リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界のレビュー・感想・評価
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リリーの瞳から見る世界の残酷さ
見えない傷をつけられた彼女、彼らはこれからどうやって前に進んでいけばいいのか。
サブタイトルの通り、リーを通して見た世界から、人間の残酷さや非道さが否応なく突きつけられた。彼女が気付き、写しだす世界の多くは搾取され傷つけられた弱者たち。特に女性や子供が多いのが印象的だった。
最初は彼女の行動を見て、なんて正義感溢れる強い女性なんだろうと思ったけれど、見ていくうちに、ただの正義感や使命感での行動ではないんだろうなと感じられた。きっと彼女自身も搾取されてきた側で、前に進みたかったんだと気づいた。
よく実在の人物を描いた作品だと、生まれから晩年まで描いている作品が多いけれど、この作品では意図してリーのモデル時代や、戦後は描かず、彼女が従軍記者兼写真家をしていた次期のみに焦点を当てて描かれている。個人的には焦点を絞ったからこそ、彼女が伝えたかった想いを感じ取りやすく、始終心打たれた。
ひとつネガティブな意見を言うとしたら、レビューでもちらほら見かけたが、リーを演じたケイト・ウェンスレットの体型について。
確かに実在のリーを見たらもう少し細身だし、従軍記者にはリアリティに欠ける体型に思えた。華やかなモデル時代と切り離して見てもらえるように、という意図とかがあったのかもしれないけれど、もう少し絞った方が作品のノイズにならなかったように思う。
ただ、魂がこもったケイト・ウェンスレットの演技は本当に素晴らしかった!!!!まさに熱演だった。
個人的には大満足な作品で、ホロコースト・戦争映画として見応えがあったし、女性としての生き方としても考えさせられた。
多くの方にオススメしたい作品。
彼女の行動原理
リー・ミラーは「シビル・ウォー アメリカ最後の日」でキルステン・ダンストが演じたリー・スミスのモデルとなった人物だが、それ以外のことは正直よく知らなかった。
ニューヨークのファッションモデルからファインアートの写真家、転じて戦場カメラマン。写真家時代のマン・レイとの恋愛関係、ピカソやジャン・コクトー、ポール・エリュアールとの交流など。箇条書きで見れば、精力的で華やかな人生、という印象だ。
だが彼女の心の奥深くには、幼い頃受けた性的虐待の記憶が横たわっていた。また、リー本人がどう評価しているかは不明だが、10代の頃から結婚後まで彼女のヌード写真を撮り続けたという特殊な父親の存在もあった。
戦争、そしてホロコーストという、究極的に個人の尊厳を破壊する蛮行から彼女が目を逸せなくなっていった、他人事としておけなかったのは、そういった体験に根ざす部分があるのだろうか。
本作で描かれるのは、上に書いたリーの目まぐるしい人生の中で、のちに夫になるローランド・ペンローズとの出会いから戦場カメラマンとして終戦を迎える頃までのおよそ10年ほどだ。作品の製作に自ら奔走したケイト・ウィンスレットは、「モデルとしての彼女に対する先入観を捨てるため」「リー自身がもっとも誇りに思っていたであろう時期」だからと述べている。
それは、彼女が受動的な被写体、マン・レイのミューズという男の付属物のような二つ名から脱して真に能動的に生きた時期とも言える。また、終盤に77年パートのインタビュアーが息子のアントニーであることが明らかになるが、ペンローズとの出会い以降10年という区切り方は、実はリーの死後屋根裏から出てきた写真をもとに彼が両親の出会い以降の母親の軌跡をたどっていたという物語の構造とも辻褄が合うようになっている。
己の目指す道を突き進むリーだが、時代の風潮でただ女であるということが様々な場面でハードルになる。ただ、各ハードルは映画の尺的には割と素早く解決されてゆき、なんだかんだリーは最前線で撮影出来るようになる。
そして彼女はドイツの敗戦とホロコーストの痕跡に行き着く。ライプツィヒ市長の家族の遺体、収容所の屍の山。このシークエンスの映像的インパクトが頭ひとつ抜きん出ていて、リーの伝記というよりホロコースト映画なのではという錯覚さえ覚えた。
リーの人生は何故そこへ流れていったのだろう。あくまで本作から受けた印象のみでの推測だが、彼女を動かしていたのは例えば反戦とか世界平和とか、そういう抽象的なお題目ではない。
7歳の時レイプの被害を周囲に黙殺されたという体験を持つ彼女は、戦争の犠牲者を襲った悲劇が自身の受難と同様に、誰にも知られずやがて忘れられてゆくことが我慢ならなかったのではないだろうか。
写真家としての行動原理が観念的な正義感よりも個人的なトラウマに直結しているからこそ、VOGUEが自分の写真を載せないことに、預けた写真を切り裂くほど激昂した、そんな気がする。
一般的な写真家なら、命懸けで撮ったからこそ作品の破壊などせず、時間がかかっても作品を世に問う方法を探すだろう。だが彼女にとっては、犠牲の証が日の目を見ることがトラウマの癒しであり、その逆はトラウマの再現でしかなく、その状態には耐えられなかったということなのかもしれない。
収容所の死屍累々を見た直後にヒトラー家のバスタブで咄嗟に服を脱いで自撮りをするという心理は個人的には理解出来ないのだが、彼女の行動が頭で考えた理念よりもトラウマを背景にした直感と衝動に基づくものだと仮定すれば、漠然と納得してしまうのだ。
ところでこれは非常に言いづらい感想なのだが、観ている間ずっとケイト・ウィンスレットの骨太な体型が気になってしまった。ごめんなさい。
