夏の砂の上のレビュー・感想・評価
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「夏の砂の上」←このタイトル天才すぎる
雨の降らない夏の砂のように乾いた人間模様が描かれる本作。
雨で我が子を亡くした主人公が、姪と雨の喜びを分かち合うことで希望が生まれる。
たった一滴でいいんですよ。心にたった一滴したたるだけでこんなにも潤う。
すべてが満たされるわけではないけれど、何かが劇的に変わるわけではないけれど、たった一滴でこんなにもマシになる。
冒頭とラストはほぼ同じシーンが繰り返されるが、印象は全く違う。すごい表現力。
序盤から、雨が降らないことによるのどの渇きや水のない生活への焦燥感と乾ききった人間模様を重ね、そして終盤にやっと雨が降る。
主人公にとって雨は小さい息子を亡くした後悔の象徴だが、その雨に喜びを感じることでカタルシスに繋がる。
重要なのは、どうやってカタルシスに繋がるかをぼかして観客にゆだねている点だ。雨の喜びを大げさに演出し、なぜこんなにも喜んでいるのかということをあえて言及していない。
息子の死を乗り越えたととらえる人もいれば、雨の喜びを分かち合い心を通じさせた友人(姪)ができたととらえる人もいるだろう。
それはどうとらえても観客にとって正解となり、観客が自分で気づくことが観客にとって最も説得力のある答えなのだ。
そして、きっとそれは”なんでもいい”のだと思う。なんでもいいから乾いた心に一滴でもしみこませることが重要だと説うている作品だと思う。
そこをぼかすのは「分かりにくい」と感じさせることもあるのですごく勇気のいることだと思うし、ぼかし方も素晴らしく絶妙だ。
邦画らしく、劇的でなくじんわりときいてくる作品だった。
個人的には静かで、かなり好みな作品だったけど、退屈だという人もいるだろう。
最後、指を切るシーンは必要だったのかね。あれいらなかったんじゃないの。
余談ですが、これを見に行ったとき、ちょうど劇場の空調が故障により機能が低下していて、少し汗ばみながらの観賞となった。作品の内容とマッチした環境で逆に良かった。
全ては失われる、だから美しいーー駆け込みで観れた傑作!
ずっと気になっていたのだけれど、映画.comでの評価があまり高くなく、どんな映画か調べることもせず、他の映画を観ているうちに今日になってしまった。日比谷での上映は、朝一番の今回が最後らしい。
結果、駆け込みで大スクリーンで観られて本当に良かった。2025年の夏は、この映画を観た夏として記憶に残りそうだ。大傑作だと思う。
非常に余白の多い映画なので、人によって感じ方は大きく違うだろう。「だから何を言いたいの?」「どこで感動すればいいの?」と戸惑う人もいるかもしれない。
それ故の“そこそこの評価”なのかもしれないが、僕のようにそれで見逃しかけるのなら、映画.comも罪深いと思ってしまう。
こういう作品がもっと制作されてほしいし、今作の監督にも、もっと自由に映画作りをしてもらいたい。もっと高い評価がついていい作品だ。
まず観はじめて、映像美に目を見張った。1ショット1ショットが完璧に決まっている。
アメリカでカラーフィルムの登場とともに、何気ない街の片隅や人々を切り取った「アメリカンニューカラー」という写真運動があったが、それを思い出した。
