夏の砂の上のレビュー・感想・評価
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渇くことの厳しさと潤うことの大切さ
不思議な作品です。
生きることに疲れた男と、その家に預けられた姪の話。
二人とも、とことん不器用で生きるのが下手なんだが、絶望まではしていない。お互いに接点を持たないように生きていながら、共に暮らしていることで絆が生まれていきます。
渇水の長崎を舞台に二人の先の見えない生活が続きます。渇いた街の渇いた生活。
二人が少し前向きになったとき、ついに長崎に雨が降り、二人の微かな絆が確かなものになります。
男はいくつかのものを失い、姪は新たな街に旅立ち、二人の短い共同生活は終わりますが、それは二人のこれからをしっかり支えるものとなっていくでしょう。
何かが明確に起こるわけではなく、わかりやすい説明もない。それでいて見たことで心にしっかりと残る作品でした。
砂の上に成り立っている人生
原作は全く知りませんが、文学的な物語で、ひょっとして名作なのでは思いました。
簡単に言えば、主人公の治は優子(姪かな?)を預かっている間、踏んだり蹴ったりの人生を送ることになりますが、ラストに優子は自らのお金で買った帽子を治に贈ります。この場面が非常に胸に沁みます。
治の家は、坂道に建てられていて、地震等が来たら脆く崩れるのではないかと思います。砂の上にある物は、土台がしっかりしていないため、何でも脆く崩れてしまいますが、わずかな希望でも持てば、原爆投下の長崎が復興したように幸せな道が開けるのではないかと感じる映画でした。
ミニマリズム文学? よくできた短篇小説のような潔さが光る佳作 でも時代感覚にはズレ
映画を観ている最中に私が30年ほど前に読み漁っていたレイモンド•カーヴァーの短篇小説群のことを思い出しました。その頃の私はこの映画の主人公 小浦治(演: オダギリ•ジョー)ほど酷くはないにしろ、公私ともドツボはまりの状態にありまして、当時の気分にぴったりだったカーヴァーの短篇を次から次へと読んでいたという次第です。
レイモンド•カーヴァーは1970-80年代に活躍したアメリカの短篇作家で1988年に50歳の若さで亡くなっています。日本には村上春樹が翻訳して紹介されました。アメリカの「立派ではない」人々の人生の断片を切り取って淡々と描写した短篇を得意としていました。彼の短篇にはこの映画の主人公の小浦治のようなドツボにハマってる人物もたびたび登場します。彼はミニマリズム文学の代表的な作家とされています。簡潔で直接的な表現で登場人物の日常生活や内面を淡々と描写しました。
この映画は戯曲が原作ということもあり、なんだかミニマリズムっぽい感じです。ちょっと閉塞感のある地方都市•長崎での、主人公とその周辺にいる人たちのある夏の日々が現在形で淡々と描かれてゆきます。
主人公の治はかなり酷いドツボはまりの状態にあります。息子を亡くし、職を失うというダブルパンチのあとに、妻の恵子(演: 松たか子)に逃げられて塞ぎ込んでいたら、妹の阿佐子(演: 満島ひかり)がやってきて彼女の娘の優子(演: 髙石あかり)をしばらく預かってくれないかと押し付けられる始末です。阿佐子と優子の年齢差からいって、阿佐子はいわゆる「ヤンママ」(「ヤン」は「ヤング」のヤンとも「ヤンキー」のヤンとも言われておりました。昭和末期の頃の流行語)のなれの果てといった感じで、男癖があまりよくない雰囲気も漂っております。私はここで治にとっては姪にあたる少女の名前「優子」に軽い違和感を覚えました。ヤンママの娘の名前が優子ってけっこう古風だな、と。あ、そうか、’80年代の始め頃にヤンママが生んだ娘なら優子って名前はありだよな、ということで、’90年代後半頃のお話かな……
