リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界のレビュー・感想・評価
全124件中、101~120件目を表示
男前なケイトさん
好きな女優さん。
先日ケイト演じる主婦が、大恐慌を経た波瀾万丈な人生を送るドラマを観たばかり。
他にも田舎の刑事役を演じたドラマとか、割と男前な役が適役だと思っている。
本人はどういう役が好きかはともかく。
今回もベビースモーカーで自由奔放な女性の役。
いきなり脱いだり。
とにかく豪快な女性を演じてた。
老けメイクは特に違和感なし。
ただ、回想シーンはちょっとかわいそうだったかな〜。
役作りで減量する役者さんもいるけれど、それは酷というものか。
若い頃から肉付きがよかったという思えばいいかもだけど、加齢によるものとは違うかな、と。
爆弾を避けて走るシーンもかなりキツそうに見えた。
正直無理を言って戦場についてきた割には足手纏いでは?と。
下手するとオジサンにも見えてしまう、バスタブのシーン。
意味が私にはよくわからなかったな。
相方ディヴィッドを呼んで何をするかと。笑
少しだけの割には無防備でやりたい放題。
旦那さん役のスカルスガルドも若い頃を演じるにはやや無理があったか?身体は細いけど。
「アンジーの瞳」の頃くらいの若さだったらなぁ。
モデルとなる写真家については全く知らなかった。
こんな人もいたんだな、と。
もっと知りたくなった。
ケイト・ウィンスレットだからこそ
リー・ミラーという人物を私は知らなかった
この映画を通じて初めて知った
こんな人を知らなかったなんて
ケイト・ウィンスレットが演じるリーの存在感にぐいぐいひきこまれる
低めの声、タバコをふかし、酒をあおり、元モデルなのに体型も気にしてなどいないかのよう
そして、自分の言葉で語る、声を上げる、女が入れなかった世界にどんどん突き進む
そのパワー、生き様にひきこまれずにいられない
映画を観たあと、インタビュー映像やサイトの情報を見て、まさに表現したいものを表現しきっていたことに驚いた
収容所は解放された直後のダッハウだと知った
あの現実を伝えられなかったこと、リー・ミラーにとってどれだけの失望だったことか
映画にもなったアウシュヴィッツレポートの背景を書いたアウシュヴィッツ脱出という本の和訳が最近発刊され読んだばかり
そこでも書かれていたが、この現実の与える衝撃の大きさ、世に伝えることの難しさを改めて思った
撮られるより撮る側を選んだリー・ミラーがなぜバスタブをあの形で写真におさめたのか
知りようもない、けれど、そこに至るまでの彼女の経験してきたことがそうさせたのだろうと思う
映画化に関わっている彼女の息子、この映画の彼の描き方も上手いなあ、とラストで思わされる
ウィンスレットの女優魂とむっちりボディ
ケイト・ウィンスレット主演・製作。
トップモデルから報道写真家へと転身した実在の女性リー・ミラーの半生を映画化した。
1938年、南フランス、アーティスト仲間たちとの休暇、イケメン芸術家(アレクサンダー・スカルスガルド‼︎)とのラブ・アフェア。時代の先端を行くファッショナブルなリーがいた。
第2次世界大戦が始まりすべてが一変。
従軍記者兼写真家として突き動かされるように戦場へ。強い衝動だった。決定的な写真を撮った。20世紀を代表する報道写真家となった。
ヒトラーが自死した当日、ミュンヘンにあるヒトラーのアパートの浴室で自らのポートレイトを撮影した。このシーンが強烈なインパクトを残した。この写真が世界に強烈なインパクトを与えた。
ウィンスレットの女優魂に感動する傑作となった。
ケイト・ウィンスレットさんの演技に圧倒される、骨太の社会派ドラマ
主人公リー・ミラーさんはアメリカ人女性でモデル、その後写真家となり第二次世界大戦中のヨーロッパで従軍記者として命懸けで悲惨な戦場を撮り続けた実在の人物で、2024に話題になった傑作『シビル・ウォー アメリカ 最後の日』(2024)でキルステン・ダンストさんが演じた主人公のモデルになった人としても広く名が知れ渡りました
そんなリーを演じた本作のケイト・ウィンスレットさんがとにかくすばらしい、持ち前の美貌を一切封印しリーの激動の人生を荒々しくエネルギッシュ、そして時にとても繊細でエモーショナルに演じる彼女の圧倒的な演技に惹き込まれ、2時間弱があっと言う間でした
映像もとても格調が高く重厚感があり素晴らしかった
