旅と日々のレビュー・感想・評価
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いくら「感じる」映画だと言っても、もう少し理解したかった
序盤は、韓国人の女性が脚本を執筆する様子と、それを基にした映像作品とが交互に描かれて、ずっと、この二重構造が続くのかと思っていると、やがて、韓国人の脚本家の物語だけになる。
つげ義春の原作は知らないし、河合優実が、相変わらず「雰囲気」を出していたので、どうせなら、夏の海辺で出逢った少年と少女の物語でありながら、「孤独」を描いているというこの映像作品を、もっと観ていたかったと思ってしまった。
主人公の脚本家は、急死した評論家の形見分けでカメラを手に入れたことで、雪国へと旅に出るのだが、そこで宿泊することになった旅館がユニーク過ぎて笑ってしまう。まるで、時代劇に出てくるような古い家屋の囲炉裏端で、若い女性が、旅館の亭主と雑魚寝することなどあり得ないだろうが、文明から隔絶された古民家での宿泊体験を「売り」にすれば、案外、需要があるかもしれないと思えなくもない。
そうか、脚本家が、この旅館を舞台にした物語を書くことによって、宿泊客を呼び込む話なのかと予想していると、2人で近くの豪邸に鯉を盗みに行った挙句に、旅館の亭主が警察に捕まるという展開になって、呆気にとられてしまった。韓国人の脚本家が、どうして日本で仕事をしているのかといったことや、旅館の主人が、どうして豪邸に住んでいる元妻と別れてしまったのかといったことも、最後まで明らかになることはない。
結局、何を描きたかったのかが、さっぱり分からなかったのだが、主人公のモノローグにあったように、「言葉から逃げること」が旅の真髄であるならば、旅を描いたこの映画も、評論家が言っていたように、「考えるのではなく、五感で感じる」べきなのだろう。
そういう意味では、雨が降る海の冷たさや、雪深い山里の寒さ(俳優の息が白い!)は、確かに感じ取ることができたのだが、それでも、もう少し、物語の感想を言語化したかったと思えてならない。
圧巻の長回し
劇的なことは起こらないけど
映画内映画&トークショーが既視感
自分の書いたものに自信がない韓国人女子の脚本家が、雪深い民宿に迷い込んで、宿の主人と過ごすうちに、普通なことや常識を取っ払ったところに人生のおかしみがあると気付く映画。
映画内映画の上映会、トークショーがおもしろい。おもしろいのは、脚本家が自信ないって言ってるだけあって、よくわかんない青春ドラマの内容と、それを見せられてる学生。いつものボクらがスクリーンの中にいる。一人だけ、めちゃくちゃ刺さりました!って感動してる。
最近、トークショー付きの映画鑑賞にあたることが多いけど、よくわからない映画でもなんか納得させられてしまう。
民宿のシーンではトンチンカンな主人に笑いもおきてた。でもこの映画は、圧倒的に多かったおじさん客じゃなくて、若く悩み多きクリエイターの人が見ると、なんかほっこりできる内容かと思った。
河合優実&三宅監督は大好きですが………
セリフの少ない「静謐」な映画。見る人の感性で評価が分かれる映画です。
・つげ義春の「海辺の叙景」「ほんやら洞のべんさん」を原作に映画化した本作はロカルノ国際映画祭グランプリ受賞。「ケイコ目を澄ませて」「夜明けのすべて」に次ぐ、三宅唱監督の最新作品。
・主人公「李」(シム・ウンギョン)は仕事である脚本の執筆に行き詰まり、心機一転、雪国へ旅立つが、宿は事前予約していなかったため断られ続け、最後に残った山奥の宿に泊まることとなり、その宿の主人べん造(堤真一)との出会いと交流を通じて徐々に心を癒していくというストーリー展開になります。
