旅と日々のレビュー・感想・評価
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理解不能でした。監督の前作、ネームバリューで観てみましたが良さがほ...
理解不能でした。監督の前作、ネームバリューで観てみましたが良さがほぼ理解できなかった。
前半は割と良かった。河合優実は顔が小さくスタイルもいい。話し方に色気がある。相手役の俳優も同じトーンで良かった。
後半はまったく受付ない。画面が暗すぎるし、宿の主人と同部屋なんていくらなんでもあり得ない。襲われたらどうするんだ!
学生との質疑応答も何だかなあ。
イモトとイビキ男
【所感】
つげ義春の漫画は子どものころに読んで、どうにも気色悪く感じて以来、ずっと苦手でした。ところが、週刊文春で高評価を得ていたので、だまされたつもりで観てみました。結果としては、また文春にうまくだまされました。文春あ砲。
映画が始まってすぐ、導入部が「シャイニング」みたいだな」と思いました。けれど、冒頭30分ほどは眠くて眠くて、まるで夢の中で展開されるような、ぼんやりした世界。北野映画のつまらないシーンだけを集めたような印象すら受けました。北野ブルーのような映像も見られます。
主演のシム・ウンギョンは、以前ドラマで見たときから、イッテQのイモトに似ているなと感じていて、当時は途中まで本当にイモトだと思い込んでいました。今回の作品でも、やはり似ています。眉毛メイクを外した、日本語片言のイモトという感じです。
脚本家という役柄ながら、鉛筆の持ち方が妙に独特で、気になりました。ただし、朴訥として、少しとぼけた演技は似合ってました。堤真一は、初老のボロ宿屋の主人が意外にもはまり役で、特に、いびきの演技が見事。亡くなった父親のいびきのうるささを思い出し、胸に響きました。佐野史郎の設定には、ちょっと笑ってしまいました。河合優実はもったいない使い方。
物語は、中盤以降からようやく、少し面白くなりそうな気配を見せますが、気配を見せたままさらっと終わってしまいます。
私としては、少し似た雰囲気のジュリー主演作「土を喰らう十二ヵ月」の方が、田舎めしの描写も美味しそうで、映画としても格段に面白かったです。
今作は、くすっと笑えるシーンもありますが、私にはやはり、少し肌に合わない作品でした。いっそのこと、イモトを主演にして、もっと笑えるようにした方が良かったのでは。でも、それでは、つげ作品になりませんね。
なので、つげ義春の作風に抵抗がなく、淡々とした展開を楽しめる人になら、おすすめできるかもしれません。
旅=非日常感
日本で活動している脚本家の李は、思うような映画を作ることができず、行き詰りを感じていた。
そこで彼女は思い切って地方に旅に出ることに決めた。
宿泊先を探そうにも、どこの宿も満席で部屋が取れなかったが、地元の人にとある一件の民宿を教えてもらい、そこに足を運ぶ。
そこで不器用ながらほそぼそと経営している一人の亭主と出会うことになり、しだいに彼女の心の緊張が溶けていくという物語。
この物語は、都会のビル群が並んでいる風景から始まるが、その時点で「彼女の気持ちがなぜ行き詰っているのか」を、息の詰まるような都会の風景から静かに描き出すことに成功している。
映画の序盤、彼女がいた都会は「乱立するビル群」に囲まれている。
それはまさに「コンクリートジャングル」であり、観客にさえ「閉塞感」を与える。
この物理的な圧迫感は、脚本家として「うまく説明できない」「きっちり生きられない」彼女の精神的な「息苦しさ」そのもの。
彼女が旅行先で遭遇した「ホテルが満室で泊まれない」という出来事は、彼女が社会のルール(予約、秩序)から「どこかはじき出されている」ことを象徴的に示す。
社会(地図)から「はじき出された」彼女がたどり着いたのは、皮肉にも「地図にない宿」だったように思った。地図の範囲外のところにあったのは意図的な演出に感じるし、そこは、都会の「こうしなければいけない」という規範から完全に切り離された場所であることが分かる。
その民宿では、布団は自分で敷いて、寝たいときに寝て、置きたいときに起きる。決められた時間が定義されておらず、その日のうちにやることだけやる。そこが良い意味で適当な暮らしを強いられるところがとても良い。
民宿の不器用な亭主もまた、どこか社会にうまく適応できない「よそよそしい」人物であると思うし、そんな二人は説明不要の関係性を築いていく。