舞台となる第二次世界大戦中のイギリス、フランス、ドイツでの壮絶な戦場が再現され、ハイライトとなるリーがその後PTSDに苦しむ事になるホロコーストの描写は生々しく目を背けたくなる凄惨さ
そしてポスタービジュアルにもなっているヒトラーの自宅の浴室での撮影のくだりなどがとてもリッチな映像で惚れ惚れしました
製作総指揮から主演までを務めたケイト・ウィンスレットさんの渾身の本作はリーの生き様ともオーバーラップし素晴らしい傑作として仕上がっていると思います
そのとき
元モデルの報道カメラマン、リー・ミラーのWW2下の話。
ヒトラーの浴室は知ってはいたものの、リー・ミラーの名前は知らずに観賞。
老齢になったリーが写真について記者に取材を受けて、写真の背景を語る体でみせて行く。
1938年南フランスでローランド・ペンローズと出会ってロンドンに渡り、ヴォーグ誌の従軍記者として1944年にフランスに戻る展開だけれど、女性ということで前線には行かせてもらえず…。
そんな流れから1945年の展開で、ナチス撤退後の元前線の様子はとても重く良かったのだけれど、それを撮っている様子の描き方がマイルドというか、生々しかが足りないというか…あくまでも当時の英国の世情と、そこに生きたリー・ミラーの物語ってことですね。
そういう意味では主人公らしい見せ場はあまり…なんて思っていたら、えっ!そんな話しも!?そしてそこは妄想?
リー・ミラーに思い入れがあったり、詳しい人には良いのかなとは思ったけれど、個人的には妙にヌメッとした終わり方に少々モヤっと。
ある時代を生ききった一人の女性の足跡
「ヒトラーの浴室の写真」という予告編のコピーがよく分からなくて気になりました。
リー・ミラーという写真家を全く知らなかったので興味深く鑑賞しました。
映画は欧州戦争中の取材を中心としており、モデル時代、戦後の活動についてはなにも情報がなかったので鑑賞後にちょっと調べてみましたが
写真家としては目立った活動はされていないようです。
古色あふれるカメラを両手に(あのカメラで構図が決められることに驚きです!)不屈のバイタリティで4年にわたり欧州戦線を駆け回る主人公をケイト・ウィンスレットが熱演。
もともとふくよか気味の方でしたが、更に体格が良くなったなぁなどと邪念を持ちつつ迫真の演技に引き込まれました。
彼女の闘志、友情、挑戦、挫折、衝撃、愛、そして悲しみ…
2時間の映画で見事に描き出されていました。
脇役である雑誌編集長(?)の女性が、私の目にはとても魅力的に映りました。
地味な内容かもしれません。
けれど、ある時代を生ききった一人の女性の足跡を是非スクリーンの上で辿ってみてください。
ケイト・ウィンスレットが煙草を何本燻らすか数えて欲しい
リー・ミラー…WW2下、パリ解放やダッハウ強制収容所、奇しくもヒトラーが愛人と自殺した日の、彼のマンションの浴室写真を撮影した女性戦場カメラマン
アメリカでのファッションモデルから、アメリカ出身芸術家マン・レイの弟子兼愛人となり、(エジプト人実業家と結婚/ここは映画では割愛)、イギリス人ローランド・ペンローズと知り合い(後に結婚)、イギリスへ渡り、英版『VOGUE』のファッションカメラマンとなって、後に戦場で写真を撮り、写真をやめて料理人になって……というこの人ひとりで映画を3〜4本撮れるほどの充実した人生を歩んだ
この映画の製作には8年、脚本も3人担当したらしいが、彼女の人生の前半はバッサリ割愛されて、パリでマン・レイから独立したあたりから
冒頭は戦場シーンから始まり、時は遡って南仏か何処かの避暑地の享楽的なヴァカンスから始まる。ここのエピソードも割愛できそうな気もするが、ここで集っていた華やかな友人たち(マリオン・コティヤール、ノエミ・メルラン)が戦争中どんな目に遭遇したかを表現するためには、必要か
ケイト・ウィンスレットは冒頭から煙草をスパスパふかしまくり、再度見るときは何本吸ったかカウントしたいと思うほど。途中、戦場ではアルコールを手放せなくなる
年老いたリーが、若きジャーナリストからインタビューを受けるシーンが数回挿入されるが、インタビュー中でもストレートであおっている
(ここの老けメイクは、なかなかの出来)
やや薹が立ったモデルという設定の冒頭のシーンから、ウィンスレットの体形がなぁという意見には、やや同意。鈴木亮平さんのようにギリギリまで体形を変化してとまでは言わないが、さすがに緩み過ぎ
おまけに冒頭からやたら脱ぎまくる。まぁ代表作『タイタニック』でバストショット晒しているから、抵抗ないのかな…?
