でっちあげ 殺人教師と呼ばれた男のレビュー・感想・評価
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どんなホラーよりも恐ろしい
実際にあった事件なので、結末は知っている状態で見た。
だからこそ、何が目的なのか、なんでこんなことをするのかがわからず、理解できない人を相手にする恐怖感がすごい。
この事件の被害者の方々を思うと、想像を絶するつらさだったんだろうなと、本当に胸が締め付けられるし、自分だったらと思うと怖すぎる。
柴咲コウさん演じる氷室律子側の視点では、氷室律子はごく普通の母親で、綾野剛さん演じる薮下誠一が極悪非道の教師。
しかし薮下誠一視点だと、真逆になる。
この構成は『怪物』と少し似ているなと思った。
しかし『怪物』とは違うのは、早い段階で真実が明らかになる点。そこからはもうずっとスクリーンに釘付けだった。
柴咲コウさんと綾野剛さんの演技合戦が凄まじく、お互いの視点での演じ分けも、見た目が同じなのに全く違う人に見える。
ふたりの迫真の演技も相まって、一層この事件の理不尽さへの憤りや、恐怖感が増した。
そして、この事件はメディアの責任も大きいことを描いている。
『フロントライン』でもメディアのセンセーショナルさだけを追い求め、真実と異なる報道の非道さを描いていたが、こちらの作品はさらに上をいくと思う。
メディアの持っているペンはナイフで、放つ言葉は銃弾だという意識を持って仕事をしてほしい。
また、カスタマーハラスメントやらモンスターペアレンツやらの言葉も市民権を得た昨今、明日は我が身かもしれないので、BtoCビジネスをしている人たちは、クレーム対応の初手がいかに大切かを痛感する作品にもなっていると思う。
そういう点でも気付きが多い作品だった。
「真実」はどこにあるのか。観る者の心を試す129分。
事実をもとに、今なお社会に横たわる教育現場の問題を映画として“公に”した意義は大きい。
本作は「でっちあげ」というタイトルのとおり、表と裏、正義と暴力、加害と被害がぐるりと入れ替わる。その構造が見事に映像で描かれている。
冒頭30分で登場するのは、誰が見ても“暴力教師”としか思えない男。
綾野剛さん演じる薮下先生は、無表情で口元が歪み、目には生気がなく、まるで世の中の悪意をすべて吸い込んだような顔をしている。
観客はすぐに感情を「生徒とその家族」側に重ね、「この教師は許されるべきでない」と確信する。
この導入部のテンポと演出は素晴らしく、否応なしに物語に引き込まれる。
しかし、本作のタイトルは『でっちあげ』。ここで終わるはずがない。
物語は、視点をくるりと反転させる。
今度は薮下先生の視点。
教室では生徒に耳を傾け、頭ごなしに怒ることはない。家庭では、芯のある妻とまっすぐ育った息子と穏やかな日々を過ごす、誠実な教師の姿が描かれる。
そんな“日常”を破壊したのは、なんと「子どもの小さな嘘」。
それを信じた母親がモンスターペアレント化し、マスコミを巻き込んで善良な教師を追い詰めていく。
その後、湯上谷弁護士(小林薫)が登場し、長い年月をかけて無実を証明する――。
しかし、奪われた10年は戻らない。傷ついた心も、家庭も、完全には元には戻らない。
ここで観客は問われる。
「本当に悪かったのは誰だったのか?」
「もし自分だったら、あのとき、どうしていただろう?」
綾野剛さんの演技は圧巻だった。モンスター教師と善良な教師という両極の人物像を、違和感なく演じ分けていた。
柴咲コウさんもまた素晴らしい。とくに裁判シーンで見せた“感情が死んだ表情と声”は冷たく心に残る。脇を固めるキャストも適役揃いで、リアリティを底上げしていた。
ただひとつ、後半の展開にはやや弱さも感じた。
なぜ律子が“でっちあげ”に走ったのか。そこにもっと深みがあれば、物語はさらに厚みを増していたかもしれない。
私は、彼女自身の過去やトラウマが動機かもしれないと想像しながら観ていたが、結末は意外にあっさりしていた。
けれども、これが“実際に起こった事件”に基づく物語であることを思えば、過度な脚色を避けた姿勢も納得できる。
事件から20年。
この事実を風化させず、映像作品として世に問いかけた本作の意義は大きい。
教育現場に関わるすべての人に、そして「自分には関係ない」と思っている人にこそ観てほしい。
これは“誰にでも起こりうる物語”なのだから。
2003年に起こった実話。想像を絶する、決して他人事ではない「ダイナミックな法廷劇」。
本作は、設定としては非常に難易度の高い法廷劇と言えるでしょう。
というのも、小学生が教師から体罰や自殺強要を受けたとして、週刊誌で大きく報道されて、実名報道で「殺人教師」というレッテルを貼られてしまうからです。
そして連日ワイドショーなどで大きく報道されて、裁判に賛同した全国の弁護士が500人を超える規模で集結し、大規模な「弁護団」を結成します。
その一方で、「殺人教師」とレッテルを貼られた教師の方は、自身の弁護士すら見つけられない状況で、裁判に臨むことになるのです。
「外堀を完全に埋められた状況」で、男性教師はどのように裁判を戦えばいいのでしょうか?
