親友かよのレビュー・感想・評価
全42件中、1~20件目を表示
私はあなたの「150人」に入りますか
人間が覚えていられる友達の数は150人まで。このセリフは人類学の成果「ダンバー数」に基づいているようだ。この言葉に象徴されるように、本作は“記憶することの美しさ”と“忘れることの残酷さ”をめぐる物語だ。
主人公は高校3年生のペー。彼は、事故で亡くなった同級生ジョーを弔う映画を作ることで無試験での大学進学を狙っている。ところが実際にはジョーのことをよく知らず、偶然見つけたジョーの短編小説データをもとに物語をでっちあげる。そこへ現れるのが、本当にジョーと親しかった女子高生ボーケーだ。彼女はペーの嘘を見抜き、容赦なく告発する。しかし次第に二人は映画作りに引き込まれるようになる。
このボーケーちゃんがとにかく魅力的。刑事のようにペーを追い詰め、制作が始まると今度は“鬼監督”として主導権を握る。日本でいえば今田美桜さんみたいな、真面目さと意地悪さを併せ持つキャラクター。ボーケーがジョーを弔う理由には苦い過去がある。中学時代、仲の良さをからかわれ、ジョーの片思いの相手をみんなに暴露してしまったのだ。
やがて映画が完成に近づく頃、衝撃の事実が明らかになる。ジョーの短編は、病弱な同級生オームからの盗作だったのだ。ペーとボーケーは、学校全体の期待や進学をかけた映画を完成すべきか葛藤する。2人がいったいどんな答えを出すのか…。
冒頭の言葉のように、人間の記憶に限界がある以上、誰かを覚えておくことは別の誰かを忘れることにつながる。映画は、この残酷な真理をよく表現している。平凡なジョーにクローズアップすることは美しい行為のようでいて、別の誰か(オーム)を陰に追いやることかもしれない。ジョーのありのままを偽ることかもしれない。
だとすれば、ペーたちが「もう一つの映画」でジョーの人生を描くことは、誠実ではあるけれど物語の軸をぼかしてしまったと思う。「ジョーと本当に親友だった人生」「ジョーの告白が成功した人生」ではなくて、あくまで「いい人だけど忘れられたジョー」と向き合うべきだったのではないか。
私にとってはボーケーが一人で眺めていた、中学時代のジョーとの思い出の写真が今作のハイライトになった(ボーケーちゃん、歯列矯正中なのが微笑ましい)。ペーとボーケーが映画の仕事を目指すのは、制作陣好みのハッピーエンドだろう。でも2人が、2人だけのジョーに出会えるようなラストだったらよかったのにと思う。
【今作は、嘘から始まった映画作りの過程の中で、高校生達が友情や自分の生き方を見つめ直す成長物語である。あと、タイ映画のフライヤーについて少し考えるの巻。】
■高校3年生のぺー(アンソニー・ブイサレート)は3学期になった焦りからか、ガールフレンドの裏切りが許せずに、彼女の頬をカッターで切ってしまい退学させられる。
転校先の高校で、隣の席になったジョー(ピシットポン・エークポンピット:タイ人の名前は長い・・。)から、親密に話しかけられるが、彼は素っ気ない。
そんなある日、ジョーが交通事故で亡くなってしまう。
大学受験を控えたペーは、短編映画のコンテストに入賞すると、試験免除で進学できると聞き、ジョーの親友と偽り彼が書いたコンテスト入賞の短編”花火と星々”をパクリ、映画製作を始める。彼を偲ぶ映画だと言って。
だが、その嘘を見破ったジョーの中学時代の親友ボーケーに反発されながら、ぺーは映画製作に取り組んで行く。ボーケーも徐々にカメラ担当として協力していく。
が、ジョーも、余命一年の同級生オームが書いた短編をパクッテいる事が明らかになり、ぺーとボーケーは短編製作を迷って行くのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・正直に書くと、この映画は映画館で観る映画の殆どを面白く観れるおバカ脳の持ち主である私にも、余り響かなかった。
何故だろうと考えると、脚本と演出とが多少粗い気がしたのと、死んだ筈のジョーも後半頻繁に思い出として登場するので、混乱した箇所が多かったのである。
