愛されなくても別にのレビュー・感想・評価
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愛されなくても、自分の足で立てば生きて行ける
毒親3人、相違点と言えば、そういう事だと。
にしてもですよ。あー南沙良ちゃん、またまた、と言うか久し振りに自転車二人乗りだよーw
「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」は、自分の中では青春映画の「基準」みたいなもんになってます。クライマックスの南沙良の絶叫自己主張ですよ。あれで、南沙良ちゃんにノックアウトされました。この子は凄いと。
誰にも愛されなくとも生きて行ける
と言う自己防衛の強がり。似たもの同士の女子を演じる、もう一人が馬場ふみかです。何か一皮剥けてる。知らないうちにw
主役二人の芝居が、とにかく良くって。色んな場面、セリフが刺さってしまう映画でした。
井樫彩監督は結構好きな監督さん。ギリ・レズ表現もお手の物でしょうか。
南沙良・山田孝之共演作があるらしいけど、広島には未だ来てません。見たいです。
思ったのは。
只今上映中のあれ、二番煎感しかないアレをカンヌに持ってくくらいなら、井樫彩監督作品の方が、全然良くね???
良かった。
結構。
祝二十歳の誕生日!
原作未読
「女子高生に殺されたい」の真帆さん「恋は光」の宿木嬢に「きさらぎ駅Re」の明日香さん出演で「あの娘は知らない」の井樫監督ということで観ました
細かいところで気になったことはありますが期待した以上に良かったです
(3人の女子大生)
宮田さんは毒親(母)に騙され搾取され生活費を月8万円渡すためバイトに明け暮れている
母が男を自宅に連れ込むの見てきたため?か人に触れることができず何故かトイレの芳香剤が手放せない
宮田さんと江永さんはコンビニのバイトの同僚ですが親しくはありません
このコンビニには堀口さんという男性の同僚がいるのですがこの物語で一番まともないい人なんです
江永さんは毒親(父)から性被害を受け父は飲酒で轢き逃げし逃げています
また毒親(母)からは生活のため体を売るように言われた過去があります
江永さんの過去は映像にはなく本人が話します
既に江永さんは毒親を捨てています
木村さんは過保護の毒親(母)から逃げるため親元を離れ結果的にあやしい教祖にハマっています
(物語の簡単な流れ)
宮田さんが講義のノートを写真に撮らせて欲しいと木村さんに声をかける
そこで江永さんの父が人殺しという噂を知る
宮田さんが江永さんに直接確認したことで2人は仲良くなっていく
江永さんは宮田さんの毒親のことを心配する
宮田さんは久しぶりに会った父(毒親?)の話をきっかけに母が養育費も奨学金も使い込んでいたことを知り家出する
江永さんは同棲していた男と別れた直後に知り合った男にホテルで絞殺されそうに
そこへ行く宛のない宮田さんから電話があり何とか逃げる
この男は江永父の轢き逃げの被害者の息子
逃げた直後に江永さんが宮田さんにコールバックして一緒に住むことになる
宮田さんは木村さんにバイトの紹介を頼まれコンビニを紹介して同僚となる
堀口さんから木村さんが怪しい教祖にハマっていることを聞く
宮田さんは木村さんから親に会って欲しいと頼まれ会って話を合わせる
宮田さんと何故か江永さんも木村さんの紹介で教祖様に会いに行く
そこへ木村さんの母が乱入して連れ戻す
木村さんは宮田さんに悪態をついて泣き崩れる
木村さんとその母の関係はその後分からないままとなる
部屋で江永さんがあの男に再び絞殺されかけたが宮田さんが何とか助ける
宮田さんはキッパリ面と向かって母と縁を切る
もはや宮田さんには芳香剤は必要なし
宮田さんの20歳の誕生日バイト先のコンビニ
レジには堀口さん
日が変わると同時に2人はお酒などを買う
コンビニを出て歩き出す2人の後ろ姿でエンド
以上あまりにベタ過ぎて笑える場面もあるのですがキツイお話ではあります
映画の雰囲気としては「ベイビーわるきゅーれ」や最近だと「ネムルバカ」と同じような爽快感もあります
ラストの2人にもう1人いてもいいじゃない
フィクションなんだから
ハードボイルドな主役2人は満点。でも脚色が…
「響け! ユーフォニアム」の作者、武田綾乃さんの原作既読。
原作は、20歳になるかならないかの
メイン2人のキャラが、めっちゃいい。
2人とも、半端ない過去を背負ってるんだけれど、
その受け止め方が、ハードボイルド。
そう、これは2人の女子のハードボイルド小説なのである。
だから映画の公開を、楽しみに待ってた。
* * *
原作モノって、うまいこと時間内におさめようとして切り貼りするのは難しい。
江永が売るのをやめたキッカケと、父親の起こした事件の被害者を安易に合体させたら、おかしな事になった。
他にも、原作を改変したところが、大概上手くない。
おそらく、原作で念入りに検討して作られた世界を上手く改変するには、時間あるいは能力が足りなかったんだろう。
それから、水に入れときゃいい、みたいな安易な演出も、減点。
あと、陽彩の母親が、ミスキャスト。
しっかりしたお母さんが無理して演じてるようにしか見えない。
* * *
でも、
主役の2人はとってもよくって、
原作の世界を体現してたので、
なんだかんだ言っても概ね満足。
重いテーマを軽やかなタッチで
子離れできない(しない)親の諸相
南沙良がかっこよすぎる!