実はこの映画の原作は1998年初演の戯曲です。ということで、90年代後半頃を舞台にしているらしいことは納得できます。登場人物の女性たちの名前が「…子」ばかりであることも、バブル経済崩壊後で造船業が不況に陥ったことも。ところが、映画のほうではスマートフォンが出てきたりして現在の長崎を舞台にしている模様です。なんだか30年前の物語をムリやり現在に移植した感があってそこだけが少し残念でした。
でも、私はこの映画の表現スタイルはけっこう好きです。今そこにある現在だけが頭から順に淡々と現在形で描写されてゆきます。説明的な回想シーンとか入りませんし、時間軸を弄ったりもしません。時折り優子の視点が入りますが、基本的に治の視点で余計な説明抜きで簡潔に直接的に表現されてゆきます。
あるドツボはまりの状況下にいる中年男のもとに、運命に弄ばれ漂流している感のある彼の姪がやってきて少しの間だけ時間を共有するーー両者にとってたぶん忘れることはないであろう、長崎でのあの夏の日々…… 人生の断片をスパッと切り取って余計な装飾を施さず、簡潔に描くーーそこによくできた短篇小説のような潔さを感じました。
長崎の街並みが美しい
雨が降らず乾き切った長崎の街を舞台にそれぞれの男女の人間模様を描いたヒューマンドラマ。主演と共同プロデューサーを兼ねたオダギリジョーと絶賛売り出し中の高石あかりの共演が見どころで雨のシーンが非常に印象的でした。長崎の街並みを映した景色も非常に美しく見栄えのする映像です。
2025-104
オダジョーさん、大丈夫か?
とても良かったです。
あれ程の短期間に、あのような出来事が立て続けに起こって、これからどうやって前向きに生きて行くか、オダジョーさん、本当に大変だと思いました。
鑑賞動機は松田さんの原作だからです。古い話ですが、黒木和雄監督との作品は大好きです。今作ももし黒木監督が生きていたらどんな演出をするのだろうかと、最初は考えながら観ていたのですが、直に玉田監督の演出に引き込まれました。
坂の演出が素晴らしいですね。室内シーンもロケでしか出せない生活感が漲っていました。
キャストはもちろんオダジョーさん、あの飄々とした佇まい、寂しそうで、無気力に見えて、でも優しくて、雨水のシーンの楽しそうな顔。やっぱり主演俳優はこうじゃなくちゃと言った感じです。
髙石あかりさんは、例のアクション映画は最初の1本でつまらなくてギブアップしたので主演級で観たのは初めてでした。なんか、危なっかしい演技が絶妙でしたね。おいおいおいおい、高校生がいいのかよ!? って何回も思いました。最後、「残れよ!」と感じたわたしはハッピーエンド支持者です。
松たか子さんは南果歩さんかと思いました。なぜあの佇まいだったんでしょうか。満島さんの作品は久々に観ました。篠原さん、とても良かった。最近は、欠かせない女優ですね。
演出では、「暑さ」を余り感じなかったのがどうかなぁと思いました。歩く、食べる、働く、喧嘩する、Hする(途中までですけど)、どのシーンも汗を感じませんでした(と言うか、汗かいてない。クーラーない設定でしたが)。意識的なんでしょうか。
いやー、でも長崎の街は魅力的ですけど住むのは大変そうですね。断水は日常的なんですか。旅行で行くなら寒い時期にします。