何気ない日常を観ること、それを美しいと感じる撮影者の喜びが伝わってくる映像美。静止画としても美しく、おそらく計算し尽くされたカメラワークに合わせて、今をときめく名優たちが非常に抑制された演技を見せる。
感情を強く表現する日本映画は予告編で敬遠してしまう僕にとって、この控えめさは心地よく映画の世界に浸らせてくれた。制作陣も役者たちも本物のプロたちの仕事だと感じた。
舞台はおそらく80年代の長崎。地元の大産業であった造船所が閉鎖された後の、渇水の夏の出来事を淡々と描く。
主人公も同級生の多くも、学校を卒業したらそこに勤めるのが当たり前の人生を歩んでいた。ところが時代が変わり、造船所の閉鎖で、当たり前のように生まれ育った地元で生きていく人々の、人生の歯車が狂ってしまう。主人公もその一人だ。
クロエ・ジャオ監督の「ノマドランド」と同じ世界を描いているとも言えそうだ。そう考えると、これは極めて現代的な物語かもしれない。アメリカのラストベルトで起きている現象や、そこから派生する政治的動き──「忘れられた人々」の物語でもある。
本作は「失うこと」「人生の有限性」が骨格になっている。長崎の夏の物語と聞いただけで、私たちは生まれる前の、終戦の夏を思い出す。高石あかり演じる主人公の名のセリフ「一瞬で消えちゃったんでしょ」も、それを明示している。
何度も映し出される長崎の街並みは、原爆で全てが失われた上に再興されたものだ。
この素晴らしい街も生活も人間関係も、いつ突然終わるかわからない。その危うさが映画全体の通奏低音であり、主人公の人生そのものとして表現される。
彼は子供を失い、職を失い、妻を失い、友を失い、体の一部すら失う。それらは淡々と描かれ、痛みは日常の隙間から漏れ出してくる。
だが、この「いつ全てが終わるかわからない」というメメントモリ感覚こそが、日々や空間を美しく輝かせるのだ。この映画の圧倒的な映像美はその感覚を強く支えている。
やがて、一夏を一緒に過ごし、主人公の面倒を一生見るとまで言ってくれた姪も去っていく。
オダギリジョー演じる主人公は全てを失ったとも言えるが、そこに悲惨さはない。体の一部まで失った彼には、遅かれ早かれ全ては失われる──それが早いか遅いかの違いだけだという諦観、あるいは悟りのようなものが生まれたように見える。
「全ては失われるもの」という前提に立てば、この世界の片隅での一夏の出来事、そこで起きる数々の喪失体験も、一回限りだからこそなんとも尊く、美しいものとなる。
限りある人生をどう観るのか、それによって見える景色も変わり、人生が意味あるものと感じられるかどうかも決まる。そんなことを感じさせてくれる映画だった。
オダギリジョーさんと髙石あかりさん
夏の長崎。
どん底の男・小浦治(オダギリジョーさん)。幼い子供を事故で亡くし、妻・恵子(松たか子さん)は家を出た。働いていた造船所は倒産し職を失った。
職も探さずふらふらする治。
ダメダメな治を自分と重ねた。
男に走るシングルマザーの妹・阿佐子(満島ひかりさん)が預けた娘・優子(高石あかりさん)との突然の同居生活。
治と優子のふれあいに救われた。「二人の再生の兆し」に救われた。甘すぎるかも知れんけど、こんな優しさがありがたい。
オダギリジョーさんと髙石あかりさんが圧倒的だった。心を持っていかれた。とんでもない俳優さんたちだ。
波長が合わない
❶相性:中
★波長が合わない。フィーリングで観る映画は相性が悪い。
❷時代:スマホが普及している現代。
❸舞台:夏の長崎。