そして、彼女が亭主と過ごす日々は「夢見心地」なように思う。
とある深夜に「鯉を盗む」といった非現実的な出来事は、亭主の「思いつき」で行動することが許される、この場所の性質をよく表している。
彼女は、この「夢」のような体験を「写真」に撮り、「記録」として残そうとする。それは、この非現実的な日々を、かろうじて「現実」に繋ぎ止めようとする行為だ。
しかし、彼女は「カメラをなくす」。
これは決定的だ。唯一の「記録」を失ったことで、宿での体験は再び現実から切り離され、「あれは本当に夢だったんじゃないか」という曖 …(あいまい)な記憶へと変わっていく。
脚本を練っている時の「こうだったらいいのにな(と頭で描く)」ことと、映像化(=記録)の「差異」に悩んでいた脚本家の彼女が、旅先で「記録そのもの」を失うことの意味は大きい。
結局、彼女の「行き詰り」は根本的には解決していないのかもしれない。
しかし、旅から戻った彼女の表情は違うと思う。
今までの生活で人と接するときにはどこか「完璧」なところを見せなければいけないので気疲れしていたと思うが、今回の旅で体験した「ちょっとゆるい出来事」は、都会で暮らしていたらきっと経験はできなかっただろう。
良い意味で「いい加減」な亭主と出会えたことが彼女の「心の緊張」を溶かしたものの正体だと思うし、この作品の静かな救いなのだろう。
日本人でも毎日の慌ただしさで虚しくなる人も多いと思うが、韓国人である李にとっては我々が思う以上に疲れてしまうと思う。
この作品はそうした日常を生きることに精一杯な人に対しての休息映画だと思う。この作品を見終わったあとはきっと、心が少し和らいで和やかな気持ちになる作品だと思う。
今まで都会で感じる「完璧な対応」とは別に、「疎外されたままでいい」と許容してくれる場所(地図にない宿)と時間(夢のような日々)が存在し得たと知ること。
それこそが、彼女の「心の緊張」を溶かしたものの正体であり、この作品の静かな救いだと感じた。
この監督だから、という期待を持って
観たい映画を選ぶ基準の中で、監督をあげられる方は多いと思う 三宅監督というだけで期待値は上がるし、海外の映画祭での評価を聞けば、なおさら注目度はあがる
原作があれば、その原作のファンやイメージに作る側も観る側にも「期待」が高まる
もちろん評価や興行成績に迎合して欲しくない、という監督ファンの方は多いであろう
しかし本作、11月2つのまったく異なる話をつなげることで、本来なら生じる「矛盾」が昇華されていたと思う
脚本家の人生観、彼女を取り巻いている人々が彼女に及ぼした影響、他人の人生ではあるのだけれど、観ている者に「他人事」で終わらせないものがあるようにも思う
佐野さんや堤さんの安定感、こういった映画で存在感のある足立智充さんもよかった
(11月13日 イオンシネマシアタス心斎橋にて鑑賞)
うーん
映画に求めるもの
それによって評価が分かれる作品だと思います。
今ヒットしてる多くの映画に共通する派手なアクションや映像音響表現などがある訳でもなく、恋愛要素や世界の命運を分けるようなストーリー展開がある訳でもない、ある意味非常に地味な作品だからです。
言ってしまえば文芸作品という枠に入ると思いますが、それもちょっと違和感があります。
なぜなら個人的にはこの映画、ユーモアに溢れていて終始退屈することなく主人公であるシム・ウンギョンさん演じる脚本家と少し不思議な旅をしている気分に心地よく浸ることができたからです。
劇中劇に出演している河合優実さんも非常に魅力的で、独立した作品として観たくなるような印象的なセンテンスとなっています。
監督の前作が夜明けの全てという人気作なだけに、趣が異なる本作は評価が上がりにくい気がしますが私はこういう作品も好きだし観てよかったと心から思いました。
もっとずっと見ていたかった
これは面白かった。かなり好きな映画だ。
観終わって、おだやかなものに満たされ、少しほんわかしている自分がいた、、ラストは雪の景色なのに。
原作のつげ義春の漫画「海辺の叙景」「ほんやら洞のべんさん」を知らなくても十分楽しめるが、知っていればなお面白い。かなり面白い。
漫画とは人物や設定を変えてあるものの、画面の空気感や構図、会話や時間の流れ具合から〝つげ的〟なものが立ち昇り、つげ義春ファンなら何度も「むふふ」となるだろう。逆につげ作品にはまったく惹かれないし面白いと思わないという人には、さして何も起こらない退屈な旅の映画、と映ってしまうかも…?
