兄を持ち運べるサイズにのレビュー・感想・評価
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自分の家族仲によって感じ方が変わる作品
家族は支えであって呪縛ではない。
この一言で救われる人も多いのではないかなと思った。
家族仲が良いに越したことはないけれど、家族とはいえ人と人だ。価値観や気が合わなかったりする人もいるだろう。
私は幸運なことに家族仲が昔から良かったので、主人公の気持ちに「わかるよ」と完全に共感することは難しかった。けれど、主人公と近しい経験や感情を抱いた経験がある人は、より感情移入して観ることができる作品だと思う。
上記の前提があったのは、私はどうも作品の演出や構成が気になってしまい後半になるにつれて、作品から気持ちが離れていってしまった。
主役が作家ということもあり、ところどころで主人公のその時の感情が脳内でタイピングしているかのように、文字として出てくる演出がある。最初はそれがアクセントにはなっていたけれど、その量が増えてくるとくどく感じる。
文字の出す場所は凝っていておしゃれではあったけれど。
あとイマジナリー兄がこれもところどころ出てくるのだが、個人的にはその演出も主人公のイマジナリー内でおさめてほしかった。最後のアパートのシーンはめちゃくちゃ冷めてしまった。
監督の「湯を沸かすほどの熱い愛」が好きだったので、期待値が上がっていたのもあるが、家族の描き方としては私は「湯を沸かすほどの熱い愛」の方が好きだった。
と、辛口レビューをしてきたが、役者陣の演技は素晴らしかった。柴咲コウの母親、妻、元伯母、妹の立場で話すと、ナチュラルにその立場での話し方になる演技はすごいと思ったし、オダギリジョーだらしない兄はハマり役すぎた。満島ひかりの涙の演技もやっぱり最高。
あと「湯を沸かすほどの熱い愛」と同じで、作品を見る前と後で作品のタイトルな感じ方が変わるとこも良い。原作のタイトルではなく、このタイトルにしたのは大正解だと思う。
家族が全員亡くなってひとりになったとき、私はどんな風に思うんだろう。それを考えたら寂しすぎた。
家族の形、家族とはなにか、それを考えさせられる作品だった。
温かくユーモラスな視点で人の死、家族の記憶を大切に描く
もうすっかり歳を重ねた主人公が兄の訃報に触れ、「彼はいったい何者だったのか」という命題に直面する物語。幼い頃から身勝手でいつも周囲を振り回し続けた兄。大人になってもお金の無心ばかり。嘘つき。それに油断してると人を見透かし心の内側にずんずん入り込んでくる。でもそれはあくまで主人公の目に映った兄であって、いなくなって気づけば「知らなかった側面」が次から次にあふれていく。人間の死、もしくはその後の諸々の処理の過程を「持ち運べるサイズに」というユニークな角度からの表現で照射しているのと同じく、本作はオダギリが飄々と演じる兄像が鏡のように反射しながら遺された者達に気づきと心の広がりをもたらしていく。哀しみと可笑しみと弛まぬ日常をしっかりと描く筆致は、過去にも生死や家族というテーマを大切に扱ってきた中野監督ならでは。柴咲&満島の内側から滲み出る好演も相まって安心して身を預けられる秀作に仕上がっている。
なんだろ?この映画の幸福感、鑑賞中ずっと微笑みが絶えない
女優2人の好演技により家族の温かさを感じ、視聴直後はとても暖かい気持ちになったのだが・・・
中野量太監督による2025年製作(127分/G)の日本映画。配給:カルチュア・パブリッシャーズ、劇場公開日:2025年11月28日。
村井理子による原作エッセイ「兄の終い」は未読。ただ多分、とても優れたエッセイなんだろうとは思えた。
