兄を持ち運べるサイズにのレビュー・感想・評価
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死んだ人は思い出すと生き返る
柴崎コウを映画で観たのは、実に、まだ彼女は歌手だと思っていた頃の「黄泉がえり」以来では。歳を重ね、満島ひかりの義姉役が板につくようになったなぁ。
夜更けの電話を受けて家族に「兄が亡くなった」と言わずに「兄が死んだ」と言わせているところに、それなりの感情があると臭わせる演出は良かったのか、ちょっと冷たすぎたのか。最後に自分の中の兄に救いを求める会話に繋げるための最初の布石だったのかな?
アパートで死んだ兄を生き返らせる3人のお別れの儀式と、地下鉄の駅で松葉杖のお父さん達を見たサラリーマンが「ノーサイド」と言うシーンだけは少し冗長な構成にも思えたけれど、やはりオダギリジョー贔屓の私としては、その風体や演技と、この作品のカメラと出演者全員への演出に好印象を持ってしまうのでした。
共感できる?できない?
ある意味で死んだ人と向き合う話
もう少しコメディに寄った作品かと思ってました
タイトルとポスターの印象から、もっとコメディに寄った気軽な作品かと思ってたら原作ありのガチの終末映画でした。(原題には終の文字があったよ)
骨壺おっきくね?(宗派によるの?)とかはあるが終始リアリティのある安心感のある作りに登場人物それぞれのイマジナリー〇〇を絡めた構成。
主役級が安定した演技でこちらも安心でした。
ただ、イマドキの映画にしてはタバコ吸うシーンがかなり出てきて、原作(実話を元にしてるらしい)に忠実にしたのかな?とちょっと違和感ありました。
以下少しネタバレ
引っ越しのタイミングと震災の年計算してもうひとどんでん返しくるのかな?と思ってたら、そこまではなく、終始淡々と家族とは?というテーマを貫いてた。
因みにポスターのようなコミカルなシーンは出てきません、ちょっとやられました(プロデューサーに)。
伏線、伏線、回収、回収、の展開で映画的には綺麗なんだけど、物足りなさも少しあった、かな。
ルンダナベイビー
インパクトのあるタイトル、コメディなのかシリアスなのかシリアスなのか分からない予告に惹かれて鑑賞。
想像以上の掘り出し物でした。
家族としてのあり方、身近な人の知らないこと、関係性を一歩進めるといった、何気ない生活を目一杯描いており、ほっこり感動できる映画になっていました。
原作者の村井理子先生の実体験ベースというのもあり、地に足ついた話が続きながら、数日間の騒動をエッセイとしてしたためる感じがナチュラルでどんどん没入していけるつくりが良かったです。
兄の元奥さんとその娘、そして理子先生の3人で兄の道筋をたどりながら、文句を垂れ流しつつも、兄の知らない一面を知っていくという珍道中はほんわかしつつも、兄の中々にクズめいたエピソードが語られるのでそこからの逆転劇はあるのかな?と思っていましたが、点と点が線に繋がっていく展開がふんだんに盛り込まれているので、不安がどんどん和らいでいきました。
アパートの荷物を全部ゴミ処理施設に持っていって捨てる時に、兄&元夫の悪口浴びせまくりながらゴミ放り投げているシーンがめちゃくちゃ面白く、昔ゴミ処理施設でポーンと放り投げるの楽しかったなーというのも思い出したりしていました。
そこから兄の息子を迎えにいくシーンでの葛藤だったり、そこで知る兄のエピソードだったりも自然に差し込まれるのでスッと飲み込めますし、その中で関係性の変化や考え方の変化も見られたりするので、成長をグッと感じられるのも良かったです。
死者である兄の姿が見えるというファンタジー要素が入っていながら、それらが突飛になりすぎずコメディとして笑いになっていたのは本当素敵だなと思いました。