このような設定になっているので、本作の結末は明らかなように思えるのですが、実はタイトルにもあるように、本事案は「ウソで塗り固められた“でっちあげ”」だったのです。
つまり、原告の「完全に思えるほど外堀を埋められた状況」VS被告の「証明はしにくいけれど実際にやっていない」という、極めて被告が不利な構造が本作で描かれているのです。
始まってすぐに柴咲コウが演じる被害者の母親が宣誓し、供述を始めます。そのため、そこからしばらくは、「被害者の母親の供述をもとに描かれるシーンである」という点に注意が必要です。
また、裁判で訴えられているのは、男性教師だけでなく、管轄している「市」も一緒に訴えられているのです。
そのため、終盤の「判決」の際には男性教師だけでなく、管轄する「向井市」(ムカイシ)も登場するので混乱しないようにしておきましょう。
本作を見ると、誰もが被告になり得るような社会の構造が見えてきて、決して他人事ではない作品だといえます。
事実に基づくからこその限界にもやもや
20数年前の(体罰教師)冤罪事件。
教師本人は(場を収めるために)と、管理職からやってもいない体罰の謝罪を強要され
それが最後まで尾を引く裁判劇。
理不尽極まりない状況が、マスコミの過熱取材でどんどん真実が遠ざかりヒートアップする様は、もし当事者だったらと恐怖を煽る。
特に、マスコミが煽る根拠になる(教師が子どもをイジメる構図)のイメージが、原告の証言から映像で再現される。
綾野剛さんの、演技の振り幅がすごすぎで
それがこの映画を形づくってると言ってもいいぐらい。
それにしても
毒物カレー林真須美容疑者が無実ではないか?とか
マスコミの劣化が加速していると感じる。
なぜ、母子があそこまで虚言を繰り返したのか
部分的な生育歴をたどる場面はあったけど、もう少し掘り下げてほしかった。
じゃないと、冤罪当事者浮かばれない(;_:)
そこに、ただ、いったん巻き込まれたらと思うと
怖すぎ
三池監督の次回作も期待する社会派ドラマの良作
予告は体罰教師が、やったのかやってないのかに終始してたためフワッとした話かなとあまり期待せずにいきましたが、骨太の法廷サスペンスが繰り広げられ、社会派ドラマがしっかりと描かれた傑作でした。
本件が発生して週刊誌やワイドショーが騒いでたのは何となく記憶にありますが、報じられるのが先生が子供に自殺を強要したということばかりで、先生がそんなことしてもメリットないはずだけどホントかなあ、くらいの感覚でした。その後、裁判になってたことやこの映画の原作本が出ていたことも知らなかったです。
体罰があったことを認める認めないという以上に、得体のしれないモノがマスコミや風評によって形成され、家族や仕事など全てを失う恐怖。
おそらく映画用にかなりの脚色、構成の練り直しをしたのだろうと推測。冒頭から体罰を受けた側の母親の陳述内容を再現したドラマから始まるオープニングシークエンスの衝撃。
その後、体罰教師、綾野剛の目線で物語が始まるのですが、裁判に至る過程をじっくりと描き、胸が締め付けられる展開に。
それぞれの登場人物の行動や発言などの動機が、裁判の証言や、インサート映像で徐々に解き明かされ、真実が浮き彫りになる。
鑑賞後、リアルのあの事件のその後を知って驚愕。だからこそ善悪を強調した表現をせず、安っぽい感動描写も削ぎ落とした抑えめの演出かと納得。
三池監督の次回作も実話事件ものが観たい!観たい!
原作は青木理さんの「誘蛾灯」、鳥取連続不審死事件でお願いします🤲
凄いものを観た
虚言と戦う事の難しさ
ネットでいろいろ見える現代だと、思ってる以上に堂々と虚言を吐く人が...