❹主な登場人物
①小浦 治(オダギリ ジョー):愛を失った男。主人公。坂の途中にある一軒家に暮らしている。働いていた造船所が潰れても新しい職を探さずふらふらしている。一粒種の息子が豪雨で死亡した喪失感から抜け出せない。
②小浦 恵子(松 たか子):愛を見限った女。治の妻。息子を亡くしてから、治との生活にやりきれない思いを抱き別居している。
③川上 優子(髙石 あかり):愛を知らない少女。17歳。治の姪。阿佐子の娘。阿佐子の都合で、治の家に一方的に預けられる。学校へ行かず、スーパーでアルバイトをはじめる。
④川上 阿佐子(満島 ひかり):治の妹。優子の母。おいしい儲け話にのせられ、兄の治へ娘の優子を預け、単身で博多へ向かう。
⑤陣野 航平(森山 直太朗):治の職場の元同僚。治と同じ造船所で働いていた。治の不甲斐なさから、治の妻・恵子に寄り添っていたが不倫関係になる。
⑥立山 孝太郎 (高橋 文哉):優子のアルバイト先の先輩。長崎の大学に通い、東京からきた優子を何かと気にかける。
⑦陣野 茂子(篠原 ゆき子):陣野の妻。治の妻である恵子と夫の関係を疑っている。
⑧持田 隆信(光石 研):治の職場の元同僚。治と同じ造船所で働いていた。現在はタクシーの運転手をしているが、事故で死亡する。
❺考察
①冒頭は大雨のシーン。見る見るうちに道路が川になっていく。やがて雨があがり、青空に変わり、溝の水が消えていく。
②主人公の治(オダギリジョー)が、溝を眺め、煙草を吸い、吸い殻を捨てる。そこには吸い殻が溜まっている。
治は、ビニール袋を下げて坂を上り、途中のタバコ屋で挨拶をして煙草を買って、家に帰る。
★ここまでは文句なし。
③家には妻の恵子(松たか子)がいる。2人の少ない会話を、耳をさらにして聞いていると、次のようなことが分かってくる。
ⓐ2人は別居している。
ⓑ2人には小学生の息子がいたが、集中豪雨で流されて亡くなってしまった。
ⓒ治は責任を感じて息子の死を受け入れられない。
ⓓ位牌は恵子が引き取ることになった。
ⓔ治の仕事の同僚の航平(森山直太朗)は2人を慰めてくれるが、その内恵子と不倫関係となる。
ⓕ治の勤めていた造船所が倒産して、大勢が失業するが、治は求職の意欲がわかない。
④そんな時、治の妹の阿佐子(満島ひかり)が17歳の娘・優子(髙石あかり)を預かってほしいとやってきて、自分だけ博多の男のもとに行ってしう。
⑤こうして、治と優子の同居生活が始まる。
⑥そこは、雨が一滴も降らない、からからに乾いた夏の長崎。
★えっ??雨が一滴も降らない? じゃあ、冒頭の豪雨はなんだったの?
⑦ここまで来て、冒頭の豪雨は、治の息子が亡くなった豪雨だったことが分かる。
★しかし、冒頭の豪雨が過去のシーンであるようには見えない。上記①と②は連続しているように見える。これは、編集がまずいように思える。このような描き方には賛成出来ない。
⑧この後、治と優子を軸に物語が進むが、何が言いたいのか分からない。
⑨終盤には久しぶりに雨が降って、治と優子がはしゃぐ展開となる。
⑩そして、ラストは、阿佐子がやってきて、新しい男がバンクーバに日本料理屋を開くので優子を一緒に連れていくという。後には、恵子と離婚した治が一人残される。お終い。
❼まとめ
何が言いたいのか分からない。
私にとっては無色透明無味無臭。
観終わって印象に残ったのは、急な坂と俯瞰で捉えた長崎港の風景のみだった。
日本映画て感じ?