時には優しき父親で、時には白スーツの花婿で、時には飲兵衛な兄で、時には天職の姿でとオダギリジョーさん変幻自在ですが、それぞれと対話しているのもとっても良かったです。
連続して会いにいくと前の衣装からの着替え中という設定があったのが面白く、パンツ丸見えオダギリジョーがいたのが新鮮でした。
別れ際はサラッとでってあの場でパッと言えるのも良いですし、これからも続いていく関係性だからこその別れ方が非常に良くてじんわりきました。
持ち運べるサイズになってから家族と再会し、家族の変化に思わずボロボロ泣いてしまい家族をより愛おしく思える理子先生が素敵でした。
家族という問いのアンサーがしっかり出ていてこれまたスッキリしました。
最初の印象からはガラッと変わる人情噺でとても良かったです。
年末年始に実家に戻るのでこの映画の話を家族にしてワッハッハと笑いあいたいもんです。
鑑賞日 12/7
鑑賞時間 18:15〜20:25
なんだろ?この映画の幸福感、鑑賞中ずっと微笑みが絶えない
女優2人の好演技により家族の温かさを感じ、視聴直後はとても暖かい気持ちになったのだが・・・
中野量太監督による2025年製作(127分/G)の日本映画。配給:カルチュア・パブリッシャーズ、劇場公開日:2025年11月28日。
村井理子による原作エッセイ「兄の終い」は未読。ただ多分、とても優れたエッセイなんだろうとは思えた。
死んだはずのオダギリジヨー演ずる兄は、主人公である妹の柴咲コウの前に何度も現れて会話もするが、それは映画オリジナルの様。元妻の満島ひかりがそれを羨ましがるのが、微笑ましくはあった。取り残された息子の味元耀大も、生活してきたアパートで父親に会うことができた。そういう中で、嘘つきで生活力に欠けお金をたかり母親を見捨てた兄が、優しいときもあり憎めないとこがあったことを思い出していく展開は泣かせる脚本で、中野量太なかなかにお上手。
子供にとっても楽しい父親だった様で、2人で行った場所あちこち(お金がかからないとこ)を主人公と共に巡る展開も映画的で、お見事。ただ、主人公は作家ということでか、画面上で頻繁に出てくる文字が細かくて読みきれずに、ストレスがかなりたまった。映画なんだから文字に頼らず、会話とか映像にきちんと落とし込むべきだろうとは思った。
妹役および元妻としてほぼ出ずっぱりの2人の女優、柴咲コウと満島ひかりの演技は素晴らしく、死者(オダギリジョー)の度々の登場に説得力を与えていた。それで、映画を見終わった直後は、やっぱり家族っていいよなあ、と暖かい気持ちになり、良い映画を有り難うとは思った。
ただ、少し経ったきたところで、泣かせるためのかなりあざとい作りだなあと思えてもきた。そして、遠くから見る分には可愛げのある奴だったで済むかもしれないが、実際にあんなのが身内にいたらやっぱり悲惨だよなあとも思えてきた。それを忘れさせる中野量太脚本監督の強引な力技みたいなとこはかなりあったと。あと、大きなスクリーンで見る意義はあまりなかった映画かなとも。
監督中野量太、原作村井理子、脚本中野量太、製作崔相基 小林敏之 和田佳恵 エリック・ル・ボ 高丹 篠田学、エグゼクティブプロデューサー後藤哲、企画プロデュース小川真司
プロデューサー片山武志 若林雄介 久保田恵、アソシエイトプロデューサー黄茂昌 黄寶嫻
撮影岩永洋、照明谷本幸治、録音猪股正幸、美術大原清孝、装飾榊さくら、スタイリスト
西留由起子、ヘアメイク山田みずき 石川奈緒記、編集瀧田隆一、音楽世武裕子、音響効果
勝亦さくら、助監督本田大介、キャスティングディレクター杉野剛、ラインプロデューサー
天野佑亮、宣伝プロデューサー平下敦子。
出演
村井理子柴咲コウ、兄オダギリジョー、加奈子満島ひかり、満里奈青山姫乃、良一味元耀大
斉藤陽一郎、岩瀬亮、浦井のりひろ、足立智充、村川絵梨、不破万作、吹越満。
