「渇水の長崎に降る雨……」夏の砂の上 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
渇水の長崎に降る雨……
いい映画を見た、ジワーっと沁みる、そして余韻にひたる。
それはリアリティに裏付けされているから、だと思う。
幼い子供を亡くした夫婦がいる。
決して珍しいことではない。
治(オダギリジョー)と惠子(松たか子)は5歳の息子を、
大雨の日に水の事故で亡くした。
戸外に出たのを知らなかった。
側溝に落ちて急流に流されたのだ。
あの時、妻が目を離さなければ、
あの日、夫が、家で遊んでやってれば、
などと相手を責めたり、
お互いに顔を見ると亡くした息子の辛い思い出が蘇る、
後悔がつのる。
松田正隆の同名戯曲を、劇作家でもある玉田真也が監督。
映画は長崎市が舞台で、
坂が多くて、治の家もかなり高台にある。
坂の登り下りが頻繁に出てくるし、
家の窓からは治の勤めていた造船所の鉄塔やドックが無造作に残る港が
一望にできる。
息子を亡くした失意と溶接工の仕事の誇りもあり、
半ば自暴自棄になった夫を、見捨てて妻は家を出ている。
久しぶりに荷物を取りに戻った惠子は、
水もあげておらず、埃だらけの仏壇を見て治を責める。
“位牌を持ち帰る“という惠子、
”持たせないたくない“治、
顔を合わせば、「なんばしに来た」と怒鳴る治。
そんな恵子も、息子の好物を持参した様子はない。
恵子の様子はどこか荒んで渇水のように枯れている。
(長崎は日照り続きで、断水して、放水車が回っている)
暑い、暑い、汗が吹き出す。
喪失感から心が干からびた惠子は、
妻ある造船所の治の同僚だった男、
陣野(森山直太郎)と道ならぬ関係になり、
陣野の妻は治を激しく罵倒する。
長崎言葉の怒鳴り声は、内容がよく聞き取れないが、
自分が考え事をして、自転車事故を起こした・・・
それも治がしっかり恵子をつなぎとめずにいるから・・・
と、責める陣野の妻はかなりの打撲の怪我をを負っている。
前後して、治の妹の阿佐子が、17歳の娘の優子(高石あかり)を
無理やり家に預けにくる。
断りきれずに押し切られる治。
この優子もまた水商売で男から男へ渡り歩いている様子だ。
高校も行かずに、預けにくる途中にスーパーのアルバイトを
勝手に決めてしまう母の阿佐子。
身勝手で幼稚な姿が浮かぶ。
(満島ひかりが、17歳の子持ちを演じるのにも驚く)
この映画の一番の収穫は高石あかりだと思います。
「ベイビーわるきゅーれ」シリーズ以来、売れっ子で
オファーが絶えない・・・タイプは違うが河合優実なみの実力
と、今作で実感した。
底知れぬ何かを秘めている。
自堕落な面、
あどけない童女の顔と天性の魔性、
幾つもの顔を演じ分けるが、
蒼い沼のような寂しさが漂う姿は演技という言葉では言いあらわせない。
スーパーの先輩・立山(高橋文哉)との濡場も演じる。
優子は掴みどころがなくて、ふいにプイといなくなる猫のようだ。
治には心を許したらしく、
美しいシーンが3つある。
一つは、治に離婚届の印鑑を押させて、坂の階段下に待たせた立山と
連れ立って降りていく恵子に、声をかけるシーン。
二つ目は、日照りの空から、バケツをひっくり返すような、雨が
ようやく降って、
喜び、はしゃぐシーン。
三つ目は、長崎から今度はカナダへ行くと言う
「うまい話」で阿佐子が迎えにくる。
「叔父さんは私が守る」と啖呵を切ったのに、
身勝手な母親に簡単に母親に連れられてタクシーで去っていく。
なんとも切ないシーンなのに、
心は治の元に居たいはずなのに・・・
流れていく、流されていく、
(治に被っていた麦わら帽子を被せるシーン、
(17歳の娘の人生経験が・・・乗り越えてきた日々が
(伝わる…………名シーン、
☆優子はもしかして、難聴なのでは……
呼びかけられて振り向かないシーンが何度もある。
想像だが、暴力を受けて殴られて・・・
そんな気がする。
☆治は、優子と暮らすようになり、部屋も見違えるほどに片付く。
☆☆ハローワークにも出向いて、中華の店の下働き始める。
(ショッキングな出来事も起こる)
いつに無く嫌われ役の松たか子。
この戯曲に惚れ込み共同プロデューサーで主演のオダギリジョー。
舞台は見ていないが、会話劇が生き生きした人間の息吹きが伝われ
良い作品に生まれ変わった気がする。
オダギリジョーの存在が光る。
若い頃から独特な個性が好きだった。
恵の雨に打たれて生き返ったように、人も何度でも仕切り直しして、
晴れた空は清々しかった。
コメントありがとうございます。
日本映画を観ていると、「説明過多病」とか「起承転結病」とか「感動煽り病」とかの症状を持つ映画に出くわすことがあるのですが、これはそんな症状とはまったく無縁のいい映画でした