沈黙と忘却に支配される社会――本作が突きつけるもの
最初に突きつけられるのは「これが実話か」という衝撃である。劇中に次々登場する学校、教育委員会、報道、弁護士といった“関係者たち”の無責任な言動は、観客に嫌悪感を抱かせると同時に、なぜこれほど荒唐無稽な冤罪が成立してしまったのかという説得力にもつながっている。つまり、この作品は人間の愚かさを累積させた果てに冤罪が出来上がるプロセスをリアルに描き切っている。
映画としての出来栄えもさることながら、問題はここで描かれた事件の構造が、現代日本において決して過去の特殊事例ではないということ。教育委員会が「体罰認定の誤り」を取り下げるまでに10年も要した理由は単純で、行政判断を覆すことは「自らの誤り」を認めることに等しく、責任追及や損害賠償リスクに直結するから。制度的惰性と組織防衛が、名誉回復のスピードを鈍らせた。
さらに深刻なのは、当時の報道機関――とりわけ朝日新聞や週刊文春を含む大手マスコミが、この件について正式な謝罪や訂正を行っていない点。誤報は人を社会的に殺し得るのに、謝罪しなくても存続できる。ここに、日本のジャーナリズムが抱える致命的な病理がある。報道の自由を掲げながら、いざ自らの誤りが問われる場面では「当時の取材は正当だった」と言い訳し、沈黙と風化に頼る。この無責任体質こそが、国民のメディア不信を深めている。
本作を観て思い出すのは、かつてジャンヌ・ダルクが「魔女」として処刑され、死後に教会が誤りを認めて聖人とした歴史。当時の「正義」は時代の空気と権威によって決まるが、真実は往々にして後になってからしか認められない。映画はまさにその縮図を描いた。
綾野剛が演じる教師は、ただ冤罪の被害者というよりも「社会に抹殺される個人」の象徴だ。柴咲コウ演じる告発者や亀梨和也演じる記者を含め、誰もが自分なりの正義を語るが、その正義が集団で暴走したときに何が起きるかを、本作は観客に叩きつける。
総じて言えば、本作は「娯楽映画」として軽く消費できる類ではない。観る側に強烈な不快感と疑問を残し、社会構造そのものを問い直す。人間はなぜ誤り、なぜ責任を取らないのか。報道はなぜ謝罪できないのか。教育行政はなぜ10年もかかるのか。観客に刺さるのは、結局この国の制度と社会が「沈黙と忘却」に支配されている現実そのものである。映画の余韻は、スクリーンの外の私たちの社会に直結している。
専門家の役割と責任
予告編を見て、どうしても見たい、と思った映画でした。
原告側の弁護士、医師、学校の校長、教頭が専門家として果たすべき責任を放棄しているのに対し、美村里江が演じる精神科医(?)の勇気ある行動が本来あるべき姿となり、逆転の突破口となった。
また、被告を支える弁護士の存在も、救いである。ドラマや映画でたいていこういう弁護士さんは地味な事務所で書類の山に埋もれて描かれるが、実際そうなんだろうか。現実でもこういう弁護士が報われる社会になってほしい。
綾野剛の演技力は本当にすごい。はるばる青梅まで見に行ってよかった。
青梅の映画館、シネマネコは自宅から3時間。初めて行った。スクリーンはひとつながら、見応えのある映画ばかりが上映されていた。
かわいらしい外観で、中もとても居心地が良かったのでまた機会があれば行ってみたい。
最初のイメージと違った冷静に冤罪であった事件を追った話
これ、初めは例の札幌の先生とこの原作者の講演会があったので、加害者の言い分を言いまくるのかなと思った。
これみて、加害者の言い分をきいてやろうかと思った。旭川の事件は誰が見ても組織や加害者が保身を図っていて、気持ち悪かったので、加害者がどう考えているのか聞きたかった。
ただ、内容は違っていた、これ以上はネタバレになるので見て欲しい。
これは正直見ておくべきなぐらいよくできた作品だと思う。特に今時のネットデマ・犬笛・組織的誹謗中傷の加害者/被害者・オールドメディアと今あるネットメディアとの比較という意味でも見ておいた方がいい内容。冤罪というものがどういう風にでき、犬笛がどう吹かれるかがわかってくる。
ま、いろいろな人が書いているが内容が難読性のあるものだが、ぜひ見て欲しいもの。何回か見たいので後日配信してほしいなぁと。
人間は理解できないものを恐怖し攻撃するのか
人の目線によって物事の見え方は変わる
最近はSNSとかでもとにかく叩かれる事が多いですが、フェイクだったり、一方的な情報をもとに叩くのは恐ろしい事だなと思っていましたが、その時代を表している作品だなと思います。
犯罪者の怖さは、本当に犯行の動機や背景に全く同意できないというか、理解出来ないことが1番怖いですね
まあ犯罪者の心理なんか分かりたくもないしわからないですが、敵討だったり、恨みとかだったらまだわからなくもないんだがそういう理解の及ばないものは人は怖くて叩く方にまわってしまうのかな
得体の知れない理解のできないものに対する恐怖が人を攻撃的にさせるのだろうか。。。
柴咲コウは昨年の作品「蛇の道」でも思ったのですが、声に出さない怖さというか目力の強さとかを感じました。
舞台挨拶などでも出演者全員から怖い怖いと言われてましたけどねw
後味の良い映画ではないね
想像してたものとは違った
事前情報として、実話であること、裁判の話であることは知っていた。
このあらすじ的にもタイトル的にもどんでん返し系の話なのかなと思って見に行ったが実際この話は被告目線からみた冤罪との戦いというテーマ。
モンスターペアレント、冤罪はこれまで何度も描かれてきたテーマだが、この映画独自視点でのメッセージを受け取ることができず、実話という要素で説得力を持たせてる映画に感じた。
事件のドキュメンタリーに近い?