77年パート(リー70歳)は全く違和感がないし、70歳のリーを演じる49歳のウィンスレットに凄みさえ感じた。
だが序盤の1937年、マネの草上の昼食よろしく上半身をはだけて友人とピクニックをしている場面では、肩の肉が盛り上がった貫禄ボディに違和感を覚えた。この時リーは30歳、マン・レイとの活動を経て実業家アジズ・エルイ・ベイと結婚して3年ほどカイロで暮らし、ベイを置いてパリに戻ってきたばかりの時期だ(ベイとはペンローズとの子をみごもってから離婚)。
その後6年ほど戦場カメラマンとして活動するのだが、ずっと貫禄ボディのままだ。これは完全に私の先入観なのだが、最前線で命懸けの取材活動をするリーにそぐわないように見えた(筋肉でガッチリしているならまだ分かるが)。当時の実際のリーの写真を探してみたが、私が見つけた範囲でのリー本人は人気モデルだった頃の面影が残るどこかシュッとした佇まいで、細身とまでは言わないがそこまでガッチリしていない。
弁解すると、これはルッキズム的なものとは違う。デニーロ・アプローチ並にやれとまでは言わないが、ビジュアルでの役の表現も観る側にとっては大事な情報だ。途中でマリオン・コティヤールがきちんとげっそりした姿(元々痩せているからメイクでの演出だろうが)で出てきた時は、ビジュアルの「それっぽさ」に少し安堵した。
ウィンスレットの演技自体は素晴らしいし、そもそも本作は彼女が発起人となって作られたのだから、そういう意味では彼女が主役を張るのは自然なことだ。
ただ、戦場カメラマン時代からインタビュー(もとい息子の空想)までは3〜40年経過しているのだから、役者を分けてもよかったんじゃないかなあ、とは思う。申し訳ありません。
WWII through the Lens of a Fashion Photographer
The film Lee presents Lee Miller as a woman ahead of the curve. The city slicker Vogue photographer was one of the first women in Western society to walk into the battlefield in uniform. She faces resistance from fellow soldiers but also some unanticipated support. I wasn't aware of her famous photo in Hitler's bathtub on the day of his downfall, but is an interesting story. A historically accurate pairing to last year's war photographer doc, Civil War.
ウィンスレットだから描けたこと、描けなかったこと
本作を観ながら、共通点のある比較的最近の伝記(的)映画を2本思い浮かべていた。1本目は、浅野忠信主演で写真家・深瀬昌久の生涯を描いた「レイブンズ」。写真が人物や出来事などの一瞬を切り取って提示する作品形式だからこそ、作品から切り離された前後の文脈を補ってストーリーを構成する伝記映画と写真家の人生は相性がよいと改めて感じる。
もう1本はティモシー・シャラメが若き日のボブ・ディランに扮した「名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN」。長年にわたり活躍した才人の人生を要約して丸ごと見せるのではなく、(作り手にとって)最も重要と思われる一時代に焦点を絞って映画のストーリーを構成した点が共通する。
「リー・ミラー――ファッションモデル、写真家、従軍記者、雑誌記者、クラシックミュージック愛好家、一流料理家、旅行家。さまざまな世界を常に自由に生きた女。さまざまな顔を持ちながら常に自分自身であり続けた女」。リーの息子アントニー・ペンローズが著した伝記「リー・ミラー 自分を愛したヴィーナス」(松本淳訳・パルコ刊)の冒頭でそう紹介されている。リーが撮影した写真、そしてリー自身をとらえた写真を多数含むこの伝記本を原作としつつも、映画「リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界」が描くのは、1937年にリー(当時30歳頃)がフランスでローランド・ペンローズと出会ってからの約10年間。2人で移住したイギリスでヴォーグ英国版の写真家兼記者となり、第二次世界大戦が始まるとドイツ軍空襲下の英国人を撮影、さらに1941年の米国参戦後は米軍の従軍ジャーナリストとして欧州戦線を取材して終戦を迎えるまでの年月にほぼ絞られている。
この時代設定は、ケイト・ウィンスレットがプロデューサーとして本作の成立に大きな役割を担ったことも関係していると思われる。過去にもリー・ミラーの人生を映画化する企画は、息子で伝記著者でもあるアントニーに何度か持ち込まれたが、いずれも合意に至らず流れていたという。だがウィンスレット主演作の「エターナル・サンシャイン」で撮影監督を務めたエレン・クラスがウィンスレットに企画を提案し、ウィンスレットが製作兼主演、クラスが監督の座組でアントニー側に交渉した結果了承され、リーが遺した資料すべてにアクセスすることを許可されるほどの信頼を得た。ウィンスレットの知名度に加え、彼女が「タイタニック」や「愛を読むひと」など歴史大作で演じてきた女性像の印象もプラスに働いたろう。
