リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界のレビュー・感想・評価
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リリーの瞳から見る世界の残酷さ
見えない傷をつけられた彼女、彼らはこれからどうやって前に進んでいけばいいのか。
サブタイトルの通り、リーを通して見た世界から、人間の残酷さや非道さが否応なく突きつけられた。彼女が気付き、写しだす世界の多くは搾取され傷つけられた弱者たち。特に女性や子供が多いのが印象的だった。
最初は彼女の行動を見て、なんて正義感溢れる強い女性なんだろうと思ったけれど、見ていくうちに、ただの正義感や使命感での行動ではないんだろうなと感じられた。きっと彼女自身も搾取されてきた側で、前に進みたかったんだと気づいた。
よく実在の人物を描いた作品だと、生まれから晩年まで描いている作品が多いけれど、この作品では意図してリーのモデル時代や、戦後は描かず、彼女が従軍記者兼写真家をしていた次期のみに焦点を当てて描かれている。個人的には焦点を絞ったからこそ、彼女が伝えたかった想いを感じ取りやすく、始終心打たれた。
ひとつネガティブな意見を言うとしたら、レビューでもちらほら見かけたが、リーを演じたケイト・ウェンスレットの体型について。
確かに実在のリーを見たらもう少し細身だし、従軍記者にはリアリティに欠ける体型に思えた。華やかなモデル時代と切り離して見てもらえるように、という意図とかがあったのかもしれないけれど、もう少し絞った方が作品のノイズにならなかったように思う。
ただ、魂がこもったケイト・ウェンスレットの演技は本当に素晴らしかった!!!!まさに熱演だった。
個人的には大満足な作品で、ホロコースト・戦争映画として見応えがあったし、女性としての生き方としても考えさせられた。
多くの方にオススメしたい作品。
彼女の行動原理
リー・ミラーは「シビル・ウォー アメリカ最後の日」でキルステン・ダンストが演じたリー・スミスのモデルとなった人物だが、それ以外のことは正直よく知らなかった。
ニューヨークのファッションモデルからファインアートの写真家、転じて戦場カメラマン。写真家時代のマン・レイとの恋愛関係、ピカソやジャン・コクトー、ポール・エリュアールとの交流など。箇条書きで見れば、精力的で華やかな人生、という印象だ。
だが彼女の心の奥深くには、幼い頃受けた性的虐待の記憶が横たわっていた。また、リー本人がどう評価しているかは不明だが、10代の頃から結婚後まで彼女のヌード写真を撮り続けたという特殊な父親の存在もあった。
戦争、そしてホロコーストという、究極的に個人の尊厳を破壊する蛮行から彼女が目を逸せなくなっていった、他人事としておけなかったのは、そういった体験に根ざす部分があるのだろうか。
本作で描かれるのは、上に書いたリーの目まぐるしい人生の中で、のちに夫になるローランド・ペンローズとの出会いから戦場カメラマンとして終戦を迎える頃までのおよそ10年ほどだ。作品の製作に自ら奔走したケイト・ウィンスレットは、「モデルとしての彼女に対する先入観を捨てるため」「リー自身がもっとも誇りに思っていたであろう時期」だからと述べている。
それは、彼女が受動的な被写体、マン・レイのミューズという男の付属物のような二つ名から脱して真に能動的に生きた時期とも言える。また、終盤に77年パートのインタビュアーが息子のアントニーであることが明らかになるが、ペンローズとの出会い以降10年という区切り方は、実はリーの死後屋根裏から出てきた写真をもとに彼が両親の出会い以降の母親の軌跡をたどっていたという物語の構造とも辻褄が合うようになっている。
己の目指す道を突き進むリーだが、時代の風潮でただ女であるということが様々な場面でハードルになる。ただ、各ハードルは映画の尺的には割と素早く解決されてゆき、なんだかんだリーは最前線で撮影出来るようになる。
そして彼女はドイツの敗戦とホロコーストの痕跡に行き着く。ライプツィヒ市長の家族の遺体、収容所の屍の山。このシークエンスの映像的インパクトが頭ひとつ抜きん出ていて、リーの伝記というよりホロコースト映画なのではという錯覚さえ覚えた。
