ザ・ザ・コルダのフェニキア計画のレビュー・感想・評価
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相変わらずの難易度で結構厳しいか…。
今年188本目(合計1,729本目/今月(2025年9月度)7本目)。
相変わらず、理系ネタに飛んだり文系ネタに飛んだりと、飛んだり度合いがすごいので、全部理解しきるのは難しいのではないかな…と思います(というか、理解できる方いるの?)
ただ、個人的には、何度か出る「水」について、「水利権」という語が何度も出てくるところに着目したところです(後述)。
この映画では「水」は大切なもので、映画内で何度か登場して、その権利を争うシーンがあります。映画では専ら字幕ですが、原文は water right (水利権)で、これを明示的に定めている国(砂漠国が多いが、アメリカ等にもある)と、慣例上存在するとする日本等では解釈が違い、この「水の在り方」という部分について触れているのではないかな…と思います。
ただ、アメリカとて砂漠は一部にあっても、いわゆる砂漠国(サウジアラビア等)ではないですし、まして日本とは事情が異なる(この点も後述)ため、この部分の理解がどうなっているかわからないと結構難しいのでは…と思えます。
採点は以下まで考慮しています。
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(減点0.4/相変わらず、何を述べたいか理解が難しい)
文系ネタどっさりできた(「分離不定詞」まで登場した)フレンチ・ディスパッチ、理系ネタだらけのアステロイド・シティと違って、こちらは文系理系両方登場しますが、逆に両方登場する関係でマニアックな展開になるのは避けられず、ここまで理解しきるのは無理なのではないかなぁ…という気がします。
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(減点0.3/水利権(原文 water right)について理解がないと詰む)
砂漠国では当然のように存在し、アメリカ、イギリス、フランスほか一般的な映画先進国でもこれを権利として明示的に認める国もありますが、日本では事情が異なるため、この部分の理解ができないと大半詰みます。
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(減点なし/参考/水利権とは何か)
以下は断りがない限り、日本民法を参照します。
(民法175条)
物権は、この法律その他の法律に定めるもののほか、創設することができない。
(河川法87条)
第八十七条
一級河川、二級河川、河川区域、河川保全区域、河川予定地、河川保全立体区域又は河川予定立体区域の指定の際現に権原に基づき、(中略) 当該行為又は工作物の設置についてこの法律の規定による許可又は登録を受けたものとみなす。
いわゆる「灌漑用水」などは法律上、慣例に基づく「何らかの権利」であり、それをあえて根拠を求めると河川法に行きつくのですが、現在では「いわゆる」水利権(以下、「いわゆる」は省略)は新たに設置できません。日本で一般的な河川において、常識的な範囲で水を取ったり、あるいは灌漑用に取ってくるというのは上記の法律があるからにすぎません。そして水も「物」(ぶつ)で、慣例上認められた「みなし物権」として、民法175条としての適用を受けます(ほか、「ダム使用権」なども「みなし物権」)。
※ ただし、水を物質的にとらえて物権と解するか、物を介した債権(物権的債権)と考えるかは解釈にゆらぎがあります(いずれの解釈をとっても大半関係はしない)。
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(参考 河川法23条)
河川の流水を占用しようとする者は、国土交通省令で定めるところにより、河川管理者の許可を受けなければならない。ただし、次条に規定する発電のために河川の流水を占用しようとする場合は、この限りでない。