そしてもう1つ重要なのが、リー・ミラーの容姿、特に後半生の外見が近年のウィンスレットにかなり似ていること。映画のキービジュアルでも使われている、ヒトラーのアパートの浴室で自身を同僚に撮影させた代表的な1枚などは、驚くほどの再現度だ。リーがファッションモデルから写真家にキャリアを移していった20代の頃は、残っている写真を見ると比較的痩身で顔もよりシャープな印象だが、30代以降は加齢のせいもあってか肉付きがよくなったように見える。
その点もおそらくは、ウィンスレットら製作チームがリーの30代以降をメインにした大きな理由の1つだったはずだ。もしも19歳でモデルとしてキャリアをスタートさせ22歳のときにアート写真家マン・レイの弟子兼恋人になり写真術を身につけていった時期も映画に含めるとしたら、撮影時46歳のウィンスレットが自ら演じるのは無理があっただろう。また、2時間程度の本編で若い時期まで描くなら、波乱万丈の数十年を駆け足で紹介するだけで深みに欠ける映画になりかねない。そうしたもろもろの判断から、従軍ジャーナリストとしての活躍をメインとする30代の約10年間を描くことに決めたのだと思われる。
カメラマンに限らずさまざまな職業で男女格差、女性差別が根強い時代、自らの才能とバイタリティで活路を見出し、男性ジャーナリストにも引けを取らない勇気と機動力で前線に赴きスクープを連発したリー。彼女の生き様を描くことは、今の時代にも女性をエンパワーするという点で、大いに意義と価値が認められる。また、「シビル・ウォー アメリカ最後の日」(2024年10月日本公開)でキルステン・ダンストが演じた戦場カメラマンのモデルとなった人物として紹介されることも多いリー・ミラーだが、この「リー・ミラー」が2023年秋に北米の映画祭で上映、24年9月には英米を含む主要国で劇場公開されていたことを考え合わせると、「シビル・ウォー」が日本でも公開週1位の大ヒットを記録したことが「リー・ミラー」の日本公開を後押しした可能性がある(逆に「シビル・ウォー」が不入りだったら、「リー・ミラー」も配信スルーになっていたかも)。
だが一方で、ウィンスレットら製作陣の判断で割愛されたリーの若き日々も、できることなら映像で描いてほしかったというのも偽らざる本音だ。リーが幼少期に経験しトラウマとなった出来事は映画の後半で触れられているが、アマチュア写真家だった父親から10代の頃にヌードモデルとして撮影されるなど、持って生まれた美しさゆえに性的搾取や性的虐待にさらされる理不尽さも経験した。だが彼女は自らの美貌を呪うことなく逆に武器として使い、モデルになって自分の世界を広げ、さらには写真家になって見られる側から見る側へと立場を変える。マン・レイに師事し、その頃にピカソやマックス・エルンスト、ジャン・コクトーといった芸術家らとの交流を通じて、芸術とは何か、美しさとは何かについて考えを深め、自らの表現を確立すべく励んだ。そうして培ったアーティストとしてのセンスがあるからこそ、彼女の報道写真がドラマやストーリーを感じさせ、現代の私たちが見ても心を動かされるのだろう。つまりは若き日々もまた描かれるべき魅力的な要素に満ちた年月だったはずで、ウィンスレット主演作であるがゆえに描かれなかった時期のリーも、将来のいつか、配信ドラマでもドキュメンタリーでも映像化されるといいなと、望み薄と思いつつ気長に待つことにする。
彼女が観たもの、感じたことを追体験する
ミラーという人物について伝記的、網羅的に描くという選択肢もあったはず。だが、企画を長年、大切に温めてきたケイト・ウィンスレットら製作陣は、ミラーが多くの芸術家たちを魅了したモデル時代を潔く切り捨て、その後、戦場写真家となって直面する言い知れぬ試練や心の動きにこそ肉薄する。意を決して乗り込んだ戦場で、彼女はどう駆け巡り、何を感じ、何を見たのか。それは同時に、我々が未曾有の世界大戦を「女性の視点」で目撃する、貴重な映像体験をもたらしてくれる。何より役柄に魂を注いだウィンスレットの「この人物について世界に伝えねば」という使命感が伝わるし、主人公が降伏後のドイツへ踏み入ってからの光景には息を呑むばかり。そこで撮影される歴史的な一枚。ミラーが何を思い、どんな意図があったのかをセリフではなく、ただ我々に”衝動”として突きつける。観賞後、彼女についてより深く知りたくなる、大きなきっかけをもたらす作品だ。
彼女から見える真実を切り取りたい本能
冒頭、昼下がりの屋外のパーティの短い会話シーンから、
当時の不穏な時代状況、主人公リーのウィットに富んだ魅力的なキャラクター、
周囲の主な登場人物たちの性格、関係性をさらっと描き出す。
見事に要約された導入から物語に引き込まれる。
その後、戦争の時代に突入し、
とくに戦争に翻弄される一般市民をカメラに収めようとする主人公リーの姿を中心に、
実際の写真の撮影現場や前後の背景、経緯を肉付けする形で話が展開していく。
ケイトウィンスレットは意志の強い眼差し、がっしりした体格など
主人公のイメージにぴったりはまっていて、
使命感、意志だけでなく、本能に突き動かされて撮影を重ねていくような姿が印象的。
改めて想像を掻き立てる瞬間芸術としての写真の凄さも感じた。
アメリカ人だったから女性でも従軍できたというのも面白い事実。
報道写真家リー・ミラーの激動の生涯を演じたケイト・ウィンスレットが渾身のパフォーマンスを見せている。自ら製作も兼ねた意欲作だ。
戦場でカメラを構える動的なシーンもあるが、全体的には淡白に語りで進んでいくのが物足りない。
