「メキシコとの間に文字通り壁を立てるトランプ政権下に製作された意味がある、綺麗事じゃない移民の夢と現実」ドリームズ とぽとぽさんの映画レビュー(感想・評価)
メキシコとの間に文字通り壁を立てるトランプ政権下に製作された意味がある、綺麗事じゃない移民の夢と現実
鬼才ミシェル・フランコ ✕ ブランド物に身を包んだチャステイン姐さん =『あの歌を憶えている』コンビの2作目は、年上金持ち美女のパトロンに愛される苦学生の図式でわけのわからない甘いロマンスから始まり、予想打にしない容赦ない展開へと雪崩込んでいく。
「財団」という何しているのかよく分からない金持ちの道楽で"寛大に"夢を見させて、それをいとも容易く奪っては、人生を狂わせブチ壊せるだけの力が彼らにはある。そして、当人には悪気などなく、面倒は見切らない責任放棄。これもまたある意味での「暴力」ではなかろうか?行くところまで行ったその先に待っているのは報復しかなく、暴力の連鎖しかないというのに…。
(STOP標識が象徴するように)お金は出すけど自国には歓迎しない、自分たちが嫌がるような仕事をしてもらっていても仕事を取られたと愚痴を言う。主人公が突然欲望に満ちた妄想をするシーンで甘酸っぱい柑橘系の果物=よだれが出るミカンを食べていたのが、その後の「吸う」といった言葉と呼応するような"パブロフの犬"的条件反射を彷彿とさせた。玩具のよう。無論その後のフェルナンドの行いは決して許されないので、観ている側としては怒りと嫌な気持ちがごった煮の辛く苦しく報われない気持ちになるのだが。
冒頭から説明しない、基本ミドルショットより遠く定点からのロングショットによる長回しが多いミシェル・フランコ節が炸裂していて、観客はそれによって主体的に情報を取ろうと考えさせられるし、もしかすると知らず知らずの内に自身の中に潜む差別意識などとも向き合うことになるかもしれない。監督自ら編集にもクレジットされていて、時折ジャンプカットのような唐突な印象も受ける画のつなぎも健在。
優しく希望が射す形で綺麗にまとまっていた前作『あの歌を〜』の方が好きだったけど、本作も引き込まれた。この監督は、自分の中で好きな作品として真っ先に挙げるようなタイプではないけど、それでも目が離せず心に巣食うようなフィルモグラフィーで問いかけてくる厄介さがある(褒め言葉です)。だから、全く商業的ではないけど、新作がある度に観ずにいられない。
2025年東京国際映画祭3本目
