「ジャンル未確定。人によって評価が分かれるだろう作品」火喰鳥を、喰う まさらちゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
ジャンル未確定。人によって評価が分かれるだろう作品
原作既読で2回鑑賞。3回目は今日見に行く。
原作を読んだとき、どう映画化するのか?できるのか?ミステリーなのか?ホラーなのか?と疑問に思った。
原作はミステリーの記述作法で進むがホラー要素が強くなっていく一種の叙述ミステリーの様相だが、ミステリーでは終わらない(終わることができない)展開が見事。しかし、ある意味ミステリーとしては破綻しているとも言える。最終的にはミステリーなのかホラーなのかどちらとも結論が出せない結末を迎える。確かにミステリー&ホラー大賞でなくては受賞できない。しかし、この賞であればこの作品しかありえなかったのではないかと思うくらいジャンルとしては正しい。どちらでもありどちらでもない作品なのだ。
おそらく、これはそのカオスな状態を目指してきた作品で、結論を出さないことが作者の意図、そこから、この現実は果たして本当に現実なのか?と読者が不安に思うことがホラー的な作品なのだと思う。ジャンルが分からないというのがもはやジャンルと言える。しかしこのニュアンスは果たして映画にできるのか?
映画もミステリー的な導入から始まる。しかし、横溝正史的なムードが漂う夏の信州の旧家の雰囲気と要所に挿入されるカブトムシや火喰鳥が最初から不気味なものを醸し出していて、そもそも冒頭に原作クレジットが出て「角川ホラー文庫」とあるので、ホラーなんだろうなという認識で進む。
しかし、ホラー映画と言っても作品によってアプローチは様々で、ちゃんと理屈の通る明快なホラー(誰々の恨みが具現化してとか、この幽霊が怖いとか)もあれば、何が怖いのかわからないけど怖いとか、単純にビジュアルとか映像が怖いとか、怖さもいろいろである。この映画はビジュアルが怖いわけではない。音とか映像で脅しをかけるものでもない。明確なお化けは出てこない。そういうジャパニーズホラーを期待するとがっかりするだろう。
さらに言うと理屈も理論も理解しがたい。
北斗はなぜ日記に出会ったことで、この結末を予測し導くことができたのか?そこにはどういう理論や理屈があるのか?どうやってその理論を知り得た?もう一人の自分に聞いたとは?なぜもう一人の北斗はそんなことを知ってる?トリガーを引いたら現実が動いていくこと自体、正直意味不明。
貞市が生きている世界になるとなぜ主人公と祖父は事故死する未来に変わるのか?亮が消えるのか?貞市が生きていても事故の結果が同じになることもあり得たはず。そもそも貞市が死ななかった時点から、交通事故までかなりの年数が経過していて、そこに至るまでの経過は現実と同じだったはずなのになぜそこからは両立しないのだろう?そこに明確な因果関係はない。
がしかし、明確な因果関係がない様に見えるからこそ予測不可な結果に至るのか?もしかしたら描ききれていない小さい因果があるのかもしれない。現実とはそういう小さなことが大きく影響する因果関係のもつれの結果なのか?いわゆるバタフライ効果の積み重ね?この映画であればバタフライならぬカブトムシ効果とでもいうのであろうか。
北斗が殺されることで何が完結するのか。貞市がいる世界の北斗は北斗なのか?なぜ貞市がいる世界でも久喜家との関わりがあるのか?やはりそこにも匂わせはあるものの因果関係がない。
結果としてこの映画は、普通は因果関係の積み重ねで起きるはずの現実の出来事が、明確な因果関係なしに進む気持ちの悪さが、見ている人が自分が生きる現実世界に対してうっすらとした不安を抱くことでホラーとして成り立つ作品なのではないだろうか。
人によっては違う解釈もありるだろうし、伏線は回収すべし、ミステリーは収束すべしと思う人には駄作にも映るだろう。
北斗の演技についても、大げさだと思う人もいれば普段の舘様だと思う人もいるだろう。確かに違う俳優で違うアプローチもあるかもしれないし、うまい俳優は幾らでもいるとは思う。しかし原作の北斗もどこかおかしい。そのどこかおかしい感、異物感を宮舘涼太の個性を生かすことで、演技ではない自然な異物感(矛盾した表現だが)に昇華していると思う。逆に言うと、舘様は俳優としては、水上くんのような、いい意味でどこかにいそうな人物を演じるのは難しいのではとも思ったし、演技力はまだまだ発展途上だろうとも思ったが(本人も演技経験が少ないと自覚しているし、そもそも舞台経験が豊富なので演技の仕方が舞台役者寄り)、この個性は令和の嶋田久作になりうるとも思った。出てきただけで異彩を放つ役者はそうはいない。
最後に出てる佐伯日菜子もまた、存在だけでホラー感を醸し出す。何も怖いことはしていない。なのにうっすら怖い。彼女もまたホラーで輝く役者。普通に美人なのにその美しさがどこか異質。そういう意味では、日常を描くところには現実にいそうな役者が日常感を、ホラー要素のところには現実にいたら存在そのものが異質な人物をと、要所に適切な役者をうまく配置しているともいえる。
役者のテンション感がいい意味で揃っていないところもおそらくはうっすらとした気持ち悪さや不安を与える効果を狙っての意図的な配役と思われ、そういう意味では配役も絶妙。これもまた、ストーリーで見せているわけではない作品であるという表れなのだろう。
結果としてこの作品はストーリーテリングではないというところに尽きる。そこが受け入れがたい人には駄作、そこを受け入れられる、または、そのまま受け止められる人にとっては傑作になりうる作品だろう。
私はどちらかといえば、そのまま俯瞰で見る派である。原作は理論的ではないのに妙な説得力を保ちながら描き切る作者の高い筆力、映画は配役と映像の奇妙なバランスをもって原作者の筆力に頼っていた部分を補っている、他にない素晴らしい作品であると思った。
3回目の鑑賞の今日は副音声付きで観ようと思うのでまた違う印象になるのか、楽しみである。
コメントありがとうございます!
2回目は1回目に気づかなかった細部や背景などに目がいくのでまた新しい発見があるように思います。私は原作を読んでから1回目を見たので、1回目は答え合わせ的な、ここは削ったんだなーとかここはこうなったのかという見方になりましたが、もし原作未読の初見だとストーリーに呑まれて終わった気がするので、2回目見たら印象が変わりそうな気がしますね。
なお、コメンタリーは映画とかけ離れたムードの会話が多く、面白かったですが、映画が頭に入りません笑
3回目以降がいいと思います。
雑談もありますが、雰囲気のいい掛け合いと、それでもここは実はアドリブだったとか、ここの角度が難しかった、ここは本当に雨だったとか興味深い話も聞けて面白かったです。
初めてコメントします。
どなたかも「2回観て2回目の方が良かった」って言っておられました。
私も1回目の壁を乗り越えたら
より火喰鳥の世界が開けるのでしょうか?
あなたのレビューを見てもう一度観たくなりました。
後、本は絶対読もうと思います!
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