フォーチュンクッキーのレビュー・感想・評価
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一つの恋のメロディ‼️❓
アフガニスタンであるとか、PTSDであるとか、フォーチュンクツキーとか、関係なくこの女性の佇まいと生きていく姿に引き込まれたな。大昔、小学二年生の担任の先生に似てたな、もう少し痩せてたけど、どちらかとゆうと清原伽耶に似てたかな、関係ないけど。この女性に惹かれるのは、ニュートラルな性格と考え方があるのかもしれない、境遇で、人に対する偏見が無い、ある意味、騙されやすい感じがして危ない、でも、なんとなく幸福になりそう、🙈予感がする。ただ、引き込まれたな、茫然自失だな、何千本と映画観てきて、ただ、引き込まれたのは初めてだけど、なんだかほのぼのとした、はるばる観に行き良い気分でした、本当にありがとうございました😊😭
住んでいる場所に根っこがない寂しさ、不安感がひしひしと伝わる。
原題通りカリフォルニア州フリーモントでの物語である。サンフランシスコの南側に位置する人口20万人強の都市だが、住民のほぼ半分がアジア系という移民の街である。アフガン人のコミュニティも当然あるのだが主役のドニヤは、中国人の経営するフォーチュンクッキー工場に勤めながら、寝食はアフガン人のコミュニティで、という行ったり来たりの生活をしている。
ドニヤの来歴ははっきりしていて、カブール生まれの彼女はアメリカ軍基地で通訳をしていた。2021年にアフガンから米軍が撤退した時に一緒に逃れてきたのである。彼女は自分でも運が良かったと言っているが撤収のための飛行機に乗せてもらえないアフガン人もいた。その中には後に殺された者もいる。まして女性の通訳などは、タリバーン政権が容認するわけはなくアフガンに戻れば厳しい取り調べと投獄が待っている。他のアフガン難民以上に、彼女は全くに故郷を失ったのである。若く、インテリであるドニヤは、周りのアフガン人とは反りが合わない。不眠に悩む彼女は精神科医に罹る。この医者も親切ではあるのだが何か噛み合わない。フォーチュンクッキー工場の中国人経営者も親切で、ドニヤにおみくじの文案を書く仕事をまわしてくれる。まあ、これが後になって騒動につながっていくのだが。
基本的にはドニヤの周りの人は皆、善良である。だからドニヤが浮き上がっていくのは彼女のせいでもあるのだが、映画では、彼女の戸惑い、寂しさ、不安を淡々と描いていく。
善良であると書いたが、一人、中国人経営者の妻だけが、ドニヤに対する不快感、悪意をあらわにする(ポットから注いだだけのコーヒーに2ドル50セントも支払わせたりする)彼女が仕掛けた意地悪というかワナに引っかかったドニヤが郊外に車で出かけて自動車修理工のダニエルに出会うところで映画は終わる。
ドニヤにとっての教訓は、好意を受けた場合は、素直に受け取っておきましょうというところか。
これは大好きだった。
アフガニスタニー(←訂正されるw)
Spelling
まずタイトルが抜群に良い!と思いました。
邦題は直訳なら良い悪いの振れ幅は少ないんですが、変にイジると大変なことになったりするんですが、地名である原題を、主人公が工場で作っているフォーチュンクッキーに変えたのは大正解だなと思いました。
実際このタイトルで観たいなと思ったので配給の方々ナイスです👍
フォーチュンクッキーの実物は今回の来場者プレゼントで初めてお目にかかりました。
それまではどうぶつの森でチラッと出てきたのを見たことがあるくらいでした。
作品は移民と土地との問題から巻き起こる日常って感じで短い尺ながらかなりスローで進んでいくので、どうしても物足りなさはありました。
自分がハイテンポで進んでいく、展開がコロコロ変わる作品が好きなのもあって、確実に相性はあるんですが、間の取り方がゆっくりだな〜と感じるところがどうしても多かったです。
序盤の精神科でのシーンは笑えたりもしましたが、いくらなんでも勝手が過ぎやしないかい?というモヤが生まれた時点で作品とは距離が離れていった気がします。
周りの人々(一部除く)の優しさに感化されながら、その周りの人々もとい主人公も日々に悩みを抱えながら生きていき、どこかで発散させたり政治的なものも絡めながら進んでいく優しさはモノクロとマッチはしていたと思います。
