「ミステリーとしても、ラブストーリーとしても不完全燃焼で、「命を軽視し過ぎ」という不快感が残る」恋に至る病 tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
ミステリーとしても、ラブストーリーとしても不完全燃焼で、「命を軽視し過ぎ」という不快感が残る
結果的に、主人公の周囲で、立て続けに5人(クラスメイトが関与していた殺人事件を含めると6人)の高校生が死亡するのだが、いくらなんでも現実味がないし、「命を軽視し過ぎ」ではないかという不快感が残った。
1人目のいじめっ子が転落死した直後に、主人公の彼女が「自分が犯人だ」と告白して、だったら、2人目のいじめっ子の溺死も彼女の仕業なのかと思っていると、これは、プレイヤーを自殺へと誘導するネットのゲームが原因であることが明らかになって、一体何の話なのかがさっぱり分からない。
あるいは、彼女が、校舎から飛び降りようとしている先輩を説得して、自殺を思いとどまらせたり、人権集会で自殺の防止を呼びかける演説を行ったりすると、益々何の話なのかが分からなくなってくる。
3人目の死亡者として、女子高生が投身自殺をするに至って、1人目の生徒が死亡した経緯と、それを裏で操っていたのが主人公の彼女であることが判明するのだが、彼女が犯人であることは、既に彼女自身が告白していたことなので、ミステリーとしての面白さや驚きは、少しも感じることができなかった。
終盤は、自殺に誘導するゲームによって再び投身自殺を図る先輩と、それを止めようとして先輩に刺されてしまう主人公の彼女の話になるのだが、「殺人鬼」だったはずの彼女が、いくら主人公に懇願されたからといって、周囲の目もないのに自殺を止めようとするのは、キャラクターにブレがあるとしか思えない。
そもそも、プレイヤーを自殺へと誘導するゲームは、「殺人鬼」としての彼女を描くに当たってのノイズにしかなっておらず、このゲームに関するエピソードは、そっくりそのまま無くてもよかったのではないかと思えてならない。
結局、彼女は、殺人がバレた時に、主人公を犯人に仕立てるために、主人公の恋心を利用したということなのだろうが、肝心要の、主人公と彼女のラブストーリーに、少しも「恋のときめき」が感じられなかったのは、致命的と言えるだろう。
ラストは、「恋」という形で洗脳された主人公の姿を描きたかったのかもしれないが、それにしても、「自分が彼女を殺した」という彼の主張は訳が分からず、まったく納得することができなかった。
さらに、刑事が、主人公の彼女のことを「モンスター」だと断定したことにも、素直に頷くことが難しかった。これは、前述のようなキャラクターのブレがあったからでもあるが、やはり、山田杏奈に、スクールカーストの頂点に君臨するようなカリスマ性と、相手の心を自在に操る「魔性の女」のイメージが欠けていたからであると考えざるを得ない。
現在の彼女は、素朴で天真爛漫なキャラクターを演じてこそ、輝くのでないかと思えるのである。
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