まとめれば、もう一度見たくなる素晴らしい作品でした。
もう少し掘り下げてほしかった *7月12日追記あり*
***注***本編以外に「美晴に傘を」のネタバレを含みます
そう言えば設定がとても似ている映画を思い出してしまった。
「美晴に傘を」(2025年製作)と共通点が多い。
・息子を亡くした主人公は海がある街で一人暮らしをしている
・夏のある日。その日は息子が亡くなってからの節目の日だった
・疎遠だった親族(シングルマザー)が、アポなしで、しかも
居候することを前提に娘を連れてくる
・娘は若干人と違うところがある
・主人公は渋々居候を受け入れる
・連れて来た娘と地元の人々とのひと夏の交流
・地元で度々行われる居酒屋での飲み会
・この夏の出来事を通して登場人物それぞれに少しずつ変化が訪れる
本編の元となった戯曲「夏の砂の上」は1998年に舞台化され
何度か上演されたようだが「美晴に傘を」との関連性は分からない。
「夏の砂の上」の脚本・監督、そして「美晴に傘を」の脚本・監督も
自身の劇団を主宰している人という共通点がある。
勝手な想像だが業界内でテンプレート(ひな形)を共有しあって
それぞれが自分なりに加筆して映画化しているのかな?知らんけど。
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以下、7月10日に投稿済み
合うか合わないかで言ったら合わない方だった。残念。
予告編を見た限りでは何かしら心に残るものがありそうだったし
出演者に髙石あかりの名前があったので鑑賞。
オダギリジョー・松たか子・満島ひかりといった主役級の役者さん
たちも出演しているので期待した。でも自分に響く内容ではなかった。
”愛を失った男、愛を見限った女、愛を知らない少女”という触れ込み
だったがそこに至る経緯・心の変化が映画の中で語られていないので
登場人物に共感しにくい。
主人公の小浦治は幼い息子を亡くした喪失感から妻・恵子と別居。なら
どれほど息子を可愛がっていたかが描かれていても良さそうなものだが
その肝心な部分は回想としても出てこない。
息子が事故死した直接の原因が彼にあるのなら自責の念が強くあると
いうことで納得もするが(自分の見落としでなければ)その詳細は
描かれていない。
タクシー会社に再就職した元同僚も事故死!それにしても今年何本
事故死を扱った邦画を観ただろう?もう数えるのも面倒くさい。
妻・恵子はどの時点で夫を見限ったのか、なぜ別の男の元へ行こうと
したのかもよく分からない。
治の姪・優子が愛を知らないというのは単純に恋愛未経験のことを
言っているのか愛のない家庭で育ったことなのか?対人関係で何か
心を閉ざしたくなるような経験をしたのか?
そんな感じで脚本の段階で人物の成り立ちが曖昧なままだった。
演者だってこの脚本で具体的にどんな人物として演じたらよいのか
やりにくかったのではないか。
役者さんたちの演技自体は良かった。中でも短い出演場面ながら
しっかり存在感を示した満島ひかりはさすがだと思った。せっかく
良い役者さんがそろったのだから、人物像の掘り下げがもう少し
あれば映画の印象も変わっていたと思う。
結局あの夏の出会いと別れで登場人物それぞれは何を感じ、その後の
人生にどんな影響があったのか?もう少し具体的に見たかった。
”不器用ながらも懸命に父親代わりを務める治”って、父親らしいこと
何かしたっけ?ヤリモクの男が家にいたのを追い出すところかな?
