愛されなくても別にのレビュー・感想・評価
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愛という名の束縛
宮田と江永のガールズムービーとして見るなら楽しいが、毒親の存在で息苦しい思いがした。宮田と木村を救った江永が、一番キツイ人生を送っているにも関わらず強い。何度も殺されそうになっても死なない。
南沙良は髪の長いイメージだったので、最後まで南沙良だと思えなかったのが良かった。ショートカットがよく似合っていて可愛い。役の幅が広がるキッカケになりそうだ。本田望結ってこんなに丸かった?でも、役には合っていた。役作りだったのか?
私は我が子を大切に思っているが、自分の思いが我が子を苦しめていないかと考えさせられた。多くの人に見てほしい作品だが、上映館が少ない。ぜひ、中高生にも見てほしい。鬼滅を見るのも良いけど、自身の親子関係を考えるキッカケにしてほしい。
名作 後味も良い 観ないと損だね
テンポよく、言葉のチョイスもセンスが光る。
2人が出会えたのは不幸だったからかも知れないが、最後は本当に良い出会い、相棒だと感動した。店員の男は押されてる俳優かアイドルかしらんが最後いい奴感出して終わるのは気持ち悪い。まあその後が最高なのでヨシ!
話も難解なところは無く、ぜひ若い人にも観てもらいたい。
これが2週間で終わるシネコンはマジで害悪。
Sour
ユーフォの武田綾乃先生の描く物語という事で原作を読む前に映画を鑑賞。
タイトル通りの感じで、それぞれの事情で親に愛されなかった大学生たちを描いており、ユーフォの爽やかさと熱とはまた違った側面を観れて衝撃的でした。
主人公・宮田陽彩の母は浪費家で男は連れ込むわ、娘から生活費をたんまりせびるわ、家事全般を陽彩に全任せとかいうクソみたい母親で共感の余地は一切ありません。
そんな母親の言いなりになっていた陽彩は生活はほとんどバイト三昧、大学でも荒んでいたりとで大変な状況の中で、同じバイト先の江永雅とふとしかきっかけで話し合うことによって関係性が深まっていくという、特殊な友情ものとして積み重なっていくものがとても良かったです。
江永は父親が轢き逃げで人を殺しており、そのまま逃亡している噂が広がり、殺人犯の娘扱いされているという陽彩とはまた違う境遇の毒親がおり、あっけらかんとしながらも中々に重いものを抱えていながら、陽彩の事をしっかり見てくれていて愛おしかったです。
陽彩がノートを見せてくれと頼んだ木村さんもまた違った事情で親に悩んでおり、過保護すぎるという感じで、一見放置や金銭面の悩みじゃないならまだマシじゃない?とは思いつつも、毎週のように家を訪ねてきたり、電話しまくってきたりとかされたら流石にナイーブになっちまうなとは思いました。
自分の決断で家を飛び出し、陽彩の電話によりなんとか助かった江永の家に転がり込んでヌルッと始まる同居生活は極限状態から抜け出した陽彩にとってはオアシスみたいなもんなんだろうなと嬉しくなりました。
宗教にのめり込んでしまっている木村さんが崇拝してる宗教家の元に行って、どう考えても胡散臭いのが出てきて、かなり見透かされた陽彩はコロッと落ちそうになる中で江永がズバッと飛び出て、宗教家を蹴っ飛ばす勢いで反論していく流れは気持ち良かったです。
宗教家が最後の最後に火を注いでいったので、そこに中指を突き立てたのはファインプレーでした。
この流れを見てもやっぱ宗教にのめり込む理由は分からんな〜となったり。
不幸中毒、不幸比べをナチュラルにやってしまっている陽彩は生まれついた環境が染みついちゃっているんだろうなと思いましたし、それぞれの不幸を比べてはいけないし見下しちゃいけないという木村さんの発言にも納得できるものがありましたし、自分の方が不幸だ!と優越感に浸りたくなる陽彩の気持ちも分からんでもないとなったりしました。
不幸を分かりあうって相当むずいんだろうなとなりました。
終盤は抱えてた問題を一気に畳み掛けていくので駆け足感は否めませんが、誰かを思いやる心が生まれた陽彩の成長は感じられましたし、母親へのカウンターパンチを喰らわせたりとスカッとするところも多くあって個人的には大満足でした。
お酒を飲み交わしながら帰路に着くエンドロールがとても爽やかで、これからもやんややんやしながら2人でまったり暮らしていってくれたらなと思う終わり方で良かったです。
生まれた環境って改めて大事だし、人生左右してしまうんだなとなりました。
原作も読んでみようと思います。
鑑賞日 7/9
鑑賞時間 17:15〜19:15
心理ドラマ
人を殺しそうになるシーンの連続。一歩間違ったらと思える最悪の事態が続く。迫力がある映画だった。毒親に養われている大学生の三人それぞれの生き方が焦点になる。タイトル良いね。確かにそんな愛なんて欲しくない。成人してから酒を買うとこなど、バイト先の先輩が話しかけたりほのぼのして良いね。
そんな「愛」ならいりません