ガリバー旅行記
またかオダギリジョー
テンポが良いのか悪いのか⋯
起伏の無い映画だった
驚くほど「わたし」のことを描いた作品だった
作家の理子は、突如警察から、兄の急死を知らされる。兄が住んでいた東北へと向かいながら、理子は兄との苦い思い出を振り返っていた。警察署で7年ぶりに兄の元嫁・加奈子と娘の満里奈、一時的に児童相談所に保護されている良一と再会、兄を荼毘に付す。 そして、兄たちが住んでいたゴミ屋敷と化しているアパートを片付けていた3人が目にしたのは、壁に貼られた家族写真の数々。子供時代の兄と理子が写ったもの、兄・加奈子・満里奈・良一が作った家族のもの・・・ 兄の後始末をしながら悪口を言いつづける理子に、同じように迷惑をかけられたはずの加奈子はぽつりと言う。「もしかしたら、理子ちゃんには、あの人の知らないところがあるのかな」 兄の知らなかった事実に触れ、怒り、笑って、少し泣いた、もう一度、家族を想いなおす、4人のてんてこまいな4日間が始まったー(公式サイトより)。
本作は、ひょんなことから、たまたま、何の予備知識もなく、付き合いで観に行った程度だったのだが、少し恥ずかしくなるくらい涙が止まらなくなった。なぜなら、それは、驚くほど「わたし」のことを描いた作品だったからだ。
そもそも、映画を観たレビューをここに書き連ねるという行為自体、どこか無粋だという自覚があるので(なぜなら文章で表現できるなら、監督は映画を撮っていないのだから)、ほのかな罪悪感から、できるだけ主語をぼかしたような、例えばテーマ設定や脚本、映像美、俳優の演技、社会的背景等、レビューの書き手である「わたし」という主体がなるべく起き上がってこない一般化、抽象化、テクニカル論を心がけたテキストを意識的にあげてきた。だが、本作にはそれが困難なほど「わたし」がいた。今日だけはその禁を解こうと思う(勝手に自縛していただけだが)。
わたしは東北出身で、オダギリジョーと同い年で、ちょうど本作と同じくらいの年齢差の妹がおり、人生において、何度か、予期せぬ不運な死を経験してきた。その結果、人の死自体に意味などないのだから、遺族が悔やんで現実社会を前に進めなくなるのはナンセンスで、その死にどういう解釈を与えて前に進むかはいまを生きる人間の権利と責任であるという考えを持つに至り、実際にそういう趣旨の弔辞を読んで、葬儀会場をややざわつかせたことがある。さらに最近、本作のお兄ちゃんと同レベルのダメな親族の瀕死を経験し(幸いにも死ななかった)、そのことを形象化するために、小説に相当する長いテキストを書いた。
もともと、家族愛や母性神話やジェンダーロール、死によって故人を美化する風潮等、ありきたりな固定観念を熟慮せずに、所与のものとしてとらえたり、肯定したり、礼賛したりするような作品があまり得意ではない。ちなみに映画を観ても、葬式に出ても滅多に泣かない。
本作にはつまり、上に挙げた要素が詰まっている。
人の死は色々なことを浮き彫りにするし、どんなに憎んだクズ人間の死でも、兄や元夫の死を受容していくのは容易ではない。天啓が降りてきて悟りを開くことも、死によって全てが美化され赦す展開になることも実際にはない。現実には解決すべき問題が山積しているし、とにかく部屋は臭くて汚いし、数年離れて暮らしていた息子はろくに箸も持てないし、前髪は不必要に長い。現実を生きる妹や、元妻や、娘や息子は、兄・元夫・父の後始末を通してクズ人間の足跡を辿り、じんわりと、ただじんわりと、物理的にも精神的にもかれを、自分たちが明日に「持ち運べるサイズ」にしていく。
「支えであり呪縛ではない」という、最初はよく分からない冒頭の文言や、豊橋に着いた加奈子がわざわざ戻ってきて理子に告げる宣言めいたことばや、クズ人間の兄がしばしば口にする「それはお前が答えを出せ」という科白に、6歳で実父を亡くした監督のメメント・モリが柔らかく織り込まれている。