ストーリー構成には無駄がない(敢えて言えば冒頭の戦闘シーンはいらなかったかな)
ファッションカメラマンから、イギリス国内の戦意高揚写真、ゴリ押しして渡欧し、戦場カメラマンとしてアメリカの部隊と共にD-DAY以降のパリ解放に立ち会うことに
女性は差別的扱いをされ、女性兵士・看護師がいるような場所しか立入を許されず、それにいちいち立ち向かう戦闘的で直情型のキャラクターは、ケイト・ウインスレット本人の投影なのか、ハマり役でもある
パリ解放。歓喜に沸く市民はドイツ兵士と通じた女性を晒し者にして気勢を上げる。パリは彼女の知ってる町のようだが、もはや別の町。豪奢を極めた南仏で楽しく過ごした友人のアパルトマンを訪ね、そこでのコティヤールの演技はさすが
途中、放置され鍵をかけられた端が見えないほど長い貨車の中でユダヤ人が多数餓死しているシーンがある。リーはあまりの臭気に近づく前から鼻を覆うほどだが、その横の一軒の家の前で無邪気にボール遊びをしている母子がいる。去年見た『関心領域』の世界がそこにあった
そしてダッハウ強制収容所。死体が材木のように、覆われることもなく山積みになっていて…
練りに練られた脚本なので、パリ解放やホロコーストについて予備知識が無くても鑑賞できるし、最後に全く予見してなかったオチがつき、彼女の勇気ある足跡を辿る映画にうまく結着をつけてくれる
魂を込めた撮影だったと思います
実話をベースにしているので、怪しい演出もありません。落ち着いて、じっくりと映画を観たい方にお勧めです。
当時の詳しい状況はもちろん分かりませんが、女性が戦場に行くことだけではなく、報道カメラマンとはいえ、有力な新聞や報道機関ではなく、彼女がVOGUEという雑誌のカメラマンという立場であったことも、大変だったと思います。
では、なぜ、彼女は戦場、しかももっとも悲惨な状況を撮り、伝えることに固執したのか? 映画は、若いインタビュアーの質問に答える形で始まりますが、彼女はあまり語りません。その理由は、映画の最後に明かされます。
戦争の真っただ中ですので、映画の尺では足りないぐらい、本当に、大変な苦労があったと思います。しかも、彼女が使っていたカメラはローライフレックスの中判カメラ。たぶん、12枚撮る毎に、フィルム交換が必要です。戦場にそれほどたくさんのフィルムを持っていけないことを考えると、1枚1枚、本当に彼女の撮りたいもの、伝えたいものを、魂を込めて撮影していたんだろうなと思います。
【”リー・ミラーがナチスドイツ崩壊後も戦地に留まり、数々の哀しき写真を撮った訳。”今作は派手な交友関係があった彼女が、戦地の悲惨な光景を見て使命感を持ち、哀しき写真を撮り続ける姿が沁みる作品である。】
■1938年フランスのリゾート地。
モデルであったリー・ミラー(ケイト・ウィンスレット)は、芸術家や詩人の知人たち、ソランジュ・ダヤン(マリオン・コティヤール)やヌーシュ・エリュアール(ノエミ・メルラン)らとノンビリと休暇を過ごしている。
そんな時に芸術家のローランド(アレクサンダー・スカルスガルド)と出会い、出会って5時間後には恋に落ち、情を交わす。早いなあ。
だが、第二次世界大戦の脅威が迫る中、モデル業から、写真家としての仕事を得たリーは、アメリカ「LIFE」誌のデイヴィッド・シャーマン(アンディ・サムバーグ)と出会い、チームを組むのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・本作の構成は、老いたリーが若い記者(ジョシュ・オコナー)からの問いに答える形で、過去に彼女が経験した事が描かれて行く。
・序盤は、モデルであったリー・ミラーのリゾート地での優雅な文化人の知人たちとの休暇風景と共に、彼女が芸術家のローランドと恋に落ちる様が描かれる。