死んだはずのオダギリジヨー演ずる兄は、主人公である妹の柴咲コウの前に何度も現れて会話もするが、それは映画オリジナルの様。元妻の満島ひかりがそれを羨ましがるのが、微笑ましくはあった。取り残された息子の味元耀大も、生活してきたアパートで父親に会うことができた。そういう中で、嘘つきで生活力に欠けお金をたかり母親を見捨てた兄が、優しいときもあり憎めないとこがあったことを思い出していく展開は泣かせる脚本で、中野量太なかなかにお上手。
子供にとっても楽しい父親だった様で、2人で行った場所あちこち(お金がかからないとこ)を主人公と共に巡る展開も映画的で、お見事。ただ、主人公は作家ということでか、画面上で頻繁に出てくる文字が細かくて読みきれずに、ストレスがかなりたまった。映画なんだから文字に頼らず、会話とか映像にきちんと落とし込むべきだろうとは思った。
妹役および元妻としてほぼ出ずっぱりの2人の女優、柴咲コウと満島ひかりの演技は素晴らしく、死者(オダギリジョー)の度々の登場に説得力を与えていた。それで、映画を見終わった直後は、やっぱり家族っていいよなあ、と暖かい気持ちになり、良い映画を有り難うとは思った。
ただ、少し経ったきたところで、泣かせるためのかなりあざとい作りだなあと思えてもきた。そして、遠くから見る分には可愛げのある奴だったで済むかもしれないが、実際にあんなのが身内にいたらやっぱり悲惨だよなあとも思えてきた。それを忘れさせる中野量太脚本監督の強引な力技みたいなとこはかなりあったと。あと、大きなスクリーンで見る意義はあまりなかった映画かなとも。
監督中野量太、原作村井理子、脚本中野量太、製作崔相基 小林敏之 和田佳恵 エリック・ル・ボ 高丹 篠田学、エグゼクティブプロデューサー後藤哲、企画プロデュース小川真司
プロデューサー片山武志 若林雄介 久保田恵、アソシエイトプロデューサー黄茂昌 黄寶嫻
撮影岩永洋、照明谷本幸治、録音猪股正幸、美術大原清孝、装飾榊さくら、スタイリスト
西留由起子、ヘアメイク山田みずき 石川奈緒記、編集瀧田隆一、音楽世武裕子、音響効果
勝亦さくら、助監督本田大介、キャスティングディレクター杉野剛、ラインプロデューサー
天野佑亮、宣伝プロデューサー平下敦子。
出演
村井理子柴咲コウ、兄オダギリジョー、加奈子満島ひかり、満里奈青山姫乃、良一味元耀大
斉藤陽一郎、岩瀬亮、浦井のりひろ、足立智充、村川絵梨、不破万作、吹越満。
ガリバー旅行記
またかオダギリジョー
テンポが良いのか悪いのか⋯
起伏の無い映画だった
驚くほど「わたし」のことを描いた作品だった
作家の理子は、突如警察から、兄の急死を知らされる。兄が住んでいた東北へと向かいながら、理子は兄との苦い思い出を振り返っていた。警察署で7年ぶりに兄の元嫁・加奈子と娘の満里奈、一時的に児童相談所に保護されている良一と再会、兄を荼毘に付す。 そして、兄たちが住んでいたゴミ屋敷と化しているアパートを片付けていた3人が目にしたのは、壁に貼られた家族写真の数々。子供時代の兄と理子が写ったもの、兄・加奈子・満里奈・良一が作った家族のもの・・・ 兄の後始末をしながら悪口を言いつづける理子に、同じように迷惑をかけられたはずの加奈子はぽつりと言う。「もしかしたら、理子ちゃんには、あの人の知らないところがあるのかな」 兄の知らなかった事実に触れ、怒り、笑って、少し泣いた、もう一度、家族を想いなおす、4人のてんてこまいな4日間が始まったー(公式サイトより)。
本作は、ひょんなことから、たまたま、何の予備知識もなく、付き合いで観に行った程度だったのだが、少し恥ずかしくなるくらい涙が止まらなくなった。なぜなら、それは、驚くほど「わたし」のことを描いた作品だったからだ。
