「レッドベリーの名前は、聞いたことがあったが、」ロックの礎を築いた男 レッド・ベリー ビートルズとボブ・ディランの原点 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0レッドベリーの名前は、聞いたことがあったが、

2025年6月1日
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鑑賞方法:映画館

この映画を観るまで、レッドベリーのことは認識していなかった。てっきりCCRの曲と思って聞いていた「コットン・フィールズ」も、彼の曲だったなんて。彼は、どんな種類の歌でも作り、12弦ギターをはじめ、アコーディオンなど数多くの楽器を弾き、抜群のリズム感を持って、スピーディーに歌いこなす偉大なミュージシャンだった、白人の側から見たらフォークの、黒人の側からはブルーズの。その後の世代に対して、非常の多くの影響を与えた。フォークでは、ウッディ・ガスリーやピート・シガーを介してボブ・ディランに。黒人のブルーズの側では、海を渡って、ロニー・ドネガンらの力でスキッフルの隆盛を招き、それはやがてビートルズを生んだ。映像をみたことがあるが、ブルーズの出発は黒人の(囚人による)労働歌で、コール・アンド・レスポンスの形、基本は「嘆き」と思う。それに対し、フォークには社会性(プロテスト)がある。

それにしても、彼は、おそらく子供の時は悪童、体も強く、頭も切れ、決して他の人には負けない。社会への抗議があるので、白人に受けたのではないか。ただ手が早かった分、犯罪歴もある。1回の脱獄はともかくとして、2度もの恩赦に恵まれている。やはり、普通の人にはない何かの魅力があったのだろう。

彼がデビューしたのは赤線地帯だったろうから、当然、学校には行っていない。ギターは、盲目のブラインド・レモン・ジェファーソンに習ったようだが、民族音楽学者のローマックス親子と知り合ったのが大きかったのではないか。おそらく、彼らが録音だけでなく、採譜も導いたに違いない。しかもレッドベリーは、その恩人である父のジョン・ローマックスを訴えている。何と言うことだ。

レッドベリーを見ていると、江戸時代の火付け盗賊改め、鬼平(長谷川平蔵)を思い出す。若い頃は悪所通いをし「ワル」だった平蔵は、職に就くや、誰にもできなかった犯罪者を更生させるための「人足寄場」を創設する、類まれな人物だった。

楽譜は読めなかったに違いないレッドベリーのレパートリーは500曲を超えたようだ。彼が倒れた病名を聞いて驚いた。現代の難病である。一体、誰が、どこの病院で診断したのだろう。

詠み人知らず
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