好みの問題もあって個人的には微妙なところに落ち着いてしまいましたが、ジャケ見したくなる映画は貴重なのでこれはこれで観れて良かったかなと。
鑑賞日 7/13
鑑賞時間 18:35〜20:10
裏切り者と思われる苦しさを乗り越える方法を見つけた。
白土を集めて低予算で作った映画のように見えるが、この映画の意味することは大きい。ただ、アフガニスタンからで米国政府からの優先権のある移民(Special Immigrant Visas (SIVs)-永住権につながるヴィザ)の主人公ドンニャ(Anaita Wali Zada)に当てはまることだけではない。一般の移民や難民に当てはまることだけでもない。私達、人間、全部に応用できる生き方を示している。だから、とても興味深い映画である。
それに、米国が引き上げ、タリバンが侵入した時、引き上げ飛行機に乗れなかった、通訳もいたと。彼女だけ?が、乗れたようだ。これに対する罪の意識もあるようだ。また、家族の中で彼女だけが、米国機に乗り、逃げ出したことにより、家族の中に裏切り者がいるというように、カブールに残っている家族が思われていると思うこともトラマや罪の意識につながっているようだ。彼女はどこの国でも良かったアフガニスタンを抜け出したかったと言ってるが、彼女は米国に移民や難民として逃れたアフガニスタン人と楽しんでないのかというセラピストの質問に数人はいいけど数人は一緒にいて楽しめないと言っている。これも「裏切りもの」と思われることがついて回るようだ。近所に住んでいてよく話しているサリムに美しいことを考えることは罪の意識を感じるという。まだ恋をしたことがないのに、アフガンにはタリバン政権で人々が苦しんでいるのに、自分だけ恋をすることが後ろめたいと思っているようだ。1996年生まれで、若いのに、すでに背中に十字架を背負って生きているようだ。良心の呵責で不眠症になったのかもしれないし、PTSDの一歩手前なのである。
その彼女の生き方が、我々にも応用できるのである。それを説明したい。
彼女の周りの人々、同僚、深圳市出身で、サンフランシスコのフォーチュンクッキーの経営者リッキー、アパートの住人、サリム、ミラ(ミラの夫のスリマンは抜く)、レストランのウェーター、そして、セラピスト(無料で:Pro Bono:専門知識を活かした社会貢献活動)、アンソニーはドンニャにポシティブな影響を与え、彼女をサポートしてくれた。フォーチュンクッキーの経営者の女主人ですら、ブラインドデート相手だと思わせて、車でベーカーフィールドまで鹿の彫刻を取りに行かせたが、結果的には車修理工のダニエルに遭遇する機会をくれた。その中でも、セラピスト、アンソニーと経営者のリッキーのドンニャに対するアプローチはユニークで、ドンニャの心を少しずつ変えていった。このアプローチの仕方は助言をダイレクトに言葉(例:--した方がいい)でせず、遠回しに比喩を使ったり、哲学的で心理学的な方法のような気がする。例えば、アンソニーは『船は港に停まってれば安全だ。でも、船はそのために造られたものではない。』と、自分で書いたフォーチュンクッキーの言葉を読んだ。この意味を理解したドンニャは『Desperate for Dream......』をタイプして一歩前に進んだ。自分の思い悩んでいるマンネリ化した殻から一歩出た。リスクテイキングのようなものだ。
深圳市出身の経営者のリッキーは、ドンニャをフォーチュンクッキーライターに昇格?させた。彼女の才能を素早く見い抜いて、"virtue stands in the middle" と言って Aristotle(検索結果だと)の哲学をドンニャに延々と説明したのだ。彼女はこの深淵な意味をサッと理解したようでなかなか鋭い人だと思った。実を言うと私はこの意味に不可思議な反応を示しただけでなく、全く誤解していたのに気づいた。この意味はAI検索によると、
Courage: The mean between recklessness and cowardice.
Generosity: The mean between extravagance and stinginess.
Confidence: The mean between self-deprecation and arrogance.
Temperance: The mean between gluttony and abstemiousness.