加害者にならないために、愛の正体を知っておいた方が良いかもしれません
2025.7.4 イオンシネマ京都桂川
2025年の日本映画(109分、G)
原作は
武田綾乃の同名小説(講談社)
毒親に苦しめられる三人の女子大生を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本は井樫彩
物語の舞台は、関東圏のどこか
大学に通う宮田陽彩(南沙良)は、金遣いが荒く奔放に生きる母・愛(河井青葉)に悩まされていた
年頃の娘のいる家に恋人(遊屋慎太郎)を連れ込んでは情事に耽り、家事はロクにせずに、大学の費用と生活費は自分で稼げと言う始末だった
彼女は水族館とコンビニでアルバイトをしていて、コンビニには軽いノリの堀口(基俊介)がいたが、それよりも寡黙で何も話さない江永(馬場ふみか)のことが気になっていた
彼女は時折水族館を訪れて魚を眺めていて、数人の男と関係を持っているようだった
ある日のこと、バイトで授業に出られなかった陽彩は、レジメをもらいに教授(金延宏明)のところに行った
だが、正式な休みでないものには渡さないと言われ、仕方なく真面目そうなゼミ生の木村(本田望結)に声を掛けた
彼女は「私に何の得がある?」と言い、めんどくさくなった陽彩は、「別の人に頼む」と言う
だが、「誰もいないから私に声をかけたんでしょう」と言い、陽彩は咄嗟に江永の名前を出してしまった
木村は「彼女はダメだ」と言い、交換条件を提示して、レジメを写させてもらう事になった
木村の交換条件は「バイト先を紹介する」と言うもので、仕方なく「江永もいるけど」と前置きをした上で、自分の働いているコンビニを紹介することになったのである
映画は、陽彩の父(永岡佑)と再会し、そこで養育費の話が出たところから動き出す
月に8万ほど送っていたが、新しい家族ができたから送るのは無理だと言う
陽彩はそんな金があることを知らず、家をしらみつぶしに探して通帳を見つけた
そこには、自分が預けたお金を貯金するでもなく、養育費も全て使い込んでいたことが記されていた
母親と鉢合わせた陽彩は包丁を手にし、「このままではお母さんを殺してしまう」と言って、家を出ることになった
一方その頃、江永はナンパしてきた男・大山(伊島空)と性的な関係を結ぼうとしていたが、大山は「俺のことがわからないか」と言い、突然江永の首を絞めてきた
そこに陽彩からの電話が入り、江永は男から逃げることができた
そうして、陽彩は江永の部屋に転がり込む事になり、奇妙な同居生活が始まるのである
物語は、毒親に苦しめられる女子大生を描いていて、搾取される陽彩、事故の責任を押し付けられる江永が共同生活を行い、そこに母親(池津祥子)の過保護に悩まされる木村が加わってくる
木村は親のいない場所を求めて、宙の会と言うカルトに行きつき、そこで宇宙様(今藤洋子)たちの活動に参加していた
明らかにカルトで胡散臭いことがわかり、陽彩はつい深入りしてしまう
陽彩を危険な目に合わせたくない江永は、保険をかけて、宇宙様との会合に参加することになった
親との関係に悩む人向けの作品だが、普通の親子関係ではない人の究極を見せつけられている印象があった
愛していると表面だけ繕って搾取し続ける母親
愛どころか人として終わっている両親を持つ江永
愛されているけど息苦しさを感じる木村
この三者三様の親との関係と言うのは身に覚えのない人の方が多いと思う
だが、ここまで行きつかなくても、親の愛というものを息苦しく感じている若者は多く、それが価値観の変遷であるとは思わない
家族の在り方は随分と変わり、個人主義の方が中心となっていて、その変化にいち早く対応したのが親世代であると思う
それは言葉ではなく行動から始まっていて、言っていることとやっていることが違うという違和感が発祥となっている
子どもはそう言った部分に敏感で、果たして親の言う愛は本物なのかを疑い始めていく
そうしたものが積もり積もったのが現代であり、その究極を描いているのが本作であると思う
絶縁しなければならない関係と言うものは確かにあって、自分の人生を生きるために切り離さなければならない時もある