しかし、そこに描かれる彼女のヒステリックなまでの信念と情熱には感服する。
彼女自身の少女時代の出来事が、誰かにとっては見たくない事実であっても、誰かにとっては知られたくない事実であっても、何が起きているのかを世間に知らせなければならないという信念につながっていた。
そこも台詞で説明されるのだが、語るケイト・ウィンスレットと、聞き役のアンドレア・ライズボローの丁寧な演技が胸に訴えてくる。
年老いたリー・ミラーがジャーナリストのインタビューに応える形で語りはじめ、物語は回想録として展開していく。
このジャーナリストが誰だったのか、この語りは本当は誰によるものだったのか、映画の結末で言葉ではなく映像でそれを説明するところは見事だった。
リー・ミラー知らんかった
サブタイがダサい。
ミリタリに興味があり少しは人より知ってるつもりだったが彼女の事は知らなかった。当時のアメリカで前線に女性が行く事はかなり稀であるはずで、リーの経歴あってこその特例だと思う。作品の制作もやってるし、監督女性だしケイトウィンスレットもガチで演じ切ったのであろう、どのシーンも迫力説得力あった。
リーミラーの波瀾万丈の経歴の前半はぶっ飛ばし後半の戦場カメラマンとしてのキャリアにフォーカスした作品です。彼女が戦場で見た物と作品を順番に見せていく趣向で、戦場に取り憑かれていく過程を追っていめす。結構エグい描写、リアル彼女の撮った写真など多いから要注意、気がつくと私も口で息をしてた。PTSD(いや出版に関するストレスも大きいかも)に苦るしんだ晩年、最後の締めも気が利いていて、この辺が息子さんが持ってる映画化権の獲得に寄与した気もするな。
再現へのこだわり
女性で戦場写真家だと、マーガレット・バーク・ホワイトの名は聞いたことあるけど、リー・ミラーという写真家のことは知らなかった。映画きっかけで検索してみたが、彼女の若い頃、モデルとして写っている写真を見たら、あまりの美女ぶりにびっくり。マン・レイの彼女だった〜? マジですか〜? マン・レイのモデル兼恋人といや、キキしか思い浮かばなかったが、他にもたくさんいたのねえ。
リー・ミラーが戦場写真に駆り立てられる理由がよくわからない。パリにお友達がいるから、様子を知りたかったのか。女はダメと言われるのにムカついたか。それとも、表現の素材として、新しいものが欲しかったのか。なんだかやみくもに突っ走っていったが、動機がぼやけていたと思う。あと、苦労した成果が、ヴォーグ誌に掲載されなかった時に、ネガや写真を切り刻む行為になるのが、理解できない。惨状を伝えられないことに怒るのはわかるが、自分の作品でしょう。自分も大変な思いをしたし、被写体はもっと大変だったし、すでに死んでたりするわけだから、なぜ無に帰すようなことをするのだろう。彼女の体内に沸々とたぎる怒りが激しすぎ、かつ行動が短絡的で、まったく理解できなかった。
しかし、リーの残した写真通りにシーンを作る点は、ものすごいこだわりだった。画作りに監督の執念を感じた。加えて、静止画では臭いは想像できないが、鼻を覆いながら被写体に近づくのを見せられると、現実味がより増す。そこは評価したい。
非常時、弱い者は簡単に犠牲になる。戦争とは、究極の暴力である。その暴力の中へ突入するのに、あんなトロトロしてたら、弾に当たるだろう。もちっと緊張感を持ってくれい。あと、二眼カメラではスピード面で不利な気がする。カメラを持つ位置もかなり低く、あれでピントを合わせられるのか謎だ。ロバート・キャパは、ライカのコンパクトカメラで、機動的に撮影して評価された。LIFE誌のシャーマンも35mmのコンパクトカメラだった。まあ、機材がなきゃ、あるもので何とかするしかないし、二眼で撮影してたのかな。
ヒトラーの台頭について、リーとローランド夫婦がそんなに支持されないだろうと話していたのに、実際は熱烈に担がれたというのが空恐ろしい。独裁者は、密やかに民衆の心を掌握する。うー怖い。これから第二次世界大戦と同じ状況にならないことを祈る。
ケイト・ウィンスレットのことはきれいだと思うし、演技も上手いが、リー・ミラーを演じるには年齢が上過ぎたかな。初老って感じだもん。リー・ミラーが戦場を駆け回っていたのは30代後半、まだフットワークは軽かっただろう。老齢の老けメイクは良かったけど、戦場があまりにも似合わなかった。あと、ブリジット・ジョーンズか、ってくらいパンツがデカかったよね…。
ケイト・ウィンスレット49歳入魂の烈女伝
リー・ミラーは、戦前の実在する元トップモデルにして写真家。
Wikipediaで調べてみたら、あのマン・レイの弟子にして愛人、とあるw
「好きなものは酒とセックスと写真」と豪語し、パリで詩人夫妻や有閑階級の御婦人がたと遊び暮らしていたが、やがて第2次世界対戦の開戦とともにロンドンに移り、ヴォーグUKの写真家となる。そして戦争の前線にやむにやまれず惹き付けられていく。
イギリスでは女性の従軍記者が認められないことに憤慨するが、自身がアメリカ国籍であることを逆手に取って記者証を入手し、ライフ誌カメラマンの盟友ディビィとともにドイツ占領下のフランス前線に潜り込む・・・
あの『タイタニック』のヒロイン、ローズ役の時は24歳?のウィンスレットも49歳か。面構えが半端ない。
実際のミラーは1907年生まれだから、前線で取材しているときは37歳という勘定になる。
のべつ幕なしにタバコを吸い、スキットルでぐいぐいウィスキーを煽りながら仕事に没頭。ちょっと理不尽な仕事上の扱いには容赦なくブチギれ、男装して米軍前線の作戦ブリーフィングに潜り込む。街の暗がりでフランス人女性に乱暴しようとする米GIを突き飛ばし、ジャックナイフをチラつかせて追い払う(そのナイフを女性に護身用にと渡してしまうのがかっこいい)。
