劇場公開日 2025年9月5日

「大人がこしらえたステレオタイプ的な子どもではなく 本当に「ふつう」で自然で「ありのまま」の子ども」ふつうの子ども Freddie3vさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 大人がこしらえたステレオタイプ的な子どもではなく 本当に「ふつう」で自然で「ありのまま」の子ども

2025年9月10日
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鑑賞方法:映画館

まず、『ふつうの子ども』というタイトルがいい。本当に自然でありのままのふつうの子どもが描かれています。細かいことですが、小学4年生の子どもたちの群像劇なので、4年生までに習う漢字を考えると「普通の子供」ではなく「ふつうの子ども」なんでしょうね、やはり。で、小4の「ふつう」が大人たちの考える「普通」とずれている感じもいいです。これぐらいの年ごろって、(後から大人になって考えると)何かとんでもなく非常識なことをそれこそ「ふつうに」やってた記憶ってないですか。私はあります(恥ずかしいから内容は秘密です)。

ちょっと新鮮だったのは、心愛ちゃんが小4にして大人に対して「異議申し立て」をしていたことです(随分、成長が早いなあと思いました)。それもちゃんと「理論武装」して(今は必要な情報にアクセスしやすいですからね。表面的には)。こういうときの教師の対応の仕方としては「なかなかいいところに気づいたね。みんなはどう思う?」あたりが考えられるのかもしれませんが、まあ彼女の話について行けて意見が出せるクラスメイトがいる可能性が低いので、風間俊介が演じた担任の先生のように「極端だなぁ」といったコメントでお茶を濁しておくしかないのかもしれません。でも、結果論になりますが、心愛ちゃんの異議申し立てをぞんざいに扱ったことは教師側の初動にミスがあったと言われても致し方ないところかもしれません。結局のところ「活動家」はクラスメイトの男子ふたり(唯士くんと陽斗くん)を巻き込んで「理論的指導者」をも兼任して「活動」を始めます。

カメラワーク、よかったですね。子どもの目の位置は大人より地べたに近いところにあります。興味の対象を見つけるとそれに向かって視線が地べたに近いところを疾走してゆきます。立ち止まって俯瞰して物事を見るなんてことには不向きな構造です。気づいたら、ふつうの子どもがふつうに始めたことがふつうでないところまで来ていました。

そして、問題発覚後の、当事者の子ども3人、その保護者たち、先生(担任の先生とその上司)が集まってのミーティング。心愛ちゃんの母親の様子を見るにつけ、彼女の大人に対する異議申し立ての根っ子が社会問題なんぞにあるわけではなく、もっと地べたに近いところにあるのではないかという疑念が立ちのぼり始めます。ちょっと男をあげたのは我らが唯士くんです。ふつうの子どもとして、ありのままを誠実に陳述して、好感が持てました。え、陽斗? まあ幼すぎるというか、精神年齢が低いというか……

ということで、以下、ヘビに足を描いてみました。

さて、あの事件から、10年ほどの月日が流れました。唯士は大学で洋上風力発電の研究をしているそうです。環境問題を研究するサークルにも所属しているとのこと。心愛は大学の法学部に進みました。将来的には司法試験に合格して弁護士を目指したいとのことです。え、陽斗? 高校生のときに何か問題を起こしたという噂を聞きましたが、それっきり。なんとか立ち直ってくれるといいのですが……

ふつうの子どもが普通の大人になるのにもいろいろとあるようで。

Freddie3v
かばこさんのコメント
2025年9月15日

共感ありがとうございます。
(でも、下書きを誤ってアップしてしまって、大分加筆修正があります。)
3人の10年後の考察に、めっちゃ頷きました。
陽斗が軌道修正する機会があればいいのですが。

かばこ
トミーさんのコメント
2025年9月15日

共感ありがとうございます。
極端だなー!にシンパシーを感じてしまいますね。正しいを貫こうとすると他方に歪みが生まれる、ヤンウェンリーの教訓にぐっと来るのはやはり大人なんですかね。

トミー
ひろちゃんのカレシさんのコメント
2025年9月14日

お邪魔します。
子供の頃のささやかな疑問や不満が、成長後に有意義な研究や社会活動に昇華するか、ただの迷惑行為に堕するかは,その後の大人の接し方や受ける教育の質次第なのだとつくづく思いました。

ひろちゃんのカレシ
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