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日本では、日本が島国でかつては渇水や取水制限が広く行われた事情から、水利権を否定的に取る立場もあったものの、同時に日本は農業国であるため、灌漑用水などを取水する権利を否定されると農業関係ににも支障をきたすため、民法上の扱いも適当で、「常識的な範囲でやる限り特に問題なし、何か問題があったら国土交通省に聞いてね」の扱いで、日本はこの点、問題になるのは地方の農業・農家くらいしかないのですが、それとて現在では第一次産業が衰退しているので、水利権を巡る争いもほとんどないに等しく(そして、数十年に一度かという極端な取水制限のときに忘れたようにやってくる)、現在にいたります。海外では、砂漠国(サウジアラビアほか)はもちろん、水利権(water right)を明確に定めている国、ない国とが混在しており、映画内で述べているのはこの事情の話なのですが、ここまで求めるのはもう無理なんじゃないか…と思います(想定できる視聴者が謎。一般に水利権は不動産とセットで登場しますが、水利権は不動産登記法で登記できる権利として列挙されていないため、登記してもアウト判定がきます。このあたり、大半は司法書士という職業のお話。外国人の土地取得に絡むと一部行政書士絡みにもなる)。
…というより、日本で水利権だの何だのと言われても、大半理解できないので(日本国内で、灌漑用水などをテーマにしたドキュメンタリー映画ってありましたっけ?)、ここで大半詰むような気がします(というより、「水利権」なんていう語を聞いたことがない方のほうが多いのでは?日本は漢字文化圏なのでそこから類推できるに過ぎない)。
期待通りのウェス・アンダーソン的コメディ
ザ・ザ・コルダの命の狙われ方がエグいのだが
どんなピンチに陥っても死なないところが、もはやコメディであり、
面白さでもある。
娘の修道女リーズルの登場により、画面は華やぐし、
秘書ビョルンとの恋模様なんかも描かれて、
その結末にも目が離せなくなっていく。
修道女スタイルじゃないリーズルもとても魅力的。
やはり見どころは、さまざまな俳優との対峙シーン。
トム・ハンクス、スカーレット・ヨハンソン、ベネディクト・カンバーバッチ、
もうこれだけでお腹いっぱい。
ウィレム・デフォーもちょこっと出ているし、他の豪華俳優陣の共演も楽しい。
この監督の作品は好みが分かれるとは思うが、
画面の構図や色味や舞台感・セット感など、目で楽しめるので、
これだけでも一見の価値あり。
ラストは、大富豪から料理店のシェフになっているザ・ザ・コルダと
いっしょに働く娘リーズルにほっこりした。
※リーズルを演じたミア・スレアプレトンは、ケイト・ウィンスレットの娘、、、
ということは、本作をきっかけに初めて知った。
理解に苦しむ(笑)
初めまして天才!
私は心安らかだ
こないだ鑑賞してきました🎬
コルダにはベニチオ・デル・トロ🙂
相変わらず、悪人顔ですが演技は流石の一言。
娘リーズルを不器用ながら愛しているのも伺えます。
まあやってることはかなり際どいんですが、なぜか応援したくなる雰囲気がありました😀
リーズルにはミア・スレアプレトン🙂
ケイト・ウィンスレットの娘さんです😳
コルダに微妙に反発しつつも、ついていく。
修道女ならではの祈りを捧げるシーンもあり、一見冷たいながらも人間味のある女性を好演していました😀
ヌバルおじさんにはベネディクト・カンバーバッチ🙂
ストーリー終盤に登場ながら、なかなかのインパクト😳
いかにも怪しげな目つきで、強欲そうな男をこれまた魅力的に演じていました。
時々シュールな光景が繰り広げられるのは、アンダーソン監督の得意技でしょうかね🤔
言わずもがなのオールスターキャストも魅力で、それぞれキャラ立ちしています。
終わり方もスマートな印象で
「フェニキア計画」
の全貌がよくわからなかったのは私の理解力不足でしょう😅
デル・トロとスレアプレトンの共演は、いい相乗効果を生み出していましたよ👍
アンダーソン監督好きなら、見逃せない1本です🎬
良くも悪くもウェス・アンダーソン色を満喫できる
絵本を立体化したような画面の構図や色彩設計にしても、どこかとぼけた登場人物達が織り成すシュールなストーリー展開にしても、良くも悪くもウェス・アンダーソン色を満喫できる。
実業家の主人公が、後継者に指名した一人娘と、家庭教師から抜擢した秘書との3人で、投資の不足分を補填して貰うために、各地の出資者を訪ねて回るというストーリーも、単純で分かりやすい。
序盤の自家用機の墜落時に、秘書の上半身が吹き飛ばされるというショッキングな場面があったため、機内のシーンでは、新しい秘書が同じ目に遭うのではないかとハラハラさせられたし、何度墜落しても、銃で撃たれても、流砂に飲み込まれても生き延びる主人公の不死身ぶりにも笑わされた。
その一方で、主人公のキャラクターが、善人なのか悪人なのかがよく分からす、特に、各国が目の敵にするほどの悪徳実業家には見えないところには違和感を覚えるし、主人公が何度も夢で見る天国での裁判のシーンも、何が言いたいのか理解に苦しんだ。
一人娘の本当の父親は誰なのかとか、主人公は自分の妻を殺したのかといった謎にしても、それらしい答は仄めかされるのだが、その真偽は最後まで明かにならないままで、モヤモヤとした気持ちが残った。