治と優子に疑似親子的な感情は芽生えたか?その他諸々、行間を読む
とか想像で補う系なのかもしれないが鈍い自分には分からなかった。
あまり自分の感情を揺さぶられない映画だった。その中で一番良かった
のが終盤近く、断水の後久しぶりに大雨が降ってありったけの鍋に
水を溜めた後の場面。飲めるかな?と飲んでみたら意外に美味しい。
そこからの”室内水掛け祭り”が楽しそうで見ているこちらも楽しい
気分になった。吹っ切れて心機一転できたのならあれは良かった。
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恥ずかしながら松たか子が出ているのに松嶋菜々子と混同してた。😳
長崎の夏は暑いけん。それは昔から変わらんと。
時代や街は目まぐるしく変わってゆくけど自分の中にある想いは変わらないでありたいと。
まるで氷河のように時間がかかるけど少しずつ少しずつ動いて流れていたのに、まるで気候変動のようになり氷もいっきに溶け崩壊してしまった。
色々あり目が覚めたら夏の日差しが相変わらずキツかったのに気付いた。
時間は平等に流れているのに個人差があるからお互いの事を理解するのがなかなか上手くいかないよね。
別に裏切ったり捨てたりした訳じゃないけどミスマッチが余計な感情を生み出してしまうんだよね。
劇中にピカッと光ったら何もかも消えてしまった。私も消えたい。みたいに表現したけど。やはり……いかがなものか。
まともに学校も行かせてもらえないし愛もよくわからない環境で育ったとはいえ。
それなのに伯父さんの痛みは理解してあっさり寄り添うように見えたのがちょい安易かな。うん。
もう少し丁寧に、長崎の坂道を映したように丁寧に描いて欲しかったな。
でないと観た側からすると色々ちょっと乱暴に観えちゃう気がするね。
でも………でも良かったです。キャラクターの持ち味に長崎の夏。
「この映画を観ていていいのかな」何故か感じた焦り
カンカン照りの真夏の長崎を舞台に、心に様々な痛みや後ろめたさ、だらしなさを抱えた男女が交差するお話です。
一言で言えば「人のグズグズを描いた映画」なのですが、非常に丁寧に撮られていたと思います。俳優さんもそれぞれの思いの表現が細やかでした。人の心のそんなどうしようも無さを描くのは映画の大切な仕事の一部だし、僕はそんな作品が好物でもあります。でも、何故なのでしょう。
本作を観ながら、「国全体が大きく転がり落ちようとしている今、こんなにも狭い世界を撮る必要があったのかな」「それを観ていていいのかな」の疑問が拭い去れず、妙な焦りを感じてしまったのです。
「いや、そんな時代だからこそ個の心を見つめる作品が必要なのだ」
と制作者は考えられたのかも知れません。また、「今、こんなチマチマした映画を作って」という声は、ひっくり返せば「こんな時局にこんな不健全な映画を撮るなんて」という戦前の映画ファシズムの時代に繋がり兼ねないので注意が必要です。
一体、この作品の何がそう思わせたのでしょう。僕の個人的な心理状態を反映しただけなのかな。疲れているのかしら。
低温火傷したような気分
夏の砂の上、
足の裏からジリジリくる熱いのか気持ち良いのか、よくわからない感じ。
画質?空気の色??
登場人物たちの肌感
(長崎の人たちの焼けた感じと、東京の客人の色白さの対比を含む)など、
とても良く作り込まれていて、
長崎ではないけれど、地方出身者の身としては、
違和感なくこの土地にスルッと入っていけました。
そんな地方都市で、幼い息子を不慮の事故で亡くし、仕事も失い、
妻とも距離ができ、流されるままに息だけして生きている男
不摂生さも役作りなのか、オダギリジョーさん、まんま治だったなぁ⋯。
そんな男をすでに過去の夫としか見ていない妻 恵子、
松さんも、ナチュラルすぎて、出身こちらの人だったっけ?と錯覚するぐらいでした。
治を見る表情とかもリアルでねぇ⋯芯の強い感じが良く出ておりました。
そして、突然同居することになった姪の優子。
