旅と日々のレビュー・感想・評価
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脚本家の作品世界と日常と、旅のちょっとした出来事に身を浸す心地よい時間。 シム・ウンギョンが自然体でリアルで、実にチャーミング。俳優然とした色が薄まった堤真一がちょうど良くていい。短いのが残念。
けだるい夏の砂浜から雪深い山の静かな雰囲気に浸っていたら突然タイトルが出てびっくり。
タイトル出るの遅かったなぁーと思ったら終わりだった!
雪山の静かで穏やかな雰囲気が心地よかっただけに、もう終わり?とショックでした。
もっと観ていたかった。
シム・ウンギョンの存在感が素晴らしい。
自信無さげ、でもユーモラスなシーンもあり、映画の主人公そのままで、実に自然でしかもチャーミング。
堤真一は最初よく見ても誰が演じているのかわからなかったが、俳優然とした個性が薄まって、登場人物そのものに近くなっていたのが良かったです。
期待せず、どのような映画なのか
ある程度、細かいことは気にせずに観ました。直前に、爆弾を観たので、よりのんびりとした空間にいる感じでした😀
日々の日常での言葉等から解放される緩やかな時間(旅)も必要ってことなのかな。その旅でのちょっとした出来事で、少しでも前向きな気持ちでいつもの日々に戻ることが出来る。焦らなくて良いゆっくりで良い、そんなことを感じました😀
テンポが緩やかだったので、色々考えながら観れました。
河合優実さん、高田万作さんの前半も、シム・ウンギョンさん、堤真一さんの後半も良かった😎
たまには何も考えずふらっと旅をしたいなあと思った。ただ海をみるだけとか、ただ旅館に泊まって近くの景色を見るだけとか笑笑
こいにこいする
映画から遠いところに佇む映画
『ケイコ目を澄ませて』(2022)・『夜明けのすべて』(2024) と観る者を驚かせつつ強く揺さぶり続けた三宅唱監督の新作です。
本作で一番印象的だったのは「言葉から遠い所で佇んでいたい」「私は言葉の檻に居る」と語るシム・ウンギョンさんの言葉でした。でも、その思いを伝えるには言葉がなくてはならないという自家撞着に陥ってしまいます。それが上の言葉に続く「しかし、いつも言葉に捕まってしまう」という事なのでしょう。
そうだよなぁと思います。「意味」とか「解釈」「分析」の様な物に僕も疲れ切っていると感じます。でも、だからと言ってそれを表す「言葉」のない世界に行ったら不安で堪らなくなる事でしょう。
同じ様に三宅監督も、 感動・共感・主張といった映画がこれまで背負わされて来た物から遠い作品を撮りたかったのかもと感じました。でも、それを表すのは「映画から遠い所で佇む映画」が必要なのです。
本作は、観終えてから時間が経てば経つほど色んな思いがジワジワ滲み出て来ます。これぞ映画の最高の愉楽のひとときです。
そして本作には励ましの特別な言葉がある訳ではないのですが、観終えてから「さあ、明日もがんばるか」と、う~んと伸びをしたくなりました。
期待大きくて…追記
三宅唱監督、前2作が共に年間ベスト級にめちゃめちゃ良かったので期待値が上がりすぎてました。河合優実でつげ義春の「海辺の叙景」が映像化されたのはもちろん物凄く喜ばしいことなんだが、所詮劇中劇の位置付けで、これ、独立した短編として仕上げて欲しかったな。とにかくそれを囲む本筋側に乗り切れなかったので仕方がない。もしかしたらドルビーシネマ仕様かと思うほど暗い画面に、話す内容の高度さにマッチしないシムウンギョンの日本語(簡単な言い回しに変えても映画の質は落ちないよ。小栗旬のドラマに出てくるハンヒョジュが上手くて要求レベルが上がってます。)後半うとうとしてしまい、ミンティアが欠かせなかった。残念。
追記
マイナスの補足。「海辺の叙景」が4点なんだが入れ子構造にしてしまったことで後半の一要素として捉えるべき(李が出来ていないと思い込んでしまった要因)とするとそこすら2点に引きずられてしまうのだオイラの頭。
先ず言葉ありき
『つげ義春』の漫画、
〔海辺の叙景〕と〔ほんやら洞のべんさん〕の二作を
原作にしていると、エンドロールでクレジットされる。
〔海辺の叙景〕は劇中で上映される映画作品として使用。
『河合優実』演じる、車に乗っていた若い女性が
浜辺で若い男性に逢い親しく言葉を交わす。
嵐が迫る海の中を誘い合い泳ぐシーンは印象的。
二人の間は、言葉で埋め尽くされている。
件の映画の脚本を書いたのは主人公の『李(シム・ウンギョン)』。
大学での上映会後のティーチインで、
学生の質問に対し「自分には才能が無い」と吐露してしまう。
(おそらく)韓国人の彼女は、日本に来た当初は
何もかもが新鮮で刺激的だったハズ。
それが今は日常に埋もれてしまい。
もはや新たに言葉を紡ぎ出せないでいる。
『李』はあてどない旅に出る。