そもそも、映画を観たレビューをここに書き連ねるという行為自体、どこか無粋だという自覚があるので(なぜなら文章で表現できるなら、監督は映画を撮っていないのだから)、ほのかな罪悪感から、できるだけ主語をぼかしたような、例えばテーマ設定や脚本、映像美、俳優の演技、社会的背景等、レビューの書き手である「わたし」という主体がなるべく起き上がってこない一般化、抽象化、テクニカル論を心がけたテキストを意識的にあげてきた。だが、本作にはそれが困難なほど「わたし」がいた。今日だけはその禁を解こうと思う(勝手に自縛していただけだが)。
わたしは東北出身で、オダギリジョーと同い年で、ちょうど本作と同じくらいの年齢差の妹がおり、人生において、何度か、予期せぬ不運な死を経験してきた。その結果、人の死自体に意味などないのだから、遺族が悔やんで現実社会を前に進めなくなるのはナンセンスで、その死にどういう解釈を与えて前に進むかはいまを生きる人間の権利と責任であるという考えを持つに至り、実際にそういう趣旨の弔辞を読んで、葬儀会場をややざわつかせたことがある。さらに最近、本作のお兄ちゃんと同レベルのダメな親族の瀕死を経験し(幸いにも死ななかった)、そのことを形象化するために、小説に相当する長いテキストを書いた。
もともと、家族愛や母性神話やジェンダーロール、死によって故人を美化する風潮等、ありきたりな固定観念を熟慮せずに、所与のものとしてとらえたり、肯定したり、礼賛したりするような作品があまり得意ではない。ちなみに映画を観ても、葬式に出ても滅多に泣かない。
本作にはつまり、上に挙げた要素が詰まっている。
人の死は色々なことを浮き彫りにするし、どんなに憎んだクズ人間の死でも、兄や元夫の死を受容していくのは容易ではない。天啓が降りてきて悟りを開くことも、死によって全てが美化され赦す展開になることも実際にはない。現実には解決すべき問題が山積しているし、とにかく部屋は臭くて汚いし、数年離れて暮らしていた息子はろくに箸も持てないし、前髪は不必要に長い。現実を生きる妹や、元妻や、娘や息子は、兄・元夫・父の後始末を通してクズ人間の足跡を辿り、じんわりと、ただじんわりと、物理的にも精神的にもかれを、自分たちが明日に「持ち運べるサイズ」にしていく。
「支えであり呪縛ではない」という、最初はよく分からない冒頭の文言や、豊橋に着いた加奈子がわざわざ戻ってきて理子に告げる宣言めいたことばや、クズ人間の兄がしばしば口にする「それはお前が答えを出せ」という科白に、6歳で実父を亡くした監督のメメント・モリが柔らかく織り込まれている。
特に後半は、ずっと、つーと涙が流れ出ながら鑑賞した。わたし自身が遺族に対して発した「人の死に意味などないのだから前を向こう」という考えや、形象化のためにテキストにして公開するということと、同じ感覚を持つ人に初めて出会えた気がした。死者や、悲しみに暮れる遺族に鞭を打つようなことばじゃなかっただろうかというそこはかとない迷いが解かれたような、赦されたように感じたのだろう。遺骨なんてシートの隙間から裸で渡すくらいでいいのである。
それにしても満島ひかりの凄さである。亡き人を「持ち運べるサイズ」にして明日を生きていくとはこういうだという傑出した演技を見せた。オダギリジョーの憎めないクズっぷりも良かった。柴咲コウは、懐古的な「甘える」演技にぎこちなさがあったが、ラストシーンでその不自然さを一気に回収した。その気持ち、泣けないわたしには痛いほど分かる。
本作がここまで刺さったのは、あくまで「わたし」という個人が極めて色濃く投影された作品だと「わたし」が感じたからであるが、シネコンで小さなスクリーンしか与えられなくても、「わたし」にとってかけがえのない作品に出合えたことには感謝したい。長生きするぞ。
