アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓のレビュー・感想・評価
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牢獄の小さな窓から見える故郷
「飛んでお行き、小さなコウノトリ」それは息子の幸せを願う母の思い。
アルメニア人版「ライフイズビューティフル」と呼べるような作品。ホロコースト、いわゆるジェノサイドと聞くと、どうしてもユダヤ人を先に思い浮かべるけどアルメニア人も同じく受難の民であり、ユダヤ人同様ディアスポラを経験している。
本作も「LIB」同様に主人公はどんな苦境に立たされても決して笑顔を忘れずに希望を抱き続けた。
オスマン帝国によるアルメニア人虐殺を逃れた幼き日のチャーリー。彼を命がけで守った母は銃殺される間際まで彼を笑顔で見送った。「人生これから苦しい時もあるだろうけど、どんな時でも笑顔を忘れてはいけないよ。飛んでお行き、小さなコウノトリ」それは母が息子に込めた思い。息子を思い最後まで笑顔でい続けた母。
これはアウシュビッツに収容されながらも息子を思い、怖がらせないよう噓をつき通したあの父親の姿と被った。彼も銃殺刑に処せられる直前まで隠れてる息子の目の前でおどけて息子を笑わせた。生涯忘れられないシーンだ。
母の思いが通じたのか、大戦が終結し故郷に戻ってきたチャーリーは笑顔を絶やさない紳士となり、子供を助けたことから同じアルメニア人のソナと親しくなる。
しかし、彼女の夫のちょっとした嫌がらせと当時のずさんなソ連の体制も合わさり、チャーリーはスパイとして逮捕されてしまう。
暗い独房に収容されたチャーリー。幼いころに虐殺により唯一の肉親の母を失い、見知らぬ土地で生き抜いてようやく帰ってこれた故郷の地でスパイと疑われてよもやのシベリア送りになる直前まで。
このような悲惨な体験をしてきたなら、人間はへこたれてもおかしくはない。実際に彼の独房での所業に看守たちは彼が頭がおかしくなったのではと疑う瞬間もあった。
しかし、彼は狂ってはいなかった。彼はこんな絶望的な状況の中で小さな幸せを見つけていた。
暗闇が暗ければ暗いほど微かな光でも見つけやすくなるように、彼は絶望的な状況下で微かな幸せを見つけていた。それは独房の小さな窓から見える景色だった。
それは同じアルメニア人で看守のティグランが夫婦で暮らすアパートの部屋だった。長く故郷を離れていた彼にとってその光景は忘れていた故郷を思い出させてくれる光景だった。
そこで繰り広げられる夫婦の何気ない日々の暮らしを見つめていつしか彼は彼ら夫婦と同じ時間を過ごしていた。冷たい牢獄にいるはずの彼が暖かい空気に包まれ幸せな時を過ごせた。
仲睦まじい二人と自分とを重ね合わせ彼らの幸せがまるで自分の幸せのように感じられた。大勢の来客を招いた際にはアルメニア人の伝統的な食事の作法なども学ぶことができた。
彼は日々の強制労働や粛正による拷問のつらい日々でもその窓から見える景色のおかげで幸せを感じることができた。
夫婦が離婚の危機には彼が何とかして彼らをつなぎとめようとキューピットの役割まで果たした。文字通り地面にスノーエンジェルを描いて。
彼の存在に気付いたディクランは彼に感謝して、それから彼らの窓越しの交流が続いた。やがて夫婦に子供が出来てそれを自分のことのように喜ぶチャーリー。
しかし運命は彼らにさらなる試練を与える。粛清の拷問担当にティグランが選ばれたのだ。初めて言葉を交わせるほどに近づけた二人だったが、それは言葉ではなく暴力を浴びせる場面であった。
スターリン体制のソ連で逆らうことは死を意味する。チャーリーもそれを理解していた。殴られた方のチャーリー、殴らされた方のティグラン、二人は共に同じ痛みを受けた。
彼らはともに傷ついていた。同じ民族同士で傷つけ合わねばならなかった彼らのその姿こそソ連統一の名のもとに行われたスターリンの民族政策に翻弄された少数民族の姿だった。
同じ受難の民のアルメニア人同士、ようやく祖国に戻った彼らにとってソ連のスターリン体制は残酷であった。