・まず映像がきれいでした。河合優実登場の「海辺の叙景」の場面では河合の服装や海の「青さ」を強調、「ほんやら洞のべんさん」では雪の風景を中心にした「白さ」の美しさが映えます。
・また河合が海の中に入り、波間にゆれるシーンはカメラも一緒に揺れており、海に入った臨場感にあふれています。
・スクリーンが通常よりも横幅が狭い「スタンダードサイズ」状態で上映されており、「映像を集中して観なさい」という三宅監督の意図が感じられます。
・人物描写としては、登場人物の背景や感情表現は少なく、観客に委ねていますが、主人公「李」(シム・ウンギョン)に対する暖かいまなざしが感じられるところは、三宅監督映画に共通する特徴と言えます。
・べん造(堤真一)のコミカルな演技はどっと笑いがでておりました。
・この映画の「映像の綺麗さ」「静謐さ」「セリフの少ない演技で感性に訴える」という作りは、映画評価はおおいに分かれると思います。私は3.5とします。
五感を刺激される三宅ワールド
風の音、波の匂い、雨のしぶき、深雪の静けさ。
映画に限らず、絵画にしろ音楽にしろ、優れた芸術作品というのは、その表現方法如何を問わず、五感を刺激するものなのかもしれない。
三宅唱監督は、映画の中で五感を刺激することのできる稀有な作家だ。
私たちは、その映像世界に気持ち良く身を委ねることができる。
それが、『旅と日々』がロカルノ国際映画祭で「日本映画の最高峰」と評された所以なのだろうと思う。
シン・ウンギョンと河合優実は、本作でも感嘆する演技を見せてくれる。ちょっとした仕草や視線、台詞の間、そんな表現により、作品に引きずり込まれる。
つげ義春の世界観を表現することは、本当に難しいことだと思う。漫画だからこその描かれ方を、映画という別の媒体で表現し直すという難しさ。
三宅監督がつげ義春を描くと聞き、なるほど良い映画になりそうだな、とは思っていたけれど、本当に期待どおりだった。いや、期待以上に、新しい三宅作品を観ることができて、多幸感でいっぱいだ。感謝したい。
つげ義春の映像化は至難の業
つげ義春の漫画を映画化して成功したものがあるだろうか。
「無能の人」「リアリズムの宿」「雨の中の欲情」「ねじ式」「ゲンセンカン主人」。
評価の高い作品もあるが個人的には全て失敗に終わっていると思う。
画風とコマ割りで紡がれる表現を抜きにしての世界観だけでは、つげ義春的なものにしかならないのではないか。
原作でないオリジナルをつげ義春的アプローチでないと映画にはならないと思う。
本作もその無理がたたって三宅唱監督の良さが消えてしまっていると感じる。
個人的にあまり好みでなく、いつも違和感を感じるシム・ウンギョンが唯一つげ義春世界を体現していたのは、その違和感ゆえ漫画的な存在になっていたからだと思う。
ちょっと、イヤかなり残念な結果だ。
西村昭五郎監督、斎藤博脚本の日活ロマンポルノ「不純な関係」で、つげ作品「紅い花」にまつわる酒場シーンがあるが、映画の中でつげ義春を感じるにはこれしかないのかも知れない。
ホントに映画らしい映画を久しぶりに観たよ
つげ義春の「海辺の叙景」と「ほんやら洞のべんさん」の二つが原作。同列に並ぶものと思っていたが「海辺」の方は李(シム・ウンギョン)が脚本を書いた映画内映画という設定。冒頭に上映される「海辺の叙景」では若い男(高田万作)と若い女(河合優美)が浜辺で話したり台風が近づく海で泳いだりする。女の方は他の男女に攫われてきたニュアンスもあり、指を怪我していたりして訳ありではあるが、一切の状況説明はない。河合優美は状況で芝居する人なのでお手上げでいつもより心もとなくみえる。