ただただ日常を描いてるようだがそこまでの人居てるのかと思ったり、
人生投げやりな治の元に姉の娘が居候する事になって少し生きる事に前向きになってきた途端又前よりも杜撰な事になる
姪の優子の彼氏が高橋文哉だけど、バイト先の先輩を演じてるのだがわざとなのか下手すぎるセックスシーンを映画で見るの初めてだ
これは役として誰にでも好意を持ってしまう大学生だけど、本当は初めてで優子から見たらお家もいい環境で素敵な家族だったのだろうか
雨の降らない坂の上の家に雨が降りタライを持って雨水をゴクゴク飲むシーン印象的だった
中華屋で働くようになったが指を切ってしまい仕事も又無くし、妻とも離婚して不倫相手と遠くにいかれ、妹の阿佐子もアメリカに行くといい優子を迎えに来た
又1人になった治
それでも生活していかなければいけない
生きていかなければいけない治
中々難しい話で、感想書くのも難しい
考えさせられる
世の中は流れ流れてなみだ川·····人生舐めんなよ
勤めていた長崎·佐世保の造船所が閉鎖され、妻とは別居中の失業中の男は5歳のひとり息子を事故で亡くした過去があった。
松田正隆の戯曲が原作で、以前に武蔵野館で観た「水いらずの星」の前日譚。
福山から坂出に流れてきたあの女は松たか子だったのか〜
松たか子は駆け落ち同然で森山直太朗と福山へ。
森山直太朗が扮する役は正直言って嫌悪しかない。また、そんな役がドラマでも多くて、苦手だ。
唐突に訪ねて来る妹の満島ひかりと高石あかりは母娘設定。
水いらずの星と較べ、ものすごく豪華なキャスト。
オダギリジョー主演&プロデュース。
どちらも水が印象的だ。
オダギリジョーは実際、次男を乳児の頃に亡くしているらしい。
姪っ子とどしゃぶりの雨の中で鍋やフライパン総出ではしゃぐ場面がこの映画のクライマックスだった。
深夜食堂のオダギリジョーのやるせなさ感がどうしても被ってしまう主役のキャラ。
親指と小指が残ったのは父親と死んだ子供の絆を表しかったのかもしれない。
空蝉
「そばかす」の玉田監督、高石さん出演というところに惹かれての鑑賞。
これまた良い具合に夏が味わえそうだと思いました。
んー…色々と登場人物が交錯して面倒な事になっており、それでいてどの人物も捻くれ具合が多種多様なのもあって中々にヘビーな仕上がりになっていました。
叔父と姪の話に絞ればもっと良かったのでは…なんで思ったりもしたり。
初っ端から主人公の妹が娘を預けに来る展開なのですが、どう考えても男に媚び売っていくからという姿勢が見てて痛々しく、そりゃ困るだろうし、おそらく別居状態なんだろうなーという主人公の妻もぶっきらぼうだったりとでなーんか嫌な感じが最初から付き纏っていました。
基本的にこの嫌〜な雰囲気は晴れることが殆どありませんでした。
乗船所が潰れたから仕事に喘いでいるという状況は察せれるんですが、それでもって喧嘩になったりする状況は上手いこと飲み込めないですし、元同僚が死んだ葬式で主人公の奥さんと違う同僚が不倫関係だから主人公をボロッカスに責め立てるシーンなんかは詰め込みすぎててややこしいことになっていましたし、その不倫のことを考えていたからチャリ漕いで大怪我したって言われても主人公もピンときてないものを我々がどう理解しろとと思ってしまいました。
姪とアルバイトの同僚の絡みも正直無駄に多い気がしてしまい、そんなネチョネチョせんでも…と思いましたし、それに連なるハプニングもなんだかなぁとなりました。
素晴らしく良かったのは2人で雨水を溜めて飲み干すシーンの爽快感は最高でした。
雨水うめ〜って笑いながらビシャビシャになっている絵面が超良かったです。
でっけぇ出刃包丁を使ってるから絶対あんな事こんな事起こるだろうな…と思ってビクビクしており、1回目2回目ときて3回目で親指と小指以外バッサリいっちゃうんですがこの描写いります?となりました。
すでに散々な目に遭っているのに日常生活に支障がきたる事までやらんでも…と思ってしまいました。
顔が吹き飛んだり、臓器がはみ出たり、ゲル状の溶けたりするよりも、指の怪我の方が目を覆いたくなる自分にとってこのシーンはかなりキツかったです。
役者陣は皆々様素晴らしくて、ダメ男が上手すぎるオダギリジョーさんに、危うい雰囲気しかない松たか子さんに、透明感抜群すぎる高石さんに、年頃なちょいヤンチャな高橋くんと超強い布陣でやってきたので演技合戦は見応えがありました。
まぁ好みではなかったかなという感じです。
これが舞台ならどうなったのか、というのは気になるところです。
鑑賞日 7/17
鑑賞時間 16:35〜18:20
傷だらけの男
綺麗な映像と撮り方が上手な監督さん
だなぁと思った。
雨で終わり雨で終わる演出も。
暑い夏で断水もあるが雨も降る。
傷だらけで渇ききった男の精神も
肉体もさらっ~と現れた姪っ子に
よって潤っていく。
息子の死は雨が原因なのに
あの雨の日、優子とたっぷり飲んだ
雨と何気無いじゃれあいにより
何かが吹っ切れたのでは。
しかし小浦役、オダギリジョーは
無職も似合うなぁ。
日本家屋の間取り、夏の日照りの階段や
坂道、遠くに見える造船所等々
素敵な場所を選ぶセンス。
内に秘めた傷が恵みの雨によって
流されて。またふさがった二人。
光石研さんの『すべてがかわって行く』が
物語を象徴していた。
情緒溢れる映画でした。
波乱を淡々と描いた映画
あれやこれや降りかかる不穏な現実を
のらりくらりと気怠さで乗り切ってる男の
日常の1ページ。
決して死を選ばないある意味力強い男。
あの気怠い男はオダギリジョーにはピッタリ。
落ちても落ちてもどん底感なし。
全体的に昭和感が漂ってた。
松たか子の髪型か?