場面、場面に、それらしい面白さはあったものの、「結局、これは、何の話だったの?」という疑問を抱いていると、エピローグで、貧しいながらも仲良く過ごしている一家の様子が描かれて、「これだったのか!」と納得することができた。
ただ、その一方で、「疎遠だった父と娘が、旅の途中で数々のトラブルを乗り越える中で絆を取り戻す」という話を語りたかったのであれば、もっと別のストーリーでも良かったのではないかとも思ってしまった
独特が持ち味だけど独特すぎる
【富に執着する大富豪、度重なる暗殺未遂を経験し、改心するの巻。ウェス・アンダーソン監督ならではの、登場人物が誰一人笑わない、相変わらずシンメトリックな構図テンコ盛り作品です。】
■大富豪のザ・ザ・コルダ(ベネチオ・デル・トロ)は、莫大な利益獲得を画策し、独立国フェニキアのインフラ整備プロジェクトを考えていた。
だが、ライバルの妨害により資金難に陥り、疎遠だった末娘リーズルズ(ミア・スレアブレトン:お初の女優)を後継に資、彼女と共に資金調達の旅に出る・・、が。
◆感想<Caution!内容に触れているかな?>
・相変わらず、大スターテンコ盛り出演である。トム・ハンクス、マチュー・アマルリック、スカーレットヨハンソン。絶品だったのはベネディクト・カンバーバッチであろう。
・トニカク、悪徳大富豪ザ・ザ・コルダのプライヴェート・ジェットが落ちる事、落ちる事。マア仕方あるまいなあ。
・だが、そんな経験をする中で何度も死にかけ、臨死体験をして天国に行ったザ・ザ・コルダは、少しづつ改心するのである。
□ウェス・アンダーソン監督作品あるある。
1.トニカク、構図がシンメトリック。今作で幾つ出て来るか数えるのも楽しい。
2.登場人物がトニカク、笑わない。笑わないったら笑わないのである。
3.美術が一見ゴージャスだが、よーく見ると意外と手作り感満載である。
4.トーンはシニカルコメディ。これを笑えない人はチョイ、キツイよ。
<資金集めに右往左往するザ・ザ・コルダの姿を揶揄して描くシニカルコメディであるが、ラストはチョイ、ホッとするね。
ヤッパリ、がめつく金を稼ぐより、大切な人と暮らすのが良いよね。>
■余計な事かもしれないが・・。初めてウェス・アンダーソン監督作品を観る方へ。
今作は、ウェス・アンダーソン監督作品としては、中位かな。(個人的感想です。)
もっと面白い作品もあるから探してみてね。じゃーね!
この監督だからなあ
風立ちぬ 今は秋
ウェス・アンダーソン。正直に言えば、この監督によって発表されたのここ数年の作品に理解がついていけていません。更に言えば、少なくとも日本で観られる(彼が監督を務めた)長編作品は全て鑑賞しているのですが、手放しに誉めたくなるほどの作品は私判定で3作(『ファンタスティック Mr.FOX』『グランド・ブダペスト・ホテル』『犬ヶ島』)だけ。それでも「ウェス・アンダーソンなら観なくちゃな、、」という勝手な強迫観念に抗えずに劇場鑑賞している気がします。確かにアート性に富んだ独特の世界観は、目を惹かれるものがありそれだけで十分に価値を感じます。また、こだわりのディテールに(ついていけているうちは)面白がったり、感心したりと素直に楽しめるのですが、ストーリー或いはテーマが掴めないと途中から惑いが勝り、後は諦めて「最後まで観続ける」ための気力を保つことに集中するのみ。そのため、彼の作品に遅刻、中座、居眠りは許されません。
本作も米国映画レビューサイトの評価は安定の高さ。シアターも混むことを想定していつもの席よりも前方をチョイスし、作品に置いて行かれないよう集中力を高めます。ところが、、大雑把に言って何が起こっているのかくらいは解るのですが、それが何なのか、どう理解したら面白いストーリーと思えるのか、「?、?、?・・・」。いや、確かに今作も間違いなく彼ならではな作品であり、その個性は作品を経るごとにどんどん極まっていて、また俳優たちによるシュールに振り切った演技も彼の作品史上でトップクラス。「アートブックそのもの」な作品性も相変わらず素晴らしいのですが、、結局のところ語られているストーリーに「だから何なのか?」の理解が及ばず、そこにダメ押しするように本筋ではないことについての溢れるばかりの情報量で脳が溶けそう。。「もう終わってくれ~」と泣きたくなる心境で102分が大変に長く感じました。
もう「ウェス・アンダーソンだから」というだけで劇場鑑賞を決めるのはやめとこう、と彼に対するチェックインを外すシャンテからの帰り道なのでした。風立ちぬ 今は秋。
作り込み、脚本も映像も上手いけど、最初は目を引くこの演技の型やユー...