綾野剛の演技の振り幅に驚かされる。
一体感
とある小学校にて児童に対し虐めをしていたとして教諭が訴えられるが、原告の保護者と教諭との供述は全く逆の内容であり…といった物語。
遅ればせながら、評価が高いため鑑賞!!
これは…本当に恐ろしい作品ですよ。
初っ端、体罰というより虐めと言うべき描写が見せられる。
…なんて教師だ。教師どころか、いち人間としてアウトだろ、と胸糞悪い展開。そして法廷へ。さて、この極悪人にどんな正義の鉄槌がくだされるのかと期待していたら…うん?これはどういうことだ!?
と、序盤から驚かせてくれる構成。この時点では、いうてこの人の言い分でしょ〜などと思っていたが、ここからの展開はもう目を背けたくなるほど。。
これは負の輪廻か、個人のつまらんプライドか…いずれにせよ何故人ってここまで他人を平然と壊せるのだろう…。
本当に怖いのは人間だと改めて痛感させられる作品だった。こんなことが現実でも起こっているだなんて。
しかし、映画作品としては本当に秀逸。どれだけ絶望に陥っても闘う勇気が必要なこと、そしてどんな状況でも自分を信じてくれる人が1人でもいるならば…。
私自身の話になりますが、職場で不当な扱いを受け続け、勇気を出して然るべき機関に駆け込み、紆余曲折の末状況を変えることができたことを思い出し、涙無しにはいられませんでした。
そしてワタクシ個人的な映画館での醍醐味というのが他の観客の皆様との「一体感」。
法廷で最後に意見を述べるシーン。この静かな長回しよ…。他の観客の息を呑む音すら聞こえてくる…。
この時に勝手に1人で、会場の皆様と同じ気持ちになっている!!…なんて感じているのですが(笑)これこそが映画館での醍醐味だと思っています。コメディで同じ場面で笑ったりとかね。
個人的経験も重ねながら、素晴らしき一体感を感じさせてくれた今年ベスト級の作品でした。
角度を変えると見えてくる「別の真実」。
「冤罪」を晴らす物語である。こどもに体罰を加えたとして両親から告発があった教師が、自らの罪を晴らすまでがとてもドラマティックに描かれている。悪い奴らが乱暴なほど明確になっているので、何も考えずに映画の世界に没入しやすい作りになっている。たぶん、殺人教師にされた薮下の苦悩を観客は共有するため、エンディングで罪が晴れた時は一種のカタルシスを感じるだろう。そして湯上谷弁護士や支えてくれた家族に感謝の気持ちがあふれて満足感を覚えるだろう。一方で真実を見ようとせずに薮下を罪に陥れた人々には強い憤りを感じる。事実を明らかにせずに一方的に薮下を断罪した校長、教頭、教育委員会。被害者の子の母親の話を鵜呑みにしてセンセーショナルな記事で世間を煽った週刊誌記者。真実を確かめずに原告に乗っかった弁護士軍団など。「正義」や「体面」を前面に押し出すとこんなことが起こるんだと分かりやすく描いている。誰も(映画の中では)薮下に謝罪していない。おそらくみんな、本人には申し訳ないことをしたかもしれないが、職務でしたことであって自分には責任がないと考えているのだろう。これも恐ろしい。
冤罪を晴らす薮下と湯上谷弁護士の奮闘と家族の支えは心温まるヒューマンドラマである。一方、冤罪を作り出す側はコメディかホラーである。母親律子とその夫のモンスターペアレントぶりが怖すぎる。詐欺師でなければ何かにとりつかれた精神病者である。ろくな調査もせず、保護者に迎合するように薮下に罪を着せる校長と教頭の掛け合いは、バカを演じるコントのようである。550名も弁護士が原告側に集まった経緯に興味があるが、法律家のくせに「真実を疑わない」おバカさん集団である。彼らの側にも調べればそれなりの事情があるだろうが、この映画では不要である。これもある意味一方的な真実である。
名優たちの熱演に乗せられて、「真実を疑う」ことの大切さを教えてくれる作品でした。
「絶妙にいい」
何を信じるか
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