「海辺の叙景」は大学の講義で上映される。蓮實重彦を連想させる教授からはじめ概ね好評ではあるのだが、納得のいかない李は旅に出る。だから映画の後半、原作で言うと「ほんやら洞」のあたる部分は映画探しの旅でもある。李は脚本家であるので、彼女にとっての映画はまず言葉である。彼女は美しい究極の表音文字であるハングルでシナリオを書く。ても彼女自身も言っているように言葉は意味を持った途端に陳腐化する。だから脚本家は言葉を次々と編み出し先に先に進まなくてはならない。その行動の形が旅ということなのだろう。ほんやら洞では、彼女は部屋の中を見て、べんさんの過去を予想する(妻や子に逃げられた中年男)、でもべんさんの行動はその予想を上回るものだった。ここにきて原作を二つ積み重ねることによって、非ドラマというか無ドラマともいうべきつげ義春の原作が、おおいなる奇譚として、つまり圧倒的に映画的なドラマとして提起される。我々は、李に仮託されていた本作の実際の脚本家三宅唱の実力を思い知ることとなる。
三宅唱の仕事は脚本だけではない。この映画はスタンダードサイズであるが、撮影深度が深く、映像に無限に続く奥行きがある。また構図が実に垢抜けており、ショット一つ一つにタメがある。
惚れ惚れする映像テクニックに巧妙な脚本、抑制の効いた役者の演技、観客の生理に合った長さ。
どこをとってもこれは映画である。最も映画らしい映画といって良い。例えば「爆弾」などと比べてみれば良い。あれは映画館で観るテレビドラマに過ぎないことがよくわかる。
間と余白の使い方が上手い印象の三宅唱監督。今回の作品はかなり静かな...
佐野史郎の感想に激しく同意
原作未読。
分かりやすいカタルシスがある映画ではないが、どこか浮遊感のある映像と説明しすぎない人物描写が不思議と物語に奥行きを生み出している。
とにかく映像が素晴らしい。夏と冬。朝と夜。雨、雪、風、光。手で払う砂や白い吐息。
ノスタルジーと言ってしまえば簡単だが、自分もどこかで感じたことがある気がする五感が映像から伝わり、旅とはこの感覚を求めに行くものなのかもしれないと感じた。
俳優陣も抑えた演技の中に確実な実在感があり目が離せなかった。
シム・ウンギョンの配役と韓国語でのモノローグは大成功だろう。この映画の空気感を決定付ける大きな要因になったはず。
あとは三宅監督作には外せないHi'Specによる劇伴が今回も良かった。
物販にHi'Specのレコードがあった。あの音楽を背景に休日を過ごしてみたい。買って帰ればよかった。。
最後に、劇中劇を観たあとに感じたことを佐野史郎が代弁してくれて笑った。
恥ずかしながら激しく同意します。河合優実の色気がだだ漏れだった。
原作を知っていれば、もう少しは?
三宅唱監督の新作であり、“みんな大好きシム・ウンギョン”主演、さらに“みんな大好き河合優実”も出演とあらば観ないわけにはいかない。と言うことで今週の1本目、公開初日にTOHOシネマズシャンテにて鑑賞です。
毎度の如く、劇場でトレーラーを数回観ただけであらすじなどの前情報は入れずに鑑賞したわけですが、観終わってから本作が「つげ義春氏の二つの作品が原作」と知り、「なるほど、それでこういう…」とようやく合点がいきました。シンプルな構成ではありますが、知らずに観ればちょっとしたギミックのように感じる設定は、前半、繋ぎとなるブリッジ、そして後半と大きく三部構成。本作の主役・李(シム・ウンギョン)の職業を利用し、基となる二つの原作を“異なる世界線”として成立させ、それらを繋げるブリッジを挟んで一つの物語に仕上がっています。そして、それぞれの世界線に共通するのは旅先における出会い、経験、そして旅情。日常ではない“浮つき”に魔が差すように起こる出来事が“ストーリー”になっていきます。
若い頃から変わらず、どんな役にも染まれるような“奥行き”を感じさせるシム・ウンギョンさんに対し、河合優実さん、佐野史郎さん、堤真一さんなどそこにいるだけで強い“存在感”を感じさせる組み合わせはナイスキャスティングだと思います。特に後半における堤さん演じるべん造は「ズルい」と言いたくなるほどに可笑しな存在で、そのキャラクターのまま“李の仕事”に口を出す様を見、そのセリフを聞けば、いつしか堤さん自身が重なって見えてしまい、李との掛け合いは最早コントを見ているようです。