作り込み、脚本も映像も上手いけど、最初は目を引くこの演技の型やユーモラスな展開も、ずっとこの調子で行くしかないので少し飽きてきてしんどくなる。オタクの世界ではある。娘と父の愛は美しいけれど。あとは、様々な駆け引き。駆け引きの背後の対立と一方での友情のような感情。実は資本主義にも他のディールにもつきもののこの感情が描かれていて面白い。
オモチャ箱
この映画では過剰シンメトリーにうなされずに済んだ。いつどこでどんな風にザー・ザーの命が狙われるのかドキドキして、ザー・ザーとリーズルのやりとりは夫婦漫才!で笑えた。ブルーのアイシャドウに真っ赤な口紅とネイル、美しいパイプをふかす白い修道女姿・リーズルを演じたミア・スレアプレトン、可愛くて頼もしい。これからどんな役を演じていくのか楽しみだ。ザー・ザーが相手の男と同時に激しくワーワー言い合ってピタッと終わるのも漫才みたいで面白かった。
靴箱を始めとしてかわいい絵柄と文字と大きさの収納グッズには強烈に心惹かれる。いい気持ちになって後半はぐっすり眠ってエンドロールになってパッと目が覚めた!カラフルで奇想天外な夢を見ていたようだった。また夢になるといけねぇ。
とりあえず、ほぼ理解できません。
凄まじい創造力で素晴らしいメンツでこんな訳わからんものを完成させてしまっていることが笑えるのかもしれません。そんな皮肉れた思いでもってこの作品を捉えて見ないと、全く笑えないかも・・・コメディーというふうに書かれていることが多いのに・・・
スタンダードの枠内に平面的カメラワークが数多く展開、話も訳わかんない─ほぼ天才の中で完結しているような物語や設定、笑いどころを必死に探してここだと無理して笑う・・・あ、でもエンドロールだけは分かりやすく笑えましたが・・・困るなぁ、面倒っちいなぁと正直─。頑張ってスタイルを確立した作家の特権、力業。それでも、作り込みや色彩、仕掛けなんかめっちゃ目を見張るところがあってキャラとか音楽とか絵だけでもかなり楽しい、かも。ウェスなんとかって─?という方は、なんだこれ・・・となること必至。でもまぁ有名人もいっぱい出てくるので楽しいと思いますよ、きっと多分
ウェス・アンダーソン監督の最新作!劇場がシュールな笑いに包まれる!
「君のフィナーレを見届けたい」
▼感想
Filmarksに招待頂きました!ありがとうございました!
ウェス・アンダーソン監督の最新作。前作「アステロイド・シティ」が難解だったから構えてたけど、今作は分かりやすいテーマになっていた。作品全体にシュールな笑いが散りばめられていて、色んなシーンで笑った!
主演のベルチオ・デル・トロ演じるザ・ザ・コルダはどこか憎めず味のある人物だった。それとひどい目にあうとちょっと笑ってしまう。スカーレット・ヨハンソンやベネディクト・カンバーバッチも存在感があった。特にカンバッチは見た目のインパクトも強烈!
セットのかわいい色づかいや章ごとにまとめられたストーリー構成、自分のウェス監督の好きな要素もちゃんと前面に出ていた。今作でウェス監督の作品がこれからも見たくなった!
▼お気に入りのシーン
ザ・ザ・コルダとヌバルおじさんの喧嘩のシーン!