そしてドイツ降伏後、取り憑かれたようにディビィとともにジープで荒れ果てたドイツ深部へ。ヒトラー邸宅と、最後に強制収容所に足を踏み入れる・・・
あー、なんてはちゃめちゃで婆娑羅な女性だ。
同じ女性を描くにも、『サブスタンス』みたいな下品な仕上げじゃなくて、こういう道を採って欲しかったな → デミ・ムーア。
素晴らしかった
インタビュー形式で進むかのように見える
リー・ミラーの半生。
モデル引退後に悠々自適に暮らしていたかのような生活が、
ある時を境に一変する。
そこまではさらっと、芯を残したまま描きつつ、
人物間の関係性は上手く見せている。
デイヴィッドとのフレンドシップ。
これも後になって、効いてくる。
マリオン・コティヤールとの再会、
「守れない約束はしないで」、この言葉が彼女を突き動かす。
(ああいう短い場面でもキメてくる流石のマリオンコティアール)
そして、ノエミ・メルランと再会する。
人々が消えていき、戻ってこない。
隠れていた人々の恐怖を、まだパリの人たちは知らない。
ここで、アレクサンダー・スカルスガルド演じるローランドとの再会があり、愛を確かめ合う。そして、帰宅を決めたかのように見えたリーが、戦場の最奥地に行くと決めた瞬間、デイヴィッドと同様に胸が熱くなった。
今までの映画だったら、家に帰ってたもん。
本当にリーのこういう姿を見せてくれるのがこの映画の良い所。
そして、収容所の厳しい現実を知る。
かの有名な浴槽での写真を撮る。
デイヴィッドの感情が溢れ出し、二人は友情により労わり合う。
戻って来たリーは、ヴォーグ誌に自らの写真が載らないことで、会社に駆け込み写真を切り刻む。世に出ないのなら、取っておいても仕方がないのだと。
こういう瞬間に、過去と現在が繋がるんだと思うんだよね。
本当に、世に出ない事実は、無かった事にされてしまうから。
そして、それを最も知っていたのは、リー本人だった。
幼い頃に性暴力に遭った経験をオードリーに話す。
どうしても、写真を残さないといけない理由。
それは、迫害に遭った彼らの為でもあり、自分の為でもあった。
自分の後悔を拭い去りたい、彼/女らの気持ちに共鳴したい。
その気持ちが、リーが戦場に出た根拠だったのだ。
ただ、その根拠というものを幼い頃の性被害と照らし合わせていいものだろうか、と少し逡巡した。本当は、写真を残すことに根拠なんて要らないのではないだろうか。リー本人がそう語ったのか、分からないが、同じような経験をしたことがある人しか突き動かされないのであれば、その動機はいつか無になってしまうのではないか。誰も居なくなったときどうなるのか。
ストーリーに戻ると、アンドレア・ライズボロー演じるオードリーが本当に良くて、リーはあの人に当たってしまったけど(それも当然のように思う)、でもオードリーと一緒にあの雑誌をパリに届けていたんだし、彼女自身、リーの写真がどれだけ重要なものかを分かっているから。写真を破壊してはいけない、とリーにそれを伝えるから。ちゃんと知っている人がいるから、リーの支えに見えて、本当にいい関係性だった。
インタビューはいつの間にか終わり、
(この辺がちょっとわかりにくい)
しかし、鑑賞後にあのジョシュ・オコナ―の台詞を思い返すと、非常に胸に迫るものがあって、泣けた。
「自分のせいで母親が不幸になったと思ってたんだ」
「何で言ってくれなかったんだ」
史実として、リーが息子に死ぬまで戦場での仕事を伝えなかった事実がある。それを描く際の選択として、最も正しい描き方をしていたのではないかと思った。
伝えなかったリー。知らなかった息子。
リーに、何故ヴォーグに写真を載せなかったのかと聞かれたオードリーが、「まだこの写真を見るのに恐怖や不安を感じる人がいる」と。一つの真理だと思った。確かに、どこかで自分と同じような誰かが地獄のような日々を送っていたと考えるのは、辛いし苦しい。ましてや写真を見てしまっては、精神的に不安定にもなる。
しかし、それでも載せるべきだったのだと、暗に語っていたのは息子だった。
「何で言ってくれなかったんだ」
(想像上ではあるが)あの悲惨な戦場での話を聞いて、写真も実際に見た。
その後に、母の人生を思って彼が告げた台詞が、言って欲しかったという事、知りたかった、という事なのである。どれだけ自分が傷ついたとしても、見たくなかったものを見る事になるとしても、言って欲しかったのだ。
そうすれば、その傷は少し癒えたのかもしれないから。
その苦痛は少し和らいだのかもしれないから。完全に消えなくとも、少しの間忘れられたのかもしれないから。残し続ける人が現れ、事実は無くならずに済むかもしれないから。痛みを知っている人がいれば、また同じ事が起こらずに済むかもしれないから。
これが、オードリーの反論に対する答えだと思う。
そして、この映画を観た我々に託された希望なのだと思う。
そして、エンドロール。
事実は残り続けると言うかのように、リー・ミラーの写真たちが流れる。
ここで止まっていてはいけない。
隠していてはいけない、表に出していかなかればいけない。
事実を無かったことにしてはいけない。語っていかなければいけない。
そんな重要なことを教えてくれる一作だった。
本当に久々に、まさに映画らしい映画を観た。
これよくアカデミー賞スルーされたな…。
改めて「関心領域」って何だったの?ってなるな本当に。
直視することなく描くって、まさに今生きる自分たちがしそうになっている事じゃん。それを映画にして、再演したって何の意味があるの?
