「本作に対する“違和感”は、原作に由来するのだろうか?」ヒックとドラゴン 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
本作に対する“違和感”は、原作に由来するのだろうか?
《IMAXレーザー》にて鑑賞。
【イントロダクション】
ドリームワークス製作の大ヒットアニメーションを実写映画化。臆病な少年と傷付いたドラゴンが世界の危機に挑む。
監督・脚本は、アニメシリーズに引き続きディーン・デュボアが担当。
【ストーリー】
地図にも載っていない忘れ去られた島、バーク島。そこに暮らすバイキングの一族は、様々な人種が合流して出来た部族であり、長きに亘ってドラゴンとの争いを繰り広げていた。
鍛冶屋で働く少年・ヒック(メイソン・テムズ)は、バイキングの首領・ストイック(ジェラルド・バトラー)の息子ながら戦士としての才能に乏しかった。しかし、発明好きで立派なバイキングになる事を夢見ている彼は、ドラゴンとの戦いの度に戦場に飛び出し、問題ばかりを起こしていた。
ある晩、ヒックは自身の発明した投擲機で誰も姿を見た事のないドラゴン、ナイト・フューリーを撃ち落とす。翌朝、森に入ってそれを確かめに向かったヒックは、傷付いたナイト・フューリーにトドメを刺す事が出来ず、彼を解放する。すかさずナイト・フューリーはヒックに襲い掛かるが、威嚇のみで彼を傷付ける事なくその場を去っていく。
ストイックは、ドラゴンの襲撃を止めさせるには霧に包まれた海の中にあるドラゴンの巣を攻撃するしかないと悟り、仲間達と共に船でドラゴンの巣へと向かう。時を同じくして、ヒックはバイキングになる為の試練である“炎の試練”を受ける事になる。訓練生の中には、ヒックが密かに思いを寄せるアスティ(ニコ・パーカー)の姿もあった。優秀にアスティに対して、ヒックは試練に苦戦し、思うような成績は残せない。
一方で、ヒックは尾鰭を負傷し森の中にある湖から飛び立てなくなってしまったナイト・フューリーを“トゥース”と名付け、互いに警戒しながらも次第に心を通わせるようになる。ヒックはトゥースの為、負傷した尾鰭を補強する装備を作り、ドラゴンに乗る事を思い付く。
【感想】
私は劇場アニメシリーズ(以下、オリジナル版)未鑑賞。今回の実写版からの新規だ。調べると、本作は限りなくオリジナル版に忠実に作られており(アスティ役のニコ・パーカーの人種等、細かな変更点はある様子)、ファンの満足度も高いそう。世界興収も損益分岐点を難なく突破しており、実写版のシリーズ化も決定した様子。
原作はイギリスの児童文学である為、全編通してヒックの「相手を思いやる優しさ」と「相手の事を知る」という姿勢が物語を導いており、着地としても分かりやすいハッピーエンドを迎える。
しかし、私はこのヒックをはじめ、バーク島で暮らすようになったバイキングという一族の在り方そのものに違和感を覚えてしまい、単なるハッピーエンドとして受け入れる事は出来なかった。
というのも、このバイキングは様々な人種がバーク島に寄り集まって出来た部族である。つまり、彼らは現実の歴史でいうところの移民であり、先に生息していたドラゴン達にとってはコロンブスのような征服者でもあるのだ。そして、バイキングはドラゴンを自分達の生活を脅かす脅威と捉え、長きに亘って争い続けている。実際には、ドラゴン達は超大型ドラゴン“レッド・デス”の支配下にあり、自身が捕食される事を防ぐ為に、バイキングの集落を襲い家畜を連れ去っていた。そして、ヒックとトゥースの活躍によりレッド・デスが倒された事で、ドラゴンは本来の優しさに従って人間との共存が可能になる。
