「もの言う写真たち」リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界 かばこさんの映画レビュー(感想・評価)
もの言う写真たち
インタビュアーがやけに偉そうで、なんだか変だと思っていたら、そういうことでしたか。
でも、もしかしたらあのインタビューは、母の死後、残された膨大な「母の仕事」を整理しながら、脳内で交わした母との対話だったのかも。
彼女は抑圧に対して敏感で、是正に向けて抑圧者(男社会)に噛みつき立ち向かう闘魂に満ちたひと。自己主張が強い、結構なエゴイスト。だが、親しい人や弱いもの(特に女性)への共感は強く、人類愛のような広い愛を示す、激しい人。
幼いころに性的虐待を受け、実の父親にヌード写真を撮られ続けたような、生い立ちが大きく影響しているのだろう。トラウマだらけだったと思う。
飛び抜けた美貌で周囲を魅力し、マン・レイのミューズとして名を知られても、思考や発言が尊重される訳でなく、男社会の徒花でしかない。
リーがトップモデルの座を捨て写真家に転身したのは、自己主張の場を求めたのではないか。
写真なら言葉は要らない。発言をマトモに聞いてもらい難い立場のものには、うってつけの意思表示媒体だ。
せっかく公認戦場カメラマンになれても、男社会の壁に阻まれ、現場には入れない。ならば、と誰も思いつかなかった後方の、従軍の女性達を撮ってみせる。彼女のスタイルは、戦争そのものというより、そこにいる「人」にフォーカスするもののようにみえるが、それはこの経験で確信を得たのでは。そして、人がいることで、見るひとに背景に広がるストーリーをも想像させることも、知ったかも。
解放直後の強制収容所の、貨車の死体とそれに遭遇した米兵の、一瞬の表情を切り取る。その場の空気も一緒に閉じ込めたようで、見る者は一目でその場を共有した気持ちになる。
ヒトラーの邸宅の豪華なバスタブで数週間分の汗と溜まった垢を落とす、パフォーマンス写真の時代性は無二のものだ。
そして、戦争の影で泣く女性達、ナチの協力者として引き出され丸坊主にされる若い女性、ナチ高官の父親に強要され自害させられた少女など、無知だったり立場が弱かったり、女性であるが故に翻弄されるしか無かった人達を、告発者のように撮り続ける。
そうやって撮った写真を没にされたら、それはキレるだろう。
告発が握りつぶされた、上げかけた声を押さえつけられた、幼いころからのトラウマが襲ってきて絶望感が増し、我を忘れるような激昂になったかも
ケイト・ウィンスレットがリーに思い入れたのはとても良く分かる。意思が強く、堂々として貫禄があるところはとても良かったが、もう少し本人に寄せられなかったか。
そういうのはケイトの美学に反するのかもだが、作中のケイトのリーは、30歳そこそこの若さの、元カリスマモデルには見えない。キルスティン・ダンストみたいなら違和感なしに受け入れられたのに。(有り体に言えばカラダ絞って欲しかった、俳優なんだから)
リーには、オードリーとデイヴィッドという二人の「戦友」がいる。
女性の、バイアスが掛かっていない対等で自然な戦友関係を描いた作品は初めて見た気がする。
デイヴィッドは、一目でユダヤ人と分かる。その彼が、嗚咽する。それを黙って抱きしめるリー、この二人の心の通じようが、実はこの映画で一番感動的で印象に残った場面だった。
コメントありがとうございます。
この映画でリー・ミラーのことを初めて詳しく知って、映画化も納得の力強い人生に感服しました。
ただウィンスレットは、率直にお書きいただいた通り、戦時中パートの体型が……息子の回想の晩年パートの彼女がすごくよかっただけに惜しいです。
戦後、リーの述懐。『私は何もたいしたことはしていない。写真も趣味的で、優れたものでもなく、世間の評価も”功労賞”に過ぎない』 分かってますね。エライ!
確かにインタビューシーンは脳内でのことだと思いました。
ありがとうございます。
ケイト・ウィンスレットの演技が圧巻で観客としても気圧されるくらい
迫力がありました。
共感&コメントありがとうございます。
シビルウォーのキルスティンは明らかにアップデートされてますからね。シロナガスクジラは縮む事は出来ないんでしょう。
脳内会話なんだと思います。遺族には無念な気持ちもあるのかもしれませんね。