・だが、画面が一変するのは第二次世界大戦末期に入ってからである。英国版「VOGUE」にファッション写真を発表していた彼女は、戦場カメラマンとして戦地で女性と言う壁を乗り越え、数々のスクープ写真を撮って行くのである。
女性戦場カメラマンとしては、彼女とマーガレット・バーク=ホワイトが有名であるが、リー・ミラーはそれまでの華やかな世界から戦場写真家に転身した点が、特徴であろう。
又、女性戦場ジャーナリストとしては、ロザムンド・パイクが「プライベート・ウォー」で演じた戦地で左目を失明し眼帯をした姿の、メリー・コルビンが有名であるが、リーはその先駆者と言っても良いであろう。
・彼女が異臭がする街で見た列車の中で死んでいる多数のナチスに囚われた人達や、ガリガリに痩せこけて山のように積まれた人たちの姿を見た時の表情や、マリオン・コティヤール演じるソランジュ・ダヤンが、荒れた部屋でやせ細った身体で掃除をしている姿を見た時の表情と、彼女を抱きめる姿。
そして強制収容所で乱暴されたロマの娘、ナチスに協力したとして髪を切られるフランス人女性達の姿を、次々に写真に収めて行くのである。沈痛な表情で・・。
■ヒトラーが愛人と自死した後に、彼のアパートの浴槽で自らが裸で入り、撮影した写真は余りにも有名であるが、今作ではその場も収められている。
その際のリーを見ると、可なり直情的な人だったのかなと思うが、だからこそ、あのような悲惨な写真を戦地に留まって撮り続けたのだと思う。
・だが、彼女の写真は英国版「VOGUE」の”戦勝版”には、一枚も掲載されないのである。彼女の味方だった編集長オードリー(アンドレア・ライズボロー)は、事情を説明するが怒り狂った彼女は自身の写真を次々に破り捨てるのである。
・そして、再び老いたリーと若い記者との姿が映される。すると、リーはその記者に紐で結んだ箱を開け、中から彼の幼き時の写真を取り出すのである。若い記者は彼女の息子だった事が分かるのである。
若い時に”子供は作らない”と言っていた彼女は、子を成しその子の幼い時の写真を大切に取って置いたのである。少し、沁みる・・。
<今作は、派手な交友関係があった彼女が、戦地の悲惨な光景を見て、人間として使命感を持ち、哀しき写真を撮り続ける姿が沁みる作品なのである。
現況下、このような作品をプロデュースし主演した大女優ケイト・ウィンスレットさんには、敬意を表すべき作品でもあるのである。>
ヒトラーとしてのわたし
不謹慎な表題だが、業界人にはこのポスターがパロディに映る。セルフポートレート作家のシンディー•シャーマンや森村泰昌なら、さしずめ『ヒトラーとしてのわたし』のタイトルがつけられるであろう絵に見えて仕方がない。。
冒頭、酒色に耽る高等遊民どものなか、相変わらず脱ぎっぷりの良いケイト・ウィンスレット。トップモデルから戦場カメラマンに転身するプロセスは、“地の彼女“とも相まって、丹念に描かれ、かなりの熱演なのだが、惜しむらくはその体型。まるまると肥えた体躯で、ドタドタと戦場を駆け廻り、いかにも重そうな尻が強調され、食事もままならない戦時にこんな人間居るのか?と訝られる。まあ、わざとらしく”ガレ”てみせるのも本意ではないでしょうね。
パリ解放時に、路地裏で兵士に襲われそうになった女性を助けたリー。護身用にとナイフを渡すときの台詞が良い!『次はコレで切り落として!』その手の輩は震え上がるだろう。
それは後に語られる彼女のトラウマで、幼少時に受けた性被害。それを実の母親に”恥“であると言われたことがリーの心の傷である。だから、被写体(モデル)としてより、撮る側に拘った理由は、自分よりもっと酷い、もっと残酷な目に遭った人々が居る!として多くの被害者をさがし続け、それを発表することで自身の安寧を得ようとする、専ら個人的な動機であり、悲惨な戦争を記録するという崇高な”使命感“などではない。そう思わせるのは彼女の生き様だ。自由奔放、傍若無人。周囲の人間にぶちギレる。思いやりを見せたのは友人にだけ。