映画は序盤の青い「海編」と白と灰褐色の「雪国編」に分かれ、「海編」は劇中劇的扱いになっている。その対比も鮮やかで面白いが、海辺でも雪国でもさりげなく挿入される俯瞰のロングショットがいい。最近はこういう画がなかなか観られない。そして内心(うひゃっ)と嬉しくなったり、(おぉっ)と一瞬の興奮を呼ぶようなシブいショットがいくつもあるのだ。
撮影は三宅監督の前二作『夜明けのすべて』『ケイコ、目を澄ませて』でも組んだ月永雄太氏で、本作でもかなりいい仕事をしている。とくに「海編」の雨降りで暗く荒れた海を少年が泳ぎ、水着のまま傘をさした女がそれを見ている場面……「雪国編」の重く湿ってすべての音を吸い込むような夜の雪景色……は印象深く、室内でも暗さを厭わずに光源(照明)を感じさせない自然な画面が心地よかった。
俳優陣もいいぞ。主演シム・ウンギョンは『サニー 永遠の仲間たち』『怪しい彼女』からのファンだし、不器用ながら持ち前の人のよさとユーモアがにじむ好演。「海編」の河合優実はいまいちばん目が離せない女優だ。つげ作品には、少女なのか大人なのか正体不明でふしぎに色っぽい女性が登場するが、雨の中水着姿で黒い傘をさす河合ちゃんは、まさしくつげさんの世界の住人になっていた。
シムさんも河合ちゃんも、私はもっとずっと見ていたかった。それだけ自分には心地よい時間が流れていたんだと思う。つげ作品を読むとまどろむような白昼夢を見ているような気分になることがあるが、鑑賞中もじつは、一緒に行った気の合うシニア男女3人ともすこし眠気に襲われている(^^);; それは断じて退屈とは違う気持ちよさのせいである笑
あ、ぼろ宿の主人べん造の堤真一もすごくいいぞ。正面からの表情はほとんど撮られていないが(たぶん意図的に)、庄内弁?もハマり、可笑しさのなかにもほのかな哀しさをにじませ、好演。適役でした。
自分が観た日は上映後三宅監督とシムさんのご挨拶とQ&Aタイムがあり、最後に手を上げた私の質問にも丁寧に(現場でのアドリブや偶然撮れたショットの話も)答えてくれました。
否定と再生!
前半は退屈だった。つげ義春の「海辺の叙景」が劇中劇として映像化され、入れ子になっている。日本人離れした肢体を持つ若い女優さんが美しい。しかし、何も起こらず、不安が渦巻くばかり。ところが、原作を脚本化した韓国人の李さん(シム・ウンギョン)が、映画を志す学生に、この映画のことを問われて「私には才能がないな」と言う。え!これって、この映画の否定ではないか。ベートーヴェンの交響曲第9番の第4楽章で、前の楽章を「このような調べではなく」と言うみたいに。じゃあ、次に「合唱」の「喜びの歌」に相当する部分は始まるのだろうか。
李さんは、後半、山形県らしい雪に覆われた山奥の一軒家にたどり着く。まるで、斎藤清の版画に出てくるような情景が今の日本で残っていたなんて。この部分は、同じつげ義春の「ほんやら洞のべんさん」を元にしているようだ。私たちは、つげ義春ならば、東北の鄙びた温泉を期待するが、映画作家はわかっていて、それには応じない。ここでも、何かが起こるわけではないが、李さんは、その後、宿の主人ベン造(堤真一)に「久しぶりに、楽しいと思いました」と言う。
これまでスランプだった李さんは、大学ノートのような真っ白の帳面に、一字一字、鉛筆でハングル文字を刻む。その時、彼女の顔は、それまでと違って、一瞬、輝いているように見えた。
創作の旅
スランプに陥った脚本家・李が新作のアイディアを求めて一人旅に出る…というドラマであるが、映画前半は彼女が書いた作品を劇中劇で再現するという入れ子構造の構成になっている。
その劇中劇は、孤独な若い男女が海岸で出会う…という話で、若い女を演じた河合優美の何とも掴みどころのない浮遊感を漂わせた演技が絶品で、実を言うとこの物語の方をずっと見ていたいほどだった。孤独な者同士の傷のなめ合いと言えばいいだろうか。陰鬱としたドラマではあるのだが、印象的な幕引きを含め、この後二人がどうなっていくのか、もっと観てみたかった。