でリッキーが延々と説明したのを"virtue stands in the middle" は一言にまとめたものである。ドンニャが新しいしことをするに対しての心構えをアリストテレスの哲学を使って要求したのだ。あっぱれ。そして、ニュー・アドヴェンチャーだと言ったし、ストレス解消用に頭皮をマッサージする道具をくれた。ただ「これしろ!あれしろ!』と言わず、に自分で考察する機会を与えて仕事をさせるのだ。ここで、自分で考えて、新しいことに挑戦することを生き方としてを学んでいる。
こういうシーンがいくつもあるのがこの映画の特徴である。ここで二つの例をあげたが、自分で考えて、一歩先を冒険することが新しい道を開き、人生を変えるだけでなく、自分の一生を左右すると言うことだ。それに、自分の話を聞いてくれるだけの人からはなんのアドバイスももらえないが、「話を聞いてくれて、間接的なアドバイスをくれる」のは人間を変えるね。社会共同体の言動行動にもすごいと思うが、ドンニャには感服する。
(蛇足)
もう一つ気になることがある。それはイスラムの国からきたドンニャの挑戦である。この挑戦はすでに、アフガニスタンにいたときにあったようだ。彼女は大学に行って通訳になり、自分でビザを申請して、自分一人で米国に入国したことはすでに膨大な挑戦である。アフガニスタンの世界からで、また米国占領時代で、タリバン侵入前だとはいえ、モスリム教であるわけだから、日本より、男女差、男女差別などがあると思う。ダリ語だろかパシュート語であっても、モスリムの世界は(シャリア法律)ミラとスレイマンの夫婦のように女は男のいうことをきく世界であるように思う。
しかし、ドンニャは独立している。一人で住んでいるだけでなく、ブラインドデートの準備をしているとき、ベッドの上で、持ち金をホテル代、食事代、ガソリン代と分けている。ホテル代(ダブルベッド)は明らかに自分は自分で払う意思があると視聴者の目には映る。アフガニスタンからきて、まだ、八ヶ月だというのに、自分でなんでもする姿勢は賞賛される。
ここで、アフガンの移民(多分難民)スレイマンに対して感情的になり暴言を吐くシーンがある。これについてちょっと触れる。スレイマンは妻のミラをドンニャと接触させるのを嫌う。スレイマンの見地からではドンニャは裏切リものなのだ。通訳として米軍に精通していたアフガニスタン人だから。挨拶もしないし、一言も口を聞けなかったスレイマンにドンニャが下から2階の彼の部屋に向かって、『I worked with the Enemy to ensure your security』と叫ぶシーンがある。この敵はアフガニスタンの駐留米軍のことであると思う。「セキュリティーを守った」は米軍とアフガンの仲介に入って通訳を務めたドンニャたちのことだと思う。だから、「これだけのことをしてやったのに、米国に来てまで裏切り者扱いするなんて、恥を知れ、このやろう!』と言ったのではないかと思う。助言を!
ドニヤの"Thank you."
映画に備えてたっぷり眠ったのに、ドニヤが必要とする睡眠薬を自分が服用したかのように、真ん中あたりの大事な箇所で寝入ってしまった。多分もっと大事な所では目が覚めていたと思いたい。
相手をまっすぐ見て、無表情で寡黙で動じないドニヤは清々しい。必要最低限のことを述べ、余計なことを聞かれたら無視するか、なぜそのようなことを言うのか質す。ドニヤはぐっすり眠れない。睡眠薬を処方してもらうために赴いた医師は、ジャック・ロンドンの『白い牙』の話をする。次のセッションでは本を手にその小説の一部の朗読までする。ビックリした。ずっと離れていた母親との再会シーンを読み終えたところで、医師はドニヤに見られないようデスクの上に置いた鞄で顔を隠して何度も何度も鼻をかむ。あれは泣いてたんだ。最初は横柄だった医師は、顔つきや服装が良くなりドニヤに丁寧に対応するようになった。
犬と狼の血が混じった存在が、犬から疎まれ仲間に入れてもらえなかった「白い牙」にドニヤは共感する。アフガニスタンの米軍基地で通訳として働いていたドニヤは、「女である」為に他の通訳達の輪に入れてもらえなかった、とドニヤは言う。
ドニヤは思いがけず自動車整備士のダニエルに出会う。彼はドニヤの英語がFremont訛りでないと言った。この映画の原題はFREMONTだ。アフガニスタンの人達が集まって住んでいる所でもあるんだろう。でも彼はアフガニスタンの人に今まで会った事がないと言っていた。
自分一人故郷から離れ、アフガニスタンでは殺されている同胞がたくさんいる。自分も眠れない。大学を出て英語通訳として働いていたドニヤが今、アメリカで携わっているのは単純作業。笑ったり泣いたり、恋をして幸せになることも後ろめたい。でもドニヤ、工場の雇い主の妻がケチでよかった。自分の勘と勇気が、話相手を求めているダニエルのもとへ足を運ばせてくれた。訳わからない「鹿」を、彼は欲しかったと言ってくれた。ドニヤの丁寧で美しく響く"Thank you"が、幸運をゆっくり引き寄せた。