重要なのは、自分を満足させることじゃなくて、何を見せるために映画があるか、じゃないの?
決して忘れてはならない負の遺産
❶相性:上。
❷時代(登場する文書やテロップや会話等の日付から):
1977→1938~1945→1977。
❸舞台:イギリス:イースト・サセックス、ロンドン。フランス:パリ、サン・マロ。ドイツ:ブーヘンヴァルト、ダッハウ、ミュンヘン。
❹主な登場人物
★以下の7人は全員が実在、実名。
①リー・ミラー〔実在:1907-1977〕(✹ケイト・ウィンスレット、47歳):主人公。アメリカの先駆的な従軍記者兼写真家。かつては『VOGUE』の表紙を飾るモデルだったが、30代で写真家に転じ、ダッハウ強制収容所を始め、ヨーロッパ各地で衝撃的で恐ろしい光景をフィルムに収めた。彼女の写真は、WWⅡにおいて最も意義深く、歴史的にも重要なものとして残り続けている。一方、凄惨なものを見たこと、そしてその物語を伝えることに多大な労力を費やしたことにより、精神的に大きな犠牲を払うことになる。
②デイヴィッド・シャーマン〔実在:1900-1984〕(✹アレクサンダー・スカルスガルド、46歳)
アメリカ「LIFE」のフォトジャーナリスト兼編集者。取材中リー・ミラーと出会い、チームを組み、数々の仕事をした。二人は生涯の友人となる。
③ローランド・ペンローズ〔実在:1916-1997〕(アンディ・サムバーグ、44歳)
イギリス人の芸術家、歴史学者、詩人、伝記作者。WWⅡ勃発の2年前にリー・ミラーと出会い、恋に落ちる。リーが従軍記者になることを応援しており、リーの人生における大きな転機には必ず彼女を支えた。
④オードリー・ウィザーズ〔実在:1905-2001〕(アンドレア・ライズボロー、41歳)
イギリス人ジャーナリスト。イギリス版『VOGUE』の編集者。リーの写真を評価する一方、社会的制約や雑誌方針との板挟みになる。
⑤ソランジュ・ダヤン〔実在:1898-1976〕(✹マリオン・コティヤール、47歳)
リー・ミラーの芸術家仲間。フランス版『VOGUE』の編集者。レジスタンスのメンバーだった夫のアヤン公爵は1942年にゲシュタポに逮捕され、幾つもの強制収容所を経てベルゲン・ベルゼン強制収容所に移送されたが、収容所が解放される前日に死去。ソランジュも強制収容所に送られていたが、パリ解放後リーと再会する。
⑥ヌーシュ・エリュアール〔実在:1906-1946〕(ノエミ・メルラン、34歳)
リー・ミラーの芸術家仲間。フランス人パフォーマー、モデル、シュルレアリストの芸術家。夫は詩人のポール・エリュアール。ナチス占領下のフランスでレジタンスのために働く。1946年にパリで病死。
⑦ジャーナリスト(実はリーとローランドの息子アントニー・ペンローズ)〔実在:1947-〕(ジョシュ・オコナー、32歳)
1977年、イギリスの自宅で、70歳のリー・ミラーに当時の様子を取材する若手ジャーナリスト。
★最後に、彼がリーとローランドの息子アントニー・ペンローズであることが示される⇒❺⑮★参照。
❺要旨と考察
①1977年。イギリスはイースト・サセックスのファーリー・ファーム(Farley Farm)の自宅で、70歳のリー・ミラー(ケイト・ウィンスレット)が、若いジャーナリスト(ジョシュ・オコナー)からインタビューを受け、写真家として活躍したWWⅡ時代について語り始める。
②1938年南フランス。31歳のリー(ケイト・ウィンスレット)は、芸術家や詩人の仲間たち──ソランジュ・ダヤン(マリオン・コティヤール)やヌーシュ・エリュアール(ノエミ・メルラン)らと休暇を過ごしていた。
③そこでりーは、イギリス人の芸術家ローランド・ペンローズ(アレクサンダー・スカルスガルド)と出会い恋に落ち同棲する。2人は1947年に正式結婚。
④同じころ、ドイツでjは48歳のアドルフ・ヒトラー(1889-1945/4)が政権を掌握し、WWⅡ(1939-1945)の脅威が迫っていた。
⑤1939年、りーとローランドはロンドンへ移住。仲間達はレジスタンスに参加する等して離れ離れとなってしまう。
⑥1940年、リーはかつてモデルとして活躍した『VOGUE』の英国編集部に、写真家としての仕事を求め、女性編集者のオードリー・ウィザーズ(アンドレア・ライズボロー)と出会った事で仕事を得る。
⑦写真家として活動する中で、リーは米国従軍記者のデイヴィッド・シャーマン(アンディ・サムバーグ)と出会い、チームを組む。
⑧1942年、リーは戦場を希望するが、英国軍の規定により女性の戦地への参加は認められない。アメリカ国籍のリーは、デイヴィッドの機転により、アメリカ軍の従軍記者となる事で戦場へ赴く。
⑨1944年。リー達はアメリカ軍が解放したパリを訪れ、やつれて変わり果てたソランジュと再会する。そこでリーは強制収容所の存在と、ユダヤ人をはじめナチスに抵抗する人々が姿を消している現実にを知る。
