劇場公開日 2025年9月5日

「娘・母・祖母ーー三世代の女性から見えてくる自由とジェンダーの試行錯誤」DREAMS ノンタさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 娘・母・祖母ーー三世代の女性から見えてくる自由とジェンダーの試行錯誤

2025年9月10日
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鑑賞方法:映画館

3部作の2「LOVE」、1「SEX」と続けて鑑賞して、両作とも刺激的で面白かった。一番受賞歴的に評価の高い3「DREAM」も観なければと思って映画.comを見たら、明日までの予定しか掲載されていなかったので今日慌てて観に行ったのだけれど、明日までではなく、上映時間が変わるだけのようだ。平日で空いていたけれど、本作も面白く刺激的でした。

全2作が、長い対話をつなぐ形で進行していったのに比較して、本作は主人公の17歳の女子高生のモノローグを主に前半は進行していく。後半から、前2作同様の対話の面白さが加わっていく。前の2作では、民主主義の成熟度、自由度などで世界1位だというノルウェー市民が、多様性と自由を大事にしつつ合意形成する対話力を見せつけるようなもので、日本人がここまでしんどい対話ができるかな、僕には無理だなと思いつつ、とても刺激を受けるものだった。

本作では、主人公とその母、祖母の3世代の対比で、それぞれの世代が獲得してきたジェンダー感や自由主義的価値観のズレが描かれて、民主主義の成熟というのが、この3世代の努力と試行錯誤によって獲得されたものだというものが見えてくる。
言葉の使い方が正しいかどうか自信がないのだけれど、詩人である祖母はウーマンリブの闘志のようでもあり、女性の権利を勝ち取ってきたという自負を持っている。母親は、その獲得した自由を自己表現に変えて、自分らしさを追求してきた世代のようだ。
この二人が、母親が10歳の時に祖母と2人で観に行ったという映画「フラッシュダンス」をめぐって言い合いをする場面が面白かった。僕の高校時代に大ヒットして、サントラの最後のマイケル・センベロ「マニアック」はこんなかっこいい曲があるのかと興奮した映画だ(ただ映画はいまだに未見。ただ当時、映画雑誌で写真とストーリーが紹介されていて、観た気になっている)。
祖母からすると、私たちが獲得した女性の権利や自由を、母親たちの世代がダメにしてしまった。母からすると、主演のジェニファー・ビールスがダンスで自分を自由に表現する姿が眩しかっただけなのに…というようなやりとりである。ここにもその世代による自由やジェンダー感の違いが見えてくる。
そして、映画の主人公である17歳の少女ヨハンネは、人として魅力があるかどうかだけなんじゃないというような性別など超越した視点を獲得している感じである。最初は母親や祖母から心配される主人公に、徐々に母と祖母が嫉妬を感じているところも面白い。私もヨハンネのように生きたかった、でももう歳をとってしまった…と後悔していく。

ハウゲルード監督の3作を観ていると、男女の恋愛が何か古くさく、固定観念に縛られた不自由なものに感じるくらいで、自由度世界一の国はこういう感じなのか、成熟した民主主義世界とはこうなのかと、ため息と共に感心させられてしまう。物語はフィクションなのだが、おそらく監督の作風から、現実世界の価値観をリアルに取り込んで、巧みに脚本・構成に持ち込んでいるはずだと思う。
同時に、理性と合理性で理想を求めて作り上げてきた価値観だけに、まだまだ未消化な部分があって、それぞれが手探りで自分の価値観を形成している様子も見えてくる。
本作だと、主人公の母親が、娘と女性教師との付き合い知って、最初は教師の虐待ではないかと疑い、その後にその考えを正反対に変えるところなど、何が個人の自由の尊重で何がハラスメントなのか、判断軸を持つことの難しさがある。母親と教師との対話の場面では、教師の口から、少女の側にハラスメント的な面があったのではないかというようなことも語られて、多様性と個人の自由の尊重の中で、人と人とがつながることの難しさも見えてくる感じがした。

また、この3作には共通して同じ精神分析医のビョルンが登場する。自由と個性が尊重すれば、価値観や判断軸も一人一人が自分の責任で作るものとなり、同時に他者の自由も尊重するわけだから、精神的にしんどいものだということも示唆しているように感じた。

今、世界は保守的価値観からの見直しというような動きが出ているけれど、それでもそれは個人の自由と尊厳の尊重というリベラリズムを共有した上での動きなわけで、この3作品で描かれたノルウェーの成熟した民主主義の国で生きるということは、日本の未来像でもあるのだと思う。
成熟した民主主義を生きるとは何か、そのリアルを垣間見せてくれる刺激的で学びが多い、そして同時に楽しい三部作だった

nonta