田舎の夏ってこんな感じだけどね。
波乱に満ちた日常な割には、サクッと解決!
みたいな潔いスッキリ感は一切なく、
映画終わった後もまだ彼らの日常はこんな感じで
続いていくのであろうと思わせる余韻。
妻(松たか子)が子供の位牌を置いて次のステージへ
旅立って行くのはリアル。
妹(満島ひかり)は多分また「最低」とか言いながら
帰ってきて同じような男に引っかかるに違いない。
女は強い。
不倫男後輩(森山直太朗)は土下座しても、
しっかり妻を連れて遠路へ旅立って行く強者。
男も強い。
オマケ
高橋文哉がまた九州弁で現れた。
カレーパンマンは九州弁がお好き。
長崎は今日も晴だった。
うだるような暑さ、とても雨が降りそうもない。
地面はどんどん干からびてゆく。潤いのない土地長崎。
それを象徴するが如く、主人公小浦治の身も心も潤いがなく、人として干からびている。
彼の持つ喪失感はなかなか癒えることがなく……
周りの人間はどんどん彼から離れていく。彼もただ、それを呆然と見守ることしかできず、忸怩たる日々を重ねていく。
そして、ひとりぼっちになったとき、彼は不思議にもある達観した気持ちに落ち着く。それが「全部なくなったわけじゃない、親指と小指がある。なんとかなるでしょ」という、妹との会話の台詞に集約される。
人は持っているもの(者)を全部失うと持っていた煩悩もなくなる、それは観ているこちらとしても非常に共感できるのである。
そんなとき、長崎は今日も晴れている。
ジリジリとした暑さは変わらない、けど少し前の干からびた自分とは一線を画す自分がそこに存在する。底値からの上を見上げる彼が長崎を見下ろすカットで終えるこの映画。
苦しかった彼の再生日記といえる。
ちなみに、優子さん、彼女は神様が連れてきた、今はなき息子の仮の姿で、もういい加減、自由になりなよと彼に語り掛けているような気がした。
最後にあとひとつだけ、気になったことがある。
陣野さんの半狂乱になった奥さんはどうなったのだろうか?