勇躍、駆けつけたアウシュビッツ、累々たる屍の腐臭をものともせずシャッターを切り続けるリー。しかし、いちばん感動させられたのは、リーという女傑に対してではなく相棒のディビッドがヒトラーの部屋で嗚咽するシーン。コイツのために何万人も殺されてと男泣き、リーと抱擁する場面だ。
ほどなく、リーは帰還して、わくわくしながらヴォーグ誌のページをめくるが、自分の写真が一枚も掲載されていないのに、怒り心頭、編集部に殴り込む。編集長は『人々を不安にさせないために載せなかった』と言い訳するも、リーは激高し収まらない。ただ、落ち着いてみれば、写真云々より、要は自分の存在を訴えたいエゴなのだと認める賢明さもあったリー。
結局、後のアメリカ版には発表される事になるのだが……
インタビュアーが実は息子だったというひねりをきかせる演出。あるいはすべてが妄想?のようにも見える。
リーの死後発見された膨大な数の写真やヒトラーのイニシャルAH入りの銀製トレー等は息子達によって世間に紹介され、女性報道写真家リー・ミラーの数奇な生涯は、はっきりと歴史に刻まれた。
「翻訳 松浦美奈」
私にとって「信頼のおける映画字幕翻訳者」のお一人である松浦美奈さん。劇場鑑賞の際には、余程の理由がない限りエンドロールが終わるまで席を立つことをしないようにしていますが、字幕映画の場合、最後にクレジットされるのが字幕翻訳者。そこに「翻訳 松浦美奈」とあれば、いい映画だったと感じた気持ちに更なる「確信」くれます。(ちなみに字幕も当然に権利が伴うため、配信など別の形態では訳者が異なることが多いためご留意ください。)
本作はアメリカ合衆国の写真家・リー・ミラーの伝記映画。(いつものことながら)不勉強な私はこの方を全く存じ上げないままの鑑賞でしたが、映画は一人のジャーナリスト(ジョシュ・オコナー)によるインタビューに始まり、リー(ケイト・ウィンスレット)の回想で語られる1938年(南フランス)以降の「リーの人生」。戦争に伴う悲劇を簡潔に表現するストーリーと、演出としてのカメラワークの巧みさによって強く印象に残るシーンの数々。本作が長編映画初監督となるエレン・クラスですが、これまでの撮影監督としての実績を振り返ればなるほど、本作の撮影監督を務めるパベウ・エデルマンとの相乗効果で、そのアイディアや的確さを感じるカメラワークはさもありなんと頷けます。
そして、何と言ってもケイト・ウィンスレット。本作では製作にも名を連ねており、またその本気度が否応なしに伝わる演技は、リー・ミラーの偉業、そしてリーその人を「伝説」にする気概を強く感じます。エンドロールでは劇中のスナップショットと実際の写真の比較も見られ、リーの命を賭けたチャレンジ、そして自ら背負った使命を全うした事実を顧みることが出来、改めてその偉大さを感じて反芻します。
さらに、脇を固める面々も皆素晴らしい。まず一人挙げるならリーのバディとなり、時に精神的な支柱にもなるデイヴィッド・E・シャーマンを演じるアンディ・サムバーグ。自身ユダヤ人としてナチスの所業、そして列車や収容所に打ち捨てられたままの数えきれないほどの死体にも最後まで我を失うことなく、全てを世界に伝えるため立ち向かうジャーナリスト・デイヴィッド。「出来るやつ」であり且つ「こんないいやついないだろ」と思わせる人物像に、アンディの何とも言えない表情が相まって、彼の存在にリーはもとより、観ている私も壊れそうになる心を度々救われます。
