旅と日々のレビュー・感想・評価
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作家の矜持と哀しみと可笑しさ
私は原作は未読だが、つげ義春の短編漫画「海辺の叙景」、「ほんやら洞のべんさん」を原作に撮り上げた映画。
「海辺の叙景」を上映後、脚本家の李を演じるシム・ウンギョンは学生からの質問に「私には才能がない」と答えて、自らの悩みを吐露する。
私はここで、ウディ・アレンの「スターダストメモリー」を思い出した。
「スターダストメモリー」も創作に悩む、監督の苦悩を描いており、作家やクリエイターの矜持や苦悩をシリアスにならずとも、シニカルな視点で表現されていた。
それにしても「海辺の叙景」の河合優実の存在感に圧倒する。
情欲とは違う、日常における無意識のエロティックが「海辺の叙景」には描かれており、海辺の湿った空気感と気怠さが表現されていた。
事実、観客は河合優実に釘付けになる。
そこから学生のセミナーにシーンが変わり、これが「海辺の叙景」が作品であったことに気づいた。
私は混乱した。
確信犯的な演出だったかもしれない。
「海辺の叙景」から、セミナーでの学生への質問に、「自分には才能がない」と答えるシム・ウンギョン。佐野史郎演じる関係者に宥められる。しかしこの関係者が急死。挨拶に向かうもこの関係者の弟役がまたしても佐野史郎。
双子の兄弟であった。
このシーンにも観客を簡単に理解させない、モヤモヤ感を意図的に感じさせたと感じた。
「才能」への苦悩を解消する為に旅に出るシム・ウンギョン。
そしてここからが「ほんやら洞のべんさん」
宿を予約せずに旅に出てしまい、案の定どこも満室。
やっと探してたどり着いた宿。
この宿の主人・べん造を堤真一が演じている。
この作品の前半「海辺の叙景」の導入部はわかりづらいのである。
河合優実に引っ張られたのであった。
学生のセミナーの質疑応答で私は理解した程であった。
しかし「ほんやら洞のべんさん」は自然に入っていく。旅に出るシム・ウンギョンが宿を探すシーンから「ほんやら洞のべんさん」に自然に導入されるので違和感を抱かなかった。
宿の主人・べん造を堤真一が演じているが、不思議な男であり、雪山での一人暮らしと家族との別れで一人暮らし。
ぶっきらぼうだけど繊細さを感じる食事。
静寂な雪山に佇む宿に、響くイビキ。
人や日常生活は相反する中で生きていて、矛盾の中に人間は存在する。そんなことに気づいた。
途中で子供に会うも、変わらずの親子関係であるが、抱っこだけは拒否されてしまう。
可笑しさと哀しみは表裏一体である。
全編通して鑑賞すると、この作品は実験的作品とも言え、不思議な時間を過ごした感がある。
そしてこの実験的作品が洗練され、新たな世界を見出した時、世間はどのように評価するのか。
その時代を待ちたい。
つげ義春ワールド 的な 何も起・・・・普通感はなかなか良い。
つげ義春さん映画は 『無能の人 竹中直人監督』以来だけれども
図書館で漫画全集借りたし 一部コミック購入した 独特の世界観がたまらない。『ねじ式』の漫画は最高ですね。
そんな つげ義春さんが ご存命で 数々の勲章的な受賞 旭日なんやら賞 とか存じ上げず。
もう雰囲気がいいんだよね つげ義春さんの漫画。俺は大好き❤ 自然体 日常。
ただし 俺は高度成長期生まれだから つげ義春さん現役世代では無い。
本作は なかなか つげ義春ワールドで良い。
何にも起こら無いカモ🦆な ただ その 心象というか情景を味わう作品カモ🦆スクリーンで味わって‼️
有料パンフ🈶は有能で満点💯完読
そこで『ホテルのインバウンド』的なヒントが出てて 開眼。
スマホも📱その他もいろいろ無いけれども つげ義春さんの1960を現代にしてるかもな