このシーンはドタバタ感に笑ってしまった。笑
一段と画面から溢れかえる「情報量」と「異質さ」に眩暈を覚える
ウェス・アンダーソン監督の作品が大好物だ。毎回こちらの想像力を易々と超えてくる。あまりの異質さに「これは一体なんだ」と目が釘付けになる。それを考慮に入れても、今回は一段と異質感がハンパなく、新鮮な驚きというより、置いてけぼりをくらったような軽い眩暈を覚えた。
それはなぜだろう…。ひとつには、画面からあふれかえるゴダール作品並みの情報量のせいだろうか。各ショットにこめられた情報量はいつにも増して過密状態。たとえば、ラスト近くに至ってもなお、厨房に一見無造作に山積みされた酒瓶の1本1本が自己主張してきて視線を奪う。で、観ているこちらは、(さながら鈴木忠志の芝居のセリフみたいに)「消化不良のため、ではなく、消化過剰のためにどんどん流れて出てくる」ようなキモチに陥ってしまうのだ。
もうひとつの理由として考えられるのは、本作の劇中に天国の審判(?!)シーンが何回か挿入されることだ。厳格に様式化されたスタイルで描かれるそれは、衣装デザインなどともあいまって、「いま自分が見せられているのはセルゲイ・パラジャーノフの映画のワンシーンではないのか」と一瞬錯覚を覚えるほど。ついでに言うと、ここにはフェリーニやベルイマン作品のような宗教色も仄かに漂う。
三つめの理由としては、ベニチオ・デル・トロ演じる主人公が、過去作には類をみない悪党(?)キャラ——莫大な資産と血族を守ることに固執する傲慢不遜な男であるということだ(「悪党」という点では『犬ヶ島』の小林市長などもそうだが、主人公扱いではなかった…)。
うさん臭い大実業家であり、武器商人でもある彼が画策する「フェニキア計画」のこともあって、本作は独自の切り口によるWS版『メガロポリス』か(?!)などとヘンに気を回すも、さにあらず。見終わってみれば、これは「巨万の富を築く代償に家族を長年犠牲にしてきた男が、父娘関係を取り戻そうとする」という話だった。これはシェイクスピアの「リア王」やディケンズの「クリスマス・キャロル」などを引き合いに出すまでもなく、きわめてクラシックな文学的テーマの一つであり、今回、どストレートに古典回帰をみせたことに少々驚かされた。
四つめの理由は、本作の劇構造が、近年のウェス作品に比べて拍子抜けするくらいシンプルだったことが挙げられる。物語を幾重にも入れ子構造にするのではなく、主人公たちの行動をストレートに追っていくのだ。
その結果、前面にぐんと迫り出してきたのが、ウェス・アンダーソンの真骨頂ともいうべき表現スタイルそのものだ。尋常ではないシンメトリーな構図へのこだわり、厳格な「法則」に則ったキャメラワーク、緻密さと省略と飛躍の絶妙なコンビネーションによるストーリー展開…などがそれにあたる。
なかでも今回は、お眼鏡にかなった名作絵画やアートな調度品・小物の数々が画面を埋め尽くす——物語や登場キャラに向ける観客の関心が削がれるのも厭わずに。ふとヴィスコンティや小津安二郎作品のことが頭をよぎるくらいに…。その結果、各ショットはより重層さを増す。で、前述したように「情報量過多」の印象へとつながっていくわけだ。
ここで特筆しておきたいのは、ルノワール、マグリット、ヤン・ウェーニクス、ティルマン・リーメンシュナイダーらのホンモノの名画たちが今作のスクリーンを飾り、名優たちと拮抗してバツグンの存在感を放っているということだ(エンドロールにその詳細はクレジットされる)。
…というわけで周辺情報をダラダラ書き連ね、多彩な出演者のことまで触れる余裕がなくなってしまったが、端的に言えることは、本作がWAファンの間でも好き嫌いがハッキリと分かれそうだということ。それでも媚びることなく、これを撮り上げた監督のチカラには色んな意味で感心させられる。そしてもう一つだけ、本作は劇場のできるだけ大きなスクリーンでご覧いただくことを強くオススメしておきたい。細部まで味わい尽くすために。
自分はといえば、とても1回で消化し切れないある種の異質さ・難解さに、一層の興味を掻きたてられた。少なくとも、あと2、3回は観ずにいられない。そんなキモチにさせてくれる作品だった。
以上、試写会にて鑑賞。
父と娘の和解
政治神学的なテーマを据えた普遍的寓話