新宿シネマカリテで見た
ほのぼの哀愁
予告編の雰囲気から、勝手にA24作品だと思ってたら全然関係なかった。
どことなく漂う哀愁は、ちょっとカウリスマキっぽくもあるかな。
こういう不器用な人間模様は好き。
フォーチュンクッキーってああやって作ってるんだ。
大量生産してるメーカーもあるんだろうけど、手作りを見れるのは少し嬉しい。ても電話番号入ってても胡散臭くてかけないよ、怖い。
全体的にゆるカワ映画なのだけど、精神科医とのカウンセリングではセリフがちょいちょい哲学的。
あまり良い出会い方ではなかったお医者さんも、なんじゃかんじゃ言いながら付き合ってくれんのね。
出会いを求めて出かけたものの、
想像していた結末とは違ったけど結果オーライというか、ほ〜ん、なるほどねぇ。とちょっとニヤッとさせるエンディングも可愛らしくて良い。
あの整備士の彼、『アイアンクロー』の四男だとは気づかなかった。
タイトルなし(ネタバレ)
カリフォルニア州フリーモント。
アフガン女性のドニヤ(アナイタ・ワリ・ザダ)は中国人が経営するフォーチュンクッキー製造工場で働いていた。
彼女は、母国アフガニスタンでは、米軍基地の通訳として働いていた。
戦闘が激しくなり亡命してきたのだが、PTSDか、原因不明の不眠症に悩まされている・・・
といったところからはじまる物語。
モノクロスタンダードで淡々と日常を描くあたりは、ジム・ジャームッシュ監督『パターソン』と並べられることだろう。
本作の原題も地名「フリーモント」だし。
が、主人公をアフガン女性にしたことで、物語に深みや痛みが出た。
日常レベルでない、なにか別のものを。
精神分析カウンセラーとのやり取りなど、くすくすと笑わせながら、ピリッとした痛みを感じさせる。
と同時に、散りばめられた名言が心に沁みる。
終盤は意外な展開となるのだけれど、オフビート感はここぐらい。
ジャームッシュよりはるかに少ない。
愛すべき小品。
最後にときめいたのはいつだ?
こないだ鑑賞してきました🎬
ドニアを演じるアナイタ・ワリ・ザダは、今作が初出演にして主演😳
実際にジャーナリストだったそうです。
まだ緊張してる感じはありますが、それはそれでこの役には合っている印象🤔
孤独な女性が勇気を出して一歩踏み出す…その辺りの揺れる感情は充分感じられました😀
旅先で会う整備士ダニエルにはジェレミー・アレン・ホワイト🙂
整備士の仕事は一人でやるには過酷らしく、ドニアにそれを話すくだりの構図は、微妙な距離感が現れていて良かったです。
この映画は現代には珍しくモノクロで、レトロな感触がどこか懐かしい🙂
くすっと笑えるシーンもあり、インディペンデント映画ならではの味があります😀
ドニアを診察する医師とのやり取りも、温かさが垣間見えるのがポイント👍
大作映画とは違った趣きがあり、コアな映画好きなら楽しめますよ🎬
なんか、いい感じ 主人公のちょっと勝手な感じとかに最初はイライラさ...
なんか、いい感じ
主人公のちょっと勝手な感じとかに最初はイライラさせられたけど、
アンソニー先生が許してるなら仕方がないから私も許す
工場の経営者みたいないい人に出会えて良かったですね
カメラワーク?とか、なんとなくコミカルな感じとか、
なんか全体通していい感じの映画でした
3.5と迷ったけど、見終わった後の気分がいいから、4
みんな、お幸せに
映画館が快適すぎて少し眠ってしまった…
シネ・リーブ神戸で鑑賞。
とってもおしゃれで、快適な映画館。
60~80人程度しか入れないホールが3つある、ミニシアターなのですが、その分、ひろびろとした観客席で、ものすごく快適。快適過ぎて、難しい映画だと寝てしまいそう。
この作品は、エンタメ作品ではなく、人生の襞を丹念に描いた作品なので、しっかり、集中して見ていないと置いて行かれて、睡魔に襲われる。
いろいろと知らないことが世界にはまだまだたくさんあって、アフガニスタン人の心の動きなど、考えたこともなかった。
アフガニスタン人にとって、アメリカは、自国の混乱に、勝手に介入して、戦争をおっぱじめて、混乱をさらに深めて、さっさと去っていった、迷惑至極な国家としか思えないのかもしれない。
アメリカでは、武器産業に従事している人びとがたくさんいるので、時々戦争をして、ダブついた兵器を消費しなければならない事情があるだけのように考えてしまう。勝手な話だと思う。