① 宿屋というか民家
②お風呂どうする
③女性が一人で❓
とか 邪念は払いなさい。作品に集中するのです 命令口調ですまん。
ちなみに前の列のカップル👭は、明るくなった後
『宿泊料どうするの いくらくらい❓』
って語ってました
少なくとも PayPay クレカ💳は使えないカモなぁ。スクリーンで確認を。
でもねぇ テレビで 『ぶらり途中下車の旅』とかやってるけども
人間 なかなか ぶらり途中下車 無計画は 実行できません そういう意味でファンタジー&自然体
韓国の女優さん主人公は 大健闘。日韓 韓日親善❗️
でも 堤真一さんが素晴らしい👍
あっ 有料パンフにロケ地マップ 海🌊&雪❄️☃️乗ってます。
でもね 俺的に最高に良かったのは 少女の河合優実さんの 生々しい😍無機質な エロス😍でした。
不思議ちゃん作品 是非スクリーンで確認して❗️
可笑しみがじわる、美しく静かな作品
久々に満員に近い入りで、単館系映画を観る。シャンテシネの背の低い椅子は、周りの観客の挙動が視界に入るのだった。最初はいちいち目についたが、途中から集中できて気にならなくなる。自分が慣れたのか、俳優さんの演技の力か、物語の力か。
つげ原作ということで、難解かもと覚悟して鑑賞したが、シュールな表現はなくただ淡々と具現化された映像。
冬のパートはセリフをかみしめると、いろいろ想像が広がる。
「いっぺ、お客さま来てもらえる」 宿の主人は世捨て人ではないのか。経済的に潤いたい気持ちはあるのね。でも他力本願か。
「背、伸びたか?」 まあまあ頻繁に顔は合わせてるのね。ということは、ちょいちょいこの家に来てるの?
「お庭」 元妻。元夫とはだいぶ離れた環境にいるセリフ。
「すごい熱」 本当に? 本当なら警察が病院に連れて行ってくれる関係性って近いね。本当じゃないなら、やんわりと署に連行する口実か?
などと想像しつつの89分。
のんびり余白が多い
身も蓋もない事を言ってしまうと、主人公が韓国人の脚本家なのは何故だろう?
韓国語で書いて、日本語に翻訳してセリフにしてって、二度手間じゃないのかね?
辿々しい日本語を話す韓国人と、ぶっきらぼうな宿主の交流を描くには波長が合うからなのか。
宿のことを書けと言いながら、質問に答えないとか、あんな無愛想な人、普通だったら帰っちゃうもんね。
鄙びた所にに泊まってみたいという需要はありそうだけど。
河合さんパートは、嫌いじゃないけど謎だらけでよく分からんと思ったら、そういう構成なのね。
夏の海と冬の山、良いコントラスト。
警察に怒られたくらいで、特に大きな出来事もなく、ゆったりのんびり。
パトカーも、わざわざサイレン鳴らして来る必要があるのか、緊急事態でもなければ、そもそも他に車走ってないんじゃないか。
こういうのんびりしていて、余白の多い映画は好きだなぁ。年1くらいで観たい。
ちょすなって久っしぶりに聞いた。
思い出の中のような映画
【"失意から再生する漂泊の旅。”今作は人生に迷う在日韓国人脚本家が、鄙びた海辺での若き男女の出会いを映画化するも失意を感じ、その後鄙びた冬の庄内を旅する中で仄かな未来の灯を見つける作品である。】
ー エンドロールで、今作はつげ義春の短編旅漫画「海辺の叙景」と「ほんやら洞のべんさん」を構成したと流れる。
特に、後半の在日韓国人脚本家、李(シム・ウンギョン)が山形の庄内地方の鄙びた宿に泊まり、心をゆっくりと再生していくパートは、良かったモノである。
私が、3年間庄内平野で過ごした事も関係しているかもしれないが・・。-
■「海辺の叙景」を原作にした脚本を書いた李は、映画を学ぶ学生たちに試写会でその映画を見せた後に、質疑応答で感想を問われ”私には才能が無いと思いました・・。”と寂し気な表情で口にする。
