中山教頭の人生テストのレビュー・感想・評価
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正直、でっちあげ以上
の胸糞加減でしたね。創作的な部分が無くこういうの在るんだろうなと思わされる。自分が教頭の立場なら逃げ出したい、でも彼等は投げ出す訳にはいかないんでしょうね。
教頭以外全悪人、どこかで見たキャッチフレーズだと思いましたが、教頭も最後ヤッちゃって・・。渋川さんイイ貌してましたね、嫌な奴の役を繰り返して生まれた笑顔でしょうか。
先生や大人が「こうしなさい」と言うことは全部間違っている
映画は、山梨県の小学校が舞台。
元気な子どもたちのコミュニティの中でも、先生たち大人のコミュニティの中と同じように、複雑で繊細な人間関係があり、一見、みんな普通に過ごしているように見えても、その裏では立場や力関係によるパワーバランスで、ギリギリのラインで生きている。
親同士の関係性、親と教師の関係性、親と子の関係性、そして子ども同士の関係性……。
これらの矢印が複雑に入り組み、人間社会というものが成り立っているという現実。
その中で、力の弱い者は弱者の生き方を選択し、力の強い者は強者ならではの生きる難しさに対峙しながら生きている。
主人公である中山晴彦教頭(渋川清彦)は、校長になることをめざして、現在の校長のご機嫌を伺い、人事にも影響を及ぼすポジションに出世している元校長のご機嫌を伺い、教頭として先生たちのご機嫌を伺い、そして家では長女のご機嫌を伺いながら、個を消して生きている。
この映画で描かれた小学校を舞台にした複雑な人間関係で構築された世界が、そのまま私たちが生きる現実社会の縮図のようで、映画が進むごとに胸が締め付けられていく。
誰もが自分の思い通りにいかない現状に不満を抱きながら、それでも面倒な人間関係の複雑に絡まった糸に絡め取られないよう、必死で生きている。
誰もが経験した小学校時代は、大人になるにつれ、苦しかった記憶が薄れていき、明るく思い出補正されていきがちだ。
しかし、実際には、この映画で描かれたような、子どもながらに目の前に展開される繊細で複雑な人間関係の中を、ギリギリの綱渡りで生きていた事実がフラッシュバックされていく。
きっと、この小学校の生徒たちのほとんども、ギリギリのラインを外れないように必死でしがみつきながら6年間を過ごして、小学校を旅び立ち、次のステージである中学校で、新たに提示される面倒な人間関係を生き抜くミッションに挑戦するのだろう。
私たちが、そうして生き抜いてきたように。
この映画では、わかりやすい単純明快な事件が起こり、わかりやすい問題解決が提示されることはない。
ただ、表面的にはおだやかだが、裏では生々しい人間関係が生み出すドロドロした日常が描かれている。
この映画を見て、思い出されるのは、自分も小学校時代、ギリギリの精神状態で潜り抜けた人間関係のミッションが多々あったこと。
そして、その苦しい時期を、自分なりに、幼いなりに必死に生き抜いて、ここまで来たこと。
人生は楽しいだけじゃない。
それでも、なんとかして生き抜くしかない。
この映画に小学生役で出演した若い俳優たちの未来に幸あれと心から願う。
なぜ教頭になろうと思ったのか。
世間一般では、教頭職ってどう見られているのかわからないが、一言で言うと隙間を埋める存在で、「教頭は扇の要」なんて上手いことを言って持ち上げられる場合もあるが、とにかく何でも屋なのが教頭。
仕事中に声をかけられて、そちらに対応していると、更にその先で声をかけられ対応してという繰り返しは全くの日常で、朝開いていたPCの仕事に戻れたのは夕方…なんてことはザラ。そこら辺の描写は、よく取材されてるなぁと感心した。
ただ、学校の事情として、妻の交通事故に対して「授業があるから」と駆けつけるのが遅くなり、死に目に会えなかったとかのエピソードは、教師の急な病気や出張で自習ということは当たり前の学校文化の中で、かなり無理がある。加えて、それがきっかけで、担任を離れて教頭になろうとしたというのもハテナマーク。学校の中で一番の激務は教頭であることは、誰もが知っているはずなので、「娘のために」というのは正直考えにくい。
なので、中山教頭はどうして教頭になったのかがよくわからなかった。「時間が自分でコントロールできる校長になるためのステップ。給料も上がるし…」というのでは残念すぎるのだが、所々で彼が語る「いい言葉」風の言葉も、行き当たりばったりなので、真意がつかめず、「ホントにそういうことなの⁇」とモヤモヤする。