愛してほしいのに裏切られるばかり、むしろ気持ちを利用していいように扱われる。それならもう、愛されなくても良い、人に期待することなく、自分は自分で生きていく、それは長年傷つけられてきた江永が会得した真理なのだろう。江永が、愛されるには見返りを差し出さないといけない、と思い込んでいるようでもある。
女子大生3人が3様の毒親持ちだが、程度にはかなり差がある。
江永の境遇は宮田のとは比べものにならないくらい悲惨で、その過程で身についたに違いない達観と包容力がすごい。宗教にはまった木村に、「あたしの不幸なんて大したことないと思ってるでしょ!」と言われてしまう宮田に、「ほらまたあんたの不幸自慢が出た」とさらっと言えてしまう深さがある。何度か襲われ殺されかけた男が実の父が起こした事故の犠牲者の息子と知って、「彼も被害者だから」と理解を示してしまう人生何周目かと思うくらいの諦観は、木村がハマったコスモ様(だっけ?)よりもよっぽど悟りが近いと思う。
不幸マウントしがちな宮田は、自分の境遇をぽつぽつ話す江永を、「自分より上じゃん」と思ったのか、そっと江永に寄り添って「えらかった、えらかった、江永はよくがんばったよ」と慰め続けるが、それが江永にはとてもうれしかったよう。彼女はそういう些細な思いやりの言葉に飢えていたのだ。
宮田への母の「愛してる」は、ただの呪文。
宮田も信じたくなかっただけで母が自分を都合よく利用していることは感じていた。
だけど親を喜ばせたくて尽くしてしまう宮田、捨てられたくないから、愛されたいから。というよりすでに、母の呪縛にがんじがらめで尽くす以外の選択肢を知らなかったが、少しづつ疑問を持てるようになってきた状態。
母はそれを知っていて、使う呪文が「愛してる」。
娘が離れて行きそうな時、思う通りにしたいとき、にっこり笑ってそういいさえすれば、あら不思議、娘は元通り言いなり、自分の奴隷に戻る、オールマイティな呪文なのだ。
宮田が自ら呪縛を解いて、それが通用しなくなったのが痛快。
「貴方は貴方の人生を生きたら良い、私は私の人生を生きる」と宣言して後ろも見ずに去っていく。それでいいのだ。
宮田の母のような友達や知人がいたら、そんなヤツさっさと縁を切れと多くの人は言うだろうが、親というだけで「そうは言っても親は親」と途端に子供に我慢を強いて良しとするのはなぜだろう。
教団の教祖は、江永の追及を余裕で躱しているようで実は何一つまともに答えられていない。答えられないのを「しょーもない小人のたわごと」と聞き流すふりをしているだけ。最後は有り難い御託宣で締めくくる。「親を大事にしなさい」
彼女は、親の子供に対する虐待が認知されるようになって久しいのに、被虐待児の幸せに対しては思考停止している世間そのものだ。
木村が親の過干渉から逃れたい一心でのめりこんだという宗教の教祖の金言が、「親を大切にしなさい」ってなんでしょうか、結局彼女は親離れしようと考えていない、親に甘えて反抗ごっこしているだけなのでは、と思ってしまう。不幸自慢ということではなく、親にたっぷり仕送りを貰い大学へも通わせてもらって、本当に親が嫌なら全部断って自分で自分を養い学校へ行くくらいしてみたら、と思ってしまう。それができないならあと少し我慢して親を利用して大学出て就職して、自分で食えるようになったらあっかんべーすればいいんじゃないですかね。私ならそうしますね、私のためにお金出すような親いませんが。
または、呪縛が強すぎて無意識下でも親から逃れられないのかも。
宮田と江永、ふたりののびのびした生活が心地よさそう。
好きなように昼寝するふたりには、何とも言えない安堵が見える。真夏のこたつは笑ったけど、中に氷バケツでも入ってるんでしょうか。
宮田が母に決別を告げられたのは、江永との関係で見返りを要求されないのが「愛」だと、翻って自分の母の言う「愛してる」は呪文で、本来の愛とは程遠いものだと、確信したからだろう。そんな「愛」なら愛されなくて結構、と言い切る自信が持てたと思う。
江永もきっと、宮田のおかげで愛はバーターで得るものという誤解を解いたのでは。
宮田の誕生日は、いつものカルピスハイで。
日付が変わるのを、コンビニでカウントダウン。
そこ生真面目で、20歳まで飲まない飲ませない二人がいい感じ。
文句ばかりで一見嫌な奴堀口も、なぜかふたりを見守っているし。
親ガチャ大外れなふたりが、幸せになりますように。
南沙良、馬場ふみかの二人がとても良い。
特に馬場ふみかは、包容力と達観と若さの青いところを併せ持った難しい役を好演していて、江永が大好きになりました。南沙良は、きっちり働き家事をして、講義を欠席したら都度ノートを写させてもらうまじめだが覚めていて少しやさぐれている宮田がハマっており、母を振り切った姿がとても清々しかった。本田望結はちょっとダサい地方のお嬢様木村を、とてもうまく演じていてさすがベテラン。
河井青葉さん、あんに続いて毒母。。このままでは毒母女優になってしまいそうだが、ぴったりなんですよね。
埋もれがちな作品ですが秀作です!
