恋に至る病のレビュー・感想・評価
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純愛か、洗脳か、
原作読了時点では洗脳派。
というわけで、洗脳派目線で1回目鑑賞。
景のあの時のあの表情は…と気になる部分があり思わず2回目鑑賞。
宮嶺は彼なりの純度100%の純愛を貫いているんだろうな。
景は、もしかして、宮嶺に対しては純愛だったのかもしれない。
そう思いながら観ていたら最後に思わず涙がこぼれた。
杏奈ちゃんの演技が、ダークに寄り過ぎていなくて、純愛?洗脳?の間をうまく表現していて絶妙だった。きっと、もっとダークな景を演じることもできただろう。素人には、もっとサイコパスで洗脳しています!な表現の方が簡単に刺さるかもしれない。でもこれが、山田杏奈が捉えた世界に生きた寄河景なんだ。
杏奈ちゃんの演じる景に出会って、原作を読んで単純に「洗脳だ」と思い込んだ自分に反省している。
個人の願いとしては、ブルーモルフォの首謀者として景は多くの人を洗脳してきたのかもしれないけれど、宮嶺に対してだけは景なりの純愛があったのだと信じたい。
景を失ってもなお景への愛情を貫く宮嶺は、側から見ると洗脳されていた部分もあるのかもしれない。だけど、宮嶺にとっては真っ直ぐ過ぎるほどの純愛で。
その塩梅もまた絶妙だった長尾くん。
もう1度観たらまた違った解釈に出会うかもしれない。
1つの考えに縛られず、また新たな「恋に至る病」にかかるためにあと何回か映画館に通いたい。
余談ですが
主題歌が作品にマッチし過ぎていてとてもよかった。
曲が流れるタイミングも含めて自分の中では完璧だった。
ミステリーとしても、ラブストーリーとしても不完全燃焼で、「命を軽視し過ぎ」という不快感が残る
結果的に、主人公の周囲で、立て続けに5人(クラスメイトが関与していた殺人事件を含めると6人)の高校生が死亡するのだが、いくらなんでも現実味がないし、「命を軽視し過ぎ」ではないかという不快感が残った。
1人目のいじめっ子が転落死した直後に、主人公の彼女が「自分が犯人だ」と告白して、だったら、2人目のいじめっ子の溺死も彼女の仕業なのかと思っていると、これは、プレイヤーを自殺へと誘導するネットのゲームが原因であることが明らかになって、一体何の話なのかがさっぱり分からない。
あるいは、彼女が、校舎から飛び降りようとしている先輩を説得して、自殺を思いとどまらせたり、人権集会で自殺の防止を呼びかける演説を行ったりすると、益々何の話なのかが分からなくなってくる。
3人目の死亡者として、女子高生が投身自殺をするに至って、1人目の生徒が死亡した経緯と、それを裏で操っていたのが主人公の彼女であることが判明するのだが、彼女が犯人であることは、既に彼女自身が告白していたことなので、ミステリーとしての面白さや驚きは、少しも感じることができなかった。
終盤は、自殺に誘導するゲームによって再び投身自殺を図る先輩と、それを止めようとして先輩に刺されてしまう主人公の彼女の話になるのだが、「殺人鬼」だったはずの彼女が、いくら主人公に懇願されたからといって、周囲の目もないのに自殺を止めようとするのは、キャラクターにブレがあるとしか思えない。
そもそも、プレイヤーを自殺へと誘導するゲームは、「殺人鬼」としての彼女を描くに当たってのノイズにしかなっておらず、このゲームに関するエピソードは、そっくりそのまま無くてもよかったのではないかと思えてならない。
結局、彼女は、殺人がバレた時に、主人公を犯人に仕立てるために、主人公の恋心を利用したということなのだろうが、肝心要の、主人公と彼女のラブストーリーに、少しも「恋のときめき」が感じられなかったのは、致命的と言えるだろう。
ラストは、「恋」という形で洗脳された主人公の姿を描きたかったのかもしれないが、それにしても、「自分が彼女を殺した」という彼の主張は訳が分からず、まったく納得することができなかった。
さらに、刑事が、主人公の彼女のことを「モンスター」だと断定したことにも、素直に頷くことが難しかった。これは、前述のようなキャラクターのブレがあったからでもあるが、やはり、山田杏奈に、スクールカーストの頂点に君臨するようなカリスマ性と、相手の心を自在に操る「魔性の女」のイメージが欠けていたからであると考えざるを得ない。