そしてもう一人はリーの友人の一人、ソランジュ・ダヤンを演じるマリオン・コティヤール。大戦前の南フランスでのソランジュは大変に明るく前向きな印象。リーを良く解っていて愛しているのが真っ直ぐに伝わる裏表のない感じは、演じるマリオン自身と重なって大変に素敵なのですが、、その後リーとの「再会」シーンが正に両極で唖然。ナチス・ドイツに全てを奪われ、絶望の淵にいるソランジュ。やせ細り、心身ともに消耗しきっている姿を演じるマリオンに強い衝撃を受けます。
今までも少なからず戦場カメラマン・ジャーナリストが題材になる作品観てきましたが、本作はとても理解しやすく、そして大変に感情を揺さぶられる作品でした。リー・ミラー、そしてジャーナリストという仕事と役割に改めてリスペクトを捧げたい一作です。
戦争写真家・記者のリーを語る映画
ケイト・ウィンスレットは出演したどんな映画でも強靭な挑戦をしているように思う。この映画でも同様だ。リーとウィンスレットは重なって見える。モデル時代のリー、錚々たるアーティスト達のミューズとしてのリー、この煌びやかな二つの時代をバッサリと切り捨て報道写真家のリーのみ!としたウィンスレットプロデューサーの決断が潔い。同じくリーもテキパキと意見を言う、人を見る目があり賢く知的、社交的で親友を大事にし、自分の体型に無頓着。自分は一体何者か、何をしたらいいのか常に考えていた20代から30代。悩んで決めたら一直線、戦後は別の道を歩む自由と前を見る生き方に共感し憧れる。
戦場カメラマンになってからの前半は、女性ゆえの枷があり撮影対象は女性パイロットや女性の宿舎や病院内などに限られてしまう。でも彼女の視線と被写体への共感は彼女自身の痛みと優しさから来ることが撮影するときの表情と写真から伝わる。下着を手で洗い室内に干すしかない宿舎。病院では手術中に停電し持っていた手持ちランプでドクターの手元を灯し、顔中が包帯の若い傷病兵の目を美しいと誉め頼まれて撮影する。市内では兵士が女性をレイプしようとしている。ナイフを突きつけ男を追い出し女性にナイフを渡す。恐ろしいがまだ目に見える戦争の現実。それがやつれきった親友のソランジュ(マリオン・コティヤール)に彼女のパリの邸宅(見るも無残な状態)で再会して話を聞き、リーは変わった。「みんなが消えてしまう」「列車はどこかへ行くが戻ってこない」「そんなに沢山の人間が行方不明とはどういうことか」見えない、報道されない、知らされていないことがある、これがリーをまた動かす。
カメラマン同士として知り合ったLIFE誌のディヴィッド・シャーマンと共に戦場で多くの写真をものにした彼女はドイツへ向かう。ミュンヒェン近郊のダッハウ強制収容所や線路に止まったままの列車の中で彼らが見たもの。それは暴力そのもの、見えなくされていた、ないものとされていた暴力の事実。リーは自分が蓋をしてきた過去と同一のことを感じたに違いない。ミュンヒェン市内一等地のプリンツレゲンテン通りに車で来た二人はヒトラーのアパートに入る。ヒトラーは愛人のエヴァ・ブラウンと共に「本部」のベルリンに居る。名前の頭文字A.H.を彫らせたトレーなどが置いてある客間を通り奥のバスルームへ。そこでバスタブに入った自分をディヴィッドに撮らせた写真がかの有名な写真だ。
戦争終結、連合軍勝利に終わった戦争。ほっとして浮かれた空気の中だからこそ、見えなくされていた暴力の記録を雑誌に載せて見てもらわなければ意味がない、自分が受けた傷と同じことになる。過去に受けた暴力に沈黙を強いられてきた自分が、戦争の暴力を写真で明らかにしなければ自分は一体何をしてきたのか?
リーにインタビューするジャーナリスト(ジョシュ・オコナー)とのシーンを最初、途中で何度か、そして最後と置いた構成と脚本は非常に良かった。個人的にジョシュが大好きなので嬉しかったし、ラストはショックと驚きと共に愛と赦しを感じた。
今も世界中で戦争が続いている。壁を作り土地を奪い昔からその地に住んでいた人々を追い出し殺すことしか頭にない。力あると見える側が実は常に負けてきた歴史を私たちはなぜ忘れるのだろう?
