「人類との共存を目指したゾンビと偏見する人類の、どちらがモンスターだったのだろうか?」噛む家族 日吉一郎さんの映画レビュー(感想・評価)
人類との共存を目指したゾンビと偏見する人類の、どちらがモンスターだったのだろうか?
父、母、娘の親子3ゾンビの家族。彼らは自らがゾンビであることを認識しており、人類に危害を加えぬように人との接点を避けて暮らしていた。ところが、家の前で起きた交通事故を目にして外に飛び出した娘が、事故の加害者と被害者に噛みついてしまった。それを機に、父はゾンビと人類の共存を目指したYouTube動画配信を始める。
所謂ゾンビ映画であるが、この作品が異色なゾンビ映画なのは、ゾンビが自らがゾンビであることを意識し人類への危害をも憂う知的な存在であることである。彼らは、ゾンビの3つのリメット「死なない」「痛みを感じない」「食べなくてもいい」をYouTubeを介してアピールしYouTube動画再生回数増加とともに、その生き?様が人類を死の恐怖から救い出す「ゾンビという新しい生き方」としてマスコミにも大きく取り上げられ脚光を浴びる。けれども脚光を浴びたのも束の間、やがて、自らの意思でゾンビと成った人の豹変した批判的な証言が報道され、ゾンビ一家の姿を興味本意で映し出してはゾンビを揶揄う動画が配信されると、ソンビ一家は一転して差別され、家族の動画配信も停止させられてしまう。
「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」(1968年)以降、数々のゾンビ映画は、単なるホラー映画の域を超えて、核兵器、感染症等の人類の脅威や、人種差別、消費社会等の世相をゾンビを介して風刺し描いてきた。「噛む家族」はゾンビを介して、YouTubeやマスコミの偏った報道に右往左往する人類の様を風刺し描いている。果たして、共存を目指したゾンビと、風評に左右され偏見する人類との、どちらがモンスターだったのであろうか。
映画終盤のゾンビ一家が1台の車に乗って何処かへと去っていくシーンを観て、三島由紀夫著「美しい星」での、主人公の宇宙人一家が、人類が自力で平穏を獲得することを願いつつ故郷の星へと帰還する結末を思い起こした。ゾンビ一家も、風評に右往左往する人類に嫌気を抱きながらも、人類が自力で平穏を獲得することを願いつつ去ったに違いない。
ゾンビを介して人類や社会を風刺するという従来からの手法を踏襲しながら、知的なゾンビを介して現代社会の一面を風刺した画期的なゾンビ映画である。