「信頼のインフラが崩れる音を聞け」ブラックバッグ こひくきさんの映画レビュー(感想・評価)
信頼のインフラが崩れる音を聞け
スティーヴン・ソダーバーグという男は、つくづく「構造の人」だと思う。『トラフィック』では麻薬取引という制度を、『コンテイジョン』では感染症と経済を、そしてこの『ブラックバッグ』では“信頼”そのものを制度として撮っている。サイバーセキュリティの専門組織を舞台に、夫婦でスパイ、つまり「監視し合う愛」を描く。一見スパイ映画の皮を被っているが、これは情報社会の倫理をめぐる寓話である。
主人公ジョージは、国家サイバーセキュリティセンターの諜報員。上司から「組織内に裏切り者がいる」と命じられ、同僚5人の調査を始めるが、容疑者の中に妻キャスリンがいる。
彼は淡々と命令に従い、妻を含む全員を自宅に呼び、晩餐会の料理に薬を仕込み、心理戦を仕掛ける。つまり、家庭が職場に、夫婦が監視網に変わる瞬間だ。この構図に、現代の情報社会の滑稽さが詰まっている。我々もSNSで互いの発言を監視し、「不正」「裏切り」「誤情報」を検出するジョージでありキャスリンなのだ。
物語は静かに進む。アクションも爆破もない。だが、沈黙の合間に走る情報のやりとりが生々しい。夫婦間の嘘を解析する過程は、まるでネットワーク診断ログのようで、“人間関係というシステム監査”のようでもある。やがて、上司スティーグリッツが裏で全員を利用していたことが明かされ、若い諜報員ジェームズが実行犯として撃たれ、池に沈められる。制度は温存され、真実は水底へ。――国家も企業も結婚も、みな同じ構造だ。内部統制が崩れても、上層部は処罰されない。
ソダーバーグは、冷たいカメラでこの制度疲労を映す。照明は硬質で、会話は間合いに支配され、俳優の演技は感情を削ぎ落とす。マイケル・ファスベンダーは「合理的な狂気」を体現し、ケイト・ブランシェットは“見られること”のプロとして、一切の情を切り捨てた表情で支配する。彼らの会話はほとんど法廷調書のようで、「愛しています」も「信じています」も、情報開示と隠蔽の手続きの一部に過ぎない。
興味深いのは、作品が描く“セキュリティと倫理の矛盾”である。守るために疑い、信頼を確かめるために監視する。サイバーセキュリティの専門家が「ゼロトラスト」を叫ぶように、この夫婦も“ゼロトラスト婚”を生きている。それでもジョージは「相手のことを知り、触れないようにする」と語る。ここにソダーバーグ流の解答がある。完全な監視の果てに、残るのは沈黙による共犯だけなのだ。
スパイ映画として見れば地味すぎる。だが、この地味さこそが現代のリアリズムだ。戦争も諜報も、いまやコンピュータの画面と人間関係の歪みの中で進行する。「ブラックバッグ」という違法捜査の隠語が、いまや我々の社会全体のメタファーになっている。政治、企業、恋愛、すべての組織が誰かを“ブラックバッグ”している。この映画は、その構造的暴力の可視化だ。
ソダーバーグは最後に、観客自身を監視対象に変える。スクリーンを見つめる我々もまた、「信じたいものしか信じない」情報中毒者であると突きつけられる。映画館を出るとき、ふとスマホを見て、我々の通知履歴の中にも“ブラックバッグ”の影があることに気づく。この映画の恐ろしさは、そこにある。
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