映画は中盤から現実に戻って、一人旅に出た李と雪が降り積もる山村に住む孤独な中年男・べん造の話になっていく。
李は急逝した師の形見であるカメラを持って、取材のために見知らぬ寒村を訪れる。ところが、ホテルはどこも満室で、仕方なくべん造が切り盛りするオンボロ小屋に宿泊することになる。
ここでは李とべん造のやり取りがユーモラスで中々に楽しめた。ぶっきらぼうで偏屈なべん造を演じた堤真一の役作りも堂に入っている。一見すると彼だと分からず新鮮に観ることが出来た。
ただ、ここで前半で描かれた劇中劇と何か相関するかと思いきや、特にそういったプロットはない。そのため何となく前半と後半で2つの作品を強引に一つにまとめてしまった…という印象を持った。
強いて述べるなら、この2本は迷えるヒロインが夫々に異なる結末を迎える…という点に違いを見出せる。
劇中劇の方は、河合演じるヒロインは迷いを抱えたまま終わる。それに対して、本編のヒロイン・李は表現者としての壁を乗り越えて再出発する”意志”を見せて終わる。劇中劇を李の心情の投影だとすれば、この対比は彼女の成長を意味しているという見方が出来よう。
本作はつげ義春の漫画『海辺の叙景』と『ほんやら洞のべんさん』の2本を原作にしているということである。自分は原作を未読であるが、どうせなら夫々を1本の作品として観てみたかった…というのが正直な感想である。
尚、後半のオフビートなテイストには、同じつげ義春の漫画を映画化した山下敦弘監督の「リアリズムの宿」が想起された。これも映画監督と脚本家を主人公にしたロードムービーである。現実と夢の狭間で彷徨う人々に対する温もりに満ちた眼差しが両作品に共通している。
もう一つ、本作の主人公・李を原作と異なる韓国人の女性に設定したのにも、何かしら意図が込められていると想像する。
彼女は日本語を流ちょうに話すが、シナリオは韓国語で書く。そのあたりに異国の地で作家として生きることの難しさが透けて見えるが、彼女のバックストーリーはほとんど語られない。ユニークな設定に脚色した割に、それを活かすような場面が少なかったことは少し物足りなく感じられた。
心のスクラップアンドビルド
映画に何を求めるのか
つげ義春の漫画がそうであるように、この映画も映像(場面々々、あるいは特にストーリー性もない起こった出来事)を見て、何らかのイマジネーションを掻き立てられたり、自分の古い記憶や昔の心象風景を呼び覚ましたりすることで快感を得るもので、そういったものが特にない人(まだ若い人)にはちっとも刺さらないだろうなと。刺さるも刺さらないも元々映画にそういったものを求めない人もいるしね。映画に何を求めているかでつまらなかったり面白がれたり、人それぞれなんだろうなと。当たり前ですね。
寂れた汚い旅館の親父も普通の映画(漫画)なら、久々に現れた客(映画の脚本家)に哲学的なことを一発ぶちかますところなんだろうけど、この親父はそんなことは言わないしやらない。つげ義春ワールドではあくまでも人間臭くて(ダメ人間です)なるほどなと笑ってしまった。昔読んだつげ義春の漫画を思い出した。
「日本の原風景」
旅は普段の日々の大切さに気づかせてくれる
河合優実ちゃんが好きやから、河合優実ちゃんがぶらぶら歩いてるの6時間くらい見せられても平気やけどなんやろこれて思てたらそういうことか。
ま、思いがけずビキニ姿が見られたからびっくりした。
今年の主演女優賞は、シム・ウンギョンで、主演男優賞は堤真一やな。ないか。
三宅唱監督の作品は、テレビドラマ演出の人が作るカメラの前に俳優を何人か立たせてセリフ喋らせるって感じじゃなくて、画面の外の世界や登場人物の背景までも想像できるような、映画観た〜って感じがして好き。