リーの人生は何故そこへ流れていったのだろう。あくまで本作から受けた印象のみでの推測だが、彼女を動かしていたのは例えば反戦とか世界平和とか、そういう抽象的なお題目ではない。
7歳の時レイプの被害を周囲に黙殺されたという体験を持つ彼女は、戦争の犠牲者を襲った悲劇が自身の受難と同様に、誰にも知られずやがて忘れられてゆくことが我慢ならなかったのではないだろうか。
写真家としての行動原理が観念的な正義感よりも個人的なトラウマに直結しているからこそ、VOGUEが自分の写真を載せないことに、預けた写真を切り裂くほど激昂した、そんな気がする。
一般的な写真家なら、命懸けで撮ったからこそ作品の破壊などせず、時間がかかっても作品を世に問う方法を探すだろう。だが彼女にとっては、犠牲の証が日の目を見ることがトラウマの癒しであり、その逆はトラウマの再現でしかなく、その状態には耐えられなかったということなのかもしれない。
収容所の死屍累々を見た直後にヒトラー家のバスタブで咄嗟に服を脱いで自撮りをするという心理は個人的には理解出来ないのだが、彼女の行動が頭で考えた理念よりもトラウマを背景にした直感と衝動に基づくものだと仮定すれば、漠然と納得してしまうのだ。
ところでこれは非常に言いづらい感想なのだが、観ている間ずっとケイト・ウィンスレットの骨太な体型が気になってしまった。ごめんなさい。
77年パート(リー70歳)は全く違和感がないし、70歳のリーを演じる49歳のウィンスレットに凄みさえ感じた。
だが序盤の1937年、マネの草上の昼食よろしく上半身をはだけて友人とピクニックをしている場面では、肩の肉が盛り上がった貫禄ボディに違和感を覚えた。この時リーは30歳、マン・レイとの活動を経て実業家アジズ・エルイ・ベイと結婚して3年ほどカイロで暮らし、ベイを置いてパリに戻ってきたばかりの時期だ(ベイとはペンローズとの子をみごもってから離婚)。
その後6年ほど戦場カメラマンとして活動するのだが、ずっと貫禄ボディのままだ。これは完全に私の先入観なのだが、最前線で命懸けの取材活動をするリーにそぐわないように見えた(筋肉でガッチリしているならまだ分かるが)。当時の実際のリーの写真を探してみたが、私が見つけた範囲でのリー本人は人気モデルだった頃の面影が残るどこかシュッとした佇まいで、細身とまでは言わないがそこまでガッチリしていない。
弁解すると、これはルッキズム的なものとは違う。デニーロ・アプローチ並にやれとまでは言わないが、ビジュアルでの役の表現も観る側にとっては大事な情報だ。途中でマリオン・コティヤールがきちんとげっそりした姿(元々痩せているからメイクでの演出だろうが)で出てきた時は、ビジュアルの「それっぽさ」に少し安堵した。
ウィンスレットの演技自体は素晴らしいし、そもそも本作は彼女が発起人となって作られたのだから、そういう意味では彼女が主役を張るのは自然なことだ。
ただ、戦場カメラマン時代からインタビュー(もとい息子の空想)までは3〜40年経過しているのだから、役者を分けてもよかったんじゃないかなあ、とは思う。申し訳ありません。
WWII through the Lens of a Fashion Photographer
The film Lee presents Lee Miller as a woman ahead of the curve. The city slicker Vogue photographer was one of the first women in Western society to walk into the battlefield in uniform. She faces resistance from fellow soldiers but also some unanticipated support. I wasn't aware of her famous photo in Hitler's bathtub on the day of his downfall, but is an interesting story. A historically accurate pairing to last year's war photographer doc, Civil War.
