劇場公開日 2025年12月12日

「価値観の相対化が分断をあおる現代のノワール西部劇」エディントンへようこそ 高森郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 価値観の相対化が分断をあおる現代のノワール西部劇

2025年12月14日
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鑑賞方法:試写会

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アリ・アスター監督が娯楽性を保ちつつ、現代の問題へのチューニング精度を一気に高めたことは嬉しい驚きだ。監督の過去3作は、謎の呪いで家族が崩壊する「ヘレディタリー 継承」、北欧の楽園のような村を訪れた若者たちが地獄を見る「ミッドサマー」、不安症の中年男が母の葬儀に向かう途上で災難に見舞われる「ボーはおそれている」。これらはいくらかの現代性を含みつつも、オカルト、カルト宗教、不条理な展開といった要素により、大半の観客から自分には直接関係のないフィクション、娯楽作として鑑賞されただろう。

だが最新作「エディントンへようこそ」を観て揺さぶられる感覚と感情の切実さは、アスター監督の過去作とは大きく異なる。本作を端的に形容するなら、パンデミック期のノワール西部劇。主人公の保安官ジョーは喘息持ちのため厳格なマスク着用ルールに反対し、情緒不安定な妻ルイーズと陰謀論者の義母にも悩まされている。ロックダウンを実施しマスク着用を義務付けた市長テッドと反目し、ジョーが次期市長選出馬を決めてからは、SNS動画のフェイクニュースで中傷するなど対立が激化。市長の息子が加わるブラック・ライブズ・マター(BLM)の抗議デモ、ルイーズに接近するカルト教祖、遠くから来た武装テロリスト集団などもからみ、かつての静かな田舎町エディントンに混乱と暴力と破壊の嵐が吹き荒れる。

往年の西部劇と言えば、町の住民と秩序を守る保安官は絶対的な善、住民の生命や財産を脅かす無法者や“蛮族インディアン”が絶対的な悪だった。だが、“世界の警察”を自認していたアメリカがベトナム戦争で失敗し、ニクソン大統領が違法行為で辞任し、CIAによる反共イスラム勢力への支援が中東や西アジアの問題を一層複雑化して911テロの遠因にもなり、自分に不都合な情報をフェイクニュースと言い放つトランプが2度大統領に選ばれたこの半世紀ほどを経て、もはや絶対善のリーダーなど誰も信じなくなった。誰かにとっての正義は、別の誰かにとっての悪。つまり善悪などの価値観は相対的なものだということを、大勢が受け入れるようになった。また価値観の相対化には、「自分の考えが正しく、異論はみな間違い」という偏ったメンタリティを助長する負の面があり、それが分断をあおる現状もある。

脚本も担うアリ・アスターは、考え方や利害が相容れないキャラクター(または勢力)たちの間で緊張が高まり、やがて対決を迎えるという往年の西部劇のフォーマットを下敷きにしつつ、コロナ禍、陰謀論、フェイクニュース、カルト、テロリスト、BLM、社会の分断などなど、あまたの現代的な題材をごった煮のごとくぶち込み、怒涛のストーリーテリングで観客を圧倒する。エディントンで巻き起こる騒動の多くは、マスク論争を筆頭に、私たち自身や身近に起きたこと、昨今の報道で見聞きしたことと重なる。だからこそ、ジェットコースターに自ら乗り込んで体験するかのごとく、不安、恐怖、衝撃、余韻がよりリアルに、切実に感じられるのだろう。

高森郁哉
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