しかし二人の絆は壊れることはなかった。ともに描いたアララト山の絵を見せ合う二人。それはまさに彼らアルメニア人の祖国の象徴でありアイデンティティの源。それが彼らの絆をより強いものとしていた。
ノアの箱舟が大洪水を逃れて辿り着いたとされるアララト山。ジェノサイドを経験しディアスボラを経験してやっと祖国にたどり着いた彼らも同じだった。
やがて別れの時が訪れる。ディクランたち家族は転居してしまう。そしてチャーリーもソナの計らいで釈放されることに。
故郷を探すつもりで祖国へ戻ってきたチャーリーだったが、彼はある部屋を借りてそこで暮らし始める。
その部屋の窓からはチャーリーが閉じ込められていた独房の窓が見えた。この部屋こそディクランたちが暮らしていたあの部屋だった。
チャーリーはここに故郷を見出していた。だから故郷を探す必要はもうなかったのだ。彼はここで家庭を築き幸せに暮らした。カーテンを閉めることはけしてなかった。
独裁者たちがいくら物理的に人の命を奪おうとも彼らの魂までは奪うことはできない。彼らの思いは受け継がれていく。たとえその人間が死のうとも失われず受け継がれていく彼らの意志。死んでも失われないものを魂というのならその受け継がれていく意志こそ魂と呼ぶんだろう。母の魂は息子に受け継がれ、彼は幸せを運ぶコウノトリとなった。
人生で忘れられない映画のワンシーン、「ライフイズビューティフル」の一場面を思い出させてくれた。
「過酷な状況でも希望を失わず」
なんとなくユーモラスで、ほのかに温かい。
映画のノリに付いていけないままで終わってしまった
独特のリアリズムとリズム
基本的に前情報ゼロで観るが、
本作は、
メインビジュアルの人と木が、
なんとなく、イェジー・コジンスキー(youtuveで話題にしてます)の、「チャンス」に似てるので、観た。
驚いた!1915年オスマントルコ・・・!
主人公の意としない状況に、
巻き込まれていくのは似ているが、ベクトルが真逆だ。
言葉が通じないという状況を逆手に取り、
そのもどかしさや切なさを、動作や表情で表現している。
シナリオ、演出、そしてキャラクターたちの芝居は、
言葉の壁を超え、感情の機微を雄弁に物語る。
登場人物たちの表情や仕草、
目の動きひとつひとつが、
彼らの内面を映し出す、
これは、現代の映画製作において難易度の高い挑戦であり、
見事に成功していると言えるだろう。
また、安易にハッピーな展開に流されない、
独特のリアリズムに満ちた展開も本作の大きな魅力だ。
不条理で、残酷な現実が連続して突きつけられるが、
それらを乗り越えていく登場人物たちの姿、
このリアリズムの文法は、
ロシア文学から多大な影響を受けている可能性を強く感じさせる。
そこには、大国の狭間で生きる人々のたくましさや、
逆境に立ち向かう人間の普遍的な姿が描かれているかのようだ。
劇中に登場する文化的な要素も、
この映画の奥深さを形作っている。
ゴラニはゴラン・ブレゴビッチ(あくまでもゴラン、ゴラニという語感からだが劇伴の曲調の類似性は見逃せない)
胡弓のような細い弦楽器、
そしてドクトル・ジバゴを連想させるバラライカのような楽器の登場は、
映画の背景に広がる複雑な歴史と文化の融合を示唆している。
四方を小国と大国に囲まれた地域の複雑な背景が、
映画の文法、リズム、音楽、
そして使用される楽器にまで色濃く影響を与えているのが、
随所から見て取れる。
これらの要素が単なる雰囲気だけではなく、
物語の深みを増す重要な役割を担っている。
まさに「発掘良品」という言葉がふさわしい一本だ。
言葉に頼らない表現の可能性を追求し、
独自のリアリズムで人間の普遍的な感情を描き出した。
給仕のおじさんが、どことなく、ピーター・セラーズに似ていた。
我々には感覚的に掴みづらい作品かも。
アルメニアは黒海とカスピ海に挟まれた地域にある国である。キリスト教徒(アルメニア正教会)が多いアルメニア人による民族国家であるが地図でみるとトルコとイランに接していて古くからペルシャとトルコの支配を交互に受けてきた。第二次世界大戦後に独立は果たすが、今度はソビエト連邦加盟国家としてモスクワの支配を受けることとなった。アルメニア人虐殺は第一次世界大戦前後に東アナトリア地方でトルコ軍が行ったものでこの影響もあってアルメニア人は世界各国へ離散することとなった。という程度の知識がないとちょっとこの作品は何が何だか分からないかもしれない。
