「何もかも全部ウソだ!と…」逆火 ふくすけさんの映画レビュー(感想・評価)
何もかも全部ウソだ!と…
貧困のヤングケアラーがその境遇をはね返して成功する美談を原作として映画製作が始まろうとしている。
しかし、実態は、娘はパパ活して、父を憎み、父の死をいつも願っていた。
父はいつも娘を殴っていた。
その娘が嘘をついて生命保険の作文コンクールで優勝し、成功のきっかけをつかむ。
お涙頂戴の本筋よりこの真実のほうがよほど映画として面白い気がする。
内田英治監督もそう思うのじゃないかしら。
プロデューサーの女性はそんな映画をひとは見たがるかしらとセリフを吐くが、内田監督はそれを嘘くさいセリフとして脚本を書いている気がする。
ラスト·ラブレターは国際的映画賞を受賞し、野島は老老介護の映画監督としてデビューするのであるから、野島もこの映画製作に協力したのだ。
みんな嘘くさい。
内田監督は「嘘くさいでしょ」と観客に言っている気がする。
野島はノンフィクションとして製作される映画が嘘で塗り固められていることに大きな葛藤を抱えているが、プロデューサーの言う通り、ARISAが父殺しをしていないなら大きな問題ではあるまい。
作文コンクールに嘘があったことも何ほどのことか。
ARISAは責任を取ると言っていた。
最後に自殺するのはARISAかと思ったら、野島の娘。
ARISAが自殺したのなら彼女は父を殺したのだろうが真実は闇のままだ。
野島の娘の内面を推し量るなら、スマホを破壊された時、徹底的に父を憎んだのだろう。
そして最も効果的なタイミングで父に復讐を果たした。
死顔は喜びに満ちていた。
この映画は二つの父殺しの物語のように見える。
野島の娘(光)はなぜあんなに父を憎んだのか。
もはや誰にも分からない。
正義、真実、生活、きれい事、葛藤、と作品全般に交錯するが、全部「嘘くさい」のだ。
これがこの映画の肝に思える。
内田英治監督はこれを意識的に描いていると思いたい。
「全部ウソでしょ」が娘(光)の自殺だと言うのは穿ち過ぎだろうか?
「逆火」とはバックファイヤー
エンジンにおいては、燃焼室で燃えきらなかったガスが、吸気側や排気側に逆流して爆発する現象を指します。
本来燃えるべきところで燃えずに、あってはならないところで燃料は爆発した。
これが裏目に出たと言う意味だ。
逆火は馴染みのある単語ではない。
謎掛けだと感じた。