ウィンスレットだから描けたこと、描けなかったこと
本作を観ながら、共通点のある比較的最近の伝記(的)映画を2本思い浮かべていた。1本目は、浅野忠信主演で写真家・深瀬昌久の生涯を描いた「レイブンズ」。写真が人物や出来事などの一瞬を切り取って提示する作品形式だからこそ、作品から切り離された前後の文脈を補ってストーリーを構成する伝記映画と写真家の人生は相性がよいと改めて感じる。
もう1本はティモシー・シャラメが若き日のボブ・ディランに扮した「名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN」。長年にわたり活躍した才人の人生を要約して丸ごと見せるのではなく、(作り手にとって)最も重要と思われる一時代に焦点を絞って映画のストーリーを構成した点が共通する。
「リー・ミラー――ファッションモデル、写真家、従軍記者、雑誌記者、クラシックミュージック愛好家、一流料理家、旅行家。さまざまな世界を常に自由に生きた女。さまざまな顔を持ちながら常に自分自身であり続けた女」。リーの息子アントニー・ペンローズが著した伝記「リー・ミラー 自分を愛したヴィーナス」(松本淳訳・パルコ刊)の冒頭でそう紹介されている。リーが撮影した写真、そしてリー自身をとらえた写真を多数含むこの伝記本を原作としつつも、映画「リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界」が描くのは、1937年にリー(当時30歳頃)がフランスでローランド・ペンローズと出会ってからの約10年間。2人で移住したイギリスでヴォーグ英国版の写真家兼記者となり、第二次世界大戦が始まるとドイツ軍空襲下の英国人を撮影、さらに1941年の米国参戦後は米軍の従軍ジャーナリストとして欧州戦線を取材して終戦を迎えるまでの年月にほぼ絞られている。
この時代設定は、ケイト・ウィンスレットがプロデューサーとして本作の成立に大きな役割を担ったことも関係していると思われる。過去にもリー・ミラーの人生を映画化する企画は、息子で伝記著者でもあるアントニーに何度か持ち込まれたが、いずれも合意に至らず流れていたという。だがウィンスレット主演作の「エターナル・サンシャイン」で撮影監督を務めたエレン・クラスがウィンスレットに企画を提案し、ウィンスレットが製作兼主演、クラスが監督の座組でアントニー側に交渉した結果了承され、リーが遺した資料すべてにアクセスすることを許可されるほどの信頼を得た。ウィンスレットの知名度に加え、彼女が「タイタニック」や「愛を読むひと」など歴史大作で演じてきた女性像の印象もプラスに働いたろう。
そしてもう1つ重要なのが、リー・ミラーの容姿、特に後半生の外見が近年のウィンスレットにかなり似ていること。映画のキービジュアルでも使われている、ヒトラーのアパートの浴室で自身を同僚に撮影させた代表的な1枚などは、驚くほどの再現度だ。リーがファッションモデルから写真家にキャリアを移していった20代の頃は、残っている写真を見ると比較的痩身で顔もよりシャープな印象だが、30代以降は加齢のせいもあってか肉付きがよくなったように見える。
その点もおそらくは、ウィンスレットら製作チームがリーの30代以降をメインにした大きな理由の1つだったはずだ。もしも19歳でモデルとしてキャリアをスタートさせ22歳のときにアート写真家マン・レイの弟子兼恋人になり写真術を身につけていった時期も映画に含めるとしたら、撮影時46歳のウィンスレットが自ら演じるのは無理があっただろう。また、2時間程度の本編で若い時期まで描くなら、波乱万丈の数十年を駆け足で紹介するだけで深みに欠ける映画になりかねない。そうしたもろもろの判断から、従軍ジャーナリストとしての活躍をメインとする30代の約10年間を描くことに決めたのだと思われる。
カメラマンに限らずさまざまな職業で男女格差、女性差別が根強い時代、自らの才能とバイタリティで活路を見出し、男性ジャーナリストにも引けを取らない勇気と機動力で前線に赴きスクープを連発したリー。彼女の生き様を描くことは、今の時代にも女性をエンパワーするという点で、大いに意義と価値が認められる。また、「シビル・ウォー アメリカ最後の日」(2024年10月日本公開)でキルステン・ダンストが演じた戦場カメラマンのモデルとなった人物として紹介されることも多いリー・ミラーだが、この「リー・ミラー」が2023年秋に北米の映画祭で上映、24年9月には英米を含む主要国で劇場公開されていたことを考え合わせると、「シビル・ウォー」が日本でも公開週1位の大ヒットを記録したことが「リー・ミラー」の日本公開を後押しした可能性がある(逆に「シビル・ウォー」が不入りだったら、「リー・ミラー」も配信スルーになっていたかも)。