「帰還者」がキーワードであり、アメリカに渡っていたチャーリーが故国アルメニアに戻ってくると、そこはバチバチのスターリニズムの教条主義国家となっていた。チャーリーは水玉のネクタイをして公衆の面前に現れたため、帝国主義者、世界主義者(トロッキズムのことだと思う。分かんないよね)の烙印を受け投獄される。彼が、獄内で心を通わせる看守のティグランは元々は高名な画家だったのだけど、教会を描いた廉で絵を取り上げられている。
この辺まで書いてきてゾッとしているんだけど、これって「ミッドナイトエクスプレス」ですよね。不寛容との戦いというか。
でも、監獄自体は、管理が緩いというか、全般に戯画的というか、心が通っているところがホッとします。
映画としては、チャーリーが覗き込むティグランのアパートの様子で話は進んでいくのですが、これがいわゆるワイドスパンのお家でして「裏窓」っぽい。ちょっと最後の方がドタバタして尻切れトンボな印象はあったけど。
アルメニア人の監督がつくった作品です。(アメリカ資本は入っているが)途中、アルメニア自慢みたいなのが突拍子もなく挿入されますがご容赦ください。ちなみにアルメニアコニャックですがアルメニアのブランデーは品質が良いので有名です。確かに厳密にはコニャックって呼ぶのは僭称っていうやつですが、ロシアから東欧にかけては幅広く一般名称として通用します。ほんの10年ぐらい前まではラベルに堂々と印刷してありましたよ。
お国柄、お人柄
幼い頃、トルコからのジェノサイドを逃れて一人「ある特殊な方法」でアルメニアを離れ、遠くアメリカへ渡ったチャーリー(マイケル・グールジャン)。その後、ソ連の統治下となったアルメニア・ソビエト社会主義共和国が「離散したアルメニア人を呼び戻す」ために打ち出した政策に乗じ、微かに記憶に残るメロディーの一節を頼りに、故郷を求めてアルメニアを訪れます。ところが、度重なる意思疎通の齟齬によって「すれ違いコント」さながらにおかしな展開から収監されてしまうチャーリーは、突然に発生した天災がきっかけで起こる「奇跡」によって、自分の牢の窓から見える「向かいの部屋の様子」に気づいて興味を持ち始めます。
言葉や立場などが障壁となってもどかしい状況が重なり、時に死んでしまいたくなることもありますが、その都度、小さな希望を見出しては這い上がろうとするチャーリー。そもそも、自分の祖国でありながらも殆ど記憶や知識がないため、この土地での慣習や振舞い方すらわからない彼は、窓の外に見える「世界」からヒントを得ることで祖国を知り、そして自分の故郷をイメージして思いを馳せます。
一方、作品中の殆どの時間をチャーリーと向き合う役人たちが、「良い意味」でステレオタイプなキャラクターが揃っていて、地味になりがちなシチュエーションを見事に展開させていく役割を担っています。むっつりして如何にも俗物といった感じも、モスクワと妻には頭が上がらず立場の堅持に必死な高官。日和見で処世術に長け、即断即決することでリスクを取らない所長。モスクワ色強くて融通が利かず、目付け役でありながら隙さえあれば虎視眈々と出世も狙っているであろう副所長。そして、最初こそチャーリーに意地悪な仕打ちもするが、どこか牧歌的でまた人情にも厚い属吏達など、モスクワとの距離感も判るような「地方」だからこその世界観と、厳しい歴史が続いたお国柄、お人柄が見えて味わい深く映ります。或いは、彼らと関わりの強い「女性陣」がいずれも(この時代にあって)男勝りで主張が強く、影響力があるからこそ、惑いがちな男達の箍(たが)となって支えているようにも感じます。
決して劇的な感動はありませんが、しみじみ感じ入るような作品性と、グッと掴む「決定的な瞬間」に思わず涙腺を刺激され、チャーリーに引っ張られるようにアルメニアへの興味も沸いてきます。ラスト、これで終わりかと思うシーンからもう一つ、少し先の「未来」が描かれます。早まって席を立たれませんように。良作でした。
愛溢れる視線で周囲を見つめるチャーリーにハラショー!