本作のテーマは、ヒックの姿勢が示す通り、「相手を思いやる優しさ」と「相手の事を知る」事の大切さだ。作中でも、ドラゴンの優しさに気付いたヒックは、ドラゴン討伐の意思を掲げ「ドラゴンは仲間を殺した。お前の母親も犠牲になったのだ」と発言するストイックに、「こっちだって沢山殺した。先に仕掛けたのは僕達だ」と、この争いの不毛さを説く。そして、全ての元凶であるレッド・デスを討伐した事で、人間とドラゴンは共存関係を築ける事になる。
しかし、果たしてそれは単なるハッピーエンドと捉えて良いのだろうか?バイキングがバーク島にやって来るまでは、恐らくレッド・デスによる統治であの島周辺の生態系は成立していたはずだ。他のドラゴン達にとっては、レッド・デスは理不尽な独裁者だった事だろう。しかし、何故レッド・デスだけが山のように巨大なドラゴンとして生まれたのか(またはそう成長したのか)、その理由が語られていない以上は、レッド・デスもまた被害者だと言えるのではないだろうか。あれだけの巨体なら、大量の食糧が必要になるのも当然であり、彼は自らの生存に必要な捕食行動をしていたに過ぎないのである。これが、元は他のドラゴン達と同じサイズのドラゴンであったにも関わらず、同族を捕食する、いわば禁忌を犯した事で巨大化し、自らに有利な支配構造を構築していった等の背景があるのならば、討伐される事に意味も出てくる。
つまり、ドラゴンと人間が共存する着地を描く以上、全ての責任を背負う事になるレッド・デスには、相応の理由付けが必要だったはずなのだ。しかし、本作では「悪いのはアイツだから、アイツをやっつけてハッピーエンドにしましょう」という舞台装置程度の役割に留まってしまっている。
また、ドラゴン達との共存関係を築いたラストで、ヒックのナレーションにある「この島に住む人々は、ペットも変わってる」という“ペット”という言い回しにも眉を顰めてしまった。トゥースと共に死地を乗り越えた彼が用いる言い回しとして、ペットというのは違和感があるのだ。せめて、「ペット…いや、家族(もしくは相棒)だって変わってる」といった具合に、観客に伝わりやすくする為に“ペット”というワードを用いつつも、彼だけはトゥースとの間の主従関係を超えた特別な関係性を強調してほしかった。
もっと言ってしまえば、実は本作は一貫して「ドラゴンより人間の方が上」という姿勢を崩さずに進行している。炎の試練で訓練生達が相対するドラゴン達は、大人達が“訓練で殺す事を前提”として捉えていたものだ。ヒックの活躍により、彼らは他の訓練生達と協力し、パートナーとなる事になるが、本来なら訓練途中で首を刎ねられていたはずなのだ。
アスティに問いただされた際、ヒックが口にする「殺せたけど殺さなかった」という台詞も、一見すると相手に対して優しさを示した彼のキャラクター性が強調されたように思えるが、見方によっては「生殺与奪の権利を自分が有していたが見逃した」という傲慢さにも受け取れる。あれだけのパワーを持つトゥースを、単なる投擲機の縄で拘束した程度の状態で、果たしてヒックがトドメを刺して仕留められたかも甚だ疑問である。
先述したペット発言含め、本作の根底には常に「人間の方が上」という傲慢さが染み付いているのだ。
もう一つ、本作の重要なテーマとして後半に提示されるのが、「相手への憎しみを捨てられるか」という事だろう。
ストイックは「偉大なバイキングの先祖達」と口にし、ドラゴン討伐に燃える“憎しみを引き継いだ世代”の代表として描かれており、その考え方をヒックとトゥースの関係性に触れる事で改心させられる。なので、ラストでストイックだけは大人達の中でドラゴンへの考え方、向き合い方を変える事に説得力は生まれる。しかし、他の大人達はドラゴンと心を通わせたわけではない。