多くは語らず、軽やかで、だけど鋭い。
その作品のメッセージを全て言い当てる、
唯一無二のレビューをお書きになるレビュワーさんのお付けになった、本作のタイトル
「子離れできない(しない)親の諸相」ってのが、ものすっっっごく気になったので観て来ました。
(↑インパクト大!じゃないですか?!w)
(私も身に覚えがあるからかな-_-b
干渉し過ぎと自覚あり-_-b
ガクブルしながら行って来た
ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
で。。あらあらビックリ!
「あの娘は知らない」の井樫彩監督だった!
原作は「響け!ユーフォニアム」の武田綾乃先生の同名小説だった!
&
馬場ふみかちゃん、伊島空君、南沙良ちゃん出てた!!
109シネマはあまり行かないので、本作ノーマーク、フライヤーももらっていなかったので、出会えて本当に良かったと思える作品でした。
刺さりました!観れて良かった!
○○○○さんありがとごじゃましたm(__)m
親ガチャなんて言葉、出始めた当初は"うまいこと言うな"なんて思った記憶。
今はもう浸透していて、若者が軽〜いノリで発しているのを見たりもする。
"親ガチャハズレ"
そんなコミカルな要素も含む響きだから、
スルスルと通り過ぎて行きがちだけど。。
とても深刻ですよね。
ハズレを引かされた子供達の気持ちを想像すると、苦しくて辛く、自分の無力さに落ち込むばかり。。
作中の親達は明らかに毒親!バカ親!であるからわかりやすくアウトだけど、
最近だと毒親用語?として
①「カーリングペアレント」
②「ヘリコプターペアレント」
なんて言葉も聞いたりします。
①子供の行動を、ほぼ全て先回りしてお膳立てしてしまう親。
②常に子供の身近にいて何か起きれば即座に急降下!
子供に駆けつけて助ける親。
一生懸命に子育てしている熱心な親に見えなくもないケド。。
度を越せばコレだって立派な毒親です。
子の考える力、芽を摘んでいる事に気付かない。
そしてそんな環境で何の疑いもなく育った子はやがて。。
ママ〜!ママ〜!な立派なスネ夫スネ子になるだろうし、パートナーにもアレやれコレやれの大人子供になるのだろう。
そんな大人が子を持った時。。
負のスパイラル誕生デス。。
何が言いたいのかというと、子育てって、
子供が1人の人間として、親亡き後も、自立して、生きていけるようにするのが最終点
(目標)だと思うのです。
だから子供であっても、バブ時代除くある程度の年齢になったら、1人の人間として自覚させ、こちらも接しなければいけないと思います。
子供は親の所有物ではない。
それに気付かない事がどんなに愚かで悲劇を産む事に繋がるか。。
本作も、境遇が違う3人の女の子が出て来ますが、それぞれが違うタイプの毒親持ちで
"親ガチャ"ハズレ組。
心に深い傷を負っていました。
みんな親は選べない。
3人が3人共、不憫で可哀想で見ていられなかった。
宮田は江永と、江永は宮田と出会えて救いはあったし、少しの希望・未来も見えましたが、、、
現実ではそううまくは行かないでしょう。
斜め前のおばさまが私の分まで豪快に泣いておられましたが、もう本当にね。
届くのならば私が手を差し伸べてあげたくなりました( ; ; )
こんな親なら捨ててもいい。
だけど大学生では難しいよね。
だけど親でも捨てていいんだよ。
逃げていいんだよ。断ち切っていいんだよ。と、言ってあげたい。
どんな手段を取ってでも自分を大切に、守ってあげて欲しい。
他人を頼って欲しい。
他人だからこそ助けになれる事があるんだよと、大きな声で伝えたい。
現実でも心が壊れかけている子供達に届くといいなと願わずにいられなくなりました。
沙良ちゃん、ふみかちゃん凄いのひと言!
感情が揺さぶられてしんどかった。
この2人は今までも良かったけど、これからがもっともっと化けそうで注目です!!
本田望結ちゃん!こちらも凄かった!
ちょっとふっくらした?あの感じがアクア!!
(水宝石って書くらしい(°▽°)
というキャラにぴったりだった。
過干渉な毒親(池津さん)からの支配から逃げる為に行き着いた先が新興宗教。。。
苦し過ぎて。。:(´ཀ`)
フェードアウトしてしまった彼女のあの後が気になる。。
教祖のおばさんがとりあえず怖すぎて怖すぎた(°▽°)
信者の皆さんも怖すぎた(°▽°)
筒井真理子さん「波紋」の緑命会みたいで怖すぎて逆に笑えた(°▽°)
もう青葉さんはあんな役ばかりで警戒心MAXなのと、お久しぶりな池津さん、IWGPのジェシーを思い出した(^。^)
ジェシーなら絶対に良い母さんになると思ったけど、アクア母は、子の為子の為!って、
ありゃ〜厄介だわぁぁぁー( ̄∇ ̄)
謝られても別に
河井青葉がまた毒親をやって刺されそうになっていらっしゃる。笑
飲み会参加は別として、表面的な人付き合いすらしないせいでノートを見せてくれる相手すらいない宮田。
だが、それをきっかけにツンデレ木村やハリネズミ江永と繋がりができた。
宮田は経済的虐待からは逃れたものの、父親との関係含めどこか宙ぶらりん。
木村は過保護な束縛からの逃げ場を宗教に求めつつ、援助を断ってまで決別する覚悟が持てない。
江永は轢き逃げの父とも売春強要の母とも距離を取れているが、未だに過去に追いかけられている。
基本的にはこの3人とそれぞれの親との関わりによる変化を見せていく。
地元から離れたハズなのに大山はどうやって江永を見つけたのか。
「ヒトが無理」とまで言ってた宮田が、宗教団体に潜入までするほど木村に入れ込む?