癒えない心の傷。
1938年、南フランスで仲間と休暇中に出会った芸術家ローランドとの恋、その直後起こる第2次世界大戦、当時の話を聞く男性ジャーナリストと、その話を語るリー・ミラーの話。
芸術家ローランドと恋に落ち、直後の戦争、当時雑誌Vogueでモデルとして活躍してたリー・ミラーが写真家から従軍カメラマンとなり見てきた“現場”、戦後も鮮明に残る記憶、残る写真で“癒えない心の傷”の内を語り映像として見せてく。
ナチスとかこっちの系の話は苦手で知識もない私ですが。ただ本作観て思ったのは女性リー・ミラーの強さ、正義感、男勝りな性格が印象的!
持ち帰ったパンを食べる女性達の中にいる独りの少女、その娘へ「恐がらないで…」といいながら写真を撮るシーンは何かグッときたね。
作品としは面白いとかツマラナイではなく、こんな事実があったんだって感じ。
観賞後に気になってリー・ミラーさんを調べたらホントにキレイ!雑誌Vogueってこの時代には既にあったんですね!
二眼レフ•カメラの長所と被写体に対するリスペクト
本篇が始まってすぐに10年ほど前に亡くなった自分の父親のことを思い出しました。
「あーっ、二眼レフ、使ってる!」そう、戦場の報道写真家 リー•ミラーさんは二眼レフ•タイプのカメラを使っていたのです(ローライフレックス? カメラがアップになったシーンがあったので目を凝らして見てたのですが、ブランドは確認できませんでした)。そして、私の父の愛機がヤシカの二眼レフだったのです。もうどこに行ったか分かりませんが、黒い台紙で布の表紙のついた分厚い武骨なアルバムに貼ってあった私の赤ん坊からの成長を記録した写真の数々は、そのヤシカの二眼レフを使って撮影されたものでした。
二眼レフ•カメラの構造はわりと単純です。まったく同じ光学性能を持った二つのレンズを上下に並べて使います。上のほうのレンズはこれから撮影する景色を見るためのファインダー用です。下のほうのレンズは実際の撮影用でシャッターを切るとレンズ後方にある扉が開いて更に後方にあるフィルムを露光させることになります。さて、ここから重要なのですが、ファインダー機能を持つ上のレンズを通った光はミラーによって90度角度を変えられます。よって撮影者はカメラを上から覗き込んでこれから撮るべき景色を確認し、構図を決めることになります。それに対して一眼レフを始めとする現在の一般的なカメラはレンズを向ける方向と撮影者の視線の向きは一致しており、手持ち撮影の際には撮影者は顔の前でカメラを構えることになります。
一般的なカメラの場合、手持ち撮影時にはカメラは撮影者の顔と被写体の間に厳然として存在するのですが、二眼レフ•カメラの場合は手持ち撮影時でも撮影者の顔からみると下斜め前方ぐらいにカメラは位置し、撮影者の視線を妨げません。視線を下に落として構図を決めた後、そのまま顔を上げて視線を前にして肉眼で被写体を確認、そして、視線をまた下に落としてファインダー内の景色を再確認……と、肉眼、レンズ越しを交互に確認することができます。この長所がもっとも発揮できるのが被写体が人だった場合で、撮る側、撮られる側の視線をさえぎる位置にカメラは存在しないわけで、撮影しながらのアイコンタクトが可能です。もし、先述した黒い台紙のアルバムに貼ってある幼い私の写真の数々がリラックスした表情で撮れているなら、それは撮影者たる私の父がカメラの向こう側にいる人ではなく、絶えず、顔全体が私に見える状態でアイコンタクトしながら撮影してくれた賜物だと思います。
ということで、直感を大切にし、肉眼で見ることにこだわったリー•ミラーさんは二眼レフ•カメラを生涯に渡って愛用し続けたのではないでしょうか。そうは言っても、私が上に挙げた長所というのは極めて人間臭い部分に関するもので、スペックとかの数字で表せるものでもありませんし、何かと使い勝手が悪いこともあって二眼レフは1950年代半ばあたりから衰退の一途をたどります(私の父のように後生大事にずっと70年代あたりまで使い続けた人もいますが)。フィルムも一般的なカメラのそれと違って若干大きめで1コマがほぼ正方形でフィルム一巻で12枚撮りだった記憶があります。今では二眼レフ•カメラもブローニー判と呼ばれたそれ用のフィルムも入手不可能と思ったら、少なくともブローニー•フィルムは富士フィルムやコダックのものが入手可能のようです。バカ高いですが。フィルム•カメラおたくがいるのかな?