夏の砂の上の 何か、、、が、ずっと残ってる
最近洋邦韓と新作も昔の作品もよくみてきたなかで、鑑賞後1番余韻が強く残った映画 鑑賞してから何日も経過しているのですが 風景やそこに自分がいるかのような臨場感のせいなのか、乾ききった登場人物達の心理に共鳴したからなのか、実際に経験したかのような感覚が複雑な感情と共に時々蘇る 最後に感じた悲しみのなかのわずかな希望のようなもののせいかもしれない、、。けど、観て本当によかった。
佳作 好みが分かれそう
良い。
この雰囲気は好き嫌いあるだろうけど、自分は好き。
オダギリジョーはオダギリジョーだった。
方言を話すだけで特に力みもなく、淡々としていた。悪くないね。
髙石あかりさんは注目されすぎている。
それだけ目立つので、グイグイ話を引っ張り男を引っ張り大活躍。彼女がいなけりゃだいぶ退屈したと思う。
いくつか美しいシーンがあった。
雨のシーンは大好きだし
麦わら帽子を渡すところはグッと来た。
髙石さんの表情、ここが最高だった。
ただ良くも悪くも長崎に縛られ過ぎた作品。
撮るならちゃんと人や街を撮って欲しかった。
死んだ街のようにしたかったのかも知れないが
、主張しようとしたりしたかと思えばぼやかしたり、そこは話の邪魔でした。
ハッピーエンドは通過点
水(雨)の事故で息子を亡くし自分を失った男が、出会いと雨(水)をきっかけに再生して行く物語。
個人的にはおぞましい人間が3人登場しますが、それらに対比して長崎のロケーションがとても綺麗です。
映画、ドラマにおいて時折ハッピーエンドか否かが話題になる事があるけれど、実際にはその後も人生は続いてゆくわけでハッピーエンドは通過点に過ぎない。そんな事を劇終盤のアクシデントを見ながら感じました。
オダギリさんと松さんの最後のやり取り。恵子のキっツイ台詞に対して放つ治の言葉が極めて強烈で、あまりの破壊力に笑ってしまった。治は意図してなかったと思うけど、その後の恵子の表情、松さん流石。
ただ全体としてお客さんの観る「力」に頼り過ぎかなと。説明し過ぎる映画もどうかと思いますが、やはり伝わる事も大事ですから。
暑さが伝わってくる
気になってた映画で好きな俳優も出ていたので鑑賞しました
雨が一滴も降らない、からからに乾いた夏の長崎。
幼い息子を亡くした喪失感から、幽霊のように坂の多い街を漂う小浦治。
妻の恵子とは、別居中だ。この狭い町では、元同僚の陣野と恵子の関係に気づかないふりをするのも難しい。働いていた造船所が潰れてから、新しい職に就く気にもならずふらふらしている治の前に、妹・阿佐子が、17歳の娘・優子を連れて訪ねてくる。おいしい儲け話にのせられた阿佐子は、1人で博多の男の元へ行くためしばらく優子を預かってくれという。こうして突然、治と姪の優子との同居生活がはじまることに……。
高校へ行かずアルバイトをはじめた優子は、そこで働く先輩の立山と親しくなる。懸命に父親代わりをつとめようとする治との二人の生活に馴染んできたある日、優子は、家を訪れた恵子が治と言い争いをする現場に鉢合わせてしまう……。
というのがあらすじ!
観てるだけで暑さが伝わってきましたね…
夏だからなのかもしれないですけど…笑
この時代にエアコンが壊れるのはほんとに命の危機です笑
そして長崎の街並みがよかった!
一回だけ長崎には行ったことあるんですけど見たことある景色があってちょっとテンション上がりました!
もう一度行ってみたくなりました😊
小浦治が前を向いて進んでいくまでの物語だったように思います
優子と少しずつ心を通わすところがよかったですね
たくさん会話をするわけではないですが雨の降るシーンで一気に距離が縮まった気がします
優子が消えてしまいたいって言ってたけど気持ちわかるなって思いました
そして治はいろいろ失っていましたね
子どもに仕事、妻に友人、最後は指までも…
葬式のシーンなんて陣内の妻が怒る人間違ってるなって思いましたもん笑
怒りの矛先は旦那と治の妻に向けるべきだと思っちゃいましたね…
しかも妻の恵子は式場に向かったけどどうなったのか気になる…笑
指を切ったシーンはその前から危なそうって思ってたから
案の定と思いましたけどかなり痛そうでした…
でもあんまりショックな感じが見えなかったような気がします
意外とあっさりしてましたね
みなさんの演技がとてもよかったです!
いい映画をありがとうございました!