中山教頭は、「先生や大人が言うことなんて、全部間違っている」と言い切るのなら、どうして授業で実践しなかったのだろう。
あの算数の授業では、できる子とできない子の対比をより明確にするだけで、先生の拍手の促しも序列化を強化する働きしか生み出さない。
グループ内で話し合いさせる授業も、子どもたちがどんな発言をしているかは無関心なのに、急に帰りの会で、世界情勢のことを持ち出し子どもたちに語り出してしまうところが「う〜ん」となる。
保護者説明会の最後に、モゴモゴと「学校は、どんな子も受け入れる最後の砦でなくては…」みたいなことを口にする部分や、娘の前で「みんなを後ろから応援するような校長になりたい」というようなことも言っているのだから、大人に対する体面を気にしなくてよい子どもたちの前では、ちゃんと理想を持って向き合う先生として描いて欲しかったのだが、これはあくまでも個人的な感想。
保護者の描き方については、普段子どもに関心を寄せていない後ろめたさを、何かあれば学校側に必要以上にイキることで、子どもにいい格好を見せようとする大鶴義丹とか、支援に頼るべき困難さを抱えているのに頼れずに苦しんでいるシングルマザーとかにリアリティがあった。
風間杜夫の教育長と石田えりの校長、そして代替講師の黒川は、あくまでもフィクション故の強調なので目くじらを立てるつもりはないが、8万円の横領をハッキングして見つけるとかは基本的にあり得ないし、校庭で立たせたまま行う校長講話は、現存しているとなれば、シーラカンス並みなので、これはお話ですよということをそれらで示したと思って納得することにした。
自分が一番好きだったのは、サービスエリアでの亡き妻とのシーン。娘の成長を「あの子は大丈夫」と、妻が笑顔で伝えるところがとてもよかった。
父に対して、散々怒鳴り散らした後「なーんて」と付け加えられる娘の大人さ加減や、校長試験の朝、朝食を作ってくれる心づかいとも響きあって、素直によかった。
ここからは、個人的にちょっと気になったところ。
・毎朝道を掃いていた近所のおばあさん。亡くなられたのに、近所は誰も見送らないの?
わざわざ霊柩車を描いた意味を考えてしまう。
・都道府県が違えば、管理職登用の制度も違うのだろうけれど、カンニングしなければ書けないような試験って、意味あるの?
少なくとも危機管理能力やマネジメント能力、理想とする学校づくりのプロセスを描ける創造性など、校長に求められる力が読み取れる試験ではなかったと思うのだけれど…。
・椎名先生の位置付けも、モヤっとする。少なくとも、校長判断で担任からおろして、その分代替講師を雇うことは基本的に不可能だと思うのだが、市がわざわざ黒川講師の分のお金を出してくれたということ?
デフォルメはあるけれど、リアルな部分が多かっただけに、そんな所が余計に気になってしまったのだが、人間くさい「中山教頭先生」には、とても親しみを感じた。
これからどんな校長先生になるのだろうか。
女王の教室
ここ何年かで、名バイプレイヤーを主役に据えた作品が増えてきた印象。
光石研の『逃げきれた夢』とか、直近だと北村有起哉の『逆火』とか、で、本作は渋川清彦。
序盤は全体のキャラ紹介をしながら黒川先生のヤバさを見せていく。
「このキッカケで?」という出来事から黒川先生が来なくなり、やっと中山先生が担任を受け持つのだけど…
黒川がいなくなった途端に軽く学級崩壊してません?
その後も色々な問題が起こっていくのだけど、生徒も先生も親も、まともな人の方が少ない。
中山も人はいいのかもしれないが無能で、体育館のブッキング問題は合唱にステージ使ってもらえば済むよね。
中盤でいきなり空気が変わり、いくつかの出来事が繋がって「愛里沙ヤベェ」ってなるのだけど、それでお終い?
クラスの諸問題や原因が見えてきたのに対処ナシ??
提示された家庭問題やイジメ問題は何も解決してないし、娘との関係も中途半端。
奥さんの幻覚も必要性を感じないし、中山は試験で唐突にカンニング。
私腹を肥やしたワケではないとはいえ、横領した鷹森校長があんな清々しい描写なのも違和感。
その横領の摘発に黒川が噛んでましたと言われても…
終業式前日の中山のスピーチは、生徒からしたらポカーンでしかないのに愛里沙は何かを察した様子?