亡くなった人へ
絶縁状態にあった兄の死の連絡を受けた妹が、その地に向かい、元嫁と共に兄の後始末をする。
作家・村井理子さんのノンフィクションエッセイが原作。「湯を沸かすほどの熱い愛」の中野量太監督作。
面白いアイデアだなと思ったら、実話がベースでした😅。とは言え、想像により出て来た兄と会話する等、実話としてはあり得ない部分もあり、あくまでも映画的な良い具合に物語として落とし込んでいる。
しっかり笑えるシーンもあれば、痛々しいシーン、ぐっと込み上げるシーン、爽やかな気分になるシーン、等、監督の腕が見える。
しかしこの歳になると、何人かの人を見送って来たから、こういう映画は沁みるなぁ。
自分はどう考えてもこのお兄さんタイプだ😅
いつも家族をテーマに撮っておられる中野監督ならではの良い映画。
#兄を持ち運べるサイズに
#映画三昧
映画が終わったらノーサイド
オダギリ先生は最近観る度に角度の違うダメ人間ばかり演じているなあと感心。しかし今回はかなり鈍角、161度くらいでしょうか。クズっぷりにリアリティがなく、実は心根はいい人間という雰囲気も皆無。さらには寸劇まで披露するという、鋭角なダメ人間像からは遠い不思議系お兄さん役です。
柴咲コウは実はお兄さんよりもポテンシャルがある独自OSを搭載している妹役。ちゃんとメガネに度が入っている点が良かった。
急に蔦屋書店が出てきてなんでかと思ったらカルチュアエンタテインメントが製作に関与していたようで、エンドロールで鼻白む。はあ、二時間経っちゃった。
ただ満島ひかりがカワイイので、星五つです!
少しふざけすぎたかな?
柴咲コウとオダギリジョーの兄妹に加え、別れた元妻満島ひかりと。まぁ面白くならないわけない面々。
中野監督は本作も前作湯が沸くほどの熱い愛に続けて亡くなった家族への想いを取り上げていて、とてもハートウォーミングな作品となり、60歳間近のおっさんの涙腺を刺激しました。ただ最後の亡くなった後、思ってる故人の姿が現れる件は、楽しいけれど、少しふざけすぎてるかも。名作度が下がってるかも。
格好つけたこと言いました。嘘です。あそこで、三人別れた妻が引き取った息子と、妹と、別れた妻と本当のお別れが出来たので、やはり必要だったかと思います。ふざけているのは、オダギリジョー演じる亡くなった兄のキャラクターを考えれば自然なことと捉えるべきかも。
泣きました
良い兄だったとは思えないけど
子供時代はまだしも、大人になってからの描写ではクソ兄としか思えませんでしたが、死んだら神格化されるということでしょうか。
生前の姿と想像上の姿が違いすぎて違和感を感じました。
でも息子が懐いてたってことは良い父親だったのかな。
死んだ人物とのわだかまりは自分でつけるしかないってことですね。
愛すべき骨片。兄を持ち運べるサイズに
僕は若い頃は
「夢」や「恋愛の映画」に惹かれていたけれど、
今やこの歳になってみると、チョイスする映画も、そして同僚たちとの話題も、すっかりと様変わりです。すなわち ―
老後の暮らしや、年金の額や、病院の口コミ。
そして延命治療の希望や、両親の看取り、自分の孤独死の光景も。
・・つまり「自分仕舞い」=「終活の話」ですね。
誰だって、そうです。
誰と一緒に暮らしていようともです。
誰しもが死ぬときは独りで死ぬんですよ。
それを直視できる季節になりました。
ところが中年の世代は何故だかひどく孤独死を恐怖する。
(たとえ乃木大将のように奥さんに付き添ってもらって、殉死をしてもらったとしても、死はそれぞれのもの。
個々のものなのですがねぇ)。
