「三者三様の毒親からの解放」愛されなくても別に KaMiさんの映画レビュー(感想・評価)
三者三様の毒親からの解放
同じ大学に通う宮田(南沙良さん)、江永(馬場ふみかさん)、木村(本田望結さん)。それぞれタイプは異なれど、毒親のもとで育った共通点がある。この三人の出会いと衝突、交流を通じて毒親からの自立が描かれていく。
宮田は毎日コンビニで夜勤し家計を支えている。母親は恋人を連れ込んで昼間から飲み、臆面もなく情事に励む。まるで映画「あんのこと」だが、宮田はストレスがたまると薬物ではなくトイレの芳香剤に依存している。母親の世話や家事から逃れられない堅気さを象徴しているようだ。
そんな宮田は同じコンビニのバイトで江永に出会う。江永の親は交通事故で死者を出し、江永はその遺族から命を狙われている。父に性的に虐待され、母に買春を勧められた江永の不幸度合いは宮田の比ではない。
二人が互いの境遇を分かち合うなか、登場するのが木村だ。過保護の親から逃れるため新興宗教にはまる木村のことが気になり、宮田と江永は一緒に教祖様に会いに行く。
宮田にとって木村は、「恵まれた大学生」の代表のように映るのだろう、その程度の不幸で宗教にはまっている場合ではないと感情を爆発させる。しかし木村が「不幸の大きさを比べないで」と言い返すのも正論だ。江永も、実は不幸自慢に陥っている宮田を静かに諭す。
宮田が木村を気にするもう一つの理由は、「内心では疑っているのに宗教(母親)にすがりついている」のは同じだから。この衝突を通じて、宮田がひそかに抱えている母親への呪縛が解かれていく。
三者三様の不幸が互いに照らしあう中で、江永が抱える虚無や、その反面での達観した境地、包容力は魅力的だ。「生まれたときからクソな人生」とうそぶく江永の横に座り、たたえる宮田。江永はわりと月並みな褒め言葉に飢えているのだ。
終盤、夏の暑そうな江永の家で、交互に映される二人の飾り気のない寝顔。素の状態を見せ合えるようになった二人の関係を表しているようだ。
前半は、宮田のヤングケアラーぶりの描き方があまりに生真面目で、映画になかなか入り込めなかった。閉塞感を描くためでもあるのだろうか。中盤以降はやはり宗教の話がよいアクセントとなり物語が動き出した。
教祖宅の呼び鈴を鳴らし「73番、木村です」とあいさつするのに対し、江永が「刑務所かよ」と茶々を入れる。このように、人物が自然に動き出すような「遊び」がもう少し欲しかった気がする。