愛を知らないのか、それとも愛をあきらめたのか、
熱いのか冷たいのか解らない17歳の雰囲気を
高石さんが存在感ありありで演じられていて、とても魅力的でした。
そんな治と優子のひと夏の同居によって、
相互作用が働いて、ふたりが少しだけ成長する物語を覗き見させて貰いました。
とても丁寧に創られた作品で、こういう日本の地方都市の映画好みです。
雨のシーン、
サヨナラの麦わら帽子のシーン、
笑顔のふたり、素敵でした。
坂道を登って降りて、登って降りて……ふぅ。
どのように鑑賞すべきか迷ってしまう…。
酷暑続きで、家にいても暑すぎるので涼みに映画館に足を運んだ。
特にこの映画に思いれがあったわけではないが、心に刺さった作品。
どのように感想を表現しようかと迷ったすえに、映画・COMの解説を読んでしまう。
愛を失った男、愛を見限った女、愛を知らない少女…
なるほど、そのように鑑賞すればよかったのかと感じ入った。
男の身の上に降りかかる不幸の連鎖。5歳の息子を不注意から亡くし、誇りをもっていた職場は閉鎖、妻には見限られ、同僚の男に寝取られる。前職の親しい先輩の死。寝取られた同僚の妻からの罵詈雑言。新しい職場では、事故で指を三本も失ってしまう。そのうえ、やんちゃな妹の娘(姪っ子)を預かることになる。たんたんと描かれるけど、どれも精神に相当な負担がかかる出来事ばかり。自分ならどうだろうと思ってしまうが、オダギリジョーの演ずる小浦治は…。ほんとに人がいい。
100分あまりの映画では描き切れない部分は、鑑賞者の感性で補うしかないから、ぼさっと見ているわけにはいかず、小説なら、もっと、姪っ子優子と治の交流も書き込んでくれてわかりやすかったのだろうと思う。
松たか子の中年女性の疲れっぷりの演技は秀逸すぎて、一瞬だれだかわからない程。愛を見限った女に対する、愛を知らない少女の心の動きもとても興味深い。
少女が言う。こんな街をでてどこかへ行こう…。治の我慢し続けて来た感情の爆発。そこへ酷暑で雨が降らない長崎に、雨が降り、爆発した心情が鎮められ、きれいに流され、また新しい明日が始まる。新しい世界が開ける。
禍福は糾える縄の如し。他人がとやかく言うことではないし、自分にしかわからない世界、幸福があってもいいのである。
オダギリジョーがお子さんを亡くされていたことを後から知った。
長崎にて‼️
幼い息子を亡くし、妻とは別居、しかもその妻は同僚と浮気、職場である造船所は閉鎖、無職状態のオダギリジョー。おまけに妹から姪っ子を押しつけられ、二人の奇妙な共同生活が始まる・・・‼️猛暑の長崎を舞台に、登場人物たちの感情がぶつかり合い、待望のどしゃ降りの雨がそれを洗い流して、新たに迎える出発の日‼️出演者の皆さんの適材適所な好演で描くひと夏の様々な人間模様ですね‼️中でも松たか子さんの疲れっぷりがスゴい‼️
長崎は今日も雨だった
わずかな心情の変化。そこから生まれる行動の変化。彼らの暮らしをやさしく見守っていたい。
舞台劇らしいが、とても映画的な映画
舞台劇らしいが、とても映画的な映画。映像がいい。
ひと夏の暑い記憶に残る夏…。
緩やかなストーリーはあるけれど、それほどドラマチックでなく、内面の痛みをそれぞれが抱えながら、ひと夏を過ごす。ほぼ日常のような日々を淡々と描く。
それが案外心地よくて、ず〜っと見ていられる。
話がないような書き方をしたが、大まかなストーリーはある。
子供を亡くして妻と別居状態の主人公(オダギリジョー)は、溶接工として勤めていた造船所が閉鎖されて無職状態で日々ぶらぶらしている。そこに、博多に住む妹(満島ひかり)が姪っ子(高石あかり)を連れてやってくる。ひと夏預かってくれと。この二人を中心に、様々なさざなみのような出来事が起こり、ラストは、また姪(高石あかり)は妹(満島ひかり)に連れられて帰ってゆく。
始まりはどちらも苛立ちや、空洞感があったのが、人間らしく前向きに生きていけそうな力がそれぞれが湧き立ち、お互い次の日常へと向かう。