生徒含めキャラはいいし、問題や事件の描き方も上手いんだけど、詰め込んだ末に大半が放り投げ。
最後の“校長先生の話”にしてもそうだし、でもやったらやったでダレたよなぁ。
校長を目指す理由の変化もなんか腑に落ちないし、的を絞るか連ドラの尺でやるべき内容じゃないかな。
で、結局プロテインシェイカーは何だったん?
流石にまずいよ
教育現場に合っていないところが散見です、大いに残念です
教職43年(現在は退職済み)の私にとって、義務教育の現場経験はありませんが、観ての感想を述べます。
全体的には、良い雰囲気だったと思います。
特に、M教師として校長の「単に気に入らないという理由」だけで、学級担任を外されて、干されているのに、問題のある児童を救いたいと奮闘する「椎名先生」、これは現実に有り有りです。こんな教師に救われて「卒業」まで持ち込まれた児童生徒は沢山います。ただし、現実に学級担任をしながらで、この役目は無理だと思います。
こんな、性格の女の子、PTA会長(だと思う)の娘「富沢亜里沙」、その下僕だった「杉田真理」これも実際は、有り有りです。「富沢亜里沙」らを、上手く使い学級の児童指導を旨く、(本当の意味で旨く)行っている教諭は超多数実存します。児童生徒は旨くその気にさせられて、きっと、良い集団が出来ると確信します。
以下、現場に即していないところがあって、興ざめしたところがありました。
1.高々「8万円の横領」だけで、校長が免職になることはあり得ません。賢い校長なら、校長経費決済で十分に対応できます。
2.今時、校庭で朝礼、全校集会をする学校は有りません。体育館があります。
3.もし、校長が不祥事で免職になった場合(他に現職で病死、重病休職、事故で不在になった場合など)、教育委員会事務局の相当職種の人が即着任して、教頭がそのまま、校長代行になることはあり得ません。
その他、散見いたしました。
もっと、リアリティーがあれば、評価は4.5くらい出せたと思います。
最期に、知っている高校のウェイトリフティング部の様子が出てきて、ワロタ。
そういえば最近の渋川のアニキはゆるキャラかも
話の内容は、私の中ではあり。 いつの時代もイジメはあるし、嫌な先生...
人間は本当に面倒な生きもの
【”先生や大人が言う事なんて全部間違っている。ゴールなんて目指さなくていい。”と教頭先生は最後の挨拶で生徒達に言った。今作は全国のお堅い教育委員会に喧嘩を吹っ掛ける如き、教育ヒューマンドラマである。】
■山梨県の小学校で教頭を務める中山(渋川清彦)は、教育生活30年のベテラン。昔は熱血教師だったが数年前に、自分が授業中に妻が事故に遭い、それでも授業を止めなかったために死に目に会えず、中学生の娘に責められ自分も後悔を抱いて生きている。
娘の進学を控え、一応校長昇進試験にも挑戦するが、ナカナカ合格できない。
校内では、近隣のクレーム爺さんの対応や電球の交換など雑用担当だが、いつも笑顔を浮かべている。
そんな時に、校長に逆らった女性教師の代わりに来たマアマアパワハラの男性教師も、学校に来なくなり、急遽中山は教頭兼、久しぶりの担任になる。だが、そのクラスは表面上は問題が無く見えたが、様々な問題を抱えるクラスであった。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・いつものように、フライヤーをロクに読まずに観に行ったので、”善良な教頭先生が、問題ある生徒達を矯正させ、良かった、良かったじゃないの、”などと思いながら鑑賞開始。
・だーが、この映画が色んな意味で凄かった。
笑顔一切なしの男性教師の生徒に対するパワハラの接し方に始まり、生徒間でも関係性が複雑に入り組み、モンスターペアレンツは出て来るわで、そこを教頭が”ビシッと”締めるかと思いきや、教頭もグダグダなのである。
で、思ったのだが”あ、この映画は先生は万能の神などではなくって、普通の過ちを犯す人間であり、教頭先生の成長物語だな。”と思ったのである。
・スンゴイ、優しい笑顔の女の子が、モンスター級のサイコ苛めっ子であったり、不登校の女子や、苛められている男子と、苛めっ子の女子の関係など、大人社会もビックリであるが、少し前に見た学校のドキュメンタリー映画「小学校~それは小さな社会」を思い出し、”この映画は、そのブラックバージョンでもあるな。”と思いながら観賞を続行する。