だが一方で、ウィンスレットら製作陣の判断で割愛されたリーの若き日々も、できることなら映像で描いてほしかったというのも偽らざる本音だ。リーが幼少期に経験しトラウマとなった出来事は映画の後半で触れられているが、アマチュア写真家だった父親から10代の頃にヌードモデルとして撮影されるなど、持って生まれた美しさゆえに性的搾取や性的虐待にさらされる理不尽さも経験した。だが彼女は自らの美貌を呪うことなく逆に武器として使い、モデルになって自分の世界を広げ、さらには写真家になって見られる側から見る側へと立場を変える。マン・レイに師事し、その頃にピカソやマックス・エルンスト、ジャン・コクトーといった芸術家らとの交流を通じて、芸術とは何か、美しさとは何かについて考えを深め、自らの表現を確立すべく励んだ。そうして培ったアーティストとしてのセンスがあるからこそ、彼女の報道写真がドラマやストーリーを感じさせ、現代の私たちが見ても心を動かされるのだろう。つまりは若き日々もまた描かれるべき魅力的な要素に満ちた年月だったはずで、ウィンスレット主演作であるがゆえに描かれなかった時期のリーも、将来のいつか、配信ドラマでもドキュメンタリーでも映像化されるといいなと、望み薄と思いつつ気長に待つことにする。
彼女が観たもの、感じたことを追体験する
ミラーという人物について伝記的、網羅的に描くという選択肢もあったはず。だが、企画を長年、大切に温めてきたケイト・ウィンスレットら製作陣は、ミラーが多くの芸術家たちを魅了したモデル時代を潔く切り捨て、その後、戦場写真家となって直面する言い知れぬ試練や心の動きにこそ肉薄する。意を決して乗り込んだ戦場で、彼女はどう駆け巡り、何を感じ、何を見たのか。それは同時に、我々が未曾有の世界大戦を「女性の視点」で目撃する、貴重な映像体験をもたらしてくれる。何より役柄に魂を注いだウィンスレットの「この人物について世界に伝えねば」という使命感が伝わるし、主人公が降伏後のドイツへ踏み入ってからの光景には息を呑むばかり。そこで撮影される歴史的な一枚。ミラーが何を思い、どんな意図があったのかをセリフではなく、ただ我々に”衝動”として突きつける。観賞後、彼女についてより深く知りたくなる、大きなきっかけをもたらす作品だ。
悪いことはみんな女の身に降りかかる。 (二回目鑑賞)
戦場カメラマンの、しかも女性の視点で描かれたあの時代と戦争。
プロデューサーも兼ねたケイト・ウィンスレットの本気、凄味。回想シーンへと移っていく前の眼差し。戦場での息づかい。女であるが故の差別への怒り、苛立ち。
戦地と遠く離れたロンドンとの意識の違い。
長く続いた戦争がようやく終わり、戦勝ムードに湧く中で犠牲者の写真を掲載しなかったのも理解できる。今でこそ、ホロコースト・何が行われていたのかが知られているが、あの時点では何も分からなかったのだから。(ただ、連れ去られ消えていく) 逆に掲載したアメリカ版の方が勇断だったろう。
リー・ミラーをはじめとする戦場カメラマンたちの功績は大きい。命をかけて、その後の人生をもかけて残してくれたものから、我々は何も学んでいないのではないか。
重く苦しい内容だけに、アンドレア・ライズポロウの美貌と軽み、アンディ・サムバーグの軽みが良いアクセントに。
最後の、、。
もう一度はじめから観直したくなる。
(二回目鑑賞)
最後の仕掛けで、もう一度見直したくなり2度目の鑑賞。
初回は、リー・ミラーについて解説以上の知識がなかったが、2度目にあたり少し調べて(検索すると、モデル時代の写真から、撮る側になってからの作品、この映画にも使われている写真をはじめ経歴等いろいろ知ることができる)鑑賞。
リー・ミラーについて知識を入れてから観ると、インタビューのところだけでなく、演出も編集も撮影も脚本も音楽も演技も、すべてが実にうまく作られていると思う。
リーが女性兵士?に、「あなたの写真が世の中のことを教えてくれる」と言われるシーンがあるが、この映画はたくさんの知るべきことを教えてくれた。
ケイト・ウィンスレットが、今までリー・ミラーの映画が作られていないのが不思議だ、みたいなことを語っているが、ケイト・ウィンスレットによって作られるのを待っていたんだと思う。
時代は、戦場は、女性を必要としていなかった
彼女の進んだ道、見たもの、心折れたもの、伝えたかったもの、本当の戦場カメラマンの、ジャーナリストの職責が心に滲みた。同時に、ケイト・ウィンスレットの存在が全てに重なっていた。
あの頃の有名な女性カメラマンはゲルダ・タローと数人しか知らなかった。映画を通じてリー・ミラーの事を少し知ったわけだが、カメラレンズを向ける感はゲルダよりも、アイディアに満ちソフトなのかな?と感じた。きっとファッション業界に居たことと、知り合った仲間たちとの文化的な関係があったからと想像する。
無関心でいれたはずなのに
リー自身が興味を持ち進んだ道は
女性が一段低く見られていた時代
夢中になった伝えるべきこと