そこまでしたのにあそこで終わり??
宮田母はシフトの不明なバイト先に来るより大学を張った方が早いだろ。
などなど思うところはあるが、其々の苦しさは伝わる。
「女として見るが人間としては見られてない」とか「不幸マウント取るな」とか江永の台詞が刺さった。
愛は免罪符じゃないし、謝罪なんかで奪われたお金も時間も労力も戻らないし、付いた疵も消えないよね。
状況が劇的に変わったりはしないが、気持ちもの面では大きく変わったし、何より支え合える友達が出来た。
安易に名前呼びさせなかったのも本作の美点。
地味だし重いけど、シスターフッド物の佳作です。
堀口くんは思ったよりいいヤツだったけど、成人祝いに酒くらい奢ってやれよ。
断捨離
エンディングの後ろ姿を見ながらいいタイトルだなと思った。
「愛されなくても別に」
必須な訳じゃない。
あなたから受ける愛などなくても、私にはさして問題なわけじゃない。
逆説的な見解だとは思うけど、それのみに固執してたら見失うものも見つけられないものもあるのだと思う。
あらゆる要素は差別や同情を受けるものなどではなく、多数派の同調圧力でしかないのだなと。
普通とか標準とか、色んな事がこれらをベースに語られる。そこに属さなければ異端児扱いだ。
むしろ、そんなものを崇拝している連中が気持ち悪い。作中にもあったけど、それらに馴染む事で安心したいのだろう。そして、自分達を肯定もしたいのだろう。
これらが幸福の内訳だ。
いや、推奨される幸福の内訳だ。
でも…。
皆、必死にそれにしがみついてるだけかもしれない。
枠組みからはみ出さないように。
息を切らして普通を演じてるのかもしれない。
それに何より、私の幸せは私だけのものじゃないか?
不幸比べが出来ないのと同じように幸せ比べだって出来ないのだ。
主人公は母親を捨てる。
あなたの居ない人生を歩むと。
母親は懺悔する。私が間違ってたと。でも具体的な事は何も語らない。コスモ様と一緒だ。抽象的な話題を振り撒きその解釈は個人の答え合わせに委ねられる。
そういう論法に終始する。
得体の知れない常識に惑わされなくて良かったと思う。ぶっちゃけそう言う事だ。
過度のストレスは切り捨ててしまえばいい。
それでも時間は止まらないから、そこからまた何かが始まるものでもあるのだと思う。
極論を言えば。
この作品に救われる人はいると思う。
悲しいかな、それが現代なのだとも思う。
作中、彼女達の笑顔をみる事はなかった。
でも、それが正解なのだと思う。
笑顔のカットがあったなら、それだけで明るい未来を予想しそうなものである。
そういう予定調和を嫌った結果なんだと思う。
色んな苦難を過去にしつつ彼女達は歩いていく。
遠ざかっていく背中にそんな事を感じてた。
愛や家族の呪縛
気になってた映画で鑑賞しました
宮田陽彩は、“クソ”のような大学生活を送っていた。
大学に通い、それ以外のほとんどの時間を浪費家の母に変わっての家事とコンビニでのアルバイトに費やし、学費と家計を稼ぐ日々。遊ぶ時間も、金もない。
親にも友人にも、何かに期待して生きてきたことがない。
そんなある日、同級生・江永雅のひょんな噂を耳にする。
「江永さんのお父さんって殺人犯なんだって」ー
他の誰かと普通の関係を築けないと思っていたふたりだったが、この出会いが人生を変えていく・・・。
というのがあらすじ!
みてて思ったのが親にいろいろ左右されるよねと思いました
親の存在ってプラスにもなるしマイナスにもなりますよね
この作品はマイナスの部分ばかり…
宮田と江永がまさにそうですよね
毒親しかいない
木村の親もなかなかの毒親…笑
みんな愛の呪縛に囚われてましたね
愛は呪いですし家族もそう感じます
母親のお金の使い込みが原因で2人で住むことになるんですけど奨学金まで使われてるように見えた…
大学は大丈夫だったのかなって気になりました
そして2人が徐々に仲良くなっていく感じがよかったです😊
最初は手繋いでも気分悪くなってたのに最後はそんなことはなくなってたしもう友達になってましたね!
2人とも必死に生きてるし自分の心を守ってた
2人の距離感というか関係性がいいなと思ったしちょっと羨ましくも感じました
それにもっと2人の日常を見てみたい!