その授業を担当した魚沼教授(佐野史郎)が急逝し、彼の双子の弟(佐野史郎:二役)から形見でカメラを貰う。
彼女はそれを持ち、雪深い庄内(と思われる。劇中で宿の主人べんぞう(堤真一)が喋る言葉が、庄内弁ソックリだからである。だが、場所は東北の何処かで良い。)に出向き、予約なしで行ったため次々に宿泊を断られ、漸く到着したのが屋根に雪がこんもりと降り積もったオンボロ宿だったのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・前半の「海辺の叙景」を原作にした、真夏の海辺を舞台にした若き女性(河合優実)と若き男(高田万作)の出会いを描いたパートは、李が失意を感じたようにやや単調である。
だが、セパレートの水着を身に着けて、台風が近づく海を泳ぐ若き女性を演じる河合優実の憂いある存在感は、抜群である。男を演じた高田の虚無感を漂わせる様も個人的には好きである。
・そして、魚沼教授の死を挟み、物語は李自身が雪ぶかき東北の庄内地方を旅する後半に繋がれるのである。
・李が屋根に雪がこんもりと降り積もったオンボロ宿に、漸く夜に到着するシーンでハイアングルで映し出されるシーンは少し驚く。つげ義春が描いた”ほんやら洞”にソックリだからである。
そして、李とべんさんが交わす会話が良いのだなあ。
べんさん:”アンタは何をしている人?”
李:”一応、脚本家です・・。”
べんさん:”じゃ、おらいを描いたらいいべや。”(おらい=おらの家と言う意味の庄内弁)
・そして、李はオンボロのべんさんの家の中を眺めて”貴方は、一人住まい何ですか?”と聞くのである。あちこちに、一人住まいで無かった形跡があるからである。そして、徐々に彼の妻子が少し前に大きな家の主の家に移った事が分かるのである。
それ故にか、二人はお互いに似た境遇にある事を感じたのか分からないが、ちょっとした冒険に出るのである。李は一応反対するが・・。
・それは、べんさんの別れた妻の家で飼っている数百万はするという錦鯉を盗む事である。べんさんはそこで幼い息子と出会い、口止めをし、コッソリと池から一匹錦鯉を頂戴し、木の桶に入れて持ち帰るのだが、余りの寒さに錦鯉が入った水は氷になっているのである。序でに李は大切なカメラを忘れて来るのである。
そして、その錦鯉を囲炉裏で焼いて食べようとする李。彼女は言うのである。”数百万する鯉の味はどうですかね。”
ー このシーンにはユーモアがある。場内から少し笑い声が上がる。李の表情もどこかリラックスしているようである。-
・そして、警察が来る訳だが、幼い息子は言いつけを守っていて、熱があったべんぞうはパトロールカーに乗せてもらうのである。
一人、宿に残された李は、翌朝に布団を畳み掃除をして、足首まで積もる雪の中をツボ足で、よたよたと歩いて行くのだが、その姿は来る時と違い、何処か楽し気なのである。
<今作は人生に迷う在日韓国人脚本家が、鄙びた海辺での若き男女の出会いを映画化するも失意を感じ、その後に、鄙びた冬の庄内を旅する中で仄かな未来の灯を見つける作品なのである。そして、個人的にとても風合の良い作品だとも思った作品でもある。>
三宅唱は最強のなんでも屋だと思う
とてもいい映画時間が流れている。「旅と日々」ってそのまんまだ。スタンダードの画が劇場に聳り立っていた。
つげ義春といえばつげ義春だよな、と思いながら、ああ、「海辺の叙景」をやっているのかと気づいて、なるほどこれを三宅監督がね〜 なるほど〜あそこはこうするのか、とか見ていたが前半は優秀すぎては〜みたいな感じで眺めているが、おっ、そこに繋がるか、というところでのシムウンギョンパートが始まってからがこの映画の本来の、というか三宅唱的な呼吸が始まる、って感じ。