砂の上に成り立っている人生
原作は全く知りませんが、文学的な物語で、ひょっとして名作なのでは思いました。
簡単に言えば、主人公の治は優子(姪かな?)を預かっている間、踏んだり蹴ったりの人生を送ることになりますが、ラストに優子は自らのお金で買った帽子を治に贈ります。この場面が非常に胸に沁みます。
治の家は、坂道に建てられていて、地震等が来たら脆く崩れるのではないかと思います。砂の上にある物は、土台がしっかりしていないため、何でも脆く崩れてしまいますが、わずかな希望でも持てば、原爆投下の長崎が復興したように幸せな道が開けるのではないかと感じる映画でした。
もう少し掘り下げてほしかった *7月12日追記あり*
***注***本編以外に「美晴に傘を」のネタバレを含みます
そう言えば設定がとても似ている映画を思い出してしまった。
「美晴に傘を」(2025年製作)と共通点が多い。
・息子を亡くした主人公は海がある街で一人暮らしをしている
・夏のある日。その日は息子が亡くなってからの節目の日だった
・疎遠だった親族(シングルマザー)が、アポなしで、しかも
居候することを前提に娘を連れてくる
・娘は若干人と違うところがある
・主人公は渋々居候を受け入れる
・連れて来た娘と地元の人々とのひと夏の交流
・地元で度々行われる居酒屋での飲み会
・この夏の出来事を通して登場人物それぞれに少しずつ変化が訪れる
本編の元となった戯曲「夏の砂の上」は1998年に舞台化され
何度か上演されたようだが「美晴に傘を」との関連性は分からない。
「夏の砂の上」の脚本・監督、そして「美晴に傘を」の脚本・監督も
自身の劇団を主宰している人という共通点がある。
勝手な想像だが業界内でテンプレート(ひな形)を共有しあって
それぞれが自分なりに加筆して映画化しているのかな?知らんけど。
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以下、7月10日に投稿済み
合うか合わないかで言ったら合わない方だった。残念。
予告編を見た限りでは何かしら心に残るものがありそうだったし
出演者に髙石あかりの名前があったので鑑賞。
オダギリジョー・松たか子・満島ひかりといった主役級の役者さん
たちも出演しているので期待した。でも自分に響く内容ではなかった。
”愛を失った男、愛を見限った女、愛を知らない少女”という触れ込み
だったがそこに至る経緯・心の変化が映画の中で語られていないので
登場人物に共感しにくい。
主人公の小浦治は幼い息子を亡くした喪失感から妻・恵子と別居。なら
どれほど息子を可愛がっていたかが描かれていても良さそうなものだが
その肝心な部分は回想としても出てこない。
息子が事故死した直接の原因が彼にあるのなら自責の念が強くあると
いうことで納得もするが(自分の見落としでなければ)その詳細は
描かれていない。
タクシー会社に再就職した元同僚も事故死!それにしても今年何本
事故死を扱った邦画を観ただろう?もう数えるのも面倒くさい。
妻・恵子はどの時点で夫を見限ったのか、なぜ別の男の元へ行こうと
したのかもよく分からない。
治の姪・優子が愛を知らないというのは単純に恋愛未経験のことを
言っているのか愛のない家庭で育ったことなのか?対人関係で何か
心を閉ざしたくなるような経験をしたのか?
そんな感じで脚本の段階で人物の成り立ちが曖昧なままだった。
演者だってこの脚本で具体的にどんな人物として演じたらよいのか
やりにくかったのではないか。
役者さんたちの演技自体は良かった。中でも短い出演場面ながら
しっかり存在感を示した満島ひかりはさすがだと思った。せっかく
良い役者さんがそろったのだから、人物像の掘り下げがもう少し
あれば映画の印象も変わっていたと思う。
結局あの夏の出会いと別れで登場人物それぞれは何を感じ、その後の
人生にどんな影響があったのか?もう少し具体的に見たかった。
”不器用ながらも懸命に父親代わりを務める治”って、父親らしいこと
何かしたっけ?ヤリモクの男が家にいたのを追い出すところかな?
