「怪異ではなく執着の恐怖、それでも語られぬ矛盾」火喰鳥を、喰う こひくきさんの映画レビュー(感想・評価)
怪異ではなく執着の恐怖、それでも語られぬ矛盾
最初に断言しておくが、この作品はミステリーではない。謎を解いて爽快感を得る物語でもなければ、伏線を回収して腑に落ちるような構造でもない。観客に提示されるのは、説明不能の現象と、それを「察せよ」と押し付ける作りだ。
物語の中核は、戦死したはずの先祖・久喜貞市が戦場で仲間を殺し、その肉を喰らって生き延びたという異様な“生への執着”である。その執念が日記という呪物を通して現代に侵食し、主人公・雄司の現実を書き換えていく。ここに怪鳥「火喰鳥」の実体的な役割は一切なく、タイトルは単なるメタファーにすぎない。観客は「鳥はどこに関係あるのか」と首をかしげるが、答えはない。
本来であれば、現実が徐々に侵食される過程で数々の矛盾や齟齬が生じるはずだ。ところがこの映画は、その矛盾に一切触れず、あたかも「気づいた人だけ察してくれ」と言わんばかりに突破してしまう。説明の欠落が恐怖を強める手法だと監督は考えたのかもしれないが、観客の多くにとっては単なる不親切である。論理を積み上げれば破綻するため、そもそも論理を拒否しているのだ。
そして、物語は「誰の執着が勝つか」という一点に収束する。北斗の執着が雄司よりも強く、結果として雄司と由里子の夫婦関係は“なかったこと”にされる。主人公が敗者で終わる不条理は一種の恐怖を成り立たせるが、二時間近く彼を追い続けた観客にとっては徒労感の方が強い。加えてラストは『君の名は。』風の再会演出で希望を仄めかすが、唐突な帳尻合わせにしか見えず、せっかくの「執着の恐怖」が薄まってしまった。
演出面も課題が多い。暗がりや音響を多用して“侵食感”を演出しているが、説明不足を雰囲気でごまかしているように映る。さらに怪異描写や火喰鳥のCGはトーンから浮いて没入を妨げ、ホラーとして致命的な弱さを露呈する。
役者陣には救いがある。水上恒司と山下美月の夫婦は自然で、宮舘涼太の胡散臭さも際立っていた。もっとも私は最後まで彼を尾上松也だと思い込んで観ていた。目元や所作が似すぎていて、疑いもせず。だがエンドロールに尾上松也の名前がなく、ようやく別人だと気づいた。この勘違いすら「現実が侵食される」映画のテーマと妙に重なり、苦笑いするしかなかった。
総じて、『火喰鳥を、喰う』は「論理で楽しむ映画」ではなく「説明不能を押し付けられる体験」そのものだ。矛盾を無視し、観客に察しろと突きつける作りは挑戦的だが、商業映画としては不親切で、結果として消化不良が強く残る。強烈な印象は間違いなく残るが、それが「面白さ」ではなく「説明できない苛立ち」であることが、この作品の限界を物語っている。
自分も宮舘涼太が登場した時に、「尾上松也も気持ちの悪い演技しているなぁ・・・」と思ってしまいましたが、ほどなく別人だと判って安心(?)しました。
ただ難解なのもあって尾上松也が頭から離れず、尾上松也>半沢直樹>堺雅人>平場の月も観に行きたいな・・・という謎のループに苦しみました。
唯一、山下美月の演技が良かったのが救いで、「六人の嘘つきな大学生」の時はケバい大学生を熱演していましたが、今度はちゃんと若妻を好演していて納得できました。
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