前半のいわば「海辺の叙景」みたいなのが全編に渡るとキツイな、と正直思ってたところらでこのスイッチが入り、そこからはあ〜お見事、って感じ。なので一粒で二度美味しい作りになっていた。河合優実には河合優実の良さを活かしたフィクションで現代版のつげをかなり攻め攻めで狙い、シムウンギョンではシムウンギョンの優しさと個人のアイデンティティも活かしてそれでいてつげ義春をやるという。。
なぜ今つげ義春? それをどうしたいの? と思っていると、そこはシムウンギョンならわかる、というところに押さえ込んでるのが見事。
映画の成り立ちには色々あるだろう。原作本を相談されたりなんだり。いくらつげ義春が好きと言ってもそんなので現代映画として商売になるのか、と思ったらなっていた。更に山下敦弘の「リアリズムの宿」まで思い出しつつ。まあでも三宅唱には何渡したって良さそうだな。「呪怨」とかも引き出しあるし。次はポンジュノのようにジャンルものでもやってみたらどうかと思った。まあ観客にとっては何にも関係ないけど、そこの接点をちゃんと作り出していて現代映画の呼吸に変えているアイデアが本当にクレバー。「劇中劇」「シナリオライター」「スタンダードで夏と冬」 ある意味とってもパーソナルで豪華。表現の自由も手に入れてる感じ。
ウンギョンでないと笑えない、ウンギョンでないとあの雰囲気にはならない、そんな空気が作られていて、おそらくシム・ウンギョンがつげ義春的な人でもあったのだ、と思える。三宅唱は最強の商業映画監督なのだと今は思っている。
静謐の中から見える微かな光
本作は、主人公の脚本家 李(シム・ウンギョン)のストーリーと
李が書いた脚本の映画(映画内映画)の入れ子構造となっている。
まずはその映画作品が素晴らしく、渚(河合優実)と夏男(高田万作)の感情の抑揚のない
やりとりが実に良く、海岸の風景や海辺の街明かりも三宅唱監督ならではの質感で
美しいなあと思った。
そして河合優実から漂うエロスオーラがハンパなく見入ってしまうほど。
そして荒れた暗い海でのダークなエンディングもまたせつないし悲しい気持ちに。
もうひとつの作品にまで昇華しているクオリティで、
これだけでも短編として満足いく出来。
なかなか脚本が書けない李は、
魚沼教授(佐野史郎)から旅を勧められ、教授の弟からカメラを無理やりもらわされ、
本当に旅に出る李だが、
山奥での宿主べん造(堤真一)とのやりとりが何ともクスッと笑えるのが実に良い。
べん造も李も自然体だ。
べん造の方言というか訛りが独特な雰囲気があって、
何言っているかわかんないシーンも多々あった(笑)
だが、それがいい。
本作唯一のコンフリクトは、べん造の元妻と子どもが住む家の庭で
李のカメラが見つかり、警察沙汰になる場面。
そんなことで警察がくる?と思ったけれど、これはこれで面白いから良いのだ。
旅で刺激や元気をもらったに違いない李は、脚本が書けるようになったようだ。
つげ義春の原作は読んでいないあるいは完全に忘れているが、実に雰囲気はそれっぽい。
静謐な中に微かな光を見たような、気持ちの良い鑑賞後感であった。
テレビでは出来ないストーリー
風景が物語を雄弁に語る
街の風景から始まり、島の海、坂、風で揺れる木々、雨の海、トンネルの先の雪、寂しい冬の川、雪に埋もれる家屋、夜の雪景色、など、この映画は風景を見せる映画だ。
その風景の圧倒的な力を画面いっぱいに味わい尽くす映画。
それは、つげ義春漫画の人物と背景のコントラストの魅力と似ていて(人物はあくまでマンガ的に、風景は極めて写実的に)ああこれはとてもよいつげ義春映画だ!と嬉しくなりました。
海辺の叙景パートでは、このまま命を失ってもいっそいいかもしれない危うさ、ほんやら洞パートでは旅を経て人が回復するプロセスをじっくりと描かれていて、一本の映画でしっかり短編2つの魅力がしっかりと描かれていました。