なんて言葉に表せばいいかわからないのですがいい映画で個人的によかったです
ラストの終わり方もなんか好きでした!
余韻を含めいい映画をありがとうございました!
ギリギリ。
浪費癖の母を持ち金に苦労しながらもバイト掛け持ちで真面目に生きる宮田陽彩と、父親に犯され、その父親が殺人犯、金に困れば体売ればいいでしょと考えるコンビニバイトが一緒の江永雅と、過保護な母親を持ち宗教にハマる木村水宝石の話。
貯金してる金を使い込まれ、幼い頃に居なくなった父から養育費も貰ってたと知り行く当てもなく家を出る宮田だが、同大学でバイト先が一緒の江永に電話すれば快くウチ来る?と言われ2人の生活が始まるが…。
傷の舐め合いとは違うけれど、似たような境遇で生きてるからこそ解りあえたり、親の愛情受けず生きてきた女子2人と、親に愛されすぎてその愛情を鬱陶しく感じる女子大生3人の不幸度の差。
真面目女子とヤンチャ女子の絶妙なバランス生活、金、メンタルとギリギリで生きながらも日々の生活、宮田の誕生日を大切にし祝おうとする江永の姿も良かった。いつものカルピス割りでね!
家族とは?を問うガールズムービーの新境地
全く情報を入れずに鑑賞。
坂元裕吾監督によるガールズムービー的な作品かと
思っていたら、真逆の社会問題に鋭く切り込んだ作品で
正直、面食らった。でも、それは良い意味で。
冒頭からの宮田(南沙良)の母親(河井青葉)による
経済的・精神的な虐待にウンザリ😩
愛してるという表層だけの薄っぺらいセリフには宮田も
私も閉口レベルだ。それに気づかない母親はもはや家族で
はないと思う。
宮田を窮地から救う江永(馬場ふみか)をキツい家族との
過去を背負っているし、命を狙われたりする。
江永を救う宮田の存在が救いになるし、
この二人が二人にとっての家族になっていく姿も見事に
描いている。
本田望結演じる木村も宇宙様という宗教にどハマりし、
その背景には母親による過保護があり、
ある意味、彼女も宮田と江永に救われる。
ラスト近くで宮田が母親に放った一言、
「家族やめます」
は、強烈に母親に突き刺さったに違いない。
終始重苦しい雰囲気の作品ではあったが、
ラストの宮田と江永のショットには救われた思いで、
良い鑑賞後感であった。
ガールズムービーの新境地を見た気がする。
三者三様の毒親からの解放
同じ大学に通う宮田(南沙良さん)、江永(馬場ふみかさん)、木村(本田望結さん)。それぞれタイプは異なれど、毒親のもとで育った共通点がある。この三人の出会いと衝突、交流を通じて毒親からの自立が描かれていく。
宮田は毎日コンビニで夜勤し家計を支えている。母親は恋人を連れ込んで昼間から飲み、臆面もなく情事に励む。まるで映画「あんのこと」だが、宮田はストレスがたまると薬物ではなくトイレの芳香剤に依存している。母親の世話や家事から逃れられない堅気さを象徴しているようだ。
そんな宮田は同じコンビニのバイトで江永に出会う。江永の親は交通事故で死者を出し、江永はその遺族から命を狙われている。父に性的に虐待され、母に買春を勧められた江永の不幸度合いは宮田の比ではない。
二人が互いの境遇を分かち合うなか、登場するのが木村だ。過保護の親から逃れるため新興宗教にはまる木村のことが気になり、宮田と江永は一緒に教祖様に会いに行く。
宮田にとって木村は、「恵まれた大学生」の代表のように映るのだろう、その程度の不幸で宗教にはまっている場合ではないと感情を爆発させる。しかし木村が「不幸の大きさを比べないで」と言い返すのも正論だ。江永も、実は不幸自慢に陥っている宮田を静かに諭す。
宮田が木村を気にするもう一つの理由は、「内心では疑っているのに宗教(母親)にすがりついている」のは同じだから。この衝突を通じて、宮田がひそかに抱えている母親への呪縛が解かれていく。
三者三様の不幸が互いに照らしあう中で、江永が抱える虚無や、その反面での達観した境地、包容力は魅力的だ。「生まれたときからクソな人生」とうそぶく江永の横に座り、たたえる宮田。江永はわりと月並みな褒め言葉に飢えているのだ。
終盤、夏の暑そうな江永の家で、交互に映される二人の飾り気のない寝顔。素の状態を見せ合えるようになった二人の関係を表しているようだ。
前半は、宮田のヤングケアラーぶりの描き方があまりに生真面目で、映画になかなか入り込めなかった。閉塞感を描くためでもあるのだろうか。中盤以降はやはり宗教の話がよいアクセントとなり物語が動き出した。
教祖宅の呼び鈴を鳴らし「73番、木村です」とあいさつするのに対し、江永が「刑務所かよ」と茶々を入れる。このように、人物が自然に動き出すような「遊び」がもう少し欲しかった気がする。
「愛されること」を、否定したいのか肯定したいのかがよく分からない
毒親に虐げられてきた女子大生たちの物語なのだが、母親の復讐のために登場人物の1人を殺そうとする男が出てきたり、愛されることの大切さを説く新興宗教の教祖様が出てきたりと、どうにも話が散漫で、なかなか焦点が定まらない。