ただ、本作(全体として)をどう評価したらいいか戸惑っているというのが正直なところ。鑑賞中、時より李の職業柄に出るメタ的なセリフなど“遊び心”を感じさせる演出に、何度か「ホン・サンスっぽい、かな?」とも感じましたが、或いは単にシム・ウンギョンの存在と言葉(セリフ以外の部分で使われる韓国語)に影響されているだけかもしれないし、、何と言っても、前半と後半のギャップが相当に大きくて私にはとても埋めきれず、観終わってもイマイチ腑に落ちない印象。勿論観ている私自身の力量不足だとは思いますが、そもそもつげ義春氏の原作を知らなければ、言わんとするところの“真理”にはたどり着けないのかもしれません。
いやぁ、決して嫌いではないのだけど、ちょっと難しかったな。。実にまとまらずスミマセン。負けました。
そこに無いものは見えない。だから、そこに在る『無』をシッカリ観る
劇中映画、中指の包帯(怪我)にはシンボリックな意味があって、河合優実の水着姿をいっそうエロティックに見せておりました。眼福です!
あとは、なんにも無かった。って怒られるよね。つげ義春ワールドの形而上学、観念世界は広大無辺の曠野です。これを毀損するものは許さん!というファンの圧力がある。まあ、欧州では神扱いだし、スイスで貰った賞もあるし。だけど、さも深淵なる意味有り気な思わせぶりで、俗人を惑わせるのは如何なものかと。
この旅で、シム・ウンギョンが何か収穫らしきものを得たのか?“日々旅にして旅をすみかとす”的なもの?。この尺ではどうなんだろう? 凡庸なる当方は錦鯉は旨いか不味いかのトピックぐらいしか思い当たらないのだが………
シム・ウンギョン×堤真一の掛け合いも評判ほどではなく、期待していた、いろんなモノが見えて来ず、ただ『無』を認識しただけの上映時間だった。
追記
欧州の映画賞受賞を引っ提げての公開であらゆるメディアが褒めまくるのは妥当な経緯だが、言葉を探して探して、持ち上げているのは見苦しくて、息がつまる。シム・ウンギョン起用が生かされておらず、つげワールドの理解も足りない。こんにち『この意味わかるかな~』なんていう語り口は果たして是か?
チャーミングなシム•ウンギョンに注目 これぞ映画 言葉について考えさせてくれる映画
ワタクシ、ちょっと反省しております。実は『おーい、応為』のレビューで文学の世界の「純文学」に倣って「純映画」という怪しげな概念を持ち出しているのですが、その概念の是非は置いておくとして、その概念を使うなら『おーい、応為』で安売りせずに、こっちの『旅と日々』のほうで使うべきだったと。本当にこれ、いい映画です。エラそうに聞こえてしまったら申し訳ないのですが、これぞ映画とも言うべき作品だと思います。
原作はつげ義春の漫画『海辺の叙景』『ほんやら洞のべんさん』の2篇。予告篇を見たときから、このふたつをどう繋げてくるのかと気になっていたのですが、主人公の李(演: シム•ウンギョン)を脚本家にして、彼女が脚本を書いた映画、いわば映画内映画として『海辺−−』のほうを使い、脚本を書くのに行き詰まってる感じの彼女が鄙びた雪国を旅するところで『ほんやら洞−−』を基に物語が進みます。
物語は東京のビル群を割と奥行きの浅い画面で見せた後、部屋で紙のノートにハングルの手書きで脚本を書こうと苦闘している李の姿から始まります。PCではなくノートに手書きというのがいいですね。あと、ハングルに関しては、私は大量のハングルを目にすると「ハングル酔い」みたいなものを起こしそうになるのですが、手書きの2−3行というのはなかなか可愛らしくていいです。何はともあれ、日本で活躍する日本語ノン•ネイティブの脚本家というのはかなり秀逸な設定だと思います。