「グランド・ブタペスト・ホテル」など、シンメトリーな構図、ポップでアートな彩色でユーモアや架空の国・組織・ユニークなキャラクターの登場人物の舞台設定で人間ドラマを描いてきたウェス・アンダーソン監督。この新作では、古代フェニキア文明があった地域(現在のレバノン、シリア、イスラエル南部)を下敷きに、西側大国や資本家による中東介入、分割・占領の歴史を寓意的に描き出している。これにより、イスラエル・パレスチナをはじめとする現代の中東情勢、とりわけパレスチナ人への抑圧や西欧諸国の政治的・経済的算段を批評的に映し出しているとも解釈できるブラックユーモアな仕上がり。アンダーソン監督らしい視座で政治神学的な国家建設と契約神学を重要なテーマに据え、登場人物たちの思想的対立や倫理的ジレンマなど深みのある普遍的寓話を描いている。
架空の都市国家フェニキア1950年
武器商人の父と修道女見習いの娘
物語の舞台は1950年代、独立した複数の都市国家からなる架空の国「モダン大独立国家フェニキア」。主人公アナトール・“ザ・ザ”・コルダ(ベネチオ・デル・トロ)は兵器産業、航空産業、インフラ産業を手掛ける国際的実業家で、秘密裏の貿易も営んでいる。暴利、脱税、価格操作、賄賂など悪事の疑念の声が絶えないヨーロッパ屈指の大富豪。身辺には危険が付きまとっていた。
乗っていた自家用ジェット機爆破など6度の暗殺未遂を生き延びた“ザ・ザ”は、「モダン大独立国家フェニキア」全域に及ぶ海運・鉱山・鉄道事業の3つのインフラを整備する大規模な「フェニキア計画」に着手していた。そのプロジェクトの後継者の選定を決心をする。3人の妻とは死別。息子たちは9人いるが、修道女見習いで6年ぶりの再会となる一人娘のリーズル(ミア・スレアプレトン)を唯一の相続人にすると決めた。ただ用心深く“試用期間”を経て正式に決めると告げた。
リーズルは、周囲から“ザ・ザ”が母を殺したと聞かされ、疑念を持っていた。また父の“悪だくみで得た財産”にも嫌悪感を抱いていたが、それを資金に“大いなる善行”ができるならと思い申し出を受け入れた。“ザ・ザ”は、リーズルと家庭教師ビョルン(マイケル・セラ)を伴い、資金調達と計画推進のため大独立国家フェニキアへ向かう。
だが、“ザ・ザ”の事業を阻止するグループが市場を操作し、“ザ・ザ”膨大な資金減少に陥る。さらに刺客、裏切り者たちが次々現れ、ビジネスパートナーたちとの駆け引きや“ザ・ザ”の一族との絡み合いの中で数奇な過去まで明かされていく。“ザ・ザ”の命を狙っていたのは誰なのか、巨大プロジェクトの行へは、リーズルとは家族としての愛情と信頼関係を修復できるのか…。
映像美と寓話的演出で
政治神学的テーマに挑戦
映画中の地図には「ネブカドネザルの谷」「ソロモン海岸」「ヤロブアムの山麓」など旧約聖書に馴染みのある架空地名が並び1949年の年号が登場。48年5月はイスラエル独立に伴い第一次中東戦争が勃発。翌月、国連決議を双方が受け入れるなど幾度かの休戦を経て49年7月に停戦協定が結ばれた後の分断状況を暗に示しているのか。これらは、イスラエル建国と周辺アラブ諸国の対立開始のタイミングを想起させ、「歴史にもしもはない」一方で、西洋列強の意図的再編成を風刺的提示とも解せる。
また、アンダーソン監督の演出には現実離れした幻想的なシーンが登場するが、本作の後半では、神(ビル・マーレ―)が仲介者として登場し、宗教的対立の中で誰の解釈が正当性を有するか、と根源的問いを立てる。これはユダヤ教・イスラム教・キリスト教の聖地をめぐる争いそのものへのメタファーともいえる。“ザ・ザ”の娘リーズルが「奴隷に賃金を支払うこと」を提唱する挿話なども、パレスチナ人労働者の人権回復や基本的人権を無視した経済支配へのアンチテーゼか。いわば観る者への「帝国的理論からの解放」と「非抑圧者の人権回復」への問いが投げかけられている。
本作は、神学的政治哲学的な問いをエンターテイメントに昇華させた稀有な作品。聖書の視点からは、神の主権と人間の自由の緊張関係、共同体形成における契約の意義、個人の良心と公共善のバランス、といったテーマが深く刺さってくる。
ウェスアンダーソン好きな方におすすめ
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