劇場公開日 2025年9月26日

「本人たち自身による解説と貴重な発掘映像で掘り下げる、レッド・ツェッペリンことはじめ。」レッド・ツェッペリン ビカミング じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 本人たち自身による解説と貴重な発掘映像で掘り下げる、レッド・ツェッペリンことはじめ。

2025年10月16日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

当然のことながら、この座組でタイトルが「ビカミング」である以上、「後篇」が用意されているはずだし、今回で消化したアルバムの枚数(2枚)換算でいえば、あと2、3本くらいは続篇があって然るべきなんだよね??
そうじゃなかったら、マジ暴動が起きるよ(笑)。

実はこの日、『ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家』から音楽評伝ドキュメンタリーつながりということで、映画館をハシゴした。
考えてみると、ミシェル・ルグランの活躍期は60年代からだけど、アメリカで『華麗なる賭け』のサントラを手掛けて「風のささやき」を世に出したのが1968年で、レッド・ツェッペリンの結成と同年。レッド・ツェッペリンの最初のアメリカ・ツアーが同年12月からだから、アメリカ進出はほぼ同時期といっていい。
ついでにいうと、米アトランティック・レコードにレッド・ツェッペリンと契約するよう強く後押ししたのは、イギリスの女性歌手ダスティ・スプリングフィールドだったが、彼女は「風のささやき」のカヴァーレコードを最もたくさん売った歌手でもある。
要するに、ミシェル・ルグランとレッド・ツェッペリンは、年齢差こそあれ音楽的には長く同時代人だったわけだ。

僕がレッド・ツェッペリンを聴くようになったのは、実は20歳を過ぎてからだった。
高校まではもっぱらクラシック音楽かスタンダード・ナンバーばかり聴いていて、洋楽のロックを聴き出したのは大学に入ってからだった。
夜のMTV紹介番組などを通して関心を抱き、新宿TSUTAYAでさまざまなベスト盤を借りてきて、全方位的にいろいろ聴いてみたけれど、ストレートなアメリカのロックやパンク、ディスコ系は全く肌に合わず、黒人系の音楽も正直よくわからなかった。
ただ、レッド・ツェッペリンとクイーンだけはとても気に入って、その後30年以上愛聴することに。あとはヨーロッパのプログレやグラムを少し聴くくらいか。
自分の世代的には実はボン・ジョヴィあたりがドンピシャであって、レッド・ツェッペリンやクイーンは、親が聴いていておかしくないくらい昔のバンドだ。
結局のところ、60~70年代くらいの、気の利いた転調が多くてメロディアスで先読みのできないたぐいの曲が、僕は好きだということなのだろう。

レッド・ツェッペリンの場合は、先にアルバムで「音」として聴いてから、どんな連中なんだろうと彼らの出ている『狂熱のライヴ』を借りて来て観て、そのヴィジュアルとパフォーマンスの凄まじさに、ガチで月までぶっ飛ばされたという感じだった。

ヴォーカルのロバート・プラントは、ダヴィンチの描く天使が絵の中から抜け出してきたかのようなヤバいくらいの美青年。それがへそ出しルックで、カクカクと交霊中のイタコのように痙攣しながら、高音でシャウトし続けている! 対するジミー・ペイジは、あしべゆうほの『悪魔の花嫁』に出てくるデイモスが現実に降臨したかのような魔性の風貌で、超絶ギターテクを速弾きで見せつけたあげくに、弦でヴァイオリンみたいにギターを弾いている!
男性を観て心の底から「セクシー」だと感じたことは、この二人以外にはあまりないかもしれない。
その二人が、並び立ち、一歩も引くことなく、ツインターボとして張り合い、支え合い、ぶつかり合っている。奇跡か何かなのか、これは?
しかも、ドラムのジョン・ボーナムとベースのジョン・ポール・ジョーンズのリズム部隊も、二人に負けていないどころか、えげつない音でガンガン刻みまくっている。
これは掛け値なしにすごいバンドだ。心からそう思ったものだった。

ちなみに、個人的には「アキレス最後の戦い」を最も偏愛しているけど、今回のドキュメンタリーの扱う範囲からは漏れていて、「天国への階段」同様、映画内では出てきませんでした(笑)。

