「凍り付いた心の若者にもゆっくり春が訪れる」フォーチュンクッキー KaMiさんの映画レビュー(感想・評価)
凍り付いた心の若者にもゆっくり春が訪れる
アフガニスタンからカリフォルニアに亡命した女性の退屈な日常と、ちょっとした変化を描く映画。
フォーチュンクッキーの実態は中華料理屋で食後の口直しに食べるお煎餅みたいな商品で、その製造工場の仕事は単調だ。
主人公ドニヤは美しい女性だが、常に仏頂面。それは仕事がつまらないだけではなく、故郷アフガンの過酷な境遇を背負っているから。目の前で命を落とした同胞を思えば幸せになれないのだろう。不眠の症状も抱えている。
起伏の乏しい主人公の感情が、ジャームッシュを思わせるオフビートなテンポの物語と相まって、乾いた笑いに結びついていく。ドニヤが通う精神科医の男性は、要望どおり睡眠薬を出せばいいのに、身の上話をさせたりお気に入りの絵本を読み聞かせたり。「この場面、ドニアにとっても映画的にも不要ですよね?」と思いながら見ていると、案の定バッサリと次のシーンに転換してにんまりさせられる。
ドニヤの気持ちを代弁すれば、「あなたのために、私の感情のバランスを崩してまで喜怒哀楽を働かせる余裕はない」という感じだろうか。運命の過酷さだけでなく、なんだか思春期の普遍的な心理にも通じてくすぐったいような暖かいような気持ちになった。
その一方、クッキーを作る工場長や、客がドニヤしかいないレストランのオーナーの言葉かけには一瞬の笑顔を見せる。友人がカラオケで歌う美しいメロディには、表情一つ変えずに涙を流す。ドニヤの心の中でゆっくりと何かが変わっていくようだ。
クッキーにはさむ、おみくじのようなメッセージを書く仕事を任されたドニヤ。それがきっかけで運命は少し動き出す。しかし、意外にも大事なのは周りの人のささいなおせっかいのように思えた。「前に胸がときめいてからどのぐらいたったんだ?」「船は港にいれば安全だが、海に出なければ船ではない」。
実は数回眠くなってしまったが、それすらもこの映画の「愛すべき退屈さ」の証に思える。見ている最中よりも余韻によって評価が上がった。どうでもいいような、意味ありげなシーンの数々をもう一度見直したい。