トンネルを抜けるとそこは雪国で、
夜の外が白くなる。
まさに『川端康成』が描いた情景。
彷徨った後に山奥の宿に辿り着き、
主人の『べん造(堤真一)』の厄介になる。
以降が〔ほんやら洞のべんさん〕での展開。
ここで『堤真一』がいい味を出している。
訥々とした語り口。
仙人のような暮らしぶりなのに、
それなりの世俗への欲はあり。
彼と幾日かを過ごすうちに、
次第に主人公の心は解れ開かれ、
書くべき言葉を取り戻す。
九十分ほどの小品はドラマチックな事件が起きるわけではない。
が、思わずくすりと笑いを漏らしてしまう会話が冴えている。
登場人物たちは皆良き人で、
醸し出す善意がじわじわと観る者の心に沁みて来る。
言葉と対峙していた主人公は、
やがて自家薬籠中のものとする。
とは言え、雪の積もった道を帰る彼女の足取りは、
けして軽やかでもまっすぐでもないのだが。
「第78回ロカルノ国際映画祭 インターナショナル・コンペティション部門」での
「金豹賞《グランプリ》」「ヤング審査員賞」受賞とポスターにも書かれている。
(身につまされる)書けないでいる脚本家
日本の原風景
主人公を助ける朴訥な宿の主人
体験を経ての再生
異国の審査員の琴線に触れる要素は、幾つも揃っている。
平昌じゃなくてピョンちゃん
良い意味で"無"
旅と日々
僕らが旅に出る理由
三宅唱×つげ義春「旅と日々」完璧な映像と脚本と演出の映画でしか得られない多幸感が詰まった傑作。そして後半は場内で笑いが起こるまさかの優れたコメディです、マジで。前半「海辺の情景」編で、日常に行き詰まった2人の出会いと微妙な距離感の河合優実と高田万作のシーンも素晴らしいけど、前作「夜明けのすべて」で素晴らしかった松村北斗が光を浴びながら自転車に乗る希望のシーンをシム・ウンギョンがノートに脚本を書くシーンだけでやってしまうのがすごかったです。
あと「海辺の情景」編で河合優実が浜辺に着くまでのぶらぶらと歩くシーンも素晴らしかったな、ナミビアの砂漠の序盤のシーンを思い出した。今、映画で歩かせたら世界No. 1
風が吹いている、言葉を求めている
2025年。三宅唱監督。①夏の終わりの島になんとなく来ている若い女は、海辺に一人でいる若い男と出会う。何気なくお互いの境遇を話し合う二人。別れが迫った日、二人は台風で荒れた海へと泳ぎ出す。②という映画の脚本を書いた女性は仕事に行き詰っている。旅に出た東北地方の雪国でようやく見つけた民宿は変わった男が1人で経営していた。仕事も進まないなか、何気ない男との話のなかで、錦鯉の養殖をしようという話になって。
①も②もつげ義春原作の物語を元にしている。二つの物語のつなぎ方がすばらしい。旅をする女性の映画(フィクション)を作った女性が実際に旅をする(現実)という構図。フィクションをなぞる現実。言葉で世界をつくりあげることと、身体で体験すること。しかも、フィクション世界のなかの人物(河合優実)も妙にリアルな身体性をもって迫ってくる。また、フィクション世界でも現実世界でも海の波、山の木々、川の流れが、常に風に吹かれて揺れており、ここにしかない物質性を表している。ひとまず、身体/物質の映画だといえるだろう。「自然」の撮り方がすばらしいってことだ。
一方で、フィクションと現実をつなぐ脚本家は言葉を求めている。脚本は書こうとして書けないが、日記のようなモノローグが語られる。その文章が的確で胸に響く。①も②も人物たちに交流が生まれるのは、なにかが起るからではなく、なにげない会話からだ。つまり、言葉/会話の映画でもある。「人間関係」の撮り方がすばらしいってことだ。
三宅監督の作品「ケイコ 目を澄ませて」でも「夜明けのすべて」でも、言葉あるいは書くことが重要なテーマになっていた。この映画もまたその系譜にあるといえるだろう。
いい映画を見た。
鯉は美味しいのだろうか
リアリズムの宿
言葉の誕生によって私達は多大な恩恵を受けてきましたが、それと引き換えにもう世界を言葉を介してではないとみれなくなってしまっています。赤ちゃんや数十万年前の人類のようにありのままに世界を見る事ができなくなっているわけですから、そう考えると恐ろしいのですが恐ろしいと思っていないで日々過ごしているのでそれはまた別の意味で恐ろしいと思います。
芸術というものは基本、この厄介な「言葉」というものを取っ払って世界をこちらに提示するというのが任務だと私は思ってます。絵も音楽も、言葉を使って作り上げる小説でさえ同じだと思います。
つげ義春の漫画の面白さを私には到底説明する事はできませんが、私「俺あの場面めっちゃ好きなんだよね」友人「めっちゃわかる俺もちょー好き」私「な、だよな」みたいな話にはなります。