― ― ― ―

ドキュメンタリーとしては、若干教条的というか、教科書的というか、生真面目な作りになっていて、メンバーそれぞれの出自の紹介から始まり、4人が順番に自分語りをいろいろしゃべって、各人が影響を受けたミュージシャンを映像と音付きで紹介し、各年代の主要な社会的大事件を併記し……、と、ひたすら順序だてて説明していく感じ。
ありていにいって、あまり「ロック」な作りではない。
どちらかというと、NHKスペシャルみたいな教養番組っぽさがある。

実際、このドキュメンタリーは、60年代終盤を駆け抜けた才能豊かな4人の若者たちを、あえて「過去の存在」として、枠組みに閉じ込めるような構成をとっている。
フッテージ・フィルムのなかの4人は、異様な時代の熱気のただなかで、急速にスターとして覚醒し、とっぽい少年から魅惑的な20代の青年へと、メタモルフォーズしていく。
だがこのドキュメンタリーでは、それを外から観察し、注釈を施し、冷静に分析する「今の3人(+生前のボーナムの音声)」が用意されている。
彼らは、功成り名遂げた裕福な老人で、富豪の邸宅の居間のような部屋で豪奢な椅子に座って、過去の自分や、影響を受けた音楽や、自分たちの目指した音楽について、評論家のように冷静に語る。
昔の自分の映像を観ては楽しげに微笑み、ボーナムの声を聴いては目をうるませ、ユーモアたっぷりにライジング・スターだった自分たちについて解説する。
そこには、自らの才能を信じながらも追いつめられ、音楽業界の片隅で成功に飢え、突然のブレイクに狂喜し、酒とドラッグに溺れ、乱痴気騒ぎのなかでなお、世界最高のバンドへと覚醒していった若者たちの姿は、どこにもない。

要するに、このドキュメンタリーはとても「スタティック」なのだ。
静かで、平穏で、落ち着いている。
過去を懐古する「成功者の振り返る武勇伝」に徹している。

それを望んだのは、生きている3人のメンバーだ。
彼らは、自分たちを標本のように過去に閉じ込め、
好々爺として、楽しげにそれを語る形式を選んだ。
これが、今のレッド・ツェッペリンの選択なのだ。

これまであまり自分語りをしてこなかった3人が、いざオフィシャルなドキュメンタリーを認可して語りだしたら、こんなにもあの頃の自分たちを冷静に楽しげに分析してみせるんだ、と、正直ちょっと驚かされた。

60年代末から70年代頭のレッド・ツェッペリンを考えたとき、こういうドキュメンタリーでいいのか? という思いも僕の中には正直ある。
彼らは、ビートルズやローリング・ストーンズやクイーンと同様に十二分に「むちゃくちゃ」で「破天荒」なバンドであったと僕は思っているし、そういうピーキーな部分をファンは愛しているはずだ。少なくとも僕はもっと、彼らの「頭のおかしい」ぶっ飛んだ部分をひりひりと感じたかった。

だが、振り返って考えてみると、上で挙げた4つのバンドは、実のところ大抵のメンバーがイギリス中流階級の出身だ。
そこそこ皆きちんとした教育を受けていて、正統な音楽教育を親から与えられていた人間も複数いる。ブライアン・メイのような超インテリのケースは例外的だけれど、彼らは別段ロッカーにさえなっていなければ、ふつうに医者になったり弁護士になったりしていても全然おかしくない、優秀な若者たちだった(実際、今回の映画のなかでも、ロバート・プラントはデビュー時に公認会計士になるか、ミュージシャンになるかの選択に迫られている)。

何が言いたいかというと、いま豪奢な書斎でゆったりと座って、頭の良さげな解説を過去の自分たちに投下している金持ち老人としてのその姿こそが、実は「ほんとうのレッド・ツェッペリン」なのかもしれない、ということだ。
60年代から70年代にかけて、彼らが真の意味でめちゃくちゃだったのは、純粋に「時代と世代」の影響であったに過ぎず、今のインテリじみた老人としての在り方のほうが、彼らの「素直な本性」なのではないか、ということだ。