・あとは、ペーを始めとした登場人物達の描き方が浅く感じてしまったからかな。ペーの冒頭の元カノへのカッターで切りつけるシーンから、アッサリ別の学校に転校していたり、ジョーとボーケーの中学時代の親友状態からの、ボーケーの行いにより二人の仲が壊れる過程の描き方などカナ。
・劇中で、ラップで流れる著名な監督の名前の数々。クリストファー・ノーラン、J・Jエイブラハム、日本代表として是枝監督。ここは、監督の意図する映画製作愛なのかな。
■そんな過程を経て、卒業式に流されたジョーが監督した映画。そこには、ジョーがオームの短編をパクった事が分からないように、ジョーの写真をパワーポイントの様につなげた映像が流されるのである。
それを見て、多くの生徒達は”パワポかよ!”と憤然とするのだが、オームとボーケーとジョーのお母さんだけは、感慨深げに見ているのである。
このシーンはペーの成長を感じさせるのである。
このシーンはナカナカだったかな。
<そして、ペーは嫌がっていた家業を継ぎ、ボーケーはカメラマンの道へ進むのである。そして、ペーも新たな夢である、映画製作者を夢見て、映画製作の場に行くとそこにはボーケーが居て、二人は笑顔で見つめ合いのである。
今作は、嘘から始まった映画作りの中で、高校生達が友情や自分の生き方を見つめ直す物語なのである。>
■タイ映画の新作フライヤーというと、今作もそうだが「バッドジーニアス」の名前が良く出る。
だーが、私が比較的最近観た映画では「ふたごのユーとミー 忘れられない夏」(なんでこの映画を書いたか分かる人は、偉い!)や「プアン/友だちと呼ばせて」など、素敵な映画が沢山有るので、ソッチも紹介して欲しいな。
<2025年8月10日 刈谷日劇にて鑑賞>
親友=秘密を打ちあけられる人
この映画における親友の定義は、秘密を打ちあけられる人・・・ということらしい。
映画が始まるやいなや亡くなったジョー。
ジョーの彼女が仲が良い人ひとりだけには教えていいよ、と言う。それは親友だろうと。
主人公ペーはきっとジョーと親友と呼べるほど仲良くしなかったことを
後悔していただろう。亡くなって初めてその人を深く知ることで、
ジョーの気持ちがわかっていく、寄り添えていく、というのは何とも切ないが
さもありなんとも思う。
ペーがジョーの親友ではなく、ペーの嘘だと見抜くボーケー(女性)もまた切ない。
彼女はきっとジョーの友達以上になりたかったのだろうと思うが、
ジョーには好きな子がいた。で、亡くなってしまうという。もう思いを告げられないのだ。
高校生の多感な時期に、
映画づくりを通して思いを通わせていくうちに、精神的に成長していく彼ら。
みんなの思いを大事にしていく様は、
なんとも瑞々しい気持ちにさせてくれる映画だ。
そしてタイという国の文化的なことも垣間見え、とても勉強になった。
「親友」ってわざわざ言わない
「親友」なんて口にするのは、逆に他人行儀な感じ。
お互い無二の友達と思っていたらそれで良くて、改まってそんな言葉を使う頭がない。
秘密を打ち明けたら親友なら、ペーとポーケーはすでに親友だ。わざわざそう定義しないだけ。
事件を起こして転校を余儀なくされたペーは周りに壁を作りまくっているが、隣の席の無神経ないがぐり頭はお構いなしに話しかけてくる。
少し変わっているけど憎めなくて人気者なジョー。(そういえば大昔ジョーみたいな同級生がいました。)
転校一か月でいつジョーと親友になったの? ジョーの何を知ってるの、とペーに詰め寄るポーケーは、昨年見た「ふたごのユーとミー」のティティヤー・ジラポーンシンちゃんじゃないか! あの映画ではひとり二役でがんばっていたけど、本作でも素晴らしい。
ふくれっ面も泣き顔も、自然体で瑞々しくかわいい。気が強くてはっきりものをいう、思うことには一歩も引かないところもすがすがしい。彼女の涙はとりわけ大きい気がする。(顔が細くて小さいから?)