治と優子に疑似親子的な感情は芽生えたか?その他諸々、行間を読む
とか想像で補う系なのかもしれないが鈍い自分には分からなかった。
あまり自分の感情を揺さぶられない映画だった。その中で一番良かった
のが終盤近く、断水の後久しぶりに大雨が降ってありったけの鍋に
水を溜めた後の場面。飲めるかな?と飲んでみたら意外に美味しい。
そこからの”室内水掛け祭り”が楽しそうで見ているこちらも楽しい
気分になった。吹っ切れて心機一転できたのならあれは良かった。
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恥ずかしながら松たか子が出ているのに松嶋菜々子と混同してた。😳
長崎の夏は暑いけん。それは昔から変わらんと。
時代や街は目まぐるしく変わってゆくけど自分の中にある想いは変わらないでありたいと。
まるで氷河のように時間がかかるけど少しずつ少しずつ動いて流れていたのに、まるで気候変動のようになり氷もいっきに溶け崩壊してしまった。
色々あり目が覚めたら夏の日差しが相変わらずキツかったのに気付いた。
時間は平等に流れているのに個人差があるからお互いの事を理解するのがなかなか上手くいかないよね。
別に裏切ったり捨てたりした訳じゃないけどミスマッチが余計な感情を生み出してしまうんだよね。
劇中にピカッと光ったら何もかも消えてしまった。私も消えたい。みたいに表現したけど。やはり……いかがなものか。
まともに学校も行かせてもらえないし愛もよくわからない環境で育ったとはいえ。
それなのに伯父さんの痛みは理解してあっさり寄り添うように見えたのがちょい安易かな。うん。
もう少し丁寧に、長崎の坂道を映したように丁寧に描いて欲しかったな。
でないと観た側からすると色々ちょっと乱暴に観えちゃう気がするね。
でも………でも良かったです。キャラクターの持ち味に長崎の夏。
低温火傷したような気分
夏の砂の上、
足の裏からジリジリくる熱いのか気持ち良いのか、よくわからない感じ。
画質?空気の色??
登場人物たちの肌感
(長崎の人たちの焼けた感じと、東京の客人の色白さの対比を含む)など、
とても良く作り込まれていて、
長崎ではないけれど、地方出身者の身としては、
違和感なくこの土地にスルッと入っていけました。
そんな地方都市で、幼い息子を不慮の事故で亡くし、仕事も失い、
妻とも距離ができ、流されるままに息だけして生きている男
不摂生さも役作りなのか、オダギリジョーさん、まんま治だったなぁ⋯。
そんな男をすでに過去の夫としか見ていない妻 恵子、
松さんも、ナチュラルすぎて、出身こちらの人だったっけ?と錯覚するぐらいでした。
治を見る表情とかもリアルでねぇ⋯芯の強い感じが良く出ておりました。
そして、突然同居することになった姪の優子。
愛を知らないのか、それとも愛をあきらめたのか、
熱いのか冷たいのか解らない17歳の雰囲気を
高石さんが存在感ありありで演じられていて、とても魅力的でした。
そんな治と優子のひと夏の同居によって、
相互作用が働いて、ふたりが少しだけ成長する物語を覗き見させて貰いました。
とても丁寧に創られた作品で、こういう日本の地方都市の映画好みです。
雨のシーン、
サヨナラの麦わら帽子のシーン、
笑顔のふたり、素敵でした。
長崎にて‼️
幼い息子を亡くし、妻とは別居、しかもその妻は同僚と浮気、職場である造船所は閉鎖、無職状態のオダギリジョー。おまけに妹から姪っ子を押しつけられ、二人の奇妙な共同生活が始まる・・・‼️猛暑の長崎を舞台に、登場人物たちの感情がぶつかり合い、待望のどしゃ降りの雨がそれを洗い流して、新たに迎える出発の日‼️出演者の皆さんの適材適所な好演で描くひと夏の様々な人間模様ですね‼️中でも松たか子さんの疲れっぷりがスゴい‼️
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