⑩真実を明らかにしなければならないとの使命感に駆られたリーとデイヴィッドは、先に待ち受ける“この世の地獄”を目指すことを決意する。
⑪1944年、仏サン・マロの戦いを乗り越え、史上初めてのナパーム弾が使用された瞬間をスクープする。
⑫1945年、独 ブーヘンヴァルト強制収容所とダッハウ強制収容所が解放されたその⽇に、現場に初めて⾜を踏み⼊れ、何万人もの行方不明者の死体を記録。
⑬1945年4月30日、ヒトラーが自殺した日、ミュンヘンにあるヒトラーのアパートの浴室を記録。
⑭戦争は終わるが、リーが目撃した光景は、PTSDとなり長きに渡り彼女を苦しめることとなる。
⑮時が流れて1977年のイギリス。イースト・サセックスのファーリー・ファームの自宅で70歳のリー・ミラーが、若いジャーナリストからインタビューを受けている冒頭のシーンに戻る。
★ジャーナリストはリーとローランドの息子アントニー・ペンローズだった。この時点で、リーは既に亡くなっていて、相続人のアントニーが、屋根裏部屋で発見したリーの遺産(写真と文書)から、リーの業績を振り返る仕掛けになっている。リーとの対話はアントニーの想像だったのだ。仕事一筋だったリーは、息子との時間が取れず、加えてPTSDにより、母と息子は不仲のままで終わっていた。最後に母の後悔の心を理解した息子に気持ちが強く伝わった。
★でも、この設定をよく吟味すると大いなる疑問があることに気付く。本作で描かれた、1938年~1945年のリーに関わる出来事は、アントニーの眼を介したものになっている。しかし、生前のリーと息子のアントニーは不仲で、相手の気持ちが理解出来ていなかった筈である。とすれば、そんなアントニーが、母の気持ちを代弁することは出来ないのではないか?
★このことから、リーに関わることは本人から語る設定にした方が良かったと思うのである。
❻まとめ
①圧倒的な男性社会の中で、女性の主人公が20世紀を代表する写真家の一人となった経緯がよく理解出来た。
②ヒトラーのアパートのバスタブでのリーの入浴シーン等、よく理解出来なかったシーンもあるが、容認出来る。
③一番の問題は、要となっている1938年~1945年のリーに関わる出来事を、アントニーの眼を介した設定にしたことだと思う。
④強制収容所とホロコーストに関しては、下記❼参照。
❼参考1:今は博物館になっているナチスの強制収容所
①1年前公開された『関心領域(2023米・英・ポーランド)』のラスト直前で、画面が突然現在の「アウシュビッツ・ビルケナウ国立博物館」に飛ぶ。そこでは清掃員たちが開館前の清掃を行っている。大きな窓の向こうには、亡くなったユダヤ人たちの遺品(靴や杖や写真等)が山積みになっている。つまり、80年以上前のホロコーストの悲劇が、現在でも学ぶことが出来るようになっているのだ。
②ナチス・ドイツは、ユダヤ人、反ナチ分子等々の該当者を収容するために、ドイツ本国及び併合・占領したヨーロッパの各地に強制収容所を設置した。
③最も悪名高い「アウシュビィッツ=ビルケナウ強制収容所(現在のポーランド)」を始め、最初に作られ後続の強制収容所のモデルとなった「ダッハウ強制収容所(ミュンヘン近郊)」等、2万ヵ所もあったという。
④現在では、多くの元収容所が整備されて博物館や付属施設となっている。忘れてしまいたい負の歴史を保存・継承し学習して、同じ過ちを繰り返さないようにするためである。ドイツのみならず、ヨーロッパ各国の学生や社会人が訪問して、体験学習出来るようになっている。
⑤私は、本作に登場した「ダッハウ強制収容所」を2011年に見学している。収容房、バラック、ガス室等の現物や、写真、展示物等過去の残虐な行為を自分の目で見て大きな衝撃を受けた。他国の出来事とは思えなかった。こんな悲劇は二度と起こしてはいけないと痛感した。他の見学者も基本的には同様だと思う。たとえ観光コースであっても、悲劇の遺跡を自分自身で体験することは、風化を防ぎ、未来へ継承するために、大きな意義があると確信する。
❽参考2:リー・ミラー(Lee Miller)とリー・スミス(Lee Smith)
『シビル・ウォー アメリカ最後の日(2023米)』でキルステン・ダンストが演じる報道写真家の名前リー・スミスは、本作のリー・ミラーから採られている。
ママはママなりの夢と挫折があったはずだが、私はお母さんの生き様を知らない。
行動し、挑発し、傷を引き受けた人生
VOGUE誌の表紙を飾ったモデルから第二次世界大戦の戦場カメラマンに転身したリー・ミラー。その存在を知るだけで意味のある映画だった。演じるケイト・ウィンスレットも本人が乗り移ったかのような力の入った演技で、代表作タイタニックを今から見てみたくなった。
冒頭、セレブ達がフランスの海岸で優雅にバーベキュー、主役のリー・ミラーはいきなり上半身裸で、胸をあらわにしながら煙草をスパスパ。その場を訪れたイギリス人アーティストと、数時間で恋に落ちる。
