「子どもの「主体性」の育て方」ふつうの子ども KaMiさんの映画レビュー(感想・評価)
子どもの「主体性」の育て方
「ふつうの子ども」というタイトルから、少し嫌な予感もした。「子どものナチュラルな姿が可愛いでしょ」という大人の自意識が透けて見えるような映画だったら。または子どものキャラ任せで投げ出すような映画だったら。しかし、どちらも杞憂に終わる快作だった。
子どもの無邪気さ、ズルさや怖さをありのままに描くための、冷静な観察眼や再現力。さらには大人のほうも裸にされる覚悟なしには、こういう映画は作れないと思う。
まずは前半に出てくる授業のシーンが良い。「私の毎日」という題で発表される小学生たちの作文は、子どもらしい発想ともいえるが、テーマのおおざっぱさに乗じたユルいシロモノ。担任の先生(風間俊介さん)は昔のように頭ごなしに否定もできず、指導に苦心する。
グレタ・トゥーンベリばりに大人批判の演説を書いたミヤケさん(瑠璃さん)には、「そういう内容はSDGsの授業でやろうか」といなそうとして反撃に遭う。毎日のルーティンを正直に綴った主人公のユイシ(嶋田鉄太さん)には、失われた先生の威厳を取り戻すかのように「自由とふざけるのは違う」と冷たく切り捨ててしまう。
そう、子どもを枠にはめずに主体性を伸ばす教育が求められているけれど、大人もどこまで認めていいのか分からない。男女問わず「さん」付けで呼ぶ先生、「つぶさない子育て」を愛読しているユイシの母(蒼井優さん)。それを疑問視しながらも妻の料理へのリップサービスは忘れない夫。みんなどこか不安を抱えながら令和の大人を演じている。
映画の後半は大人への底知れぬ怒りを抱えたミヤケさんに、やんちゃなハルト(味元耀大さん)、惚れた弱みでいいところを見せたいユイシらが加わり、直接行動も辞さない環境活動家ごっこが始まる。
もちろん結局はバレて叱られてしまうわけだが、3人の中で一番凡人のユイシが抱える「やってしまった」感は法廷映画ばりに痛切に胸に迫ってきた。「ミヤケさん好きさのあまり魔が差しました」という告白は英雄的といっていい名場面だと思う。
それに天真爛漫な女の子(長峰くみさん)と駄菓子屋でデートする場面は、まるで政治犯が逮捕される前のつかの間の幸せだね。
惜しむらくは、いきなりの街頭活動は唐突に感じ、もう少し自然なきっかけが欲しかった。そうしたら大人に一矢報いる痛快感がもっと出たと思う。学校の授業でSDGsのポスターを作るなど「主体性」を教育するエピソードがあると、大人の矛盾もいっそう際立ったのではないか。
共感をありがとうございます。
でも、下書きを誤ってアップしてしまっていて、大分加筆修正しています。すみません。
一番凡人のユイシは、親の愛情を疑っていないから安心して凡人でいられるような気がしました。
不思議ちゃんな女の子との駄菓子屋デートはいい場面でした~。