特に後半は、ずっと、つーと涙が流れ出ながら鑑賞した。わたし自身が遺族に対して発した「人の死に意味などないのだから前を向こう」という考えや、形象化のためにテキストにして公開するということと、同じ感覚を持つ人に初めて出会えた気がした。死者や、悲しみに暮れる遺族に鞭を打つようなことばじゃなかっただろうかというそこはかとない迷いが解かれたような、赦されたように感じたのだろう。遺骨なんてシートの隙間から裸で渡すくらいでいいのである。
それにしても満島ひかりの凄さである。亡き人を「持ち運べるサイズ」にして明日を生きていくとはこういうだという傑出した演技を見せた。オダギリジョーの憎めないクズっぷりも良かった。柴咲コウは、懐古的な「甘える」演技にぎこちなさがあったが、ラストシーンでその不自然さを一気に回収した。その気持ち、泣けないわたしには痛いほど分かる。
本作がここまで刺さったのは、あくまで「わたし」という個人が極めて色濃く投影された作品だと「わたし」が感じたからであるが、シネコンで小さなスクリーンしか与えられなくても、「わたし」にとってかけがえのない作品に出合えたことには感謝したい。長生きするぞ。
亡くなった人へ
絶縁状態にあった兄の死の連絡を受けた妹が、その地に向かい、元嫁と共に兄の後始末をする。
作家・村井理子さんのノンフィクションエッセイが原作。「湯を沸かすほどの熱い愛」の中野量太監督作。
面白いアイデアだなと思ったら、実話がベースでした😅。とは言え、想像により出て来た兄と会話する等、実話としてはあり得ない部分もあり、あくまでも映画的な良い具合に物語として落とし込んでいる。
しっかり笑えるシーンもあれば、痛々しいシーン、ぐっと込み上げるシーン、爽やかな気分になるシーン、等、監督の腕が見える。
しかしこの歳になると、何人かの人を見送って来たから、こういう映画は沁みるなぁ。
自分はどう考えてもこのお兄さんタイプだ😅
いつも家族をテーマに撮っておられる中野監督ならではの良い映画。
#兄を持ち運べるサイズに
#映画三昧
映画が終わったらノーサイド
オダギリ先生は最近観る度に角度の違うダメ人間ばかり演じているなあと感心。しかし今回はかなり鈍角、161度くらいでしょうか。クズっぷりにリアリティがなく、実は心根はいい人間という雰囲気も皆無。さらには寸劇まで披露するという、鋭角なダメ人間像からは遠い不思議系お兄さん役です。
柴咲コウは実はお兄さんよりもポテンシャルがある独自OSを搭載している妹役。ちゃんとメガネに度が入っている点が良かった。
急に蔦屋書店が出てきてなんでかと思ったらカルチュアエンタテインメントが製作に関与していたようで、エンドロールで鼻白む。はあ、二時間経っちゃった。
ただ満島ひかりがカワイイので、星五つです!
少しふざけすぎたかな?
柴咲コウとオダギリジョーの兄妹に加え、別れた元妻満島ひかりと。まぁ面白くならないわけない面々。
中野監督は本作も前作湯が沸くほどの熱い愛に続けて亡くなった家族への想いを取り上げていて、とてもハートウォーミングな作品となり、60歳間近のおっさんの涙腺を刺激しました。ただ最後の亡くなった後、思ってる故人の姿が現れる件は、楽しいけれど、少しふざけすぎてるかも。名作度が下がってるかも。
格好つけたこと言いました。嘘です。あそこで、三人別れた妻が引き取った息子と、妹と、別れた妻と本当のお別れが出来たので、やはり必要だったかと思います。ふざけているのは、オダギリジョー演じる亡くなった兄のキャラクターを考えれば自然なことと捉えるべきかも。
泣きました
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