ジョーとの仲良さが、ふたりで自撮りしたPC画面からにじみ出ていて、サイテーな自分への後悔と、「親友」に去られ、そのまま失ってしまった悲しみ、ジョーへの罪悪感もあるだろうポーケーの胸の痛みがよくわかる。
ジョーと親友のふりして無試験で大学合格を目指し、何も知らないのに映画製作に乗り出すペーは、なにしろ嘘で塗り固めているのでつじつま合わせに危機また危機の綱渡り。どう納めるんだろうか都度ドキドキして、なんとか乗り切ったところで最大の難関にぶち当たる。
あのジョーが!? という衝撃で私も頭がくらくらした。予定調和が入る余地がない展開で、これをどう乗り越えるか。
ジョーを守りたいポーケーの気持ちもわかるが、せっかくみんなで作り上げた短編映画を破壊するのはどうなのか。
自分を下げて全員を傷つけない形で事態を収めたペーに、脳内で拍手を送りました。
消されたと思った映画が、PC部(?)の部長の手で保存されており無事だったのもよかった。
後半、空想(願望?)と想像と過去が交錯して一瞬訳が分からなくなることもあるが、それで空白の部分が埋まっていく。
ジョーが受賞を辞退したのは想像か過去の現実かはっきりしないが、私はこれは現実で、彼が卑怯者じゃなくて良かったと思いました。
そして、片思いの彼女が好感触で浮かれて無敵感でいっぱい(この無敵感がとてもよく出ていました)、避けていたポーケーに話しかけてくれて良かった。
ペーはジョーと親友だと嘘をついたと思っていたが、実は意識していないだけでそこそこ「親友」に近い友達ではなかったか。
ペーに呼び止められ、ジョーが道路を渡るのをやめて戻ってくる、ハードディスクを受け取って、「じゃあまた明日」と去っていく。
叶うはずない願望だが、そうだったら良いのに、とうるうる思った。
学校内のクラスメートやi-Macのためにしぶしぶ協力し始めたがいつの間にか頼もしい映画つくりの仲間になったPC部の部員たちが、とても良い。
PC部の面々に、ひとりひとりの個性を出す見せ場があったらもっとよかった。
タイの高校生たちなのに、なぜか自分の高校時代と空気感が似ていて、とても懐かしい気持ちになりました。
結局、短編映画は落選。お父さんが言う通り、「お前は映画のことを何も知らないだろう」なので、落選してよかった。
映画つくりに目覚めたペーは、その道に進む決意をする。初日に向かった現場にはポーケーの姿があって。
ラストは予定調和だけど、気持ちよく収まって文句ありません。
タイの高校って、男子の制服は半ズボンなんだ!?
ノーラン、高校生が撮るってよ
脚本と配役はかなり良い
映画愛
最近時間に追われているので手短に
・”アジアのA24と称されるタイの映画スタジオ「GDH 559」が製作した
青春映画”というのに興味を持った。そうでなくてもタイの映画っていう
だけで鑑賞動機になる。
・ある目的のために短編映画を製作する高校生の話
・少しでも楽をして何かを得ようとする現代人気質
・時にコミカルに、時に情緒的な描写。メリハリがあって見ていて楽しい。
・集まった製作チームのメンバーの個性、映画への思いがよく描けていた
・尊敬する映画監督の名前や作品名がポンポン出てくる。これは本作を
製作したチームの映画への思いが反映していると思われる。
オマージュ場面あり。
・素人が限られた予算で撮るならこうするよね、という創意工夫の描写が良い
・楽しく鑑賞して、最後は温かい気持ちになれる
・自分は頭が悪いせいか理解が追い付かない箇所があったけど観て良かった
・ペー(アンソニー・ブイサレート)とボーケー(ティティヤー・ジラポーンシン)
の顔が小島よしおと今田美桜に見える瞬間があった
・主要な登場人物が事故死する設定の映画は好きではないが、本作は
それ以外の描写が良かったのでチャラ
・タイ語題:เพื่อน(ไม่)สนิท
เพื่อนสนิทは親友。そこに否定形のไม่を挟むと親しくない友人になる。
この題を思いつく洒落た感覚が好き。英語や日本語に訳しにくい表現。
笑って泣けて楽しくてしっかり切なくて酸っぱい青春友情映画
男同士の友情の話のみならず、男女の友情も描いてくれて大変よかった。それゆえに切ない場面もある。
キャラクター一人一人が底抜けにいい奴だったりやる事が人間臭かったり、若者らしいやりとりも感情が発露するシーンもどれも眩しく見える映画。