アルメニアの悲しい歴史は知りませんでしたが、オスマン帝国に大量虐殺され、国を追われた人々を「夢の国へようこそ!」の如き甘い言葉で招き入れ労働力として利用するソ連に胸クソさを覚え、刑務所職員やチャーリーを陥れたドミトリー達のいかにも劇チックな演技に多少閉口しましたが、それを遥かに上回るチャーリーの優しい表情に終始キュンキュンしっぱなしでした。
言葉は通じなくても優しさは伝わるもので、日を重ねるほどチャーリーの身の回りに幸せが溢れてくるのが何とも言えず、こちらにも幸せが乗り移って来るようです。
そして窓越しに繰り広げられる刑務所の看守ティグラン夫妻の日常、会話の内容は聞こえてこなくても、そこで起こっている葛藤などがチャーリーの目を通してワタシの胸にもビンビン届きました。
予告編を見た限りでは、ヒューマンドラマだろうがそれほどでもないのかな、なんて思っていましたが、とんでもない!大きな感動をもたらしてくれました。
エンディングでアララト山をバックに民族衣装と楽器で唄い・踊り・演奏する人たち、その姿や旋律からはソ連なんて一切想起させられない、全く別物の文化や歴史のある国だということが理解できます(作品中でも囚人仲間が、いかにアルメニアという国が世界に先駆けた者や由来があるのかと自慢するのも、オラが国への誇りからくるものなのでしょうね。)。
そんな国が力によって支配されてしまう、本当に戦争はイヤだ(そう言っている間にも北や中東ではたくさんの命が奪われている現実)、その嫌な世界を忘れさせてくれそうな、生きているって、希望を持つって、誰かを愛するって素敵だな、そう思わせてくれる作品でした。
ピーピング・チャーリー
セザンヌが描くサント・ヴィクトワール山と思っていたら…
アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓
アメリカからソビエト社会主義共和国連邦統治下時代に故国アルメニアに帰還した男の話。
塀の向こうの夫婦生活が、蒲焼きの匂いをオカズとしての牢獄暮らし、
恋があり、ホームパーティーあり、夫婦喧嘩あり、歌や別れもあり…
のぞき生活も楽しそうだが、ヒッチコックの「裏窓」を思い出しながら、類似性は思い出せないが、見てはいけないものを見過ぎではないかと思いつつ、盗撮者の楽しんでいる姿を見ている自分も恥ずい。
それにしてもアルメニアって何処なんだ?
こんな国だよっと、
上手い掴みで、
しっかりとアルメニアの歴史と文化を勉強させてくれます。
その一つが、何といっても世界で最初にキリスト教を国家宗教として採用した国で、今も息づいているのが誇りなんだろう。
しかも、何千年も昔からあの紛争地帯でアルメニア人一民族国家として成立しているのだからこれは凄い。
だからこそ、アルメニア人は柔軟で、したたかで、愉快なんだろう。
そして、過去からコウノトリなんだ。
でも、映画としてラストを一つに絞りきれずにどれも白昼夢となったのが残念だ。
そこがまたアルメニア。
それは、エンディング後のおまけの背景には、
日本の富士山の様な、
雄大なアララト山5,137mを故国と讃えていた情景がコウノドリ民族と彷彿させていた。
( ^ω^ )
アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓
ソ連統治下のアルメニアを舞台に、無実の罪で収監されたアメリカ人男性が、
牢獄の小窓から見える部屋に暮らす夫婦を観察することに幸せを見いだしていく姿を描いたヒューマンドラマ。
幼い頃にオスマン帝国でのアルメニア人迫害から逃れアメリカに移住したチャーリーは、1948年、自身のルーツを知るため祖国アルメニアを訪れる。
そこはソ連統治下にあっても理想の故郷のように思えたが、チャーリーは身に覚えのないスパイ容疑で逮捕・収監されてしまう。
悲嘆に暮れるなか、牢獄の小窓から近くのアパートの部屋が見えることに気づいた彼は、そこに暮らす夫婦の生活を観察しはじめる。