であるならばまあ、これでもいいのかな(笑)。
そんなことを考えながら、観ていた。

― ― ― ―

●デビュー当時のジミー・ペイジがいいとこの坊ちゃんにしか見えないのは前から知っていたが、若き日のロバート・プラントがモミアゲも含めて、こんなにも横浜ベイスターズのトレバー・バウアー投手に似ていたとは思いもしなかった。結構、笑撃的www

●僕はロックやブルースにはまったく詳しくないが、シャーリー・バッシーの「ゴールドフィンガー」はイントロゼロコンマ2秒で何の曲かわかったので(笑)、なぜここで「ゴールドフィンガー」がかかるんだ??と、いささか虚を衝かれた。
てか、これ有名な話なの? あれのスタジオセッションにジミー・ペイジとジョン・ポール・ジョーンズが参加してたのって? 俺ぜんぜん知らなかったよ(笑)
で、ネットを検索したら、ジミーが2021年にこの件について回想している記事があって、「歌うように頼まれると、彼女はたった1テイクでやり遂げた。そして最後、床に倒れ込んだんだ。1つの音をキープし続け息が切れ、倒れたんだよ」とか言っててマジで受けた。
そういや、似たあたりの映像で出て来てたジェームス・ブラウンも、若い頃からどこからどう見ても異常な芸風で他を圧倒していて、本物のヤバいヤツだけが醸し出せるド迫力があった。こういう狂気の卒倒芸みたいな頭のおかしいノリって、いまの歌手にはついぞ見られないよね……。

●同じく彼らがアレンジャーやスタジオ・ミュージシャンとしてやっていた頃の音楽で、バーブラ・ストライサンドの「ピープル」の編曲版が流れてなかった? 最初、なんの曲かわからなくてよくよく考えたら「ピープル」の旋律だと気づいてびっくり。そういや、昼間に観た『ミシェル・ルグラン』でもバーブラが出てきて、ルグランとハモってたな。

●このドキュメンタリーで、基本的にレッド・ツェッペリンの演奏についてはどの曲も、なるべく一曲丸ごと収録しようとしてくれているのは、本当にありがたい。僕はまったく詳しくないので、ここで集められたライブ映像がどれくらい貴重なものなのはわからないが、どのライブも彼らの魅力が十分に伝わるものだったように思う。とくに、ジョン・ボーナムの肉声がかかったときにメンバーそれぞれが見せる、おっと驚くような表情といとおしむような優しげな眼差しは、この音源の希少性をよく表している。

●最初のアメリカ・ツアーからロンドンに戻って来て開いたライブの映像で、結構な数の女性客や子供たちが耳に手を当てておっかなびっくり聴いているのは、時代を感じさせてとても興味深い。
あの当時、観客はたとえロックっぽい曲であっても、基本はおとなしく座って、首や体を揺らす程度のアクションしかせずに聴いていたように見える。
彼らはレッド・ツェッペリンを聴くまで、あれほど大きくけたたましい音で弾くうるさいバンドを聴いたこともなかったし、あれほどステージ上で暴れまくるバンドを観たこともなかったのではないか。
それがたった1年で、あの巨大なロイヤル・アルバート・ホールをファンで満席にしたんだから、立派なものだ。
これまで僕は、レッド・ツェッペリンについては「アート・ロック寄りのハード・ロック」といった認識でいたが、やはり「ヘビメタのはしり」という部分も間違いなくあったんじゃないかと痛感させられました(笑)。

●しきりにジミー・ペイジが、自分たちはアルバム・バンドなんだと主張し、「シングルカットはバンドを腐らせる」として徹底的に忌み嫌っていたのが印象的だったけど、ロック界隈ではそれって一般的な認識なのかな?

●ジョン・ボーナムとJPJが、バンド結成前からの妻帯者で愛妻家であったことは良く知られていて、この映画のなかでもしっかり扱われている。一方で、ロバート・プラントとジミー・ペイジもまたキャリアの初期に結婚していて、少なくとも解散するまでは奥さんとちゃんと添い遂げている。あれだけ酒池肉林で騒ぎまくっていて、バンドメンバーとグルーピーとのあいだに何もなかったとは到底考えにくいが、スターとしての荒んだ生活と良き家庭人としての側面を彼らがどのように両立させていたかは、まあまあ気になる。

じゃい
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