あっ学生の時にこういう子居たわ〜っていうリアルさを感じられますね
登場人物に何度も重大な選択肢を迫られるシーンがあって、まあそうなるよな、って選択肢もあれば期待を上回る回答をしたりと楽しい。
映画作りをする映画なので映画ファンなら笑えるシーンが多々あってたのしい。
眩しい青春を味わえる映画で良かったですね。
この卒業生たちが何十年か後に素敵な同窓会を開けますように
私は去年の秋、高校の同窓会に参加しました。同期の卒業生が四百数十名いるのですが、百五十名以上の同窓生が集まるなかなかの盛況で思い出話に花を咲かせ、愉快なひと時を過ごしました。もう60代半ばを過ぎていますので近況報告をしていますと、参加してない(というか参加できないということなんですけど)メンバーが既に亡くなっていると聞いて驚くことがあります。3年生のときのクラスメイト(40名ちょっとです)では消息がわかっている中だけでも男子ひとり、女子ひとりが故人になっていました。長いこと生きていますと、死というのは意外と身近なところにいて突然ふと現れるものだと感じることがたびたびあります。我々の高校の同期にも別のクラスでしたが、卒業を待たずに3年になってすぐに自宅で入浴中に突然死した男子がいました。
さて、この物語のウラの主人公ともいうべきジョー(演: ピシットポン•エークポンピシット 人の良さそうな感じでバカっぽく見えなくもないけど、まあまあ爽やかな感じのイケメン)は本篇開始数分で事故にあい、あっけなくこの世を去ります。主人公のペー(演: アンソニー•ブイサレート 甘いマスクで北村匠海風イケメン)は舞台となる高校に転校してきたばかりでたまたまジョーと席が隣り合わせになっただけの関係でしたが、いい短篇映画を制作できれば進学に有利になることを知り、ジョーの親友だったとウソをついてジョーを偲ぶ短篇映画を企画します。そこにジョーと本当に親友だったボーケー(演: ティティヤー•ジラポーンシン 私が去年観た『ふたごのユーとミー』という映画で一人二役で双子を演じていました。特に美人というわけでもないのですが、タイを代表する国際派の女優になりそうな予感がします)や映画オタクの数人が合流し、すったもんだがありながらも、映画の撮影がスタートします。高校生による映画制作ということで、日本映画の『サマーフィルムにのって』とか『Single 8』みたいな感じかなと思っていましたが、それらよりもずっとコメディよりで演出が少しアカ抜けないこともあってB級学園コメディみたいな感じで前半は進みます。
ところがどっこい、前半のB級学園コメディ感はスポーツでいうところのフェイントで、ジョーの秘密が明らかになってきた中盤あたりから、物語はまったく別の様相を呈し始めます。主人公のペーはとても大きな決断をしなければならなくなります。本篇後半は友情をテーマにした本格的な青春映画です。クライマックスは卒業式。合わせてジョーを偲ぶ会も行われ、ペーはジョーを偲ぶ短篇映画を発表します。ボーケーは卒業生代表でスピーチをします。最近、トシのせいかすっかり涙腺が緩くなっている私はこのあたりのところでしっかりと涙活をしてしまいました。
ペーは大きな決断の代償として直近の目標を諦めなければならなくなりますが、人間的には大きく成長します。卒業からしばらくしてペーとボーケーはある場所で再会するのですが、私はそのシーンで泣けて泣けて…… 嗚咽を漏らしそうになりました。若い頃の夢は全部が全部、叶うわけではないけれど、どうか皆、成長していってほしいと心から願いました。
そして、何十年か後に同窓会を開いたときには映画撮影の思い出話に花が咲くといいですね。そのときにはジョーの思い出話も。そう、ジョーは皆の心の中で今も生きています。
5万バーツって言われても…
徐々にミステリーへ転換していく様子が自然で良かった。
学園青春コメディかと思っていたけれど、学園コメディミステリーでした。
序盤のコメディから、中盤から徐々にミステリーへ転換していく様子が、とても自然で良かった。
出演したタイの若手俳優は、みんな上手だったと思う。
序盤は結構モヤるけれど、中盤から終盤で色々な不自然さが整理されて、エンディングはかなりスッキリして観終わることができる物語。
もう少し短い物語にすれば、もっと洗練された映画になると思います。
人の死や気持ちの扱いが軽く、青春で片付けてよいのか?