時代が彼女を無の存在にしたのか
それとも自ら無の存在にしたのか
映画ははっきりと語らないが
脚色を混ぜながら事実を伝えた。
真実は”写真”のなかにある。
※
This movie must be made based on the idea and understanding of Kate Winslet.
This is the story of Lee Miller as a war photographer, as captured by Kate Winslet, who must have been busy making the film. It was made in the form of a conversation between the young interviewer and Lee, but from her particularly cold tone, we find out who the interviewer is halfway through.
She used a medium-sized Rolleiflex, which we have come to call a twin-lens reflex. On the other hand, David Sherman, a photographer, and editor at Life magazine, used a small camera that seems to be a Leica. However, there is never any mention of developing the photos. How on earth did they develop them on the battlefield?
After entering Normandy, France, she worked as a war photographer, but the problem is the passage of time. They traveled alone in a jeep that seems to have been loaned from the US military in Paris, but when they entered Germany, a couple who committed suicide with potassium cyanide is found, reminiscent of Goebbels and his wife. However, later, on April 30th, 1945, the day Hitler died in Berlin, she entered Hitler's former headquarters in Munich and took photos. Goebbels and his wife died the day after Hitler's suicide. Furthermore, she visited the concentration camps, Buchenwald and Dachau consequently, but the US military entered the former camp on April 11th, and Lee visited the latter concentration camp, known for its railroad siding, just before Munich. I wonder if the film was made based on these historical facts to some extent.
What did Lee Miller herself really want to do? She would like to express something particular by herself. She started taking photographs with Man Ray during her time in Paris (1930s), and she was also the subject of a photo shoot at Hitler's house. In wartime London, she managed to get into Vogue magazine as a photographer, where she had once been a famous model, and then made a fuss when the photos she brought in were not published.