でも更にもっと歳を重ね、老年に差し掛かった僕や同僚の場合、お互いの会話はごく自然に
「大家さんに迷惑をかけないように部屋はこざっぱりとミニマムにしておこう。そしてベッドにはブルーシートを敷いておくべきだね」っと。
・・
年の瀬ですね。
僕は親戚縁者を次々とあの世に送りました。メールの返信がないなと気になり、こちらから改めて様子を伺ったけれど、ちょうどそのころ部屋で自死していた子もいますね。
僕の弟たちも順調に加齢しています
だから自分のエンディングに着手するこの頃になると、
「この手の映画」は本当に身に沁みて迫ってきます、とても具体的で身近な光景になるのです。
指を折って、一人、二人、三人と、亡き人を数える。
今年も年賀状はどこにも出さない年の瀬です。
・・
「チチを撮りに」、
「湯を沸かすほどの熱い愛」、そしてこのたびの本作
「兄を持ち運べるサイズに」と、
中野量太監督は、死と家族にフォーカスします。
人の死の場面では、実は燃えるような人間の命がそこに伴って出現することを教えてくれます。
◆オダギリジョー扮する兄は、とことん情けなく、頼りなく、みんなを失望させる事しかしなかった。
まったく駄目オヤジの人生だったけれど、
それでも「家族」にとっては、あのヘタレであっても、それなりに存在の意義はあるのだと
監督は深い慰めと励ましを伝えてくれました。
ありがたいことです。
◆柴咲コウ =見立たない女の、滲み出す情感を演じたらピカ一。
◆真島ひかり =期待を裏切らない演者。とくにあの人の「後ろ姿」は他の追随を許さない。どの監督も彼女の後ろ姿を狙って撮る。
日本映画の底力を、改めて見せてもらいました。
・・・・・・・・・・・・
「触れられない ・ でも覚えている」とのタイトルで、この年末、娘が作品展を開きます。
ずっと生き物の生死を見つめ、彼女は「墓碑彫刻」に執心してその製作を続けてきた。
彼女も当然終わりの日は迎えるのだし、父親である僕のほうがおそらくは先に逝くだろう。
娘が僕を どう弔うのか、楽しみではある。オダギリジョーに負けないこの小男を。
・・
喪服畳む
思い出畳む 年の暮
·
「タイパ」重視の若者には物足りない?劇場でこそ味わいたい、中野監督の”死”を巡る優しい眼差し
中野監督の新作を鑑賞しました。
劇場での鑑賞体験
本作は、話のテンポが非常にゆったりとしているのが特徴です。その分、劇場という空間でじっくりと世界観に浸ることができ、映画館で見るには本当にちょうど良い作品だと感じました。
テーマと監督の手腕
正直に申し上げると、「タイパ(タイムパフォーマンス)」を重視する今の若者向けの映画ではないかもしれません。しかし、そこが良いのです。中野監督が描く「家族の死」という重いテーマを、これほどまでに明るく、温かい眼差しで捉えている監督はなかなかいないでしょう。
総評
いつもながら、その安定した演出力とテーマへの向き合い方には大変感銘を受けます。今回も期待を裏切らない、いつも通り「安定」の心地よさで楽しませてもらいました。見る人に深く、そして優しく響く素晴らしい一本です。
今回も泣かされた…。
中野監督の映画は『湯を…』で泣かされてから、いつもだ。しかしながら、今回は事前の情報を調べずに観てから、なんか気になり調べてわかった事。
またまたオダギリさんいい味出してたなぁ(^^)
満島さんの語りのシーンはどれも素晴らしい。
柴崎さんのお母さん役は作家さんだとしっくりくる。
子役さんも良かった。
死んだ兄の話を柱に、少し変形の家族愛が、いい感じに転んで、とても幸せな作品でした。
全167件中、1~20件目を表示
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