青春!熱い映画愛と苦悩!友情とは、親友とは 映画製作・上映の苦難を乗り越えたとき ただのクラスメイトが親友になった
転校生ペーの隣りの席の生徒ジョーが、突然事故で亡くなった。
ペーは、特に親しくなかったジョーを「親友」ということにして、仲間を集めて彼を偲ぶ短編映画を撮ることにする。
クラスメイト達も出演し、映画の撮影は順調に進む中、ジョーの意外な秘密を知ることになる。
名作「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」のバズ・プーンピリヤ監督が製作!
「ふたごのユーとミー 忘れられない夏」のアンソニー・ブイサレートとティティヤー・ジラポーンシンが再共演ということで、超期待しておりました!
特に「ふたご~」での圧倒的な演技のティティヤー・ジラポーンシンが、再び好演。
本作でも特に表情が輝いてます。
親友でないことを隠しながらも、映画撮影をみんなで楽しむ前半はキラキラ青春コメディ。
しかし、そのままストレートに話が進まないところが本作の肝ですね。
話の中盤、新たな事実が発覚してから、事態は一転。
よく知ることのなかったジョーの様々な面を知ることになる。
そして、「送る会」で全校生徒に公開する日。
友人の名誉を守るため、精魂傾けてできた傑作映画が皆に公開できない苦しさ。
自分を制して大学をあきらめて秘密を守ったことで、彼が死んだ後で、本当の親友になった。
実に切ない。
せめて、一緒に作ったスタッフには見せてほしかった。
(病気の少年と母親、ボーケーしか見てなかったですよね?)
ひねりのある青春映画
前半と後半で違う印象に
焦がれる日本が続きますように。
タイの青春映画はよいですね。
韓国のノワール映画がよいのと同様に。
日本で観れるタイ映画は年間数本しかないわけですが、秀作の映画が多い気がします。
他も作っているのかも知れませんが、日本に持ち込まれるのはある程度需要が見込まれるものだとは思います。そういう意味では、各国とも良い作品は作られているわけで、タイ映画は王様のブランチとかで紹介されて、もっと注目を浴びてもよいかと思います。バッドジーニアスは米国でリメイクされていることですし。
量産される、原作+話題のアイドル+タイアップ曲形式の日本の青春映画では太刀打ちできませんよ。
本作を理解するのは、日本に似た学校制度、アジア的な同調圧力やいじめの構造、家制度などの感覚が必要で、これらはすべて、日本的のある意味悪いところなので、まったく違和感なく観賞することが出来ます。国の体制が違っても、個人としては、韓国・中国・台湾・タイなどはまったく同じ感情を持っていることを認識できます。そういう意味において、未だに日本だけが優秀でその他のアジアの発展途上国を思っている人たちには困ったものです。彼らは、こういった国のことなんかちっとも知ろうとしないのでしょう。
本作は、Super 8, Single 8, 桐島部活…, I like moviesのような映画に関する映画でもあります。タイにおいても、ミッションインポシブルとかテネットとか僕らと全く同様の映画を楽しんでいます。その中で、スビルバーグやノーランとならんで、是枝裕和をあげて頂いたのはありがたいです。いわんや、一蘭やワンピースや日の丸さえも取り上げられていること、をや。いいじゃないですが、彼らのうち優秀な方をわれわれの税金で留学させたって。(私の某国立大学にはタイの留学生は実際に沢山いましたよ。)これからも、あこがれの日本でありたいですよ。
あ、映画の中身。恋愛、受験、友情、喪失、嘘など誰でも経験することが、特別なすごい事件とは関係なく描かれています。若干の中だるみがありますが、終わりかと思ったら、まだ終わりがあり、終わりがあり、終わりだと思って泣けてきたのに、さっきの涙を帰して欲しいです。
キャスト。主役のぺーは若い時の妻夫木さんのようです。ジョーはちょうどよく、正直バカっぽい(失礼)役どころがぴったりです。Ricky Stanickyのようです。ボーケー役のティティヤー・ジラポーンシンは、『ミーとユー』にも出てて居ました。前作では一卵性双生児を演じ分け、本作でも友情と恋愛の中間の状態をうまく表現していました。
5月の連休から有名アニメのロングラン、その後ぼちぼち有名フランチャイズやアカデミー賞受賞作のロングランとなり、小粒でいい作品が埋もれがちです。上映館は少ないですが、わざわざ出かけてみる価値は十分あるでしょう。
全42件中、1~20件目を表示