ちょっとソフィア・コッポラの「ロスト・イン・トランスレーション」を思い出す。ラストの二人の抱擁が。とても暖かい気持ちになる。
なんとも表現が難しいけれど、とても充実した映画体験をさせてもらった。
なんだろう、この普通さ、と穏やかさ、というか面白さ。
撮り方も、引きの画で、複数人の登場人物が自然体で演技をする。それを長回しで撮っている。それがけっこう見ながら楽しい。長崎の風景(ダラダラ坂や路面電車や造船所など)がこの雰囲気とマッチしている。
ダメ男をやらせたら右に出るものがいないぐらいハマるオダギリージョーで、いつもは、脇役でダメ男だが、今回はダメ男で主役。ちょっとしたことで精神的に行き詰まる。これが面白い。
かたや高石あかりは、柔らかい魅力とつかみどころのない雰囲気が楽しい。ちょっと色気はあるけど、いやらしさがない、高橋文哉との絡みも「おままごと」のようで、いやらしさがない。それでなんとも癒し力がある。
今回、松たか子は、異質な嫌な妻役だったけれどきっちり仕事をしている。「嫌な奴」感がよく出ていた。
相変わらず光石研はうまいし、今回、松たか子の相手役の森山直太朗は意外といい。いい土下座姿だった。満島ひかりもちょい役ながらいい味を出している。
と、うまく説明できないけれど、とてもいい映画でした。
延々と続く違和感の連鎖はどこへ向かう?
一つひとつのセリフや仕草が、役者のチカラで"絵"にはなっている。何らかの"雰囲気"はある
しかし、それらの間に脈絡は乏しく、その人物はなぜそう動き、そんな顔をして、そんな事を口走るのか、きわめて不自然で、シーンとしてはほぼ意味不明。というか、作り手にそれを分かりやすく説明する気がハナから全然ないことだけは途中からはっきり認識できました
そんな違和感の連続が延々とひたすら続く映画。いや、本当に映画なのかも定かでない感じがしてくる
ほぼ全ての人物が、日常の中で逃げ場のない抑圧の中にいることだけが共通点。そして、進んで感情移入したくなるような"好人物"はひとりも登場せず、ワクワクするようなシーンや状況も全く描かれない
途中から、これは何かの"実験"なのか?という気がしてきました
エンドロールで原作が戯曲であることはわかりました。舞台なら成立するのかな?コレ
主役のオダギリジョーさんが製作側にも名を連ねていることもわかりました。ということは、彼はこの役をはじめから納得ずくで演じている???
人間は理解できないモノを無意識に否定し、遠ざけようとする生き物です。娯楽である映画鑑賞に於いては、そうする自由はありますよね
というわけで、私はこの映画が好きではありません
淡々と描くこれからも続く人生
なんでもない誰にでも起こる人生での出来事。観ている時は単調に感じましたが鑑賞後長崎の風景やセリフなどを思い出します。
高石あかりさん奮闘。松たか子さん貫禄あり。光石研さんの九州弁が一番自然に見えました。オダギリジョーさんは演技が物足りなかったかな…
どうかこれから少しでもいい人生でありますようにとオダギリジョーさんの後ろ姿見て思いました。
高石あかりの予習と復習
松たか子、満島ひかり、オダギリジョー…
好きな役者の揃い踏み。
しかも先日見て大興奮した「たべっ子どうぶつ The MOVIE」でペガサスちゃんの
声優、来シーズンの朝ドラの主役を演じる高石あかりが出るってことで
とても期待して見に行きました
若い頃の宮﨑あおいに見えるときがある
この作品では あまり魅力がわからなかった
ちょっと前のミニシアター系のどんよりした
ストーリー展開で、少し古さを感じたけど
丁寧に作られていてこれはこれで良し~って感じ。
「少年と犬」の高橋文哉の演技パターンは
そのまま。
森山直太朗に似た役者に目を引かれた。
似てるなぁ~と思ったら本人だった
オダギリジョーのノープレスのリネンのシャツの着こなし!!
スタイリスト名 チェックしておこうと思う。
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