「犬も歩けば棒に当たる 船も海に出れば鹿と幸運に当たる」フォーチュンクッキー Freddie3vさんの映画レビュー(感想・評価)
犬も歩けば棒に当たる 船も海に出れば鹿と幸運に当たる
原題は “Fremont” 。アメリカ カリフォルニア州のサンフランシスコ湾南東岸にあるフリーモント市のことです。私は映画の題名または原題が地名の場合には、地図とネット検索でその地を予習してから観に行くようにしています。今月は『ハルビン』を観る前にハルビン市の人口が約7百万と知り、中国ってやっぱり人が多いなあなんて思っておりましたが、こちらのフリーモント市は人口約23万、人口の半分くらいがアジア系で、全米で最もアフガニスタン系の人口が多いそうです。南に30kmほど走るとシリコンバレーの有名都市のサンノゼです。フリーモントはシリコンバレーの北の端といった感じなのでしょうか。テスラの工場があるそうです。この映画の終盤に主人公のドニヤ(演: アナイタ•ワリ•ザダ)がドライブして移動するシーンがあるのですが、予習のかいなく、どちらの方向にどれくらいの距離を走ったか、よくわかりませんでした。
さて、このドニヤ、アフガニスタンのカブールにいたときは米軍基地で通訳をしていたとのことで、2021年にタリバンが政権を奪取した際には、親きょうだいとも離れ離れになって、命からがら、アメリカに逃れてきたのでしょうね。アメリカの協力者であったこと、インテリ女性であることを考えると、タリバン政権下のアフガニスタンに戻って生活するのはほぼ絶望的で、このままアメリカのアフガン•コミュニティで暮らしてゆくほかはなさそうです。
で、彼女は中国深圳出身のちょっと人格者風のおじさん(演: エディ•タン)が経営するフォーチュンクッキーの製造工場で働いています。ひょんなことから、クッキーに入れるメッセージ制作の担当となりました。彼女は故国から逃れて来てから、かなり精神的に危なかったと思うのですが、彼女にとっては外国語である英語での一文を何種類もつづるというのは精神的な危機脱出に対して多少なりとも意味があったのかもしれません(まあでも、彼女はちょっとした「職権濫用」をしますが)。
ドニヤはアフガン•コミュニティでは浮いてる感じがあります。よく話をする友人の夫から疎まれたりもします。典型的なムスリム社会ではインテリ女性は疎まれる存在なのでしょうか。まあ米軍の協力者だったと思われているのもあるとは思いますが。
うまく眠れないという自覚症状があるドニヤは睡眠薬を処方してもらおうと精神科のドクター(演: グレッグ•ダーキントン)のところに行きます。ですが、このドクター、薬を処方せずに、ドニヤとの対話を試みます。あげくのはては、自分がお気に入りの本(ジャック•ロンドンの “White Fang”「白い牙」でした)をドニヤに読み聞かせて自分のほうが感極まったりもします。なんかこのドクターの診療ぶりはドニヤの回復にはちっとも効果がなかったみたいな描かれ方でしたが、私は少しは効果があったと信じたいです。
結局、ドニヤは上記の「職権濫用」のせいで、フォーチュンクッキー工場経営者の意地の悪い奥さんに罠を仕掛けられてしまいます。まあでも、そのおかげで、自分で車を運転してちょっとした旅行をすることになります。この旅行の準備あたりで彼女が精神的に自立してゆく様子が見てとれます。そして、目的地に向かう途中で自動車整備庫をひとりで切り盛りしている青年(演: ジェレミー•アレン•ホワイト)に出会います。で、目的地に行って、罰ゲームの景品のような陶磁器製の鹿の置物を手に入れ、帰り道にはまたあの青年のところへ……
こう言った話がモノクロの画面にのって淡々と語られてゆきます。まあ一言で言って「普通にいい映画」みたいな感じで私は好感を持ちました。この作品の監督はババク•ジャラリ、1978年イラン生まれの46歳。確かに、ジム•ジャームッシュ味だとか、アキ•カウリスマキ味だとかを感じるのですが、この映画を見る限りはそれらの単なる亜流にはならずにババク•ジャラリ調の語り口みたいなものを感じさせます。淡々としているが、素朴で率直な感じ。ユーモアも洗練されてはいないけど、素朴に押してきてクスッと笑いを取る感じ。次回作も楽しみです。
ともあれ、この物語の主人公ドニヤはとんでもない貧乏くじを引いてしまったような人生で、酷い状態で故国を離れ、アメリカにやってきても同胞のコミュニティにもうまく馴染めず、孤独を抱えて生きてきました。実は精神的にもけっこう危ない状態だったのかもしれません。でも、彼女は港に錨をおろしたままの船にはなりませんでした。勇気を出して海に出ました。あなたのほんのちょっとの勇気とほんのちょっとの偶然から、あなたに幸運が訪れますーーあなたが次に中華料理店に行ったとき、フォーチュンクッキーから、そんなメッセージが出てくるかもしれません。