なんだか映画のレビューとは思えない内容になってしまいましたが、映画に登場する特定アイテムに関して蘊蓄を傾けるのも一興ということで。
リー•ミラーさんの魂が安らかでありますように。あ、父の墓参りにも行かなきゃ。
シビルウォーの空気感
が現実に迫る中、“リー”について考えるのは更なる学習と考えた。
序盤はケイトウィンスレットのボディーに圧倒される。まるで白鯨、ベッドに横たえるのも一苦労だよねシャーマンくん。
この作品からは戦場カメラマンのモチベーションって部分は見いだせなかった。作り手もソコが目的では無かったのだろう、インタビュー自体虚構だったし。道理でジンの量が増えたりしてたの?
自分なりに解釈すると、何より行って、見て、判断する行為をしたかったんじゃ。無論報道に載せたかったんでしょうが、それが一番の目的じゃなかったと思います。
やはり酒とクスリが無いと、戦場では正気を保てないのか。みんながそんなの嫌だぁー!!と敬遠する時は来るのだろうか?
ナチスの残虐性を暴いた戦場女性カメラマン
リーを演じたケイト・ウィンスレットの演技が圧倒的だ。
これに尽きる作品だと思う。
冒頭いきなり
戦場でナパーム弾の爆風に巻き込まれるリーの姿から、
1977年に自宅で記者から過去を振り返るインタビューへ
転換し、リーによる昔語りが始まるのは、私としては
『タイタニック』を彷彿とさせるオープニングだった。
リーの奔放さもさることながら、
その行動力、意志貫徹度合いなどの気迫がハンパない。
真実を追求する姿には感銘を受けた。
幼少時のトラウマから、女性へ味方することは徹底して
おり、あらゆる場面でそれを感じることができたが
印象的なのは写真を撮る時にファインダーを覗きながら
シャッターをきるのではなく、相手を見てシャッターを
きる姿には、被写体へのリスペクトを感じた。
おそらく自身がモデルだったことが、
リーのカメラマンとしての信条をつくりあげていると思う。
強制収容所を撮影するシーン、
ヒトラーの邸宅のお風呂で撮影するシーン、
は、彼女なりの戦争の真実をより現実的に伝えるための
シチュエーションだったに違いない。
その生き様を、晩年に記者である息子に伝えたのは
死期を悟ったからではあるまいか。
そのラストシーンにもグッときた。
リーの真剣な生き様を見事に演じ切った
ケイト・ウィンスレットに惜しみなく拍手をおくりたい。
人間の目には命が満ちている
こないだMOVIEWALKERさんの試写会に招待して頂きました🎬
ケイト・ウィンスレットはリー・ミラーを力強く演じてますね🙂
ものすごい行動力と胆力を併せ持つ女性で、この時代はまだ男女差別的な思想があったはずですが、それでも戦争の現実を撮り続ける姿勢には驚嘆しました。
リーとタッグを組むデイヴィッドにはアンディ・サムバーグ🙂
彼も良き理解者であり同業者として、リーを支える姿に感服します🫡
それにしてもローランドを演じたアレクサンダー・スカルスガルドは男前ですね。
あれじゃリーとすぐ恋仲になるのも仕方ないのかな🤔
リーの友人ソランジュにはマリオン・コティヤール🙂
凛とした美しさは相変わらずですが、今作では出番少なめで残念でした😥
VOGUE誌の編集者オードリーを演じたアンドレア・ライズボローも、手堅い演技で存在感を発揮していましたよ🙂
「シビル・ウォー アメリカ最後の日」
のリー・スミスは、今作のリーがモデルだそうで。
時に目を覆いたくなるシーンもあり、戦争がもたらす被害について考えさせられる作風です😔
シビル・ウォーが好きな方には、是非見てもらいたいですね🖐️
上映後のトークショーでは
渡部陽一さん
LiLiCoさん
が登壇。
渡部さんはあの口調で感想を述べられており、LiLiCoさんは同じ女性としての立場からの見解をそれぞれ語ってくれました😀
進行は奥浜レイラさんが務めてましたね🙂
滅多にない機会で、充実した時間を過ごせました🫡
MOVIEWALKERさん、ありがとうございます😁
一般公開は5月9日からですよ👍
傷にはいろいろある。見える傷だけじゃない
全124件中、101~120件目を表示