台詞の中には、「愛されることは呪い」だとか、「不幸比べをしていると自ら不幸になる」だとか、「愛されなくても幸せに暮らせればいい」だとかの印象的なフレーズがあるものの、どれも表面をなぞるだけで、深みが感じられないのは残念としか言いようがない。
母親から金銭的に搾取されている主人公や、過干渉の母親によって支配されている同級生については、「確かに、こんなことで苦労している若者はいるのだろうな」と思えるのだが、父親が飲酒ひき逃げ犯で、母親に売春を強いられたことのある友人の境遇は別格で、彼女の両親だけが画面上に姿を現さなかったこともあり、リアリティを感じることが難しかった。しかも、そんな彼女が、働きもせずに、1人で大学に通っているという設定は、果たして必要だったのだろうかという疑問も残る。
タイトルや、物語の経緯からは、「愛されなければならないという強迫観念から解放されよう」みたいなことがテーマなのかとも思ったが、その割には、深い愛情で結ばれた主人公と友人のバディムービーになっていて、「人は一人では生きられない」みたいなメッセージが感じられるラストからも、結局、「愛されること」を、否定したいのか肯定したいのかが、よく分からなかった。
【”不幸中毒。けれど毒親に育てられても生きているだけで偉い。”今作は毒親に育てられたが故に死んだように生きていた女子大生二人が偶々出会った事で自分らしく生きる道を見つける希望溢れる再生の物語である。】
■遊ぶ時間も遊ぶ金もない。毒母(河井青葉)のために学費のため、家に月8万を入れるため、日夜バイトに明け暮れる大学生・宮田陽彩(南沙良)。
浪費家で昼間から酒をかっくらい、男を連れ込む母を抱え、友達もおらず、ただひたすら笑顔無くバイトシフトをギリギリまで入れて生きる陽彩。
そんな彼女の日常は、彼女よりも遥かに悲惨な毒親による人生を送っていた同級生・江永雅(馬場ふみか)と出会ったことで徐々に変化して行くのであった。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・序盤の展開は観ていてキツイ。宮田陽彩はいつ寝ているのか分からないくらいに働き、大学に行く笑顔無き生活を送っている。
そして、浪費家で昼間から酒をかっくらい、男を連れ込む母に対し、毎月8万円を入れているのである。
ー 毒母を演じている河井若葉さんは、「あんのこと」でも同様の毒母を演じていたが、実はとても心優しき女性であるらしい。今作でも後半、宮田陽彩に”ゴメンね”と言う姿が説得力があるのだな。
序に言うと、先天的に子供に対し毒を吐いてしまう親がいる事も事実らしい。あんまり、信じたくはないけどね。-
・陽彩が母と別れた父が養育費を毎月入れていた事を知る雨の日のシーン。男としては妻と別れたとはいえもっとしっかり管理しろよ!と思いたくなるのだが、ラスト近くでの父から20歳の誕生日を迎えた陽彩に送られたラインの”生れて来てくれて有難う”と言うメッセージは、チョイ救われたな。
■今作では江永雅を演じた馬場ふみかさんの演技が図抜けていたと思うな。酔っ払い運転で、人を轢き殺して逃げている父、その為に彼女は被害者の息子から二度殺されそうになるし、学内では”殺人犯の子”というレッテルを貼られて生きている。
そして、父と別れた母からは身体を売れと言われていた事も凄い。だが、彼女は生きているのである。例え、水族館の水槽の前で一人閉館時間まで佇み、涙を流していても。
・陽彩と雅の出会いのきっかけとなった、過干渉な母親から逃げるために、新興宗教に嵌る同じく友達のいない木村さん(本田望結)が、観ていて”一番危うい”と私は思ったかな。
今作で新興宗教団体に陽彩と雅を連れて行くシーン。陽彩は、女性教祖様の言葉にぐらつくのだが、雅は決然と教祖様に対し、悪態を付くシーンは爽快だったな。雅が地獄を見て、経験して育って来た事が良く分かるシーンであり、逆に劇中でも言われるように、母親から学費、住居費全てを送って貰っている木村さんが一番危ういと思ったのである。
九州から乗り込んできた母により、木村さんを連れて陽彩と雅は、木村さんの母が運転する車で教団を逃げ出すのだが、木村さんは途中でその車を降りてしまうシーン。彼女は教団に戻ったのだろうな。新興宗教団体って、ご存じのように心に空虚を抱える人が、嵌るモノだが、木村さんは嵌り、陽彩も嵌りそうになるが雅のお陰で、嵌らないのである。
雅の強さを表したシーンでもある。
<そして、陽彩と雅は長年の友人の様に、アパートの一室で同居生活を続けるのである。最早親友の様にね。
陽彩の20歳の誕生日のシーンも良かったな。二人はアルバイト先のコンビニで、酒を買い、明るい同僚の男性から笑顔で”年齢確認をお願いします。”と二人がそれまで何度もお客さんに言っていた言葉を言われ,確認ボタンを押して二人で仲良く夜の道を帰るのである。
そこに入った父からのラインメッセージ”生れて来てくれて有難う”は、娘を持つ男としては実は、チョイ沁みたシーンでありました。
今作は、毒親に育てられながら、死んだように生きていた女子大生二人が出会った事で、自分らしく生きる道を見つける、希望溢れる再生の物語なのである。>
祝二十歳の誕生日!