Even though it was wartime, she showed no consideration for the subjects she photographed. The limited rights of women were mentioned many times in this film, but if she was an artist, it is not difficult to imagine how much the rights of her subjects must have tormented her in the latter half of her life.
I wish they had been a little more conscious of the historical facts surrounding the war when making the film. What a shame.
豪華な女優陣!
どこまでも個別的な、エゴイスティックな目的達成の行動原理
1938年フランス、リー・ミラー(ケイト・ウィンスレット)は、芸術家や詩人の親友たち──ソランジュ・ダヤン(マリオン・コティヤール)やヌーシュ・エリュアール(ノエミ・メルラン)らと休暇を過ごしている時に芸術家でアートディーラーのローランド・ペンローズ(アレクサンダー・スカルスガルド)と出会い、瞬く間に恋に落ちる。だが、ほどなく第二次世界大戦の脅威が迫り、一夜にして日常生活のすべてが一変する。写真家としての仕事を得たリーは、アメリカ「LIFE」誌のフォトジャーナリスト兼編集者のデイヴィッド・シャーマン(アンディ・サムバーグ)と出会い、チームを組む。1945年従軍記者兼写真家としてブーヘンヴァルト強制収容所やダッハウ強制収容所など次々とスクープを掴み、ヒトラーが自死した日、ミュンヘンにあるヒトラーのアパートの浴室で戦争の終わりを伝える。だが、それらの光景は、リー自身の心にも深く焼きつき、戦後も長きに渡り彼女を苦しめることとなる(公式サイトより)。
主人公のリー・ミラーは、女性差別が常態化する世の中への怒りや、戦争への憂い、平和への希求といった社会正義を行動原理しているわけではなさそうである。少なくとも序盤では、女性性を上手に利用しながら、その時に感じた、やや刹那的というか、退廃的というか、露悪的というか、自由な衝動を大切に生きているように見える。つまり、彼女の女性差別や戦争との格闘は、女性差別や戦争そのものへの反骨ではなく、あくまで彼女自身の自由な衝動の阻害要因だから、という理由に拠るところが大きい。
女性差別や戦争はそれ自体が巨悪なので、わたしたちは普通、巨悪の消失を目的化するが、リー・ミラーは例えば、自身の「自由な衝動」、子どもたちの「未来」、女性の「純粋な恋心」といった、極めて個人的な目的のために、巨悪の消失を手段にする。二酸化炭素の排出抑制という巨大な目的のためにはがんばれないが、大好きな海水浴ができなくなるかもしれないという個人的な目的のためならがんばれる、のような手段と目的の関係である。
こうした、どこまでも個別的な、ある意味でエゴイスティックな目的達成の行動原理が、彼女の作品に力を与える。だから、日の目を見ない写真など、だれかの個別的な目的達成に貢献しない写真に価値はなく、たとえ、そこにどれだけ史料的な価値が認められようと、破り捨てるだけなのである。
一方で、エゴイスティックな行動原理の代償は大きい。もともと「約束はしない主義」のリーだが、被写体としてフィルムに収めるということは、その人の個別的な目的を達成をリーが預かるということを意味する。
ある男性とのインタビューを通じて回想するという構造が、晩年に戦場でのPTSDが原因でうつやアルコール依存症でカメラを置いたリーの苦しみを、あえてドラマチックではなく極めて仄かに表現している。悪臭漂う部屋に無造作に捨て置かれた大量の遺体の写真を前にしたリーが、瞳孔から瞬時に光を失い、言葉が一切出てこなくなった場面はとてもアイコニックだ。