で、ここから、李が脚本を書いた、夏の海辺を舞台にした映画に移ってゆきます。映画は余白たっぷりな感じでヒロインは河合優実。訳ありそうな感じで(私は彼女は海辺の村に拉致されてやって来て緩やかな幽閉状態にあるのではないかと想像したのですが)、中指に怪我なんかもしています。ここでの河合優実は、この映画内映画で「役を捕まえきれずに戸惑いながら演技している女優」を演じているのかとも思ったのですが、単に素で戸惑っていただけかもしれません(笑)。まあ、この戸惑いは映画内映画の監督の意図はともかくとして、この映画『旅と日々』の三宅唱監督の狙い通りだったのかもしれません。
そして、この夏の海辺を舞台にした映画が終わって場面は大学の大きな講義室みたいなところへ。この映画を教材にして、学生を前に登壇したこの映画の監督と脚本家の李と学生、識者でディスカッションが始まります。ここでコメントを求められた李のセリフが最高です。
「私にはあまり才能がないなと思いました」
私、この映画でシム•ウンギョンて本当にチャーミングな女優さんだなと思ったのですが、このセリフはまさに真骨頂です。大勢の前でなんの衒いもなく自分の心情を語ってしまう−−しかもノン•ネイティブのちょっとオフ•ビート(?)な日本語で。三宅監督は『きみの鳥はうたえる』での石橋静河、『ケイコ 目を澄ませて』での岸井ゆきの、『夜明けのすべて』での上白石萌音と女優を適材適所で使うのに長けている印象を持っていたのですが、本作でもそれが十二分に発揮されているようです。
さて、悩める脚本家の李は旅に出ます。そこでのセリフも秀逸です。
「旅とは言葉から離れようとすることかもしれない」
私は以前から「言葉」という観点から見ると脚本家というのはけっこう因果な商売なのではないか、と思っていました。というのも、小説家や詩人なら、自分の綴った言葉がそのまま「作品」になるのですが、脚本家の場合はそうではなく、映像作品を通じて評価されるからです。決してそれそのものが単独で評価されることはないのだけれど、自分の仕事を進めてゆくには極めて重要な言葉。ましてや李の場合は、周囲が彼女にとっての外国語を話している環境にいるわけですから、なおさら言葉に鋭敏になりますし、言葉の持つ意味の限界を意識したりもします。「はじめて日本に来た頃は何もかも新鮮だった。でも、やがて言葉がそれに追いついてきた」のです。そして、彼女は旅に出るのです。言葉から離れようとして。
映画内映画が夏の海辺だったのに対して、旅の行き先は冬の雪国です。宿の予約もせずに出かけた李は普通のホテルでインバウンド観光客に弾き出されることとなり、雪深い里の商人宿みたいなところに泊まるハメになります。べん造(演: 堤真一)があまり商売気もなくひとりでやってる宿です。ここでもシム•ウンギョンがとてもチャーミングでした。べん造の話に「左様でございますか」とオフ•ビートな日本語で古風な返しをしたりします。また、凍結したある物を見て「カチコチですね」と、日本語の特徴のひとつであるオノマトペ(擬態語/擬声語)で表現したりもします。
この映画が終盤にさしかかった頃、私はあることに気づきました。それは、この数ヶ月ぐらいの間に観た邦画の数々の日本語のセリフのなかで今回シム•ウンギョンの話したセリフの中身がいちばんすらすら(オノマトペ)と私の脳内に入ってきていると感じたことでした。え、ノン•ネイティブが話すちょっとオフ•ビートな日本語のセリフがいちばん聴き取りやすかったって? 確かに、ノン•ネイティブゆえの丁寧で緩やかな口調のおかげとも言えますが、ここはやはり、セリフひとつひとつを本当に大切にしている彼女の役者としての資質を賞賛しておいたほうがよさそうです。