原作未読
「女子高生に殺されたい」の真帆さん「恋は光」の宿木嬢に「きさらぎ駅Re」の明日香さん出演で「あの娘は知らない」の井樫監督ということで観ました
細かいところで気になったことはありますが期待した以上に良かったです
(3人の女子大生)
宮田さんは毒親(母)に騙され搾取され生活費を月8万円渡すためバイトに明け暮れている
母が男を自宅に連れ込むの見てきたため?か人に触れることができず何故かトイレの芳香剤が手放せない
宮田さんと江永さんはコンビニのバイトの同僚ですが親しくはありません
このコンビニには堀口さんという男性の同僚がいるのですがこの物語で一番まともないい人なんです
江永さんは毒親(父)から性被害を受け父は飲酒で轢き逃げし逃げています
また毒親(母)からは生活のため体を売るように言われた過去があります
江永さんの過去は映像にはなく本人が話します
既に江永さんは毒親を捨てています
木村さんは過保護の毒親(母)から逃げるため親元を離れ結果的にあやしい教祖にハマっています
(物語の簡単な流れ)
宮田さんが講義のノートを写真に撮らせて欲しいと木村さんに声をかける
そこで江永さんの父が人殺しという噂を知る
宮田さんが江永さんに直接確認したことで2人は仲良くなっていく
江永さんは宮田さんの毒親のことを心配する
宮田さんは久しぶりに会った父(毒親?)の話をきっかけに母が養育費も奨学金も使い込んでいたことを知り家出する
江永さんは同棲していた男と別れた直後に知り合った男にホテルで絞殺されそうに
そこへ行く宛のない宮田さんから電話があり何とか逃げる
この男は江永父の轢き逃げの被害者の息子
逃げた直後に江永さんが宮田さんにコールバックして一緒に住むことになる
宮田さんは木村さんにバイトの紹介を頼まれコンビニを紹介して同僚となる
堀口さんから木村さんが怪しい教祖にハマっていることを聞く
宮田さんは木村さんから親に会って欲しいと頼まれ会って話を合わせる
宮田さんと何故か江永さんも木村さんの紹介で教祖様に会いに行く
そこへ木村さんの母が乱入して連れ戻す
木村さんは宮田さんに悪態をついて泣き崩れる
木村さんとその母の関係はその後分からないままとなる
部屋で江永さんがあの男に再び絞殺されかけたが宮田さんが何とか助ける
宮田さんはキッパリ面と向かって母と縁を切る
もはや宮田さんには芳香剤は必要なし
宮田さんの20歳の誕生日バイト先のコンビニ
レジには堀口さん
日が変わると同時に2人はお酒などを買う
コンビニを出て歩き出す2人の後ろ姿でエンド
以上あまりにベタ過ぎて笑える場面もあるのですがキツイお話ではあります
映画の雰囲気としては「ベイビーわるきゅーれ」や最近だと「ネムルバカ」と同じような爽快感もあります
ラストの2人にもう1人いてもいいじゃない
フィクションなんだから
加害者にならないために、愛の正体を知っておいた方が良いかもしれません
2025.7.4 イオンシネマ京都桂川
2025年の日本映画(109分、G)
原作は
武田綾乃の同名小説(講談社)
毒親に苦しめられる三人の女子大生を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本は井樫彩
物語の舞台は、関東圏のどこか
大学に通う宮田陽彩(南沙良)は、金遣いが荒く奔放に生きる母・愛(河井青葉)に悩まされていた
年頃の娘のいる家に恋人(遊屋慎太郎)を連れ込んでは情事に耽り、家事はロクにせずに、大学の費用と生活費は自分で稼げと言う始末だった
彼女は水族館とコンビニでアルバイトをしていて、コンビニには軽いノリの堀口(基俊介)がいたが、それよりも寡黙で何も話さない江永(馬場ふみか)のことが気になっていた
彼女は時折水族館を訪れて魚を眺めていて、数人の男と関係を持っているようだった
ある日のこと、バイトで授業に出られなかった陽彩は、レジメをもらいに教授(金延宏明)のところに行った
だが、正式な休みでないものには渡さないと言われ、仕方なく真面目そうなゼミ生の木村(本田望結)に声を掛けた
彼女は「私に何の得がある?」と言い、めんどくさくなった陽彩は、「別の人に頼む」と言う
だが、「誰もいないから私に声をかけたんでしょう」と言い、陽彩は咄嗟に江永の名前を出してしまった
木村は「彼女はダメだ」と言い、交換条件を提示して、レジメを写させてもらう事になった
木村の交換条件は「バイト先を紹介する」と言うもので、仕方なく「江永もいるけど」と前置きをした上で、自分の働いているコンビニを紹介することになったのである
映画は、陽彩の父(永岡佑)と再会し、そこで養育費の話が出たところから動き出す
月に8万ほど送っていたが、新しい家族ができたから送るのは無理だと言う
陽彩はそんな金があることを知らず、家をしらみつぶしに探して通帳を見つけた
そこには、自分が預けたお金を貯金するでもなく、養育費も全て使い込んでいたことが記されていた
母親と鉢合わせた陽彩は包丁を手にし、「このままではお母さんを殺してしまう」と言って、家を出ることになった