こういう肉食系の女性でありつつも、戦争が始まればいてもたってもいられずカメラマンとして戦場に乗り込む。ナチスが占領中のフランスを連合国が奪回する、ノルマンディー上陸作戦だ。
豊満な肉体と、戦争の状況を読み取る知性、戦場における男女の境界を突破しようとする執念や行動力。全部の方向へ100%エネルギーを注ぐ、今までにないような人物像に引き込まれた。
過酷な戦場でミラーの視線が向かうのは、何重にも傷つけられる女性の存在だ。フランスではナチスに協力したとして街頭で丸刈りにされる若い女性、ドイツでは男性の影に隠れてパンを分け合う、ホロコーストの生き残りのユダヤ人少女。
彼女たちの警戒心を解くため、ミラーは英語からフランス語に言葉を切り替えたり、「男装」して帽子の中に隠した長い髪をほどいたりする。
クライマックスはミュンヘンのヒトラーの私邸に忍び込み、浴室で自分を被写体にフォトセッションを敢行。これをナチスに向けた芸術的な挑発だと理解した。モデル、カメラマン、演出家としての役割を兼ねるミラーの真骨頂だろう。
女性が背負う見えない傷という現代的テーマもひしひしと感じる。何かに突き動かされるように悲惨な戦場を直視するミラー。しかし「見てしまった」ことによる傷、見たものを共有しようとしない友人への不信感という傷も背負うことになった。
ミラーが戦後、自分のキャリアについて語らなかったのもそれらの傷のためだろうか。晩年のミラーを描く場面はやや単調で、沈黙への答えを得る難しさを想像させられた。
マン・レイ登場せず
リー・ミラーと聞いて思い出すのは
マン・レイの反転写真。
ところが その後戦争写真家と
なって例のヒトラーのバスタブの
セルフポートレイトを撮った人物だったとは!!
とにかく いろいろ興味深い内容
マン・レイ含めて モデル時代の
歴史的な著名人とのエピソードには
ほとんど触れず。
VOGUE のカメラマンから、映画は始まる
当時は手持ちで二眼レフを使って
マグネシウムを焚いての撮影だったのか?
カメラケースは革製…
重くて 機動力の無い機材環境だったと
改めて 思い知る。
そう。
アナログ時代は ガラス面の反射を消す
オブジェクト消去なんて無いから
ヒトラーの写真額はガラスを外して
画面に納めるんだよな~
歴史上の人物のある数年間を
ギュッと詰めて描写する映画術
これはこれで私は嫌いじゃない。
また、主役の
ケイト・ウィンスレット!
役作りのための
ボディメイクも見応えがある
性的客体を完全に降りた
戦地を走り被写体と対峙する
一個の写真家の女性。
それを体現する 肉体に改造したのは
見事だ
たぶん食事を含めた 凄腕のトレーナーチームが組まれたのだろう。
先日のサブスタンスの
デミ・ムーアもしかり。
アカデミー賞にヘアメイクや衣装デザインもあるなら、ボディメイク部門もあっても面白いとおもう。
※全体的に 面白かったが
一部物足りなかったことが。
同じ写真家をモデルにした
マーク・ギル監督の「レイブンズ」のような
その時代の写真のテクニカルな
オタクが喜ぶ描写が、もっと欲しかった。
ケイト・ウィンスレット、その意気や良し。ただ…。
シビル・ウォーの記憶が鮮烈で、キルステン・ダンストのイメージがどうしても離れなかったせいもあるが、ケイト・ウィンスレットのリー・ミラーはやっぱり辛かった。
本当は大好きな女優の一人なんだけど…。
まず、申し訳ないが太り過ぎ。次に、これは致し方ないとしてもやっぱり歳を取り過ぎ。
実際のリーが第二次大戦の戦場を駆け回った頃の写真を見ると、痩せている訳ではないが、逞しさと精悍さがみなぎっていて、まさに戦場カメラマンのそれだけれども、ケイトの場合は、長年の怠惰がたたってどうしようもなく太っている風で、動作も同年代の標準よりずっとモッサリした感じ。これでリアリティを感じろと言われても難しい。
また、リーが大戦下のヨーロッパを駆け回った時期は、彼女がまだ三十代だった頃なのに、劇中のケイトはとてもそんな年には見えない。どうみても実年齢と同じ五十近くのおばはんだ。
こんな様子でどうやって感情移入すればいいというのか…。私には無理だった。
勿論、実際のリーに似ていなければダメだという訳ではないが、ここまで違うと、そもそも女性で行軍を許されたいきさつも、ロマンスも、ストーリーの骨格部分についての説得力が無くなってしまう。
脚本は中々だし、大事なメッセージを持った映画だと思うだけに、残念。
観終わってすぐに考えたことは、主演女優が誰だったらよかったか、ということだった。
本当は星三つがせいぜいかと思ったけれど、ケイトが製作まだ買って出た熱意や、晩年のリーが〇〇に向かって語るという設定の意外さで少し加点しました。
それにしても、そこまで意気込んで主役を張るんだったら、ケイトさん、もうちょっとアプローチしてほしかったなぁ。
でもまあ、そこがケイト・ウィンスレットの良いところかもしれないけど。
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