現代的な示唆。
シンプルなストーリーながら大きな示唆を与える作品だと思いました。主人公の女性写真家は己の自然な感情に忠実に行動するため、混迷する社会の中で自由の保障の大切さがよく訴求されています。日本人は先の大戦でナチスと同盟を結んで連合国に対して闘った訳ですが、やはりこの種の映画にどこまで真実味があるのか、またオカルト伝説ではヒトラー生存説というのがあり、ひいてはグローバル事象における報道写真の意義とは等の批判があるとは思います。この写真家はうまく大戦シナリオに乗っかった活動家と観る事も可能なわけです。しかしそれらの諸点を考慮しても、自然な自由への抑圧には断固たる反対が必要だと云う目的意識の点は非常に現代的な意義を捕えていると思います。民主化の目的とは何か、それは生きる意味の再確認・再獲得のプロセスに他ならず、当時ではなく現代群像に目を向れば何もできない・何も撮れない私たちこそ現代政治の主役たらねばならない、そんな情趣も思わせる映画です。
ケイト・ウィンスレットの演技が素晴らしかった。
存じ上げなかった実在の人物「リー・ミラー」
モデルからフォトグラファーに転身し
米国陸軍の従軍記者として
第二次世界大戦の数々の報道写真を残した
彼女の伝記的映画。
酒もたばこも男まさりで気性も激しい彼女が
残した写真は、戦場の凄惨さを女性特有の目線と
芸術性の高いものだったけれど
英ヴォーグは掲載を認めなかったけれど
その理由はその理由としてわからなくもない。
ただ、彼女の無念に思う心の叫びが痛い。
そんな彼女を陰ながら支えた
英ヴォーグ編集長オードリーと
同僚カメラマン、デイヴィ・シャーマンの存在が
とても羨ましく感じた。
ディヴィのリーに対する感情が垣間見れるシーンでは
切なくもある。
こんな仕事仲間、本当に羨ましいかぎり。
傷とは、見えないところにこそ深く負う。
外傷は時が来れば治って行くけど
心に深く負った傷は、
薬や酒に頼らなくてはいけなくなるほどで
本作ではその傷を彼女の苦悩として
隠さずしっかり描ききっている。
在り来りな感想ではあるけれど
人間の恐ろしさ、戦争の愚かさをまざまざと
見せつけられた本作は、
リーの残した写真のようでもある。
タバコと酒とセックスと写真
1938年、南フランスで仲間たちと休暇を過ごしていたリー・ミラーは、芸術家ローランド・ペンローズと出会い恋に落ちた。まもなく第2次世界大戦が始まり、すべてが一変した。写真家の仕事を得たリーは、フォトジャーナリスト兼編集者デイヴィッド・シャーマンとチームを組み戦場での写真を撮影した。1945年、従軍記者兼写真家として悲惨な戦場の様子をカメラに納め、ヒトラーが自死した当日、ミュンヘンのヒトラーの別荘の浴室で自らのポートレイトを撮影し、戦争が終わった事を伝えた。戦場での光景はリーの心に深く傷として残り、戦後も長きにわたり彼女を苦しめた、そんな彼女の半生を息子に語る様な構成で紹介した話。
まーとにかく、ひっきりなしにタバコを吸い、酒を飲み、セックスし、モデルとして峠を越えたら写真家となり、人が撮らない様な写真を撮り、真実を伝えようとした、超変人(有る意味褒めてます)のリー・ミラー。
ミュンヘンのバスタブ写真が有名らしいが、その事を知っただけでも観た甲斐があった。
ナチスの蛮行はこれまでもいろんな作品で観てきたから特別どうこうは無いが、どうしても戦勝国サイドからの作品は一方的過ぎるんじゃないかと思ってしまう。
リー役のケイト・ウィンスレットの体当たりの演技は素晴らしかったし、報道写真家としての実在の女性リー・ミラーはこんな人だったのだろうと思える素晴らしい演技だった。
あのタイタニックのローズから30年弱。時が経つのは早いなぁ、という感じ。
写真に込めた想い
こんな映画が見たかった。
彼女の世界?現実の世界?
まさに『その時代』を生きてきた人⋯⋯女かな?