三宅唱監督に関しては、去年『夜明けのすべて』のエンドロールの背景に流れる中小企業(栗田科学だったかな)の昼休みの構内の風景を眺めながら、やはり、この監督は自分とは相性が合うなと思いましたが、今回もそれを再確認しました。次回作が楽しみです。
三宅唱監督の新境地
三宅唱監督の待望の新作。主役も「新聞記者」で鮮烈な印象を与えてくれたシム・ウンギョンが、韓国から日本に来て脚本家をしている李(シム・ウンギョン)を演ずる作品で、いずれにしても期待の一作でした。
物語は、つげ義春の2本の漫画、「海辺の叙景」と「ほんやら洞のべんさん」をベースにしていました。いずれも”旅”を題材にした作品でしたが、「海辺の叙景」は李が脚本を担当した劇中映画の体裁で、ここには今年も絶好調の河合優実が主役として登場し、無類の存在感を発揮。神津島に旅に出た2人の若者が、何処となく”死”を意識させる寂しげなお話でしたが、この劇中映画はここだけを短編として切り出してもひとつの作品となるほどのクオリティの高さでした。
「ほんやら洞のべんさん」の方は劇中映画ではなく、スランプに陥った李が山奥の温泉宿に旅行し、民宿(と言えるのか?)のオヤジ・べん造(堤真一)と寝起きを共にしながら泥棒体験をするというお話。「海辺の叙景」同様、互いの身の上とか思いを語り合う姿は、時折ユーモアを交えつつも人間心理の本質をついていて、それでいて結論を出さないところが極めて上質でした。
以上、つげ義春の原作をベースにしてはいるものの、ストーリーとしては独自の世界観というか雰囲気を醸し出していた作品でしたが、これまでの三宅監督の作品とはかなり味付けが異なっていたように感じました。「ケイコ 耳を澄ませて」や「夜明けのすべて」は、ハンディキャップを背負って生きる主人公の生き様を描いており、かなりストレートに観客にメッセージを放って来る感じがありました。一方本作はそうしたスタイルとは対照的に、作品全体の空気感を伝えることで、観客それぞれに解釈させることを誘っているようでした。
別の見方をすると、直近で同じく”旅”をテーマにしたホン・サンス監督の「旅人の必需品」を観たこともあり、また主演が韓国人俳優だったことも手伝って、作風がかなりホン・サンス風だったなとも感じたところでした。
俳優陣では、シム・ウンギョンや河合優実が良かったのは言うまでもないのですが、べんさんを演じた堤真一のなり切りぶりは流石でした。正直何を言っているのか理解できない部分もあった方言も良かったし、久々の客に舞い上がっておかしな行動に踏み切ってしまうべん造の滑稽さも見事に表現出来ていました。今年は「室町無頼」にはじまり、「木の上の軍隊」、「アフター・ザ・クエイク」など、時代劇から戦争物、現代劇に至るまで八面六臂の大活躍は大いに評価すべきところでしょう。
一点本作の難を挙げるとすれば、べん造が李を引き連れて鯉泥棒に行った際、李がカメラを落としたのに気付かなかったこと。首から下げていたカメラを落として気が付かないという設定はいくら何でも不自然。結局これが原因でべん造は逮捕されてしまうことになった訳で、あの下りはかなり釈然としない部分でした。何か他に見方があったのでしょうか?
そんな訳で、本作の評価は★4.2とします。
鄙びた宿の主人と、書けない脚本家の時間を超越したような空想譚。
とても風変わりな映画でした。
妙な味があります。
ロカルノ映画祭で最高賞の「金豹賞」と「ヤング審査員賞」を
W受賞したことと、
授賞式で河合優実が涙を流した。
この2点で、とても期待して観に出かけたのですが、
優実ちゃんの涙は何だったのでしょう⁉️
寒そうな大荒れの海で波に飲まれそうになって泳いでましたけれど、
死ぬほど寒くて、荒れてて怖かったことを思い出したのかしら?
