恋に至る病のレビュー・感想・評価
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最近の若い連中は理解出来ない。
皆で学校都市伝説を話しているシーンに絡んでいるとは思うけど、印象が無いのでラストの消しゴムの意味が無くなっている。
よく分からないサイトを使うよりも、シンプルにヒロインがサイコパスの設定の方が面白味があると思った。
モンスターラブストーリー
ピュアなラブストーリーではなかった。
ちょっとスリラー的な要素があって。
イジメはあるし、死人は出るし、サイコ?って思わせるし。
結局これはラブストーリーだったのか?
夜逃げのように引越ししたって事は彼女は亡くなったんだね。しまいには彼も様子がおかしくなってるし。
やっぱりちょっと怖い映画だ。
純愛か洗脳か──解釈で変わる恋物語
この物語は「純愛」か「洗脳」か──。
あなたの解釈次第で、物語の見え方が大きく変わる。
鑑賞と考察を経てみえてくる物語の核心。
「純愛」と「洗脳」──その境界は紙一重で曖昧。
どこか私たちの“身近な恋”にも似ている。
恋の駆け引き、束縛、モラハラ。
相手の言動で揺れる心、鈍る判断──愛か依存か。
その線引きは人それぞれだ。
映画では全編が高校生として描かれ、原作よりも説明が削ぎ落とされている。
その分、宮嶺や景の表情、余韻、余白で物語が語られる。
ひとつひとつの表情の意味を考えながら観る楽しさがある一方で、それが難しさにもなっている。
まさに、観客の“解釈力”が試される構造だ。
原作未読の人は、「なんだったんだろう...?」と少し置いていかれる感覚を覚えるかもしれない。
私も、最初はその戸惑いを抱いた一人だった。
映画版では、宮嶺の心情すら語られず、観客は“外側の観察者”として二人を見つめることしかできない。
鑑賞直後はキツネに化かされたような気持ちで劇場をあとにした。
個人的に脚本と演出にいくつか気になる点はあった。
それでも、気がつけば考察が止まらなくなっていた。
また、鑑賞後に原作を読むことで、物語の細部や人物の心情が補完され、映画の余韻や意味がより深く味わえる。
映画と原作では異なった印象を受け、その違いもおもしろかった。
映画だけでも、原作を交えても、
観るたびに新たな発見が生まれるはずだ。
まるで芋虫が蛹になって蝶へ羽化するように
段階的にこの物語の沼へ堕ちていった感覚がある。
よくわからない、でも理解したい──
その衝動こそ、まさに“恋に至る病”そのものだった。
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きっと宮嶺は、愛であろうが洗脳であろうが、
これからも景と共に生きていくのだろう。
そして、景もまた、愛であろうが洗脳であろうが、
同じ道を選ぶのだと思う。
そのトリガーは、やはり宮嶺なのだ。
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