役者たち、特にどちらのパートの主人公たちがつげ義春印の見た目を感じて嬉しくなりました。
やっぱり、つげ義春は素晴らしい
漫画誌「ガロ」の全盛期を支えた、天才つげ義春の「海辺の叙景」と「ほんやら洞のべんさん」の二作品を原作として、映画化したもの。
両方の作品とも、異質の2人が出会い、だんだんコミュニケートしていく様が面白かった。だから「旅と日々」という題名をつけたんでしょう(非日常と日常)。
「海辺の叙景」では、都会から来た影のある若い女性役を、河合優実が演じた。
寒天を、天草を海で採ってきて家で作っていたことを思い出した(私の出身は和歌山の串本)。
今回ポイントの一つと思っていたラストの、女が「いい感じよ」と言う、漫画だと見開き1ページで大胆につげさんが描いたところは、残念ながらつげ漫画の圧勝だったかな(まああの絵の迫力は映像化できないでしょう)。
また、宿の主人べんさん役は堤真一だった。最後の方でべんさんがスランプの脚本家に「おめえはベラベラとよくしゃべるのう」と言ったのが、脚本家がスランプを脱出できそうで良かった。
旅行好きのつげさんらしく、大した目的もない、でも意味の多い景色がたくさん出てきて、なかなか渋い作品だった。つげさんもカメラで、風景を盛んに撮っていたらしい。(ちなみに私も旅も写真を撮るのも大好き。街道(東海道とか長崎街道など)を1日二十キロ位歩き、風景とかをパシャパシャ撮りまくる。大体8秒に1枚位。)
あえて言えば、べんさんの言葉が方言がきつく僕の耳では聞き取りづらいところがあった(そのほうが異質感が強まるんだろうけど)。
あと河合優実のビキニ姿が眩しかった。
つげ義春の2作品がもとになっているらしいが未読。 前半はうつらうつ...
つげ義春の2作品がもとになっているらしいが未読。
前半はうつらうつらしてしまった…
それくらい音と映像が心地良かったというのはあるけど、一瞬居眠りしても問題ないくらいには何も起こらない。
場面場面はすごく良かったけど、なんだか掴みどころがなくて、なんでもない時間を撮ってるようですごく非現実的というか、違和感みたいなものがずっとあった。
当たり前なんだけど、いかにも作り物を観てるなという感覚というか…私は全然入り込めてなかったということなんだろうな。
確かに旅には出たくなるし、頭を空っぽにはできた。
後半の堤真一とシム・ウンギョンの2人のやりとりはじわじわ来るおかしみがあって良かった。
あと、夜のシーンが映画館で観ても本当に真っ暗。ライターつける瞬間は好きだった。
つげ義春作品
多分、映画の時代設定も1960~1970年代なのでしょう
映画が始まって最初に驚きました。画像のサイズは3:4くらいで昔の16mmフィルム映画を見ているような感覚です(私の見た映画館だけということではないでしょう)画像も現在の4K 8Kと言った鮮明なものではなく、何となくピントの甘いフィルム映画風の画面です。若い人が見れば「新鮮な感覚」と思うのかも知れませんが、優先席に躊躇なく座れる年齢の私からすれば1960~1970年代製作の映画を見ている感じになりました。多分、映画の時代設定も1960~1970年代なのでしょう。
今の時代によくこんなレトロな映画を作ったと思います。○○映画祭では評価が高いのかも知れませんが、制作者の思い込みによる自己満足的な映画ですので、一部の映画マニアの評価だけでしょう。
今に配信で安価(もしくはCMが付くけど無料)で見ることができるようになるかと思います。それから見ても十分です。
全205件中、161~180件目を表示
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