主人公の女性が書きたい脚本とはまさにそういうもので、言葉の檻からどうやって逃れることができるかという事と格闘しています。孤独がテーマとか〇〇がテーマとかそんな矮小化されたものは作りたくないと思っているのです。しかし自分の脚本作品は〝それっぽい何か〟にしかなっておらず落ち込みます。
そしてあることがきっかけで彼女はカメラを手に入れます。弟の方の佐野史郎が言うように写真を撮るという行為がなんか楽しい、というのは人によってはシャッターを切る瞬間言葉から解放されているからではないかと推測します。そんな新しい武器?を持ち旅に出ます北国に。そしてあるカットで私の脳裏に国境の長いトンネル、、、という文章が反射的に浮かんでしまい言葉に支配されている事を痛感し、彼女の問題は私の問題にもなってきます。
この辺りから話は後半に入って行き、最後までいい緊張感を持ったまま本当に面白く観れました。
堤真一とのやり取りの中で主人公が自分達の経験した事をメタ的にみているという内容の事を話すると、おめえよく喋るなというような事を堤真一が言います。そのセリフが私にとってこの作品のパンチラインでした。そしてこのセリフを書ける三宅唱監督、やっぱり凄いとと今回も前作同様確認させて頂きました。尺も私には丁度良い。
これはヒーリングムービー 眠気との戦い
よかったです。
映画と関係なくて申し訳ないのですが、シム・ウンギョンさん、今話題の伊東市田久保元市長にしか見えませんでした。
暗闇を抜けたら、暗闇は電車のトンネルで線路沿いに雪に埋もれた墓(人の生活)が続く。
いいですね。
そこはかとない可笑しみが楽しい
つげ義春の「海辺の叙景」と「ほんやら洞のべんさん」を原作とする映画。
作者の分身かと思われる人物が登場する以外に共通点のないこの2作品をどうつなぐのか、
と思ったら、上手かった。
* * *
脚本家である李さん(シム・ウギョン)が
監督からの依頼で「海辺の叙景」映画化の脚本を書く、
という場面から始まり、
その映画が30分ほどで終了するとそこは
大学の映画製作にかかわる学科の授業あるいはイベントらしく、
監督と李さんが舞台で学生からの質問を受ける場面――これは意表を突かれた。
そこで李さんは学生から感想を聞かれ、
「私は才能がないなと思いました」とか言っちゃう。
脚本を書いた三宅監督がそう言わせてると思うと、なんか面白い。
実際には、その「映画内映画」の後半は、
画も台詞もまさに原作そのもので、
つげ風味満載だったんだけれど。
そして河合優美の色っぽさについての
魚沼先生(佐野史郎)の述べた感想は、
おそらく三宅監督の感想だったんだろう。
ちなみに原作の舞台は千葉県らしいが、
映画は神津島で撮ったみたい。
* * *
後半(というかメイン)の舞台は、
原作では新潟の魚沼あたり(魚沼先生という名前が原作リスペクトのしるしか)
だが、映画では山形らしい。
短編27ページの原作の本筋は変えず、
行間を膨らませた約50分もまた、とくにその間合いが、
まさしく原作の世界だった。
1967年の作品で、なおかつ
戦前の漫画(たとえば「のらくろ」)のような言い回しがしばしば出てくる原作の台詞が、
シム・ウギョンさんがしゃべると、とってもハマって聞こえたから不思議。
そして、
そこはかとない可笑しみが楽しく。
そういうわけで、
とっても楽しめたのでありました♪
自分には高尚でした。。
「ケイコ目を澄ませて」「夜明けのすべて」「新聞記者」は各々お気に入りなのですが、この作品は個人的にピンとこなくて、後半は寝てしまいました。その後週刊文春の映画評見たら、評論家各位から絶賛されており、映画賞も獲得されており、相性なんだなと思いました。前半の河合優美パートは良かったのですが、河合優美がお気に入りだからなのでしょう。
東北弁
「ケイコ目を澄ませて」「夜明けのすべて」の三宅唱監督最新作ということで
主演がシム・ウンギョン、「サニー永遠の仲間たち」高校時代のイム・ナミですよ~
「新聞記者」でも流暢な日本語を喋っていましたが、今作でも独特の存在感
話自体はドラマティックな展開はなく、淡々と進んでいき、観る人によっては退屈な話ですが…
河合優実はいつも素晴らしいのですが、個人的に目を引いたのは堤真一
後半、東北旅行に出掛けたシム・ウンギョンが宿主!?の堤真一とのアーダコーダ展開が今作の白眉
映像が暗くあまり顔がわからないなか、堤真一の東北弁(ズーズー弁)が結構ハマっていて違和感がなかったデスヨ~(エンドクレジットで堤真一だと解ったくらい)
シム・ウンギョンの日本語と堤真一の東北弁の会話がなんともいえない可笑しさで、そこだけ一人笑っていましたよ(゚∀゚)
今作地味な話ですが、映画好きには刺さる作品かと…
最後に、冬の東北の景色はどこ行ってもあまり変わらないんだな、と思った次第(あくまで東北出身者の意見)
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