・中山教頭は教育長(風間杜夫)で、女性校長(石田えり)を激しく糾弾する夜の酒の場では(というか、夜の酒の場、ムッチャ多し。教育長、仕事しろ、仕事!)へこへこ、教育長のいう事を聞き、校長の前では自分の意見を言い出せない。
果ては、校長が下した不登校女子に対する処分の厳しさを糾弾される場で、自分の昇進を考え、校長の擁護に回る始末である。
・だが、教頭はそんな日々を送る中で、少しづつ、生徒達に望むことを学んでいくのである。この辺りの教頭を演じた名俳優渋川清彦の、媚びたような笑顔を浮かべながら生きる姿は絶品である。
・中山教頭は更に、校長昇進試験でカンニングまでするのである。”あーあ。この映画、全国の教育委員会に更に喧嘩を売っているよ。”と思いつつ、試験後に若い試験官から呼び止められた教頭は、存外の”この間の会見での毅然とした態度が立派でした!”などと言われる握手を求められるも、当然それに応えずに、悄然とした顔で、会場を去るのである。
・そして、或る晩。中山の携帯に電話が入る。それは、彼が校長の試験に不合格になった連絡だった。だが、彼はそれを聞いて、何故か笑顔になるのである。
・だーが、その後、ナント女性校長の使い込み(たった、8万円。せこいなあ。けれども、彼女には日の当たらない女子重量挙げ選手を指導する立場にもあったのである。)が発覚し、繰り上げ式に中山は工長になるのである。
<ラスト、学期末の挨拶で中山が生徒達に、少し涙を浮かべて言った言葉が良かったなあ。彼はこう言ったのである。
”先生や大人がこうしなさいって言う事なんて、全部間違っている。ゴールなんて目指さなくていい。”
そして、その言葉の後に駆け寄って来たモンスター級のサイコ苛めっ子の女の子が心配そうに”何か分かったんですか。”と言った時に、中山が彼女に向けた笑みなき真面目な眼が良かったのである。
今作は、一人の過ちの多い教頭先生が、様々な経験をする中で、生徒と共に成長し、真の教育者になって行く姿を描いた作品なのである。>
<2025年6月29日 刈谷日劇にて鑑賞>
教室の解像度が高い
己の職業柄、こういう作品のリアリティーラインにはうるさいタイプですが、これはかなりリアルだと断言できます。教室内ヒエラルキー、表には見えてこない陰湿さ、決めつけたことによる子どもや親のトラブル、保護者説明会のヒリヒリ感、そして何より教頭先生の何でも屋加減。お見事でした。強いて言うなら教頭先生が代わりに担任に入るんだから、名前覚えてもらえるように学校内では名札してあげて〜って感じ。
教頭=中間管理職とはまさにこのこと。校長の窓口も平教員の窓口もPTAの窓口も。家に帰れば思春期の娘の感情に左右され、妻への悔恨。とことん挟まれる境遇を渋川清彦が見事に演じきってたと思う。
教員を志す場合、対子どもに何かをしてあげたいからがほとんどなわけで。管理職は対大人になるので、強烈な出世欲がないとなり手が少ないのが現状。この主人公は教頭より校長のほうが仕事の融通が効くからというのは、家庭への罪悪感が大きいとは思うけれど、それでは貪欲にはなれないよなーとは思う。
映画でスローモーションになる数少ないシーンが効果的。妻に会えるシーンもフィクションならではの面白さ。後半のネタバラシパートの痛快さ。大人は間違えるからの道間違いのきれいさ。
良いお話で終わりきれない『死ね』の連呼も、この監督らしいなと。
実は教育コメディミステリー
職場との関係性も、家族との関係性も、生徒との関係性も、全てにおいて苦労を背負っている教員のお話し。
テーマは良いのだけれど、突き抜けた面白さはなかった感じでした。
ハートフル教育コメディかと思っていたけれど、実は、教育コメディミステリー。
序盤は、かなりモヤモヤします。
多くの観客はミスリードされて、終盤まである思い違いをしてしまうのが面白いです。
でも、劇中では、教育者目線でそれを読み解く力は職業的に必要ではないか?との疑問は残りました。
これ、結構、テーマ性にとっては重要なことだと思うけれど。
教育委員長役の風間杜夫は、ある種の腐敗した権力を体現して、憎たらしいほどのふてぶてしさがあって良かった。
教頭の思い出なんて普通はない
渋川清彦の演技が見事❗️
中山教頭の人生テストを観たが、予想以上に良かった。椎名先生の代役で中山教頭が臨時担任を担当したが、大変な業務の中生徒と向き合う姿勢は失わなかった。中山教頭の思いが生徒に伝わった。校長試験も同時進行。改めて、学校の大変さを痛感。渋川清彦の演技は素晴らしかった❗️夜明けのすべて、箱男の演技が物凄く良かっただけに今回も見事。