現在の彼女は、素朴で天真爛漫なキャラクターを演じてこそ、輝くのでないかと思えるのである。
音楽を殆ど使わない演出が良。
主人公の後ろに座っている男子生徒の顔芸を始め、台詞がない時の登場人物たちの表情に矢鱈と惹かれました。
かなり含みのある顔をする人が多いので観ていて楽しんでしまいました。
多分、この映画が殆どBGMを使用していない事も画面に集中できた要因になっていて、出演者たちの表情に目がいったのかもしれません。
逆に主軸となる主人公2人の表情は変化に乏しくて、とても「恋愛映画」でよく目にする顔とは言えない表情をしていました。
また、随所で長回しなども多用していて、顔のアップが連発する他の「恋愛映画」とは確実に一線を画しています。
「恋愛映画」として少し異質な作品でした。
淡々とした描写が多く、主軸になる2人は表情人乏しい。
それでも「恋愛」が中心になっている不思議な作品。
「恋愛映画」を敬遠しがちな者でも鑑賞可能な作品ですので興味のある方は是非!
ただのラブストーリーとは違う
洗脳か純愛かって話だったけど、純愛なんじゃないかと思う
宮嶺に出会ったことで景のスイッチが入っちゃったみたいなとこある
二度目の先輩の自殺を止めてほしいってお願い聞いたとこや最後の方の自転車でモノレール追いかける宮嶺を見る景の目は色んな感情が混じった複雑な表情をしてた
最後消しゴムが出てきて景が微笑むあれは宮嶺の幻覚だけどきっとそういう事なのかな?
それともやっぱそう思い込ませる洗脳なのか
難しい
長尾くんはやっぱりこういう演技が上手い
本領発揮してた
ただ今までの大人しいみたいな役とは違う感じ
今回も目の演技が素晴らしかった
「恋に至る病」を患ったのは
長尾くんと杏奈ちゃんは原作から出てきたかのような、本を読みながら想像していたイメージのままの宮峰くんと景ちゃんでした。
ただ、正直に言うと原作を読んでいてある程度どんなストーリーなのかを知っていないと一度で内容を理解するのはかなり難しいんじゃないかなと感じました。
映画では受け取る側に委ねてくれているような部分があるからこそ、自分の中の正解を求めて何度も観に行きました。
それなのに行けば行くほどまた違った解釈もできて正解が分からなくなったりしましたが、「純愛」と「洗脳」は正反対のようでいてとても似ているので、二人の関係は「純愛」でもあり「洗脳」でもあるのかな、なんて思ったりもします。
宮嶺くん、景ちゃん、どちらに感情移入して観るかでも「純愛」なのか「洗脳」なのか感じ方が変わってきます。
一見、景に出会ったことで運命の歯車が狂ったのは宮嶺のように見えて、実は宮嶺に出会ったことで「恋に至る病」を患ったのは景のほうだったのかもしれないな、なんて思います。
もしも二人が出会わなければ、それかまた違った環境で出会っていれば二人で幸せに生きていける未来があったのかな、なんて思っても。なぜだかそんな未来は想像できなくて、どうしたって出会ってしまう、このような関係になる二人だったのかな、なんて思ってしまいます。
長尾くんと杏奈ちゃんの演技を堪能できて満足でした。
私は映画もとても好きですが、原作が本当に素晴らしいので読んでいない方には読んでいただきたいです。
ガヴァ
分からなくて、もどかしい
原作も読了し、どのようなストーリーになっているんだろうと、ドキドキとソワソワで鑑賞しました。
原作とは違う展開にはなっているけれど、読んでいるときと同じような、得体の知れない違和感がそこかしこに散らばっている感じがするのに、掴めない。そんな映画でした。
人間の心って難しい、し、感情は一つではないが故に読めない、分からない、知りたい、でも分からないをループする物語で、きっと何回見ても完全に理解することは難しいけれど、それでも理解したいからまた観に行くんだろうなと思います。
純愛、だと信じたいなあ。
最近の若い連中は理解出来ない。
モンスターラブストーリー
ピュアなラブストーリーではなかった。
ちょっとスリラー的な要素があって。
イジメはあるし、死人は出るし、サイコ?って思わせるし。
結局これはラブストーリーだったのか?
