田のもとに警察が内偵(?)を掛けていたところも印象的で、そこまで時間をかけずにこの二人も捕まることが示唆されており、闇に手を染めた者には自由がないということを見せてくれるところも、多少説教臭いと言われるかも知れませんが情操教育的に良いと思いました。そういう意味では、タクヤに守られ、本当に暗い部分を知らなかったおかげで逃げ延びられたと思われるマモルと、反対に結構暗い部分を知っていたように思われるものの、ちゃっかり逃げてメールだけで関係を断ち切れる希沙良(山下さん)の処世術の出来具合なども恣意的だな、と思いました。結局は、タクヤや梶田が言っていたとおり「同情するな」の精神で自分の身だけで逃げた者が生き残ることが出来るのが闇の世界ということかも知れないし、一方で浸り過ぎると人間性が失われていくということなのかも知れないと思いました。
そんな感じでテーマ的にもメッセージ性的にも分かりやすく、程よいエンタメ性もあり、若者に対する教養的側面もあると思う本作なのですが、あくまで個人的には、登場人物たち(特に主人公たち)が少し都合よすぎるかな、と思ってしまいました。
正直、闇バイトに触れるような人たちは、所謂「一般社会」というところで立場や役割を与えられず、あるいはそこに嫌気が差している人たちが大半だと思います。なので、自分のためにもっと冷たく他人を勘ぐるし、チンコロしたりされたりしているし、本当に不要となれば自分たちに足が付かないように確実にその人間は殺すのではないかな、と思います。なので、共依存関係のタクヤとマモルはともかく、梶田までもが山梨まで行っておいてタクヤの人情話を聞いただけでどうして自分や木南さん演じる恋人を危険にさらしてまで動けるのか理解出来ませんでした。もしかすると、梶田もタクヤに対して弟のような愛着を持っていたのかも知れないし、だからこそ、逃走中に妙にグダッとした場面(トイレに行かせたり、タバコを吸わせてあげたり、ラブホで髪を洗ってあげたり)があったのかも知れませんが、そこの描写があまりないように感じられたので、個人的にちょっと無理があるのかな、と思いました。
また、同じことは反社の大人たちにも言えて、どうしてタクヤを殺さなかったのかが疑問でした。あそこまでやったのだから、いっそのこと殺しておけば良かったではないかと思うし、内臓を売るために鮮度を保ちたいと本当に思うのなら、日を跨がずに目をくりぬいたその日のうちに運べば良かったように思ってしまいました。同様に、反社の人たちが実際にどれくらい抜けているかは知りませんが、タクヤと梶田の関係性くらい把握していても良かったのではないかな、とも思ってしまい、そこも随分と甘いな、と思いました。そういう間抜けなところも描きたかったのかは不明ですが、それでは闇バイトと反社の恐ろしさを教養的に伝達する効果が薄れるのではないかな、と思ってしまいますし、正直、「北村匠は殺せなかったのかな」と、メタ的なことまで勘ぐってしまい、モヤッとしてしまいました。
江川にタクヤが「罪滅ぼし」と称して二千万円をマモル経由で渡したのも、上記のような理由であまりに自己犠牲が過ぎて、ちょっと非現実的だなと思ってしまいました。ここでもやはり「北村匠を完全な自己中にはできなかったのかな」と勘繰った次第です。
このような登場人物たちによる物語なので、エンタメ性は担保されて気分は良いものの、闇の世界のエグさは少し薄れたように思いました。同時に、そこで生きる人たちの残酷性も損なわれたことで「こうまでしないと生きられない」というメッセージ性も減少し、一部の闇に染まった大人たちだけが報いを受けたような受け取られ方をされてしまうようにおもってしまいました。
ということで、総合的なところ、程よいエンタメ性がある一方で、闇の世界とそこに生きる人たちのリアルさが、個人的に少ない分、テーマと共に担保されていたメッセージ性も減少してしまったため、上記の点数とさせていただきました。