一方その頃、江永はナンパしてきた男・大山(伊島空)と性的な関係を結ぼうとしていたが、大山は「俺のことがわからないか」と言い、突然江永の首を絞めてきた
そこに陽彩からの電話が入り、江永は男から逃げることができた
そうして、陽彩は江永の部屋に転がり込む事になり、奇妙な同居生活が始まるのである
物語は、毒親に苦しめられる女子大生を描いていて、搾取される陽彩、事故の責任を押し付けられる江永が共同生活を行い、そこに母親(池津祥子)の過保護に悩まされる木村が加わってくる
木村は親のいない場所を求めて、宙の会と言うカルトに行きつき、そこで宇宙様(今藤洋子)たちの活動に参加していた
明らかにカルトで胡散臭いことがわかり、陽彩はつい深入りしてしまう
陽彩を危険な目に合わせたくない江永は、保険をかけて、宇宙様との会合に参加することになった
親との関係に悩む人向けの作品だが、普通の親子関係ではない人の究極を見せつけられている印象があった
愛していると表面だけ繕って搾取し続ける母親
愛どころか人として終わっている両親を持つ江永
愛されているけど息苦しさを感じる木村
この三者三様の親との関係と言うのは身に覚えのない人の方が多いと思う
だが、ここまで行きつかなくても、親の愛というものを息苦しく感じている若者は多く、それが価値観の変遷であるとは思わない
家族の在り方は随分と変わり、個人主義の方が中心となっていて、その変化にいち早く対応したのが親世代であると思う
それは言葉ではなく行動から始まっていて、言っていることとやっていることが違うという違和感が発祥となっている
子どもはそう言った部分に敏感で、果たして親の言う愛は本物なのかを疑い始めていく
そうしたものが積もり積もったのが現代であり、その究極を描いているのが本作であると思う
絶縁しなければならない関係と言うものは確かにあって、自分の人生を生きるために切り離さなければならない時もある
そう言ったものにしがみついているうちは、それを見透かされて取り込まれるとも言え、それが親なのかカルトなのかはわからない
逆に言えば、愛が呪いであると確信している人からすれば、それは聞こえの良いコントロールのための暴言に聞こえるので、ある意味では真っ当な思考を持っていると言える
個人的な考え方として、「感謝はするけど、尊敬はしない」というものがある
世間では「産んでくれた事に対する感謝をしろ」という一方で、親としてどうなのという存在を甘んじて受け入れて耐えろという風潮がある
だが、親が感謝される生き方をしているかとか、尊敬される生き方をしているかというのは別問題であり、そこを混同して「愛」だと宣う人もいる
これが昨今の家庭問題の根幹にあると考えているので、関係性を見直す上でも「双方が」感謝され得る存在であるか、尊敬され得る関係であるかを見直さなければならないのではないだろうか
いずれにせよ、ここまでの毒親というものに苦しめられたことはないので想像の範囲になるが、やはり手放しで受け入れられないものもあると思う
ある種の思考停止に陥らせるための装置が愛という言葉であり、それが何かを救うと思う方がエゴであると言える
愛されることも愛することも、その根元には「人としての尊敬」がベースとなっていて、それはただあるものではなく、努力して身につける後天的なものであると思う
愛も尊敬も「相手が決めるもの」であり、その判断となるのは「行動」でしかない
陽彩の母は愛されるに足る行動をしているのかとか、江永の両親は彼女に何を与えたのかとか、さらに言えば木村の母は彼女を人間として認めているのかなど、多くの問題点が描かれている
そして、このような不可思議な事に対して、理解できない人が愛を語るというのが社会でもあると思うので、やはり「自分の人生は自分で考えて判断して生きる」以外に方法はないし、そのような考えを共有できる人と一緒にいることで、幸せへの第一歩というものが現れるのではないか、と感じた
重い内容であるのは否定できない
6月8日の完成披露舞台挨拶のイベントにて一足先に鑑賞。重い内容であるのはやはりどうしても否定できなかった。が、ひいろとえながの関係性が、この作品で描かれたその先の未来で、2人はきっと今より良い人生を切り開いていけそうな描き方がされていたのが救いであった。とはいえ話を戻してしまうが、現実世界で彼女らと似た境遇にある人がこの映画を見たら、辛すぎて最後まで鑑賞するのは耐え難いのではと思った。2人と関わりの生じた木村については、残念ながら希望の道筋が見えないままエンディングを迎えてしまった。いったん宗教にはまってから抜け出すストーリーを構築するのはフィクション作品でも困難で、現実世界であったら人生の軌道修正はまず不可能、という警告のメッセージのように感じた。えなががひいろを力ずくで踏みとどまらせてくれて本当に良かった。
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