この映画も淡々としてるけど、ずっと見入ってしまう(河合優実もシム・ウンギョンも堤真一も出ていなかったらどうだろうか)。
つげ義春は読んだことないけど、映画化された作品を観る限り、ちょっと苦手かな。
なんの目的もなくこんな旅に出たくなった。
海辺でボーっとしてたら、河合優実歩いてこないかなぁ。
睡魔との闘いの89分
期待値とのせめぎ合い
杉咲花さん、髙石あかりさん、広瀬すずさん、河合優実さんの出演作は自動的に観ます(すずさんの宝島はタイミング合わずで観てないけど)。そんな河合優実さん出演で、三宅唱監督作品、しかもロカルノ映画祭グランプリとくれば、期待値は高くならざるを得ません。
河合さんは、今回も趣きある演技。ただ、河合さんが演じる役としてはぴったりかつお馴染みで新味はなし。突然の水着姿にはもちろんありがとうの気持ちですが…。
女性脚本家の旅パートは、まず佐野史郎さんの生きてたんかい!え、違うんかい!で騙されて、なんとなくコメディかな?って思ってからの宿難民で山奥侵入。
堤真一さん(恥ずかしながらエンドロールまで堤さんとは気づいてませんでした)の東北訛りとシム・ウンギョンさんの韓国訛り日本語の交流が味わい深いと感じました。
季節、ローケーション、年齢、言葉数などなど、前半パートとの対比を意識して観て、何か感じた気がしていましたが、忘れてしまいました(汗
三宅監督直近の「ケイコ目を澄ませて」、「夜明けのすべて」という一級品ストーリーを期待しちゃうと肩すかしくらうかも。日々は旅で、旅の日々の「旅と日々」を他と比較せず観るのがよきと結論づけました。
ロケ地を知りたくなる映画で、映画館を出てすぐ検索。ロケ地紹介のブログを読みました。神津島いいっすね。東北産の人間には懐かしい響きだけども、自分の田舎の言葉とは明らかに違うあの言葉は庄内弁なのですね。満室だらけだった温泉宿に泊まってみたいです。
なんだか非常に散漫な感想で恥ずかしいのですが、なんとなくそういう映画だった気がしています。嫌いじゃないけど、勝手に期待値上げてたために⭐︎4つはつけられず
鯉泥棒
本サイトの粗筋が前後で繋がらないな、と思ってたら、劇中劇なのね。
この劇中劇が、河合優実をもってしても退屈だった。
背景も語られない2人の男女がなんとなく出会って、なんとなく一緒に過ごすだけ。
しかも意味もなく台風の中で泳ぐという、事故にでも遭ったら迷惑極まりない行動に出る。
主人公が「自分には才能がない」と思わなきゃなので、面白くするわけにもいかないのだが…
そんな作品を長々と、しかも部分的に見せられるのは苦痛でした。
後半は堤真一のべん造がなかなか面白い。
世捨て人風なのに、「ドラマになれば都会から客が〜」とか「幸せ=金持ちになる」とか俗っぽくて。笑
喋り方も妙にリアルで、これを堤真一がやっているというメタ的な楽しさがある。
話としては、ダラダラして、鯉泥棒して、べん造がパトカーで病院に搬送されただけ。
主役が韓国人というのは、故郷との物理的な距離とか、言語や文化の違いという意味で理解できる。
でも、国内の田舎と都会でも“近くなのに”という逆説的な描き方は出来たと思う。
わざわざ字幕を付けてまでの意味はあったかな。
また、最初の宿泊場所?食堂?はもっと現代的にした方がギャップが出たんじゃなかろうか。
「旅とは言葉と距離を置くこと」という一つの答えを中盤に出しちゃったのも勿体ない。
カットの美しさ(特に風景)とか、べん造の宿に着いて音が消える演出とか、いいところもあった。
けど正直、画を撮りたかっただけの部分が多過ぎる気がする。
頑張れべんさん!
全206件中、81~100件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。