教頭はつらいよ
自分の仕事だけでなく、地域の苦情を受けたり、蛍光灯の交換をしたり、担任代理を務めたりと、何でも屋の教頭は、校長の命を受けてハイかイエスか喜んでと役目をこなす。人が良く、不器用な人の役が渋川には似合う。校長試験の仕組みや校長が公金を横領するなど、有り得ないこともあるし、実際の教頭の仕事の大変さは、こんなものではないなど、事実とは異なることはある。しかし、渋川の困った顔を見ているだけで楽しい。ただ、黒川先生は何だったのかが疑問。
とにかく教頭は大変だ
舞台は山梨県の田舎の小学校。何でもかんでも雑用を押し付けられる教頭の中山先生は、ひょんなことから5年生の臨時担任を持たされることになり、校長試験の勉強もままならなず……。
校長、教員、生徒、教育委員会、そして保護者や近隣住民といった諸々のステークホルダーたち、そして家庭内では娘との関わりの中で葛藤する中山先生の姿はおかしくもあり、哀しくもある。
学校の現場としては、それはありな得ないだろうと思える話と、よくありそうと思う場面が交錯して描かれる。
中盤過ぎまで、こんな話を若い連中が観ていたら、そりゃあ教職に就こうなんて考える大学生は激減して、教員不足はますます加速されるだろうな、と思いながら観ていたのだが、最終的にはわりといい話に着地していた。
ただ、そんな感じに着地させてしまって良いのだろうか?という懸念も拭えない。学校の問題は社会全体が抱えている問題であり、それを学校に押し付けて自分は知らんぷりみたいな人間が多いことが最大の問題なのではないか。教師であろうがなかろうが、あるいは大人だろうが子どもだろうが、一人ひとりが抱える自分の弱点や苦悩、問題点にもっと対峙してもいいのかも知れない。
ルールに従ってさえいれば人生を間違えないという訳ではない。ポスターにある「先生や大人がこうしなさいって言うことは全部まちがってる」というセリフには劇中では「君がやりたいと思うことは全て正しい」という続きがある。先生が生徒に言うセリフではあるが、ちょっとするとこれは中山先生が自分自身に語りかける言葉だったのではないだろうか。そして、自分のやりたいと思うように行動することが正解なのかこそが彼の人生テストなのだろう。
学校のリアルがここにある
渋川清彦主演で学校がテーマになっていることから興味を持ち鑑賞。
冒頭から、絶え間なく次々と起きる教頭を取り巻く怒涛の出来事に圧倒された。
些事ではあるものの、ひとつひとつに対応する中山教頭に感服する次第である。
とはいえ、ちゃんとしているのは中山教頭となぜか担任をはずされた椎名先生だけっぽい。
椎名先生の後任の黒川という教師はもう存在自体が子どもにとってパワハラだ。
こんなヤツいるのか!?と思うほど。ここはリアルなんだろうか?非現実的では?と感じたところ。
正直、観ていてつらいというか、きついというか、息苦しくなる展開に、少々嫌気が差したものの
中山教頭のキャラクターが少しゆるいというか、コメディちっくでもあり、鑑賞に耐えうる流れになっていて
ちゃんと学園ドラマというか、そういう要素も入れていて、安心できるところもあって良かったと思う。
前半の出来事についての謎が解き明かされる後半が実に面白い。
面白いが愛里沙が黒幕だとわかると、ギョッとするというか、
無邪気な悪意ほど恐ろしいものはないなとあらためて感じた次第。
また演じている太田結乃が秀逸だ。教室内で最もビジュアルが映えている子だが、それゆえに黒幕だとわかると
天使が悪魔に見えてしまう。これは最後の最後まで不変であった。
太田結乃は今後も活躍するに違いない俳優になるだろう。本作を機に覚えておきたい(『見える子ちゃん』にも出演している)。
中山教頭の奥さんは4年前に亡くなったという設定だが、
娘との関係性がうまくいっていない最中に、車の中で現れる奥さんと中山教頭とのやりとりが
実にファンタジーではあるが、物語が前にまわっていくために必要な演出だったのだろうと思う。
学校や教育にまつわる組織・人の旧態依然とした体質へのアンチテーゼも感じる社会派なところも良い。
先生たちが見えている世界が全てではない。子どもたちを子どもと侮ってはいけない。
これはいろいろな世界・社会にも通じるのではないか。
因果応報ではあるものの、思いは通ずるというメッセージも込められているかなと。
しかしドッと疲れた。
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