チャーリーは想像力を研ぎ澄ませ、まるで夫婦と同じ空間にいるかのように彼らと一緒に食事をし、歌を歌い、会話を楽しむようになる。
しかし夫婦仲がこじれて部屋には夫だけが残され、時を同じくしてチャーリーのシベリア行きも決まってしまう。
移送の日が迫るなか、チャーリーは夫婦を仲直りさせる作戦に乗り出す。
アルメニア系アメリカ人のマイケル・グールジャンが監督・脚本・主演を務めた。
ウッドストック映画祭長編映画賞・審査員賞など、世界各地の映画祭で数々の賞を受賞。
アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓
Amerikatsi
2022/アルメニア・アメリカ合作
(^_^)
アルメニア共和国はユーラシア大陸に位置し、黒海とカスピ海にはさまれた南コーカサスの国です。
アルメニアは、北にグルジア、東にアゼルバイジャン、南にイラン、西にトルコとそれぞれ隣接してお り、海の無い内陸国です。
首都は、エレバンです。
「アルメニア共和国」はアルメニア語では「ハヤスタン」と言います。
人の幸せを妬んでいる限り幸せにはなれない…
浅学にしてアルメニアの近代史について全く知識がありませんでした。
オスマン・トルコによる虐殺、ソビエト連邦による支配、
強国の都合で振り回される小国の国民たち。
けれどどんなところであっても故国は故国で、魂が帰るところなのかもしれません。
とにかく主人公のポジティブっぷりに圧倒されます。
痛めつけても痛めつけても幸福を見つけ出す主人公に苛つく悪役たちの気持ちも分からなくはないですが
人の幸せを妬んでいる限りいつまで経っても彼ら悪役たちが羨望し、憧れている幸せはかえって手に入れられないということが悲しくなります。
そんな理不尽な暗い状況を描いているのですが、大真面目なゆえに逆に愉快なシーンが背景設定の暗さを和らげる灯火となり、映画の雰囲気を穏やかなものにしています。
独房の模様替えを眺めているだけでなんだか幸福感に満たされました。
アルメニアを舞台にした映画を初めて観ましたが、エキゾチックな異国情緒が興味深かったです。
チャーリーとティグランの間に「言葉」はいらない
君をよくわかっているのは僕の方だよ
「アメリカッチ」という音の響きの可愛さに惹かれて見た。そんな軽い感覚で見始めたら、どんどん引き込まれ、声出してたくさん笑い、不安になり恐怖に陥った。それでもチャーリーの明るさとユーモアと想像力と前向きが、大きな幸福感と力をもたらしてくれた、自分でも驚く程の号泣の嵐を越えて。
アルメニアの色々な音楽、女声の歌が、痛くて寒くて空腹で理不尽で辛い心とからだを暖め続けた。音楽とダンスと笑顔と絵画と美しいアララト山(一瞬、富士山に見えた)のおかげで、不条理な世界、残酷な環境から、チャーリーと一緒に生還できた。安易な機械仕掛けの神様頼みの映画でないことは、チャーリーのその後の生き方でわかる。
世界中に散らばったアルメニア人に呼びかけた帰還プロジェクトのことを初めて知った。収容所でチャーリーと共に労働させられていたアルメニア人のおじいさんは、アルメニアの文化についてたくさん知っていてチャーリーに教えていた。私も教わった。
おまけ
1)映画「ANORA」でロシア人大富豪の息子のお守り役三人組のうち二人がアルメニア人で、そのひとりがカトリックの神父である理由というか背景を「アメリカッチ」を見て納得できた!嬉しい
2)チャーリーを演じたマイケル・グールジャン(監督・脚本・編集も!)の顔、特に目、そして口と鼻が、知り合いのドイツ人にとても似ていたから余計に感情移入してしまった。キビキビした体の動き、頭が良くて理系でユーモアたっぷりで手が器用!実用的な可動式ベッドや洗濯干しロープ有りの部屋(独房だが)などもその友人なら作りそう。向こうのお家でティグラン夫妻が何を話しているのか、想像で再現するファンタジー能力も似ていた!
傑作に近かった
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