①パート1、
つげ義春の「海辺の叙景」が原作です。
小さな画面、スタンダードサイズ(1.33:1)とかです。
前半の夏のパートと、後半の冬のパートに分かれていて、
河合優実は、夏パートの、主人公の脚本家のシム・ウンギョが
脚色した映画の中の主人公の女性です。
海辺で一人の青年と会話を交わして、台風みたいに荒れた海で泳ぐ。
この映画では女の子と青年の心理描写は特にないのです。
青年は沖に流されたのか?
泳いでいってしまったのか?も生死も不明。
②パート2は、
同じく“つげ義春“の漫画「ほんやら洞のベンさん」が原作です。
「冬の温泉宿の旅」をするシム・ウンギョさん。
アポ無しで宿に泊まれずに遥か山を登り、
廃屋みたいな営業してないみたいな宿に泊まる話し。
寂れた温泉宿の主人が堤真一です。
ロケ地は庄内地方のあつみ温泉らしいです。
このパート2の方は、パート1よりストーリー性があり、
温泉の主人は、妻と幼い娘に逃げられたらしく、
妻は大きな庄屋のようなお屋敷に住んでいて、
そこの川の二百万もする錦鯉をべん造さんが
盗みに行って警察に通報されたりします。
幼い娘が家から出てきて「お父さん、何してるの?」と聞くと、
「大きくなったなぁ・・・」などと頭をなぜたりします。
夏のパートのロケ地は神津島とか、前浜海岸、名組湾とトロッコ湾・・・
などで、かなりロケ地は広範囲に渡り風景には拘り抜いた様子です。
映像は美しいかと聞かれればば、夏のパートは異国風というか
“韓国とかかなあ?“と思ったりもする
ごつごつした岩肌の崖とか、見たこともないことのない
景色もありました。
つげ義春さんは旅と「鄙びた温泉」が好きだったそうです。
あと「蒸発」に興味があり、鄙びた温泉に住み着いたりしたとか。
とても古びた写真を見ているような映画でした。
食べるシーンが多いのですが、うどん屋の温かいうどん以外は
謎の食べ物ばかりでした。
例えば海辺で青年が女の子に勧める海女をしている
祖母の作った「みつ豆」
(磯の香りがするそうです)
「ほんやら洞」の食事はすこぶる粗食でした。
でも方言をくぐもって話す堤真一さんのべん造は、
何とも言えずに趣があり流石に堤真一さんでした。
シム・ウンギョさんは、いつも思うのですが、
日本人には絶対に出せない何か、があるのですね。
河合優実ちゃんは、ただ存在するだけで、その人の人生を感じさせる
不思議な魅力がありますね。
見事なショットの連続
これは森を散歩しているとき、ぼんやり歩いているだけでは何も見えないが、こちらの気持ちが整ってくると、森の中にあふれる音や小動物の気配や植物の変化…が見えてくる、あの体験を味わうことのできる映画。
いきなりオープニングの小津『秋刀魚の味』を思わせるショットでノックアウトされたのち、『千と千尋』を下敷きにしたような無気力に車の後部座席で外を見上げている河合優美、だんだん暗さを増してくる夜の高台で言葉を交わす2人、大きく波がうねる灰色の海で泳ぐ男と女、等々、等々…。
こうしたショットやシーンは、簡単に画面に映っているのでは決してなく、周到に計画して、すぐれた撮影・照明・美術・照明を組織しコントロールして、そのうえで現場で幸運な偶然を呼びこむことのできる、ごく一部の監督にしか撮れません。
そういう細部をきちんと見るのが「映画を見る」ということなのだな、と改めて気づかせてくれる静かな作品です。
全204件中、181~200件目を表示
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