ならば、本作のラストは、あんな違和感のある一朝一夕で出来上がったユートピアにするのではなく、「この先、ドラゴンと人間は共存関係を築いていけるかもしれない」という塩梅に留めておくべきだったのではないだろうか。
厳しい意見が続いたが、本作には賞賛できる点も多々ある。
ヒックがトゥースの尾鰭を修復し、これと共に飛行訓練を積んで飛び立つシーンは、間違いなく本作1の名シーンだろう。
CG表現に頼り過ぎない、実写に拘ったスコットランドの雄大な大自然での撮影は、本作の世界観に抜群の説得力を持たせており、エンドクレジットでの空撮映像でもその美しさを堪能出来る。
キャスト陣の演技、特に主演のメイソン・テムズのヒックは、実写化としての再現度の高さが抜群で「よくこんなに合う人を見つけてきたな」と感心させられる。オリジナル版の声の出演に引き続き、実写版でもストイックを演じたジェラルド・バトラーのハマりっぷりも凄い。
オリジナル版とは人種が変わったというアスティ役のニコ・パーカーもキュートであり、ヒロインとしての存在感を放っていたので良いのではないだろうか。
ヒックがレッド・デスとの対決を経て片足を失うという点も、元はと言えば自らが負傷させたトゥースと同じ条件になるというだけでなく、「憎しみの連鎖を断ち切る」代償としても受け止められた。この役割は、本来ドラゴンを討伐しようとし続けたストイックが担うべきな気もするが、ヒックによってレッド・デスというそれまでの生態系の頂点に君臨していた存在が排除され、新しい生態系が構築される事になる代償、傲慢にも自然に人間が介入する代償の演出としてアリ。
何より、やはり本作は個性豊かなドラゴン達が非常に魅力的に描かれている(だからこそ、彼らとの関係性の表現には慎重になってほしかったのだが)。
【個性豊かなドラゴン達】
ドラゴン達の個性豊かな習性の数々が面白く、ファンタジー世界の生き物としてのリアリティを与えていた。
特に、トゥースは小柄ながら強力な紫色のブレス(熱線と表現しても良いかもしれない)を吐く都合上、普段は牙を仕舞って生活しており、捕食や威嚇という必要性のある時のみ歯が生えるという仕組みが理に適っており面白かった。
肥満型ドラゴンのグロンクルは、1日の内に吐ける火炎弾の弾数が決まっており、それが「ドラゴンと言えど、無限のエネルギーを持つわけではない」という設定を示している。
双頭のドラゴン、ダブル・ジップは、一方の頭が爆発性のあるガスを、もう片方が発火を行うという、それぞれの頭に明確な枠割が設定されいる点が新鮮だ。
炎を纏って襲い来るモンスター・ナイトメアは、作中でも一際ドラゴンらしい見た目をしており、戦闘時のみ炎を纏うという点が厨二心をくすぐられる。
だが、やはり本作最大の魅力は、ナイト・フューリーことトゥースだろう。特徴的な黒い鱗の表皮、大きな緑色の眼と黒い瞳、人懐っこくラストでは犬のようにヒックの無事を喜ぶ。
砂浜に絵を描くヒックを真似て、木の枝で地面に絵を描く姿も微笑ましい。生魚が大好きだが、海蛇は大嫌いというのも笑える。
そんな可愛らしい習性や小柄な見た目に反して、飛行能力はピカイチで、ブレスの威力は巨大なレッド・デスの翼を難なく貫通する威力を持つ。
オリジナル版に限りなく忠実に、しかし実写化に際して限りなくリアルに表現されたビジュアルも、実写化の手本となるべき完成度だろう。
【総評】
ヒックとトゥースの心の交流、スコットランドの雄大な大自然、個性豊かなドラゴン達の魅力を兼ね備えたエンターテインメントとして佳作。しかし、ドラゴンに対する人間達の優位的立場の精神という傲慢さには眉を顰めざるを得なかった。
続編の製作も決定しているので、このシリーズが最終的にどのような着地を見せる事になるのかは期待したい。