そんなアメリカに、亡命せざるおえない状況に追い込まれたアフガニスタン人たちの悲喜こもごも。積極的に協力した主人公は、アメリカでのアフガニスタン人の社会の中は、異物のように扱われて、ナショナリズムの複雑さを垣間見せる。
二度と故郷をふむことはないのではと思われる主人公。
祖国と表現される国と国家と表現される国では、まったくちがう物であることをまざまざと見せられたように思う。
祖国は永遠なもの。国家は、時代の波のあぶくのようなもの。
2025.9.10 再鑑賞
遠い山なみの光をみて、
もう一度みたくなった。ちょうど、地元で上映していたので、再鑑賞した。
戦争をしらないおじさんたちには、このぐらいの表現で、勘弁してほしいと思う。
凍り付いた心の若者にもゆっくり春が訪れる
アフガニスタンからカリフォルニアに亡命した女性の退屈な日常と、ちょっとした変化を描く映画。
フォーチュンクッキーの実態は中華料理屋で食後の口直しに食べるお煎餅みたいな商品で、その製造工場の仕事は単調だ。
主人公ドニヤは美しい女性だが、常に仏頂面。それは仕事がつまらないだけではなく、故郷アフガンの過酷な境遇を背負っているから。目の前で命を落とした同胞を思えば幸せになれないのだろう。不眠の症状も抱えている。
起伏の乏しい主人公の感情が、ジャームッシュを思わせるオフビートなテンポの物語と相まって、乾いた笑いに結びついていく。ドニヤが通う精神科医の男性は、要望どおり睡眠薬を出せばいいのに、身の上話をさせたりお気に入りの絵本を読み聞かせたり。「この場面、ドニアにとっても映画的にも不要ですよね?」と思いながら見ていると、案の定バッサリと次のシーンに転換してにんまりさせられる。
ドニヤの気持ちを代弁すれば、「あなたのために、私の感情のバランスを崩してまで喜怒哀楽を働かせる余裕はない」という感じだろうか。運命の過酷さだけでなく、なんだか思春期の普遍的な心理にも通じてくすぐったいような暖かいような気持ちになった。
その一方、クッキーを作る工場長や、客がドニヤしかいないレストランのオーナーの言葉かけには一瞬の笑顔を見せる。友人がカラオケで歌う美しいメロディには、表情一つ変えずに涙を流す。ドニヤの心の中でゆっくりと何かが変わっていくようだ。
クッキーにはさむ、おみくじのようなメッセージを書く仕事を任されたドニヤ。それがきっかけで運命は少し動き出す。しかし、意外にも大事なのは周りの人のささいなおせっかいのように思えた。「前に胸がときめいてからどのぐらいたったんだ?」「船は港にいれば安全だが、海に出なければ船ではない」。
実は数回眠くなってしまったが、それすらもこの映画の「愛すべき退屈さ」の証に思える。見ている最中よりも余韻によって評価が上がった。どうでもいいような、意味ありげなシーンの数々をもう一度見直したい。
幸せを運ぶクッキーのメッセージ…なんていう甘い話ではなかった。 アメリカに来たアフガニスタン人の現実をビターに描く。
「フォーチューンクッキー」=「おみくじクッキー」といえば、イーストウッドが山田康雄の声で「凶とでてるぜ」といって撃ち殺す「ダーティーハリー」を思い出す。
それはさておき…予告編や宣伝コピーからのイメージで「小さな幸せを運ぶフォーチューンクッキーのメッセージ。」なんていう、心温まるラブストーリーを想像していたら、違ってました。
そんな、甘い話ではなかった。
元米軍通訳をしていたアフガニスタン人が、家族を残して一人渡米。
PTSDにさいなまれながら暮らす現実をビターに描いていました。
こういう問題があるということを、映画として知らしめるだけでもこの映画の存在意義がある。
劇中、クッキーのメッセージを生活の中の小さな楽しみとして、読む人々の姿がある。
それだけでもクッキーの存在意義も大きい。
その辺をもっと描いてほしかった気がします。
アフガニスタン版カウリスマキ
とても期待していた映画なのだけれど
好きなタイプだと思うんですが⋯
嫌いじゃないタイプの作品なのは確かなんです。
ラストの助手席の真っ白な陶器の鹿のシュールさも好みだと思うんです⋯。
なのに、不覚にも、ちょっとずつドニヤが動き始める微かな動の部分だと思われる中盤辺り?
睡魔に襲われて眠りに落ちていました⋯。
でも、テレビ番組の映画紹介でなんとなくあらすじは理解していたので、ついていけたと思っております。
アメリカとアフガン人の通訳との関係、その後の問題などを声高に訴えることはなく、
物語の中のエッセンスの一部として、きちんと観る側に意識させるところは、良い脚本だなと思いました。
ラストは、ドニヤの笑顔が増える明るい未来が感じられたので、気持ちがほんのり温かくなりました。
そして、お勤めしてるところの奥さんの性格が悪いことは、よく判りました。
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