そう言ったものにしがみついているうちは、それを見透かされて取り込まれるとも言え、それが親なのかカルトなのかはわからない
逆に言えば、愛が呪いであると確信している人からすれば、それは聞こえの良いコントロールのための暴言に聞こえるので、ある意味では真っ当な思考を持っていると言える
個人的な考え方として、「感謝はするけど、尊敬はしない」というものがある
世間では「産んでくれた事に対する感謝をしろ」という一方で、親としてどうなのという存在を甘んじて受け入れて耐えろという風潮がある
だが、親が感謝される生き方をしているかとか、尊敬される生き方をしているかというのは別問題であり、そこを混同して「愛」だと宣う人もいる
これが昨今の家庭問題の根幹にあると考えているので、関係性を見直す上でも「双方が」感謝され得る存在であるか、尊敬され得る関係であるかを見直さなければならないのではないだろうか
いずれにせよ、ここまでの毒親というものに苦しめられたことはないので想像の範囲になるが、やはり手放しで受け入れられないものもあると思う
ある種の思考停止に陥らせるための装置が愛という言葉であり、それが何かを救うと思う方がエゴであると言える
愛されることも愛することも、その根元には「人としての尊敬」がベースとなっていて、それはただあるものではなく、努力して身につける後天的なものであると思う
愛も尊敬も「相手が決めるもの」であり、その判断となるのは「行動」でしかない
陽彩の母は愛されるに足る行動をしているのかとか、江永の両親は彼女に何を与えたのかとか、さらに言えば木村の母は彼女を人間として認めているのかなど、多くの問題点が描かれている
そして、このような不可思議な事に対して、理解できない人が愛を語るというのが社会でもあると思うので、やはり「自分の人生は自分で考えて判断して生きる」以外に方法はないし、そのような考えを共有できる人と一緒にいることで、幸せへの第一歩というものが現れるのではないか、と感じた
重い内容であるのは否定できない
6月8日の完成披露舞台挨拶のイベントにて一足先に鑑賞。重い内容であるのはやはりどうしても否定できなかった。が、ひいろとえながの関係性が、この作品で描かれたその先の未来で、2人はきっと今より良い人生を切り開いていけそうな描き方がされていたのが救いであった。とはいえ話を戻してしまうが、現実世界で彼女らと似た境遇にある人がこの映画を見たら、辛すぎて最後まで鑑賞するのは耐え難いのではと思った。2人と関わりの生じた木村については、残念ながら希望の道筋が見えないままエンディングを迎えてしまった。いったん宗教にはまってから抜け出すストーリーを構築するのはフィクション作品でも困難で、現実世界であったら人生の軌道修正はまず不可能、という警告のメッセージのように感じた。えなががひいろを力ずくで踏みとどまらせてくれて本当に良かった。
愛してるの呪
母の愛してるの言葉は、全ての思考を奪う、呪い。
彼女の健気さは常軌を逸して見えるけど、愛されているという信念で麻痺して、身勝手な母の愛の檻から逃れられない。
毒親にも色んな種類がいて、子どもの救いの方向も手段も人それぞれ。
愛があれば全てが許される、わけない。
何でもそうだけど、受け手がどう思ったかで全てが決まると思うんよね。
例え自分はそんなつもりじゃなかった、と百回言われてもやられた方がそう思えないなら、その伝え方は間違ってると思う。
いっそ憎めたら楽になるのだろうけど、子としての本能が母から嫌われることを全力で拒否するのだろうか。
そもそも愛なんて形の無いものの証明なんてできないもんなあ。
先に原作を一気読みしてから、参加しました。
原作をうまく脚本にしていて、なるほどこうやって重要な場面を組み立てるのだなと思いながら観ました。
毒親の話だけど、読後感はカラッとしてたけど、映画も納得のいく終わり方でした。
よかった!
原作のイメージ通り
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