あまり多くを語らない自由に誰にも縛られなく言いたい事も言い感性の赴くまま進んできた人。
なんだろうけど写真から見えた光や影には彼女自身そのものを捉えていたのかもしれない。
やはりまだ女というだけで虐げられた時代に翻弄されて納得行かないアメリカ人。
同じ所には長くいれば切れ味が鈍るナイフかの様に男や文化、そして時代に立ち向かって行った彼女。
別に好き好んで前線に飛び込んだ訳ではなく、自身に起きた過去から逃げて立ち向かい乗り越えようとした彼女の一部を写真にしたのかも。
そして戦争の終結時に霧の中に迷い込んだかの様に彷徨い行き着いた地獄の淵⋯⋯。
知って欲しかった今起きている世界を戦争を傷ついた人々を、そして女性たちを。自分自身を。
バスタブでの1枚はヒトラーの邸宅(戦争、暴君、権力、そして男たちの世界の象徴)ですべての不安を脱ぎ去り、温かい湯の中で安息をつき汚れを流してさらなる世界に準備をするかの様にも思える。
しかし誰も見ようとはしなかった。
戦争の真実や女性、そして彼女を。
彼女が現代にいたら何を見ているのだろう?
いや自分たちは目を逸らさず真実を捉え立ち向い後世に残し伝える。
過ちは誰でも起こしうる事。だけど過去から学ぶ事は出来るはず。
誰もが安心して温かい湯に身を浸す幸せな時間を得る事を祈りつつ。
第二次大戦中に前線の写真を続けた、米国人女性写真家の記録。 有名な...
第二次大戦中に前線の写真を続けた、米国人女性写真家の記録。
有名なのは、ヒトラー邸宅の自殺現場や浴室の写真でしょうか。
戦地に女性が赴くことは、とても制限されていたとか。
英国だと絶対厳禁。
米国人だと、そういう"伝統"がなく、許可が出たと。
すさまじい機動力。向こう見ずが過ぎる。
そして記録力。真摯で強靭。
雑誌VOGUEの当時の内容にも驚きます。
掲載された写真、不採用の写真、さまざまですが。
映画内で紹介された写真の数々は、
とても表現できない、言葉を選ぼうにも難儀する、惨たらしい数々…
映画館なので遺体の腐乱臭を感じずに済むことが、せめてもの救いでした。
とても辛口な、諸々の映像が記憶にとどまってしまう映像体験でした。
最前線の写真が、英国では掲載されず、本人が口外もせず。
数十年も経てから、ご本人の没後に、息子さんが自宅の屋根裏で見つけたというのがまた驚きです。
語り継ぐべき時代に抗い信念を貫き通した女性の姿
20世紀初頭にVOGUE誌などでモデルをしていたリー・ミラーが第二次世界大戦中に初の女性従軍記者として欧州戦線の最前線に出向き、戦場カメラマンとして人々の姿を写し出した実話に基づく物語。
当時のイギリスでは、まだまだ女性蔑視が激しく、「銃後の守り」の役割しか与えられなかった。また、勇ましい兵士の姿は報道しても、負傷兵やナチスドイツに粛清された多くの人々(ユダヤ人に限らず、自由主義者や共産主義者、同性愛者など、お上の意にそぐわない者たちも含む)の姿、そして戦闘状態が終わった場所で繰り返される戦勝国兵士による女性たちへの乱暴などの姿は報じられない。「大本営発表」はどこかの国だけの話ではなかったことがよく分かる。
戦場での体験で心に深く傷を負ったリーは自分の仕事を封印し、子どもにすら話すことをしなかった。まだPTSDなどという言葉がなかった時代に、時代に抗い、信念を貫き通した女性の姿はきちんと後世に伝えていかなくてはならないであろう。
自分たちに都合の悪い歴史の事実を捻じ曲げ、なかったことにしようとする権力者が散見されるような時代にこそ、このような作品から大切なことを学び取るべきである。
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