夜逃げのように引越ししたって事は彼女は亡くなったんだね。しまいには彼も様子がおかしくなってるし。
やっぱりちょっと怖い映画だ。
純愛か洗脳か──解釈で変わる恋物語
この物語は「純愛」か「洗脳」か──。
あなたの解釈次第で、物語の見え方が大きく変わる。
鑑賞と考察と原作を重ねることでみえてくる物語の核心。
「純愛」と「洗脳」──その境界は紙一重で曖昧。
どこか私たちの“身近な恋”にも似ている。
恋の駆け引き、束縛、モラハラ。
相手の言動で揺れる心、鈍る判断──愛か依存か。
その線引きは人それぞれだ。
映画では全編が高校生として描かれ、原作よりも説明が削ぎ落とされている。
その分、宮嶺や景の表情、余韻、余白で物語が語られる。
ひとつひとつの表情の意味を考えながら観る楽しさがある一方で、それが難しさにもなっている。
まさに、観客の“解釈力”が試される構造だ。
原作未読の人は、「なんだったんだろう...?」と少し置いていかれる感覚を覚えるかもしれない。
実際、私もその戸惑いを抱いた一人だった。
映画版では、宮嶺の心情すら語られず、観客は“外側の観察者”として二人を見つめることしかできない。
正直、観終わった直後はまだあまり楽しめた実感がなく、そのまま劇場をあとにした。
鑑賞中には、脚本や演出に甘さを感じる場面もあった。
それでも気がつけば考察が止まらなくなっていた。
あとからじわじわ楽しみ方に気がつく。
原作を読むことで、物語の細部や人物の心情が補完され、映画の余韻や意味がより深く味わえて驚いた。
特に宮嶺はイメージ通りでよかったなと思う。
物語の全体的な雰囲気として映画と原作では異なった印象を受け、その違いもおもしろかった。
まるで芋虫が蛹になって蝶へ羽化するように
段階的にこの物語の沼へ堕ちていった感覚がある。
よくわからない、でも理解したい──
その衝動こそ、まさに“恋に至る病”そのものだった。
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話題作であり、“本気を感じさせる”主演が揃っていただけに、脚本や演出はもっと熟考すべきだったのではないかというもったいない気持ちは拭えない。稿もテイクも重ねなさすぎた印象。
物語の性質上、違和感を覚える要素はでてくると思うが、
取り除けた不要な違和感がノイズになっているのが惜しい。特にセリフや展開が不自然で説得感に欠けている。
コメンタリーを聞いて廣木監督が「もっとできた」「主演2人に助けられた」と反省していたことは救いだった。
暑さに負けず頑張って欲しいものだ。
p.s.(ネタバレ含む)
「純愛」か「洗脳」か
いずれにせよ、景にとって宮嶺は特別なんじゃないかと思うが。
ブルーモルフォの真の主催者が景なのか否か不明な点は、
映画全体として景はブルーモルフォにただ憧れて影響されて、「純愛」がゆえとみせたい感が強いようにみえるけど(それが原作読者が気になるところでもあると思う)、
視聴者も最後まで宮嶺と一緒にそう思い込まされていて
そもそも全部嘘でしたって可能性も残されている。
(原作では主催者であることを打ち明けてたけど、
映画では主催者であることは最後まで隠してた)
今までみてきたのは、全部宮嶺の記憶でしかない。
だから、場面展開も唐突にしたのか?
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